意 見 陳 述 書
2010年11月10日
医療法人健進会 理事長
重松 信子
私は医療法人健進会の代表者であるだけではなく、八尾北医療センター労働組合の一員として、日々医療と介護の現場で働いているものです。その立場から今回の意見陳述を述べたいと思います。
八尾北医療センターは八尾市北部にあり、周囲には市営住宅が42棟、府営住宅が30棟立ち並ぶという一角にあります。正確には桂町六丁目18番地の1ですが、この地に設立されたのが今から28年前の1982年です。
八尾北医療センターの前身の幸生診療所は今からさかのぼること44年前の1966年に開設されています。そのまた前身にあたる西郡平和診療所は1951年に西郡の人々が差別に抗して苦しい生活の中から身銭を切って立ち上げました。優に半世紀以上の歴史を持つ地域にしっかりと根付いた診療所です。地域の命の砦としての歴史は今日この法廷を埋めつくしたみなさんには周知の事実であり、八尾市当局も認めざるを得ない厳然とした事実です。
この医療所に介護部門が加わったのが10年前です。思えばこのときも当時運営主体をなしていた八尾市は介護部門の開設に強い難色を示し、それを患者さんとの協力のもとに打ち破り、訪問介護を始めたのは記憶に新しいところです。
さて、八尾北医療センターには年間で延べ総数約5万人の患者さんが受診し、レセ数では年間1万5千人強を数えます。毎月でいえば平均1200人の患者さんが受診します。ちなみに本年10月の受診数は1532人、10月の延べ数4003人でした。厚生労働省の医療受診抑制策のもとでもこの数年の受診数は変わりません。新しい患者さんも毎月20名を下りません。
毎日平均して150人が外来を受診します。多い日は200人を超えます。約30名の患者さんがリハビリを利用、また40名以上が物療を利用されています。毎日約20名の方がデイケアを利用され、そこで入浴し、昼ごはんを食べ、リハビリやレクレーションを受けたりしながら1日を過ごされています。訪問介護は1日平均約40件訪問しています。
医療部門で特筆すべきは送迎体制です。毎日40人以上の人が車での送迎を利用しています。当院の診療は患者さんの家の玄関口から始まっているのです。親切、熱心、ただをモットーに祭日以外は日曜も含んで稼働しています。
糖尿病、高血圧などの内科的慢性疾患に加えて、加齢や若いときの重労働による骨粗しょう症や変形性関節症の患者さんの多いこと。膝や腰の痛みで団地の階段の昇降もままなりません。こんなとき威力を発揮するのが送迎体制です。来院することがリハビリにつながります。高齢で一人暮らしが多いのも八尾市で一番の地域です。つい近所でも一人ではどこへも出かけられず孤立してしまうのです。送迎があるからとの理由で、八尾北に転院を希望される患者さんが毎月数名おられます。大事なことは、この八尾北医療センターでは医療・介護を受けられるだけではなく、人との繋がりが得られるのです。
生きるうえで人との繋がりがどんなに大切か。一人の患者さんの1週間の生活を再現することで言い表してみたい。
Aさん。80代後半の女性、団地で一人暮らしをされています。40年近くこの地域に住みなれています。ただここ数年物忘れも進んで、おなかがすいたかどうか、食事をしたのかどうかさえ忘れることもしばしばです。彼女にとって一番の味方は八尾北のヘルパーです。食事の準備、服薬確認、掃除、洗濯、トレーニングパンツの交換すべておこたりなし。時に悪質訪問販売にひっかかり、必要もない浄水器を買わされたことも数回。そのたびに目ざとくヘルパーが異変に気付き、八尾北の担当ケアマネージャーがクーリングオフしたことも数回です。また今年の夏のような猛暑は脱水症の季節でもあり、エアコンの管理もヘルパーです。脱水予防の点滴は日曜に実施しています。日曜が一番目が届きにくく危険なため、安全な八尾北で1週間が始まるという訳です。デイケアにも週4回参加され、椅子で居眠りされていることも多いのですが、周囲にとけ込みおだやかに和んでいます。ちなみにうちのデイケアはなごみ和 と命名されています。
私は医者ですから高血圧とか認知症への薬を処方していますが、よっぽどヘルパーとの繋がりやデイケアでの一日のほうが認知障害をくい止めていると確信しています。「八尾北のヘルパーさんがいなかったら、もうとっくに死んでるわ」とは、彼女の心からの言葉です。
