西郡の闘いは、決して一つの地域の闘いではなく、全ての労働者人民の怒りと闘いを解き放ち、団結を大きく発展する闘いです
9・21住宅闘争勝利全国集会へのメッセージ
2014年9月21日 星 野 文 昭
(徳島刑務所在監・獄中40年)
9・21集会では、暁子さんがメッセージを紹介してくださいました。
7・1情勢下 、動労千葉・動労水戸を先頭に、労働者が団結し決起することで全人民の決起をもかちとり、新自由主義と戦争のあらゆる攻撃を阻止し、世の中を変える闘いが、全労働者人民の怒りのうねりと結合し、真に力を獲得しつつあります。
西郡の不屈の、団結の力で住宅取りあげはじめ攻撃を打ち砕き勝利していこうという闘いは、この闘いにさらに火をつけるものです。
既に私たちは、自らの労働で誰もが人間らしく生きられる社会を実現できるほどのものを生み出しています。
それを資本主義は、搾取によって1%の資本家が独占し、今や手に余るほどの過剰資本を抱え込んで、大恐慌・大不況を生み、それでも利潤のため、首切り、賃下げ、過労死するほどの長時間労働を、民営化・外注化・非正規化による強搾取、増税、福祉破壊の強収奪、さらに争闘戦の戦争化、原発・核等、命を奪う以外になくなっています。そのために、分断し、体制内を使っています。
生産を担う労働者が団結し立ちあがれば、全人民が立ちあがる。
立ち上がり闘うことで、誇りと団結の力にめざめ、団結を拡大し、職場・地域・世の中を変え勝利していくことができる。
西郡の闘いは、動労千葉・動労水戸の闘いと共に、そのような闘いです。
全国、全世界の労働者人民の怒り・決起と共に立ちあがり闘う西郡の闘いは、決して一つの地域の闘いではなく、全ての労働者人民の怒りと闘いを解き放ち、団結を大きく発展する闘いです。
そのようなものとして共に闘い勝利していきましょう。
星野闘争も、そのような闘いと一つに、共に闘い、共に勝利をかちとっていきたいと思っています。100万人署名、再審・解放を全力で闘い、団結を強め、勝利していきましょう。
共に闘いましょう。
組合として、組織として、闘いの総体として、星野と結びつき、根底から激励しあえたことの大きさを実感した。(獄中面会記)
2014年 8月18日~22日
星野闘争は広範な人々と結びつく
8月18日、カンカン照りの徳島の朝だったが、昼過ぎにザァーと雨。面会に行く頃には、すずしくなった。その話を文昭にすると、「暁子のためのシャワーだね。こっちは、ずうっと曇りだよ。今年の夏は、2回の台風のおかげで、いつもの年よりは過ごしやすかった。お盆も15日だけは、3回も着替えをしなければならなかったけど、あとはまあまあだったよ。30度を越える日があまりなかったからね。広島の人たちには悪いけど」と言った。山川洋子さんが写してくれた「かんな、むくげ」などの拡大カラー写真を見せた。
「安倍倒せ」の8月17日の集会の報告をした。9日の長崎の式典で「集団的自衛権の行使容認は憲法を踏みにじる暴挙」と発言された城臺美弥子さんが、17日の集会に参加され、感動的なスピーチをされたと伝えた。文昭は、「戦争を体験している日本の民衆は、その怒りの深さがちがう。安倍は民衆の怒りを見くびっている」と言った。
8月16日の星野全国総会の報告もした。「7・1集団的自衛権情勢の中で、戦争に反対してでっち上げられ、40年獄中で戦争反対を貫いていると訴えると、あれこれ説明しなくてもわかってもらえるようになったという意見が何人かから出された。証拠開示を求める100万人署名をどう集めるのか、みんなの知恵をしぼって話し合ったよ」と私は伝えた。「戦前の日本共産党の敗北の歴史を乗り越えて闘ってきて、ようやく「希望」というところまできた。今、星野の闘いは輝きを増すんだ」と文昭。
19日。20日に訪れる大阪・西郡、八尾北医療センター労組との交流会に届ける文昭のアピールの聞き取りをやった。文昭はその中で、八尾北・西郡の闘いは自分の魂だと語っている。
20日早朝の面会後、西郡・八尾北労組と交流会をして、翌日の午後徳島に戻った。この日の面会は、その報告が中心になった。西郡は、被差別としての解放を長く闘ってきた。自分たちの土地を提供して、解放住宅をつくった。家賃1000円ぐらい。その後八尾市は、応能応益家賃制度を開始。一家族の総収入の割合で家賃を払えと言ってきたため、8家族は供託金を預けて闘ってきた。19日までに立ち退けと、八尾市は通告してきた。そのさなかに医療センターでの文昭の絵画展を開催し、交流会を開いてくれたのだ。
