タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹林や自然と共に生きる」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

門司港を楽しく散策!

2023年08月19日 | 徒然なるままに

今回のアウェイ福岡戦の観戦を、わが家は2泊3日の日程で計画しました。せっかく九州に渡ったんだし、アルビの試合は金曜のナイトゲームなので、土曜日の今日1日と日曜日の午前中くらいは九州を観光したいな…という作戦です。

…で、ボクらが今日行ってきたのは門司港です。博多から小倉まで新幹線で一駅、小倉からさらに普通列車で門司港まで。約30分ほどで門司港駅に到着しました。

明治22年(1889年)から国際貿易港として栄えた門司港は、町全体が「歴史あるレトロタウン」という感じで、魅力たっぷりです。まずは大正時代に建てられたJRの駅舎から堪能しました。

はい。バックのレトロな洋館がJR門司港駅の駅舎です。ちょうど今日は駅前広場で「よさこいソーラン」の大会をやっており、子ども達からお年寄りまでたくさんの「よさこいチーム」が素敵なダンスを披露していました。

まず、ボクらが向かったのは「門司港ミュージアム」です。この施設で門司港の歴史をしっかり学習しました。門司港界隈って、日本の歴史的の中で何度も登場している土地なんですね。安徳天皇の入水で平氏が滅んだ「壇ノ浦の戦い」、宮本武蔵と佐々木小次郎の「巌流島の戦い」、江戸末期から明治はじめには「下関戦争」や「馬関戦争」の舞台となり(高杉晋作ですなぁ…)、その後は日本の近代化とともに港町として大きく発展します。そして関門トンネル関門橋が架けられ、本州と九州を結ぶ交通の要所として日本の近代化を支えます。このミュージアムでたっぷり2時間、門司港の歴史について勉強しました。

展示物や映像も、迫力満点でヨカッタですよ。上の画像は撮影が許可されていた「巌流島の戦い」の場面を再現した和紙人形の展示です。

今回ボクが一番驚いたのは、太平洋戦争の末期に米軍がこの地で行った「飢餓作戦」という攻撃です。大戦末期の昭和20年3月から、米軍は日本内地主要港湾に対する戦略的機雷戦を本格的に開始します。これによって日本の海上交通は麻痺させられ、それが終戦まで続きます。この時に関門海峡付近に投下された機雷は1万発以上。終戦後はその機雷の掃海作業が行われるわけですが、GHQによりその作業の報道は禁止され、多くの犠牲者の存在も殆ど世間に知られることはなかったのだそうです。そんな歴史の1ページも勉強させてもらいました。

関門ミュージアムの見学を終え、昼めしは門司港名物の「焼きカレー」をいただきました。これ、ねらっていたんですよ。

その土地での名物をいただくって、旅の醍醐味ですよね。「グラタンのカレー版」って感じの「焼きカレー」、とても美味しかったです。あっもちろん、地元のクラフトビール「門司港レトロビール」もいただきました。なんか旅行中、こればっかですね。すいません。

午後は九州鉄道記念館を見学です。ボクは「鉄ヲタ」ではないですが、やっぱり男の子ですから乗り物系は大好きです。楽しかったですね。夏休みの土曜日ということで、JR九州吹奏楽団の皆さんのライブ演奏会も行われていましたよ。

約30分間の楽しいステージも堪能させてもらいました。

あとは展望タワーにのぼって関門橋をはじめ門司港からの眺めを堪能したり、

街のいたるところにある赤レンガ造りのレトロな洋館の外観を楽しんだり、中を見学したり、

なんかね。いい感じの町並みでしょ?すっかり門司港を堪能させていただきました。

そうそう。門司港って「バナナの叩き売り」発祥の地なですって。黄色いポストがあったので、思わず記念撮影です。

「ブルーウィングもじ」という「はね橋」も見ました。日本最大級の「はね橋」ですって。なかなか珍しい光景です。

まぁこんな1日を過ごして(正味6時間くらいかな?)門司港散策を楽しみました。初めて訪れた門司港。アルビレックスの試合がなければ、おそらく一生訪れることのなかったであろうこの地で楽しく有意義な1日を過ごせたことに感謝です。

あっ蛇足ですが、博多の街に戻ってきての夕食は、博多名物「焼き鳥&とり皮」でビールをいただきました。席につくと山盛りキャベツ(無料)が提供されるのが博多流です。1日歩いて疲れた身体に、ビールが染みわたりました。

コメント (2)
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