聖書カルタ 「イエス様の44言」 読み札・絵札

聖書トランプ 
週一の追記予定です。

ローマ書

2010年10月02日 | 歴史
 パウロが、ローマへ行く計画について書いた部分を引用しました。「旅行は計画を立てるのが楽しい。」と、よく聞きます。パウロは、どうだったでしょうか。電話が無かった時代です。懐かしい人と会えること、文通していて顔を見たことのない人と話ができる。こういう楽しいドキドキ感が、あったと思います。
 ちょっと解説、エルサレム=現在のイスラエル国の街、イルリコ=現在のクロアチア国の地域、ローマ=現在のイタリア国の首都、イスパニヤ=現在のスペイン国。
 ちなみに、イルリコとローマの間には、アドリア海があります。映画「紅の豚」のアドリア海です。
 ローマ15:19-24【私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。それは、こう書いてあるとおりです。
 「彼のことを伝えられなかった人々が
  見るようになり、
  聞いたことのなかった人々が
  悟るようになる。」
そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので──というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです、】

【ド】

2010年05月01日 | 歴史
 縫い物、針仕事って最近ははやらないのかなぁ。私の祖母は、戦後中学に上がった私の父のために学生服を一晩で縫い上げたという伝説の人物です。父が、友人たちと写っている古写真(もちろんモノクロ)を見ると父の学生服だけ心なしか黒さが弱い気がします。
 【ヨッパにタビタ(ギリシヤ語に訳せば、ドルカス)という女の弟子がいた。この女は、多くの良いわざと施しをしていた。ところが、そのころ彼女は病気になって死に、人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いた。ルダはヨッパに近かったので、弟子たちは、ペテロがそこにいると聞いて、人をふたり彼のところへ送って、「すぐに来てください」と頼んだ。そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちとを呼んで、生きている彼女を見せた。このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。そして、ペテロはしばらくの間、ヨッパで、皮なめしのシモンという人の家に泊まっていた。】

【ル】

2010年04月04日 | 歴史
 趣味にしろ、仕事にしろ、男性は、少年の頃から道具にこだわりを持つ傾向があります。ギター弾きなら、糸巻き部品のメーカー、塗装材質、フレット模様。さらに部品や付属品の方にまで蘊蓄が及びます。手入れの極意、ピックの厚さやもち方などの流儀etc。
 ルカは筆記具にこだわりを持っていたのか?。鉛筆、ボールペン、万年筆などは19~20世紀以降。金属製ペン先も18世紀。それまでは、筆か、羽根ペンだったと、推測できます。
 ちなみに、ペンの語源はラテン語のpenna=羽根 です。ついでに、右利きの人には、鳥の左翼の羽根が書きやすい羽根ペンなります。ルカは右翼か?、左翼か?。
 【テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。】
 【私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。】

【ト】

2010年03月22日 | 歴史
 釘の痕が手首なのは、「手の平だと、体重で肉と皮がちぎれる」というのが理由です。しかし、手の平説も、捨てがたいものがあります。
19世紀までの絵画では、手の平に釘、または傷痕があります。ただし、グーの手や、指を曲げた絵もあります。処刑される人が釘の頭を握るなら肉がちぎれることは無いでしょう。息絶え握力が無くなった後、釘を抜かずとも死体を外すには、好都合だったかもしれません。
 【弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。 ~(中略)~。
 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。  八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」】

【メ】

2010年01月17日 | 歴史
 今日の引用箇所は、先週の井戸端問答の続きです。イエスがこの女に「過去5人の夫があり、今はさらに別の男と暮らしている」ことを言い当てた後の会話です。イエスとの会話の進め方からも垣間見られる知性的な側面も、5人以上の男性が、ほかっておかなかった理由の大きな部分を占めると思います。
 【女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」】

【ワ】

2009年11月15日 | 歴史
 彼女が「「中近東のおんな小原庄助とは、わらわのことよ!ほっほっほっ。」と言った、とは思いませんが、飲み過ぎで取り返しのつかないことになった女性です。(「会津磐梯山」という民謡に酒や怠惰で破滅した小原庄助という人物が登場します。)ちなみに、お酒で失敗した聖書に出てくる人物に、ノア、ロト、ナバルなどがいます。
 【王は、シュシャンの城にいた身分の高い者から低い者に至るまですべての民のために、七日間、王宮の園の庭で、宴会を催した。 ~ (中略) ~ そして王の勢力にふさわしく王室の酒がたくさんあった。それを飲むとき、法令によって、だれも強いられなかった。だれでもめいめい自分の好みのままにするようにと、王が宮殿のすべての役人に命じておいたからである。王妃ワシュティも、アハシュエロス王の王宮で婦人たちのために宴会を催した。
 七日目に、王は酒で心が陽気になり、アハシュエロス王に仕える七人の宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスに命じて、王妃ワシュティに王冠をかぶらせ、彼女を王の前に連れて来るようにと言った。それは、彼女の容姿が美しかったので、その美しさを民と首長たちに見せるためであった。しかし、王妃ワシュティが宦官から伝えられた王の命令を拒んで来ようとしなかったので、王は非常に怒り、その憤りが彼のうちで燃え立った。】