100万人署名が集まる根拠
「(文昭と私が)互いを大切にしている」「文昭さんのやさしい人柄、生き方が絵に表れている」「反省させられることばかり。私らの悩みは、まだまだ小さい」「健康問題はどうしているのか?愛と革命は一つであることを気づかされた」などの感想をいただいたことを、文昭に話した。森本さんの家が強制収容された時、文昭が自分の賞与金の中から5000円(一ヶ月分の「賃金」)カンパしたことをきっかけに、佃さんはじめ西郡のみなさんとのつきあいは熱い。文昭は、珍しく「僕もその場にいたかった」と言った。
末光さん、藤木さんも言われたように、7・1以降、西郡がそうであるように、鋭い攻撃が労働者民衆にかけられてきている。40年無期と闘い日々勝利してきた星野の闘いは、みんなをいっそう勇気づけ、結びついていく。そのことも文昭と話し合った。今までも、個人として、「生きる力をもらった」等の感想は、しばしば寄せられてきていて
、そのひとつひとつに激励されたが、今回は、組合として、組織として、闘いの総体として、星野と結びつき、根底から激励しあえたことの大きさを実感した。100万人署名が集まる根拠もここにあると思った。
文昭は、「暁子との愛と団結を支えに僕が生き抜いているのを見て、労働者が立ち上がって今の社会を変えることに展望を見いだしている。これから星野闘争は、広範な人々と結びついていくことになる。僕はその場にいないけど、暁子を通して結びついていく」と語った。だからこそ、70歳までに取り戻す、それが私の目標だ。最近、みんなが言ってくれるようになった。
22 日、5回目の面会。宅下げた今年11番目の作品「母と子―チェルノブイリの願い、フクシマの願い」を見ながら話をした。チェルノブイリの子どもに私が寄り添っている絵だ。「コンクールに出展して戻ってきた絵に手を加えて、納得のいく絵が出来た。今年のカレンダーのメインにしたい」と文昭は言った。
どんな状況の中でもまっさきに展望を語る、星野文昭は健在だ。
獄中面会記は、すでに掲載したものと文章は同じですが、再審連絡会のブログには、暁子さんの写真と花の挿絵があったので、再掲載しました。
星野文昭さんを取り戻そう 全国再審連絡会のブログへ
9・21住宅闘争勝利全国集会へのメッセージ
2014年9月21日 星 野 文 昭
(徳島刑務所在監・獄中40年)
9・21集会では、暁子さんがメッセージを紹介してくださいました。
7・1情勢下 、動労千葉・動労水戸を先頭に、労働者が団結し決起することで全人民の決起をもかちとり、新自由主義と戦争のあらゆる攻撃を阻止し、世の中を変える闘いが、全労働者人民の怒りのうねりと結合し、真に力を獲得しつつあります。
西郡の不屈の、団結の力で住宅取りあげはじめ攻撃を打ち砕き勝利していこうという闘いは、この闘いにさらに火をつけるものです。
既に私たちは、自らの労働で誰もが人間らしく生きられる社会を実現できるほどのものを生み出しています。
それを資本主義は、搾取によって1%の資本家が独占し、今や手に余るほどの過剰資本を抱え込んで、大恐慌・大不況を生み、それでも利潤のため、首切り、賃下げ、過労死するほどの長時間労働を、民営化・外注化・非正規化による強搾取、増税、福祉破壊の強収奪、さらに争闘戦の戦争化、原発・核等、命を奪う以外になくなっています。そのために、分断し、体制内を使っています。
生産を担う労働者が団結し立ちあがれば、全人民が立ちあがる。
立ち上がり闘うことで、誇りと団結の力にめざめ、団結を拡大し、職場・地域・世の中を変え勝利していくことができる。
西郡の闘いは、動労千葉・動労水戸の闘いと共に、そのような闘いです。
全国、全世界の労働者人民の怒り・決起と共に立ちあがり闘う西郡の闘いは、決して一つの地域の闘いではなく、全ての労働者人民の怒りと闘いを解き放ち、団結を大きく発展する闘いです。
そのようなものとして共に闘い勝利していきましょう。
星野闘争も、そのような闘いと一つに、共に闘い、共に勝利をかちとっていきたいと思っています。100万人署名、再審・解放を全力で闘い、団結を強め、勝利していきましょう。
共に闘いましょう。
組合として、組織として、闘いの総体として、星野と結びつき、根底から激励しあえたことの大きさを実感した。(獄中面会記)
2014年 8月18日~22日
星野闘争は広範な人々と結びつく
