休日にひとり車で出掛けた際に近くまで来たので私が1歳から小学4年生まで住んでいた埼玉県戸ヶ崎へふらりと寄ってみた。
きっかけは先日書いた「正座」の話で、何とな~く「あの現場」はどうなったのかを確かめたくなってしまった。
10数年前に一度訪れたことがあったが、さらに開発が進み、すっかりよそ行き顔になっていたが、所々昔のままの面影を残す店や地形に一喜一憂しながら小雨交じりの中、我が母校に到着した。
校門の小ささに驚きながら、とりあえず外周をぐるりと一周してみることにした。
早速「正座」の場所である。当時は体育倉庫(上の画像右側建物)の前に砂場があった記憶だったが、移動したのだろうか?
このジャングルジムも以前、本ブログで登場している。
廊下の段差を車が通り過ぎられるように工夫してあった(上の画像緑の柵部分)渡り廊下も健在だった。
当時給食センターから運ばれてきた給食をトラックから下ろしていた場所である。今は校内で作っているのだろうか?
プールを横目に、我が家があった商店街を周り、ゴールの校門に到着。校門から入ってすぐにある信号機。交通規則の学習をした記憶よりも、この「交差点」をうまく利用して野球をしたものである。そう言えば、生徒増加に伴いプレハブ校舎を増築したが、火事で燃えたんだよな~とかプールの目洗い水の勢いがやたら強かったよな~とかこんな時は共有出来る人がいないのは少し寂しいものだ。
ただ校庭・校舎に向かってバシバシ撮影をしている姿は今ではすっかり変質者扱いの時代になってしまい、1年生の時の教室が見えたので撮影しようと思ったが、後輩たちがいたので遠慮した。次週「街角篇」に続く。