山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

民主党と浅野知事の誤算

2005年11月24日 | 政局ウォッチ
毎日新聞の読者参加型サイト「まいまいクラブ」に、仙台支局・石川貴教記者のコラム「浅野・宮城県知事の引退」が掲載されている。11月20日付で知事職を退いた浅野史郎氏は、私にとっても、ずいぶん前から気になる政治家の1人だった。

浅野氏が知事になったのは細川政権が発足した1993年。長く続いた55年体制(=自民党1党支配体制)に対する反発が渦巻いていた頃だ。無名の厚生省課長だった浅野氏は、泡沫候補扱いされながら現職副知事を破って初当選した。団塊世代、全共闘世代が社会の中堅に育ち、旧体制打破の嵐が吹き荒れた時代だった。

強く印象に残っているのは、浅野氏が再選をかけて臨んだ97年の知事選だ。学究生活の中で研究テーマの1つに選んだという個人的事情もあるのだが、現職知事が政党推薦をずべて断って立候補するという異例の選挙は当時、「脱政党」「勝手連」といったフレーズとともに全国ニュースを賑わせたから、記憶している方も多いのではないか。

浅野氏が政党推薦を断ったのは、地方政界にありがちな「オール与党」体制が、県庁と業界の癒着を招いたという反省があったからだろう。新進党の党首だった小沢一郎氏は浅野氏に推薦の話を持ち掛けたが、断られたため、自民党と一緒に官僚候補を担いで「浅野降ろし」を図った。

浅野氏はこの動きを逆手に取って、県民一人ひとりに判断を仰いだ。「政党が相乗りすれば知事が決まってしまうような選挙で、本当に皆さん、いいんですか?」と。結果は事前の予想に反して浅野氏の圧勝。無党派層の潜在的パワーを見せ付けた選挙だった。

逆境を演出して逆手に取る浅野氏の手法は、小泉純一郎首相のそれとよく似ている。97年の知事選で浅野氏は「オール与党か、県民党か」というシングルイッシューを巧みに設定し、有権者に選択を求めることで、参加意識を高め、投票率を上げて、勝利を呼び込んだ。その構図は、郵政法案否決で崖っぷちに負い込まれた小泉氏が「郵政民営化に賛成か、反対か」と有権者に問うた9月の衆院選にそっくりである。

シングルイッシューの設定は、有権者の参加意欲を高める効果がある。郵政だけを争点にした小泉自民党に批判的な意見も聞かれるが、民主党も2004年参院選では「年金問題」に狙いを定めた政権批判で勝利している。争点設定も重要な選挙戦略の一部といえるだろう。

「投票率が思ったほど上がらなかった」「有権者がもっと政治に関心を持ってもらわないとどうしようもない」―。民主党関係者からよく聞かれるそうした嘆きは、新聞部数が減り続ける原因を「若者の活字離れ」に求めるだけで、魅力ある記事の提供を考えないマスコミ首脳陣の発想と大差ない。

その点、元祖無党派知事と評された浅野氏には先見性があった。ほとんど天才的な政治センスが彼にはあったと思う。それだけに、その浅野知事が引退に際し、中央官僚を後継者に指名したことは意外性をもって受け止められたようだ。毎日新聞の石川記者も、浅野氏の功績を高く評価し、その引退を惜しみつつも、次のように指摘する。

それにしても、「老兵は去るのみ」と鮮やかな引き際を見せながら、前言をひるがえし、なりふり構わず急ごしらえの後継者を応援する知事に失望した有権者は多かったはずだ。

宮城からの各種報道によると、官僚出身の候補者は当初、自民党や民主党など県議会の幅広い会派に担がれる形で立候補しようと考えていたようだ。まさに「オール与党」態勢である。しかし、自民党には別の候補を立てる動きがあり、不安を拭えなかった候補者は旧知の浅野知事に相談。そこで浅野氏は、自民党と手を切ることを条件に、この候補への支援を約束したとみられる。