8月18日、カンカン照りの徳島の朝だったが、昼過ぎにザァーと雨。面会に行く頃には、すずしくなった。その話を文昭にすると、「暁子のためのシャワーだね。こっちは、ずうっと曇りだよ。今年の夏は、2回の台風のおかげで、いつもの年よりは過ごしやすかった。お盆も15日だけは、3回も着替えをしなければならなかったけど、あとはまあまあだったよ。30度を越える日があまりなかったからね。広島の人たちには悪いけど」と言った。山川洋子さんが写してくれた「かんな、むくげ」などの拡大カラー写真を見せた。
「安倍倒せ」の8月17日の集会の報告をした。9日の長崎の式典で「集団的自衛権の行使容認は憲法を踏みにじる暴挙」と発言された城臺美弥子さんが、17日の集会に参加され、感動的なスピーチをされたと伝えた。文昭は、「戦争を体験している日本の民衆は、その怒りの深さがちがう。安倍は民衆の怒りを見くびっている」と言った。
8月16日の星野全国総会の報告もした。「7・1集団的自衛権情勢の中で、戦争に反対してでっち上げられ、40年獄中で戦争反対を貫いていると訴えると、あれこれ説明しなくてもわかってもらえるようになったという意見が何人かから出された。証拠開示を求める100万人署名をどう集めるのか、みんなの知恵をしぼって話し合ったよ」と私は伝えた。「戦前の日本共産党の敗北の歴史を乗り越えて闘ってきて、ようやく「希望」というところまできた。今、星野の闘いは輝きを増すんだ」と文昭。
19日。20日に訪れる大阪・西郡、八尾北医療センター労組との交流会に届ける文昭のアピールの聞き取りをやった。文昭はその中で、八尾北・西郡の闘いは自分の魂だと語っている。
20日早朝の面会後、西郡・八尾北労組と交流会をして、翌日の午後徳島に戻った。この日の面会は、その報告が中心になった。西郡は、被差別としての解放を長く闘ってきた。自分たちの土地を提供して、解放住宅をつくった。家賃1000円ぐらい。その後八尾市は、応能応益家賃制度を開始。一家族の総収入の割合で家賃を払えと言ってきたため、8家族は供託金を預けて闘ってきた。19日までに立ち退けと、八尾市は通告してきた。そのさなかに医療センターでの文昭の絵画展を開催し、交流会を開いてくれたのだ。
100万人署名が集まる根拠
「(文昭と私が)互いを大切にしている」「文昭さんのやさしい人柄、生き方が絵に表れている」「反省させられることばかり。私らの悩みは、まだまだ小さい」「健康問題はどうしているのか?愛と革命は一つであることを気づかされた」などの感想をいただいたことを、文昭に話した。森本さんの家が強制収容された時、文昭が自分の賞与金の中から5000円(一ヶ月分の「賃金」)カンパしたことをきっかけに、佃さんはじめ西郡のみなさんとのつきあいは熱い。文昭は、珍しく「僕もその場にいたかった」と言った。
末光さん、藤木さんも言われたように、7・1以降、西郡がそうであるように、鋭い攻撃が労働者民衆にかけられてきている。40年無期と闘い日々勝利してきた星野の闘いは、みんなをいっそう勇気づけ、結びついていく。そのことも文昭と話し合った。今までも、個人として、「生きる力をもらった」等の感想は、しばしば寄せられてきていて
、そのひとつひとつに激励されたが、今回は、組合として、組織として、闘いの総体として、星野と結びつき、根底から激励しあえたことの大きさを実感した。100万人署名が集まる根拠もここにあると思った。
文昭は、「暁子との愛と団結を支えに僕が生き抜いているのを見て、労働者が立ち上がって今の社会を変えることに展望を見いだしている。これから星野闘争は、広範な人々と結びついていくことになる。僕はその場にいないけど、暁子を通して結びついていく」と語った。だからこそ、70歳までに取り戻す、それが私の目標だ。最近、みんなが言ってくれるようになった。
22 日、5回目の面会。宅下げた今年11番目の作品「母と子―チェルノブイリの願い、フクシマの願い」を見ながら話をした。チェルノブイリの子どもに私が寄り添っている絵だ。「コンクールに出展して戻ってきた絵に手を加えて、納得のいく絵が出来た。今年のカレンダーのメインにしたい」と文昭は言った。
どんな状況の中でもまっさきに展望を語る、星野文昭は健在だ。
獄中面会記は、すでに掲載したものと文章は同じですが、再審連絡会のブログには、暁子さんの写真と花の挿絵があったので、再掲載しました。
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