聖書カルタ 「イエス様の44言」 読み札・絵札

聖書トランプ 
週一の追記予定です。

「き」

2007年12月30日 | Weblog
 これは、何気ない日常を描いた静物画です。「今日」とはあなたにとって、どんな日ですか?。
 静かな普通の日、ザアカイという取税人(植民地支配側の協力者)の所へ、イエスがやってきて、救いを宣言しました。理由は、同胞だからです。これだけです。
 あなたにも、普段とかわらない、そんな日に、良き出会いが、訪れることを。
 「これを見て、みなは、『あの方は罪人のところに行って客となられた』と言ってつぶやいた。ところがザアカイは立って、主に言った。『主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。』イエスは、彼に言われた。『きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。』」

「さ」

2007年12月23日 | Weblog
 「人の振り見て我が振り直せ」は、納得することわざランキング7位(60歳以上男性では、1位)だそうです。上着の襟が曲がっている人を見ると、自分の襟元に手の行くことが多いです。我が身の確認をするのは、私だけでないのでしょう。
 「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」

「あ」

2007年12月16日 | Weblog
 イエスが直弟子に、そのまた弟子を選び育てる方法をレクチャーしている訳です。気候風土・民族・社会体制による気質・思想などなどバリエーション豊かな弟子が望まれていると言って良いでしょう。イエスの直弟子達も、様々な出身・思想があったことが知られています。単なる仲良しクラブではありませんでした。
 毛色の違う弟子達にあって、人間関係での共通点に起因する団結力はありません。共通点は“すべてのことを守る“教えです
 「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。』」

「て」

2007年12月09日 | Weblog
 「こた」は「て」についての枕でした。
 何のことか分りませんよね。このブログの「こ」11月24日、「た」7月29日の読み札を参考にご覧ください。このふたつの札は、今回の「て」の札の前置き説明です。残念ながら、聖霊を絵で表すことは不可能です。聖書に書いてあるとしか言いようが無いです。「こ」「た」の読み札を読めば、「聖霊」がとても良いものであることが分ります。
 「あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

「え」

2007年12月02日 | Weblog
 昔のブドウ畑は、枝が地面をはったように広がっていたそうです。晩秋以降は、枯れ枝と生きている枝の見た目の区別は出来ず、つながっているかどうかのみです。見た目は同じでも、一方は春に芽が出て来るわけです。
 「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」