聖書カルタ 「イエス様の44言」 読み札・絵札

聖書トランプ 
週一の追記予定です。

カード配置-パウロの手紙

2010年09月26日 | 聖書
 新約聖書の七並べで初めに配置する7枚のうち、今回は3枚目(歴史の書)の続きです・・「パウロによる手紙」の二種類です。二種類とは、各地の教会(現在の国名でいうと、トルコ、ギリシャ、イタリアなど)に宛てた手紙、個人(後輩、友人)です。
 ”パウロ”は、このブログ、すでに「マルコの福音書」の説明の中で登場しています。この先、パウロのことについて、記載していくことになるでしょう。。
 「教会への手紙」は、”●(○)”、”赤色”で、”合わせ絵しりとり”が、動物です。
 「個人への手紙」は、”■(□)”、”鶯色(うぐいす)”で、”絵”が、文具家具です。
 コリントⅡ10:8-2【あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう。私は手紙であなたがたをおどしているかのように見られたくありません。
 彼らは言います。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」そういう人はよく承知しておきなさい。離れているときに書く手紙のことばがそうなら、いっしょにいるときの行動もそのとおりです。私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。】

使徒

2010年09月18日 | 聖書
 この「使徒の働き」は、水色の分類札「歴史の書」に重ねられる札です。
「使徒の働き」の著者は、ルカです。「ルカの福音書」の続きということになります。

2010年08月29日 【ルカ伝】、と 2010年04月04日【ル】 を参照ください。

前書きは、こうです。
使徒の働き1:1-2【テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。】

カード配置-福音書・歴史の書

2010年09月12日 | あそび
 新約聖書の27をならべるカードです。とはいうものの27枚ではなく、34枚にしてあります。
 7枚が特別なカードです。トランプの七並べで初めに配置する4枚(スペード、三つ葉、ダイヤ、ハート)の”7”にあたるものです。
 今回はその中で3枚目までの並べ方を・・・。「新約聖書 七ならべ あそび カード」が一番目に来ます。その手前に「福音書」さらに「歴史の書」と続きます。
 「福音書」は、”◆(◇)”、”青色”で、”合わせ絵しりとり”が、魚介類です。
 「歴史の書」は、”▼(▽)”、”鼠色”で、”絵”が、昆虫です。
 「福音書」の書かれた目的は”真ん中のヨハネ”が簡潔に記しています。
ヨハネの福音書20:30-31【この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。】

【新約聖書七ならべ ヨハネ伝】

2010年09月07日 | キリスト教
 バプテスマのヨハネ、ゼベダイの子ヨハネ、マルコと呼ばれたヨハネなど、新約聖書にはヨハネが、何人も登場しています。
 男兄弟が多い家族だと、長男を”大きいにいちゃん”、三男を”小さいにいちゃん”、次男は”真ん中のにいちゃん”と、呼んだりするでしょう。(ちなみに、末っ子の四男は、大人になっても、”カズ坊”だったりするわけです。)
 聖書の3人のヨハネ達は、年齢も大雑把に言って10歳ほどの年齢差と推測されます。「おおきいヨハネ、真ん中のヨハネ、小さいヨハネ」と、呼びましょうか?。福音書を記したヨハネは、”真ん中のヨハネ”で、12弟子(イエス自身が選んだ弟子)のひとりです。おおきいヨハネは、バプテスマのヨハネ、小さいヨハネは福音書を書いたマルコです。(使徒12章参照)

ヨハネの福音書21:20-25【ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
 そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか」と言われたのである。
 これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。
 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。】