聖書カルタ 「イエス様の44言」 読み札・絵札

聖書トランプ 
週一の追記予定です。

【デ】

2009年06月29日 | 現代社会
 先週老人、今週女性の話題になりました。職業名の前に“女”“女性”“婦人”が付くと、違ったイメージになる仕事があります。世間一般で、「これこれの仕事は男性がするものだ。」という意識が強い職業ですね。逆に、ひと昔前はこの言葉に違和感がない、というか、疑問にも思わなかった言葉に、看護婦、保母、スチュワーデス、などがありました。
 ともあれ、聖書のこの続きは、デボラの他にも、もう一人の既婚女性大活躍のお話です。
 【そのころ、ラピドテの妻で女預言者デボラがイスラエルをさばいていた。彼女はエフライムの山地のラマとベテルとの間にあるデボラのなつめやしの木の下にいつもすわっていたので、イスラエル人は彼女のところに上って来て、さばきを受けた。
 あるとき、デボラは使いを送って、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せ、彼に言った。「イスラエルの神、主はこう命じられたではありませんか。『タボル山に進軍せよ。ナフタリ族とゼブルン族のうちから一万人を取れ。わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とをキション川のあなたのところに引き寄せ、彼をあなたの手に渡す。』」バラクは彼女に言った。「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません。」】

【カ】

2009年06月21日 | 歴史
 「そんな約束はとっくに時効だ。」とか、「状況が変わったのだからしかたがない。内定は取り消しにします。」近頃、聞こえてきがちのセリフです。
 この元気な老人、約束がこの人を元気に保ってくれたのだと思います。約束を信じ続けることと、信じ続けるに値する約束をすることが大切です。
 【ケナズ人エフネの子カレブが、ヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて、神の人モーセに話されたことを、あなたはご存じのはずです。主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。~(中略)~ そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、主に従い通したからである』と言いました。今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。 ~(中略)~ 」
 それでヨシュアは、エフネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。それで、ヘブロンは、ケナズ人エフネの子カレブの相続地となった。】

【ヌ】

2009年06月15日 | Weblog
 このブログ画像の右下に毎回、日本語、スペイン語、フランス語、英語、中国語、イタリア語でも、人名や地名を、表記しています。日本語の聖書は、基本的にイスラエルの発音に近いカタカナにしてあるようです。スペイン語・イタリア語などの聖書も、比較的イスラエルの発音をそのまま表記しています。英語やフランス語は、スペイン語などの文字をそのまま取り入れたため、元の発音からずれている名前も結構あります。とくに“J”が出てくると発音にずれが生じるようです。発音が文字に引きずられたためです。“毛沢東”を「もうたくとう」と、呼ぶのと似ています。
 イエス・キリストの“イエス”は、元来のイスラエルの呼び方では、“ヨシュア”なんです。「ヨシュア」→「イエシュア」→「イエズス」または「イエス」。「ヨシュア」→「ジョシュア」→「ジーザス」”
 なお、新共同訳聖書では、“イエス”または”イエズス“のどちらに訳すか。宗派間の調整に時間が掛ったと、伝え聞いています。
 【モーセが天幕に入ると、雲の柱が降りて来て、天幕の入口に立った。主はモーセと語られた。民は、みな、天幕の入口に雲の柱が立つのを見た。民はみな立って、おのおの自分の天幕の入口で伏し拝んだ。主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。モーセが宿営に帰ると、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が幕屋を離れないでいた。】

【ベ】

2009年06月07日 | Weblog
 「聖書に出てくるベツァルエルを目標にしている」10年ぐらい前にこんな話を聞いたことがあります。その人は滋賀県の信楽(狸の置物で有名)で陶磁器・ステンドグラス・石材加工などの工芸を生業としている方です。
 材料も加工方法も違う“あらゆる仕事”は、なかなか大変だと思います。貴金属細工・宝石加工・木彫・製天幕・家具作成・服飾縫製、果ては、香料調合まで・・・。全てを一流品として、作れるのは、神がかりなのかもしれません。
 【主はモーセに告げて仰せられた。「見よ。わたしは、ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し、彼に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たした。それは、彼が、金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、はめ込みの宝石を彫り、木を彫刻し、あらゆる仕事をするためである。見よ。わたしは、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブを、彼のもとに任命した。わたしはすべて心に知恵のある者に知恵を授けた。彼らはわたしがあなたに命じたものを、ことごとく作る。すなわち、会見の天幕、あかしの箱、その上の『贖いのふた』、天幕のあらゆる設備品、机とその付属品、純金の燭台と、そのいろいろな器具、香の壇、全焼のいけにえの祭壇と、そのあらゆる道具、洗盤とその台、式服、すなわち、祭司として仕える祭司アロンの聖なる装束と、その子らの装束、そそぎの油、聖所のためのかおりの高い香である。彼らは、すべて、わたしがあなたに命じたとおりに作らなければならない。」】