【ダ】

2009年10月25日 | 歴史
 古代の王様というと、「わがままいっぱい、誰が何と言おうとお構いなし。」といった印象があります。しかし、少なくともペルシャでは、実際は法律を重視していたことがわかります。
 【「王よ。今から三十日間、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれるという禁令にあなたは署名されたではありませんか。」 ~ 中略 ~ 「ユダからの捕虜のひとりダニエルは、王よ、あなたとあなたの署名された禁令とを無視して、日に三度、祈願をささげています。」このことを聞いて、王は非常に憂え、ダニエルを救おうと決心し、日暮れまで彼を助けようと努めた。 ~ 中略 ~ ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食をして、食事を持って来させなかった。また、眠けも催さなかった。王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけ、ダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」すると、ダニエルは王に答えた。「王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」】

【ブ】

2009年10月14日 | 歴史
「鯊(ハゼ)の形をして、その上に音を立てて回っている輪がある。輪から吹いてくる風で空を飛ぶ。翼(ツバサ)はないが、尾があり、燕(ツバメ)のように速く飛ぶことも、雲雀(ヒバリ)の様に空の一点に止まっていることもできる。鯊(ハゼ)の頭と体の部分は馬車の輿(こし)の様に人が乗り込める。」これは、紀元前の人が“ヘリコプター”を見て説明したら、こんな風になると予測した文です。四つの生き物も、現代の人なら知っているものだったりするのかもしれないですよ。
【その月の五日に、カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルにはっきりと主のことばがあり、主の御手が彼の上にあった。
私が見ていると、見よ、激しい風とともに、大きな雲と火が、ぐるぐるとひらめき渡りながら北から来た。その回りには輝きがあり、火の中央には青銅の輝きのようなものがあった。その中に何か四つの生きもののようなものが現れ、その姿はこうであった。 ~ 中略 ~ 彼らの顔かたちは、人間の顔であり、四つとも、右側に獅子の顔があり、四つとも、左側に牛の顔があり、四つとも、うしろに鷲の顔があった。これが彼らの顔であった。彼らの翼は上方に広げられ、それぞれ、二つは互いに連なり、他の二つはおのおののからだをおおっていた。彼らはおのおの前を向いてまっすぐに行き、霊が行かせる所に彼らは行き、行くときには向きを変えなかった。】

【ヒ】

2009年10月04日 | 歴史
 「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。ヒゼキヤ王は、アッシリヤ王の侵略に対し、引用箇所の前に、町の外の泉の閉鎖、城壁の再建、武器の作成、戦時隊長の任命などの備えをしました。
 【この後、アッシリヤの王セナケリブは、その家来たちをエルサレムに遣わして、──彼自身はその全軍を率いてラキシュを攻めていた──ユダの王ヒゼキヤとエルサレムにいたすべてのユダの人々に向かって言わせた。「アッシリヤの王セナケリブはこう言っておられる。~ 中略 ~ .今、おまえたちは、ヒゼキヤにごまかされるな。このようにそそのかされてはならない。彼を信じてはならない。どのような国、どのような王国のどのような神も、その民を私の手から、私の先祖たちの手から救い出すことはできない。まして、おまえたちの神は、おまえたちを私の手から救い出すことはできない。」 ~ 中略 ~
 そこで、ヒゼキヤ王とアモツの子預言者イザヤは、このことのゆえに、祈りをささげ、天に叫び求めた。すると、主はひとりの御使いを遣わし、アッシリヤの王の陣営にいたすべての勇士、隊長、首長を全滅させた。そこで、彼は恥じて国へ帰り、彼の神の宮に入ったが、自分の身から出た子どもたちが、その所で、彼を剣にかけて倒した。こうして、主は、アッシリヤの王セナケリブの手、および、すべての者の手から、ヒゼキヤとエルサレムの住民とを救い、四方から彼らを守り導かれた。】

【ウ】

2009年09月14日 | 歴史
 インフラ整備&軍備増強が、周辺国からの貢物の徴収につながります。徴収したお金は、さらなるインフラ整備&軍備増強になっていく。このうらやましい状況は、悪循環の逆ですね。
【彼は出陣してペリシテ人と戦ったとき、ガテの城壁、ヤブネの城壁、アシュドデの城壁を打ちこわし、アシュドデの中の、ペリシテ人たちの間に、町々を築いた。神は彼を助けて、ペリシテ人、グル・バアルに住むアラビヤ人、メウニム人に立ち向かわせた。アモン人はウジヤのもとにみつぎものを納めた。こうして、彼の名はエジプトの入口にまで届いた。その勢力が並みはずれて強くなったからである。ウジヤはエルサレムの隅の門、谷の門および曲がりかどの上にやぐらを建て、これを強固にし、荒野にやぐらを建て、多くの水ためを掘った。彼は低地にも平野にも多くの家畜を持っていたからである。山地や果樹園には農夫やぶどう作りがいた。彼が農業を好んだからである。  さらに、ウジヤは戦闘部隊をかかえていたが、 ~ 中略 ~ .ウジヤは、彼ら全軍のために、盾、槍、かぶと、よろい、弓および石投げの石を用意した。さらに、彼はエルサレムで、巧みに考案された兵器を作り、矢や大石を打ち出すために、やぐらの上や、城壁のかどにある塔の上にこれを据えた。こうして、彼の名は遠くにまで鳴り響いた。彼がすばらしいしかたで、助けを得て強くなったからである。】