しかしまた彼女のような患者さん一人1人に支えられて八尾北医療センターの今日があるのです。
差別を許さない、誰でも必要なときにかかることができる、住民が主人公の診療所というのが患者会からの強い要望でした。これに応えるべく、5年前大病院に売りとばしを目論んでいた八尾市との攻防を闘いぬいて立ち上げたのが医療法人健進会・八尾北医療センターなのです。そもそも誰か一人の力でつくったとか、一人の利益のために作られた診療所ではないのです。八尾北の待合室に200人以上の患者さん、職員が夜遅くまで残って八尾市と交渉をしたのが今でも鮮やかによみがえります。それも1回ではありません。あの八尾北をつぶしてなるものかという熱気を市当局は忘れたのでしょうか。多分忘れたフリをして議会で売却方針を勝手に打ち出したのです。これが2008年3月です。このとき健進会との協議はまったくありませんでした。
あげく売却のための土地建物鑑定を要求したのが2008年12月です。
健進会代表としての私を含め労組員、患者さん数十名が2010年2月、八尾市役所保健推進課を訪れ、話し合いを求めたことも彼らの記憶からは抜け落ちているようです。そのときかつて市からの出向職員として八尾北に在籍したこともある木下氏が言い放ったことはなにか。「医療と契約は別」だと言ったのです。ふざけるな!です。どこかの土地ころがしでもあるまいし、医療・介護をするための契約以外だれが八尾市と好きこのんで契約するものですか。
“誠実に協議に八尾北を訪れた”だと!毎日医療・介護に奮闘する労働者に向かって“不法占拠にあたる”などと放言するのが八尾市の言う誠実な態度ですか!
今年の5月31日までに明け渡せと八尾市が通告してきたのがその1ヶ月前の4月21日。当院で治療中の数千名の患者や、介護を利用している者は全て1ヶ月で切り捨てですか? 市当局が毎月送ってくる医療・介護に必要な書類は今後どこに送りつけるつもりですか? 介護の認定には医師の意見書が必要であり、当院では毎月20~30通書いています。医療扶助に関しても同様。公害認定の書類も同様。介護を受けたり、医療を受けたりする基本的な権利を奪い取るのですか?
それもこれも更地にして大企業を誘致するためですか?
八尾市北部の医療環境は決してよいものではなく、廃院したり、倒産したり、保健診療ができなくなったりなどの病院が相次ぎ、そこから転院してきた患者も相当数おられます。 高齢化が進み医療機関へのアクセスが困難になっている方が多いのは先ほど述べたとおりです。そんな地域の長い歴史をもつこの診療所をかくも簡単に明け渡せだと! もう一度言います。ふざけるな!!
はっきり言って11月は忙しい。11月、12月の毎日曜には八尾北職員は休み返上で1200名以上の方々にインフルエンザの予防接種を実施しています。季節柄、風邪で体調を壊す患者さんも増えています。診療が忙しいのです。こんなときに被告代表者として裁判所に出向くのは本当に悔しい。
しかしです。10年前突然末光院長の退職をうそぶき、勝手に退職金を計算して赤字になったと言いがかりをつけて八尾北つぶしを図ろうとした八尾市。5年前にも大病院への売り渡しを図ろうとした八尾市。こんな八尾市の民営化攻撃に屈するのはもっと悔しい。
私たちは今まで積み上げてきた医療・介護のきわめてまっとうな仕事を今後も続けたいだけです。
八尾市立病院へのやり方をみてください。赤字といって経営を民間に売りとばし、アウトソーシングと称して医療・看護の中身をバラバラにし、結局のところは患者さんの安全が奪われているのです。医療・介護を金もうけの道具にしようとしているのです。医療・介護の現場で働く者こそが命の安全に声を上げれるし、団結の力で守れるのです。この団結を破壊するものに対しては、私たちは徹底的に闘います。
この法廷の傍聴席を埋めつくした患者さん、職員・労組の仲間、そして支援のみなさんと一体となり、この怒りを闘いのエネルギーにかえ、私たちが声を張り上げ八尾市を追いつめましょう。
大企業に人々の命と健康を売り渡していくような現在の国の政策のもと、尻尾をふりふり橋下知事に追随する八尾市田中市長、市民の保健福祉の切り崩しを推進する保健推進課、私たちの怒りの深さを思い知るがいい。裁かれるべきは八尾市です。裁く正義は私たち働く者にあります。
