聖書カルタ 「イエス様の44言」 読み札・絵札

聖書トランプ 
週一の追記予定です。

【み】

2008年10月26日 | Weblog
 「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」 むかし、祖母が口にするのをよく聞いたことわざです。「桜は、花を見るのが目的だから剪定してはいけない。梅は実をとるのが目的だから剪定すべき。」という意味だと、勝手に思っていました。でもよく考えてみると、サクランボは食用だし、実をとることは目的にしていない梅園もあります。調べてみたら、こんなことのようです。桜は剪定を上手にやらないと切り口から、菌が入って病気になる。梅は素人が鋏を入れても、丈夫で病気になりにくく、逆に枝が伸びすぎると花も実も減ってしまう。
 祖母が、このことわざを話していたのは、孫にではなく大人たち(親たち)に向けてだったような気がします。「子供も、やたらめったら、叱るとすねたり、やる気をなくしたりする性格の子と、どんどん叱らないと正しく育たない子がいる。その見極めがたいせつだ。」こんなことが言いたかったのかと思います。
 【わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。】

【ま】

2008年10月19日 | Weblog
 丸太から、材木はどれ位取れるのか。円形の紙から正方形を一枚切り出した時、最大で元の円の面積64%です。どうも材木の歩留まりは、そのぐらいの数値が目途のようです。丸太から、柱にするような大きな角材を切り出しても、当然残った端材で板とかより細い角材をとるのですが、天然の丸太は、当然先に行くほど細くなっています。長さも切りそろえると短くて使えない部分も出てくるでしょう。丸太が曲がっていたり、大きな節があったり、それも歩留まり低下の原因になります。のこぎりの刃の厚み分はおが屑になってロス分です。
素人考えに過ぎませんが、ナイフで切るようにおが屑の発生しない切り方ができれば、歩留まり向上になると思います。
というわけで、林業版では「まず製材工場からおが屑発生を取り除け。そうすれば、歩留まりが上がって、世の中から丸太の無駄を取り除くことができる。」
【人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、「あなたの目からおが屑を取らせてください」と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。】

【ほ】

2008年10月12日 | Weblog
 サーカス団員、富山の薬売り、干物の行商。「ほかの町へ」というとそんな職業を思い浮かべます。今は、ほとんど無い商売かもしれません。娯楽形体の変化、通信手段・交通機関の発達(インターネット環境整備・運輸の利便性向上)などで、消えてしまったり、お客さんの方から出向いてくれる商法に変わった職業は、他にもたくさんあるでしょう。
それでも、(町の境界を越えてとは言えないかもしれませんが、)来てもらわないと困る人がいます。新聞配達、郵便配達などです。高齢化社会が、訪問介護・宅配給食など、時代のニーズとしての訪問・巡回・宅配商売を、増やしていくことになるのかもしれません。
【日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた。悪霊もわめき立て、「お前は神の子だ」と言いながら、多くの人々から出て行った。イエスは悪霊を戒めて、ものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は、イエスをメシアだと知っていたからである。朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」そして、ユダヤの諸会堂に行って宣教された。】

【へ】

2008年10月05日 | Weblog
 “鳩が素直“は、すんなり受け入れられます。日本人にとって、猿でも犬でもなく、 賢さたとえに”蛇“なのは、どうでしょうか。ちょっと引っ掛るところがありませんか。?
 聖書の創造物語では、「神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇」と登場してきます。アダムとエバは、その“賢さ”にだまされたわけです。昨今の振り込め詐欺も、つぎつぎと手口を進化させて“賢い”ことに異論を唱える人はいないでしょう。[賢い]=[すばらしい]という数式は成り立たないと考えます。
 鳩が出てくるのは“賢くかつ善良に”ということなのでしょう。ちなみに、聖書に鳩が最初に登場するのは、ノアの方舟です。
 【わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。 実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。】