「みられる」と書いたのは、報道だけでは真相が明らかではないからだ。候補者はいつ、どのタイミングで自民党の推薦を断り、浅野氏の後継候補となる決断をしたのか。その経緯はいまだ闇の中であり、推測するしかない。

「私の政策にご賛同いただけるなら自民党さんからも支援を受けたい」と語っていた候補者が、一夜にして「脱政党」を掲げ、「オール与党にノー」と叫び出す不可解さ。多くの県民が、候補者のバックに現職知事の巨大な「影」を感じ取ったに違いない。

「応援してやるから、おれの言う通りにやれ」。密室の中で、浅野氏が候補者にそう言ったかどうかは分からない。おそらくそういう露骨な表現はしていないだろうと思う。

それでも、現職知事という強大な影響力を背景にした選挙介入には、8年前の選挙で小沢一郎氏が浅野氏に対して取った高圧的な態度を思い起こさずにいられない。「知事が最後になって『分かりやすさ』を放棄した姿は、政治家としての輝きを自ら失わせた」と書いた石川記者に、私は完全に同意する。

97年知事選で浅野氏が圧勝したのは、政党の論理による「浅野降ろし」に無党派層が反発したからであって、必ずしも浅野氏個人が支持されたわけでも、逆に「政党」そのものが否定されたわけでもなかった。しかし、この時の成功体験が忘れられない浅野氏は、今回の知事選でも、自民党を敵に回す選挙構図さえ作れば無党派層は、また支持してくれると思い込んでいたフシがある。結果として、それは大きな誤算だった。

(同じように、小泉自民党が今回の衆院選大勝に慢心を抱くならば、必ず手痛いしっぺ返しを受けるだろう。郵政政局という「小泉降ろし」に反発した無党派層は、小泉氏個人や自民党の支持者ではないからだ)

もちろん浅野氏が主張するように、癒着の温床になりやすい地方政治の「オール与党化」は好ましくない。しかし、オール与党化現象をもたらした原因は、おそらく地域社会に根を張った政党が自民党以外にないという現実にあるのではないか。オール与党化を打破するには、地方議会でも健全な反対勢力が力を付ける以外にない。

「地方政治は大統領制だから、首長選に政党は関与すべきでない」という意見を時々耳にするが、この理屈が私には分からない。大統領制でも政党間の健全な競争は必要だろう。肝心なことは当選後の首長が一党一派に偏らないことだ。それは「超党派」であって「無党派」でも「脱政党」でもない。

現実には地方政界で、農家や業界に支えられた自民党の存在感はあまりに大きく、首長になろうとするような名望家はもともと自民党に近い場合が多い。これに比べて民主党は、地方議会では勢力が小さすぎるため、無用な対立を避けて保守系候補に相乗りしがちである。

これでは地方の首長選で健全な政策論争が起きるはずもない。問題なのは自らの責任で堂々と候補を担いで、自民党に戦いを挑む気概が、今の野党にないことではないか。仮に戦いを挑むにしても、勢力の小ささを補うために無党派層を仲間に引き込む戦略をとってきたのがこれまでの民主党だった。

中央政界で自民、民主の2大政党制がほぼ完成した03年以降、民主党は地方政治の「オール与党化」を打破する役割を期待された。浅野知事も、既成政党に勝利した97年知事選の後、自らの足元を固める「新たな与党」を組織すべきだった。浅野氏と思想や政策で共闘できる政党は間違いなく、民主党だったはずだ。

無党派層(世論調査で支持する政党は「なし」と答える人々)は55年体制を破壊した後、世代交代を経て、少しずつ左右に分化しつつある。選挙イヤーだった2005年。9月の衆院選で民主党は大敗し、10月の宮城知事選では浅野氏が敗れ去った。両者に共通する敗因は、「無党派層は味方」と信頼するあまり、地方組織の育成を怠ってきた一点に尽きると思う。〔了〕



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