聖書カルタ 「イエス様の44言」 読み札・絵札

聖書トランプ 
週一の追記予定です。

「ね」

2007年08月26日 | Weblog
 「寝床をたたむ」と言っても、「朝、目が覚めて歯磨きをして仕事へ出掛ける」というのとは違います。病気が治ってふとんをたたむ。周りのみんなも、うれしい瞬間です。しかし、そんな時でもいやみなこと考えてる奴がいるんだな…これが。
 「ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。『神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。』その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。『なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために』と言って、中風の人に、『あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい』と言われた。」

「つ」

2007年08月19日 | Weblog
 いつでも、抜身の剣をちらつかせながら、持ち歩くのは、考え物です。治安の悪い国や非道の者の横行していた時代なら、いざしらず…。剣は、さやに収めて携帯するのが、本来。江戸時代ならば、竹光(竹でできた偽物の刀で、さやに入っていればわからない)が、最善。
 ちなみに、「武力」の「武」の字は、「戈(ほこ)」を「止める」という字です。
 聖書には、同じ場面で、「剣を取る者はみな剣で滅びます。」と、書いてあるところもあります。
 「シモン・ペテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。そこで、イエスはペテロに言われた。『剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。』」

「そ」

2007年08月11日 | Weblog
 「明日は明日の風が吹く」なげやりな意味で無く、「心配ご無用」の心持ちで。旧約聖書には「主を待ち望む者は新しく力を得、 鷲のように翼をかって上ることができる。」という言葉もあります。
 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

「れ」

2007年08月05日 | Weblog
 幽霊でないことの証明方法が、三つ。肉がある・骨もある・焼き魚を食べられる。日本なら、「足がある」だけで充分だったのかも?。
 復活したイエスが、弟子たちに現れた時の会話です。「これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。すると、イエスは言われた。『なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。』それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは『ここに何か食べ物がありますか』と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。」