2010年11月10日
医療法人健進会 理事長
重松 信子
私は医療法人健進会の代表者であるだけではなく、八尾北医療センター労働組合の一員として、日々医療と介護の現場で働いているものです。その立場から今回の意見陳述を述べたいと思います。
八尾北医療センターは八尾市北部にあり、周囲には市営住宅が42棟、府営住宅が30棟立ち並ぶという一角にあります。正確には桂町六丁目18番地の1ですが、この地に設立されたのが今から28年前の1982年です。
八尾北医療センターの前身の幸生診療所は今からさかのぼること44年前の1966年に開設されています。そのまた前身にあたる西郡平和診療所は1951年に西郡の人々が差別に抗して苦しい生活の中から身銭を切って立ち上げました。優に半世紀以上の歴史を持つ地域にしっかりと根付いた診療所です。地域の命の砦としての歴史は今日この法廷を埋めつくしたみなさんには周知の事実であり、八尾市当局も認めざるを得ない厳然とした事実です。
この医療所に介護部門が加わったのが10年前です。思えばこのときも当時運営主体をなしていた八尾市は介護部門の開設に強い難色を示し、それを患者さんとの協力のもとに打ち破り、訪問介護を始めたのは記憶に新しいところです。
さて、八尾北医療センターには年間で延べ総数約5万人の患者さんが受診し、レセ数では年間1万5千人強を数えます。毎月でいえば平均1200人の患者さんが受診します。ちなみに本年10月の受診数は1532人、10月の延べ数4003人でした。厚生労働省の医療受診抑制策のもとでもこの数年の受診数は変わりません。新しい患者さんも毎月20名を下りません。
毎日平均して150人が外来を受診します。多い日は200人を超えます。約30名の患者さんがリハビリを利用、また40名以上が物療を利用されています。毎日約20名の方がデイケアを利用され、そこで入浴し、昼ごはんを食べ、リハビリやレクレーションを受けたりしながら1日を過ごされています。訪問介護は1日平均約40件訪問しています。
医療部門で特筆すべきは送迎体制です。毎日40人以上の人が車での送迎を利用しています。当院の診療は患者さんの家の玄関口から始まっているのです。親切、熱心、ただをモットーに祭日以外は日曜も含んで稼働しています。
糖尿病、高血圧などの内科的慢性疾患に加えて、加齢や若いときの重労働による骨粗しょう症や変形性関節症の患者さんの多いこと。膝や腰の痛みで団地の階段の昇降もままなりません。こんなとき威力を発揮するのが送迎体制です。来院することがリハビリにつながります。高齢で一人暮らしが多いのも八尾市で一番の地域です。つい近所でも一人ではどこへも出かけられず孤立してしまうのです。送迎があるからとの理由で、八尾北に転院を希望される患者さんが毎月数名おられます。大事なことは、この八尾北医療センターでは医療・介護を受けられるだけではなく、人との繋がりが得られるのです。
生きるうえで人との繋がりがどんなに大切か。一人の患者さんの1週間の生活を再現することで言い表してみたい。
Aさん。80代後半の女性、団地で一人暮らしをされています。40年近くこの地域に住みなれています。ただここ数年物忘れも進んで、おなかがすいたかどうか、食事をしたのかどうかさえ忘れることもしばしばです。彼女にとって一番の味方は八尾北のヘルパーです。食事の準備、服薬確認、掃除、洗濯、トレーニングパンツの交換すべておこたりなし。時に悪質訪問販売にひっかかり、必要もない浄水器を買わされたことも数回。そのたびに目ざとくヘルパーが異変に気付き、八尾北の担当ケアマネージャーがクーリングオフしたことも数回です。また今年の夏のような猛暑は脱水症の季節でもあり、エアコンの管理もヘルパーです。脱水予防の点滴は日曜に実施しています。日曜が一番目が届きにくく危険なため、安全な八尾北で1週間が始まるという訳です。デイケアにも週4回参加され、椅子で居眠りされていることも多いのですが、周囲にとけ込みおだやかに和んでいます。ちなみにうちのデイケアはなごみ和 と命名されています。
私は医者ですから高血圧とか認知症への薬を処方していますが、よっぽどヘルパーとの繋がりやデイケアでの一日のほうが認知障害をくい止めていると確信しています。「八尾北のヘルパーさんがいなかったら、もうとっくに死んでるわ」とは、彼女の心からの言葉です。
