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(4)東京書籍と育鵬社の中学歴史教科書を比べる その4
◆3 構成 ~章立て~
【育鵬社】 【東京書籍】
・原始と古代の日本 p17-60(44ページ) ・古代までの日本 p17-56(40)
・中世の日本 61-86(26) ・中世の日本 57-88(32) ※鎌倉~室町時代
・近世の日本 89-136(48) ・近世の日本 89-130(42) ※安土・桃山~江戸時代
・近代の日本と世界 137-186(50) ・開国と近代日本の歩み 131-180(50) ※明治維新~第1次世界大戦前
・二度の世界大戦と日本 187-226(40) ・二度の世界大戦と日本 181-222(42) ※第1次~第2次世界大戦
・現代の日本と世界 227-247(21) ・現代の日本と世界 223-251(29) ※戦後~
・巻末の各種資料 248-262(15)+年表など ・同左 252-263(12)+年表など
時代区分(章立て)は同じで、各章の分量もほぼ同じくらい。※「現代」は東書がかなり多い。
ところが、ぱらぱらとめくっただけでもずいぶん印象が違います・・・
◆4 日本(人)の始まり(原始~古代)をどう描いているか?
「印象」となると実物やコピーをみるのがいちばん分かりやすいのですが、そうもしにくいので、「大和朝廷の成立」までの《目次=内容の提示順》をみてください。
【育鵬社】 【東京書籍】
第1節 日本のあけぼのと世界の文明 1節 文明のおこりと日本の成り立ち
1 日本列島ができたころの人々 1 世界の古代文明と宗教のおこり
2 豊かな自然と縄文文化 《深めよう》ヨーロッパの古代文明とイスラム教(※実際は「欧州・中近東」と「中国」がどちらも2ページずつ)
3 文明のおこりと中国の古代文明 2 日本列島の誕生と縄文文化
4 稲作・弥生文化と邪馬台国 3 弥生文化と邪馬台国
5 古墳の広まりと大和朝廷 4 大王の時代
【育鵬社】・・・日本(人)のはじまりがすんなりと分かるように配列してあると思う。
【東京書籍】・・・歴史を記述する最初(p20)が「1 世界の古代文明と宗教のおこり」ではじまり、次の「《深めよう》ヨーロッパの古代文明とイスラム教+中国文明」までの、記述冒頭の8ページ分が日本以外のことを書いてある。
・目次に「大和朝廷」という言葉が使われていない。※本文でも「大和政権」しか使っていない。
・日本史か世界史か?・・・東書のこの部分(だけ)を読みはじめたとき、《世界史の教科書か?》、《もしかして中学校指導要領では「日本史」ではなく、「世界の歴史」を教えるようになっているの?」と、本当に錯覚しそうでした。
この部分だけみれば、印象として、「我が日本」は相対化、あるいは矮小化されてしまうと感じました。この部分は、まるで《日本在住の世界市民用の教科書》のようです。
・年代:時間感覚の混乱・・・東書は歴史上のできごとの時間順を逆にして提示しており、歴史的時間感覚が狂ってしまう。
東書に記述してあるデータを使うと、「いわゆる世界4大文明」は、最も古いエジプト文明でさえ「紀元前3000年ごろ」(=5000年前ごろ)。
対して、日本の「縄文時代」は、「1万2000年ほど前から」。
縄文時代は「いわゆる世界4大文明」より7000年ほども前から続いている時代なのに、ずっとあとの世界4大文明をp22~27で先行させ、「日本列島の誕生」・「縄文文化」はそのあとのp28.29に配置されています。この「逆転」はおかしいと思います。
《歴史記述は生起順=年代順に行う》というのが一般的になっています。まして、中学生は歴史学習のほぼ初心者・・・やっぱり異常ではないでしょうか?
○東書の異常さの原因は?・・・人間は(夢遊病以外は)無意識に行動することはできません。つまり、人間の行動のほとんどは「意図的」なのです。
東書の(やり手の)編集部員と依頼された専門的学者:著者は、この「異常さ」の理由はよく分かっているはずですが、私はそのどちらでもないので、あえて推理して仮説をたててみましたが・・・
(1) 日本の「小ささ」を印象づけるため。好意的に表現すれば、日本について「絶対的」ではなく「相対的」に認識させたいため。
(2) 世界は日本より進んでいるし、優れている、と印象づけるため。(≒日本は世界より遅れているし劣っていると思わせたいため。)
(3) 神道や皇室、「日本文明」については、できるだけ印象づけないようにするため。(※「日本文明は世界7大文明の一つ」という説は世界では有力です。)
(※もちろん、頭からそうだと思い込んでいる「一部の、賢くない編集員や著者」は「意図的」ではなく、「自然に」行動しているのでしょうが。)
<参考>「著作関係者」の紹介(巻末資料)
・東京書籍
・育鵬社
※編集責任者の名前は両社とも書いてありません。東書は「編集協力」として、「牧屋研一、筒井よしえ」と書いてありますが、なんの協力かは不明です。
一般論として・・・今のような時代状況では、私たち日本人も、ものごとの責任をきっちりと問い、行為者にもきっちりと責任をとらせなければいけないと思います。
《隠れて悪いことをしている人間》に対しては、決して見逃すことなく、「正義・公正」の裁きを下さなければいけません。
~つづく~
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