しかしまた彼女のような患者さん一人1人に支えられて八尾北医療センターの今日があるのです。
差別を許さない、誰でも必要なときにかかることができる、住民が主人公の診療所というのが患者会からの強い要望でした。これに応えるべく、5年前大病院に売りとばしを目論んでいた八尾市との攻防を闘いぬいて立ち上げたのが医療法人健進会・八尾北医療センターなのです。そもそも誰か一人の力でつくったとか、一人の利益のために作られた診療所ではないのです。八尾北の待合室に200人以上の患者さん、職員が夜遅くまで残って八尾市と交渉をしたのが今でも鮮やかによみがえります。それも1回ではありません。あの八尾北をつぶしてなるものかという熱気を市当局は忘れたのでしょうか。多分忘れたフリをして議会で売却方針を勝手に打ち出したのです。これが2008年3月です。このとき健進会との協議はまったくありませんでした。
あげく売却のための土地建物鑑定を要求したのが2008年12月です。
健進会代表としての私を含め労組員、患者さん数十名が2010年2月、八尾市役所保健推進課を訪れ、話し合いを求めたことも彼らの記憶からは抜け落ちているようです。そのときかつて市からの出向職員として八尾北に在籍したこともある木下氏が言い放ったことはなにか。「医療と契約は別」だと言ったのです。ふざけるな!です。どこかの土地ころがしでもあるまいし、医療・介護をするための契約以外だれが八尾市と好きこのんで契約するものですか。
“誠実に協議に八尾北を訪れた”だと!毎日医療・介護に奮闘する労働者に向かって“不法占拠にあたる”などと放言するのが八尾市の言う誠実な態度ですか!
今年の5月31日までに明け渡せと八尾市が通告してきたのがその1ヶ月前の4月21日。当院で治療中の数千名の患者や、介護を利用している者は全て1ヶ月で切り捨てですか? 市当局が毎月送ってくる医療・介護に必要な書類は今後どこに送りつけるつもりですか? 介護の認定には医師の意見書が必要であり、当院では毎月20~30通書いています。医療扶助に関しても同様。公害認定の書類も同様。介護を受けたり、医療を受けたりする基本的な権利を奪い取るのですか?
それもこれも更地にして大企業を誘致するためですか?
八尾市北部の医療環境は決してよいものではなく、廃院したり、倒産したり、保健診療ができなくなったりなどの病院が相次ぎ、そこから転院してきた患者も相当数おられます。 高齢化が進み医療機関へのアクセスが困難になっている方が多いのは先ほど述べたとおりです。そんな地域の長い歴史をもつこの診療所をかくも簡単に明け渡せだと! もう一度言います。ふざけるな!!
はっきり言って11月は忙しい。11月、12月の毎日曜には八尾北職員は休み返上で1200名以上の方々にインフルエンザの予防接種を実施しています。季節柄、風邪で体調を壊す患者さんも増えています。診療が忙しいのです。こんなときに被告代表者として裁判所に出向くのは本当に悔しい。
しかしです。10年前突然末光院長の退職をうそぶき、勝手に退職金を計算して赤字になったと言いがかりをつけて八尾北つぶしを図ろうとした八尾市。5年前にも大病院への売り渡しを図ろうとした八尾市。こんな八尾市の民営化攻撃に屈するのはもっと悔しい。
私たちは今まで積み上げてきた医療・介護のきわめてまっとうな仕事を今後も続けたいだけです。
八尾市立病院へのやり方をみてください。赤字といって経営を民間に売りとばし、アウトソーシングと称して医療・看護の中身をバラバラにし、結局のところは患者さんの安全が奪われているのです。医療・介護を金もうけの道具にしようとしているのです。医療・介護の現場で働く者こそが命の安全に声を上げれるし、団結の力で守れるのです。この団結を破壊するものに対しては、私たちは徹底的に闘います。
この法廷の傍聴席を埋めつくした患者さん、職員・労組の仲間、そして支援のみなさんと一体となり、この怒りを闘いのエネルギーにかえ、私たちが声を張り上げ八尾市を追いつめましょう。
大企業に人々の命と健康を売り渡していくような現在の国の政策のもと、尻尾をふりふり橋下知事に追随する八尾市田中市長、市民の保健福祉の切り崩しを推進する保健推進課、私たちの怒りの深さを思い知るがいい。裁かれるべきは八尾市です。裁く正義は私たち働く者にあります。