聖書カルタ 「イエス様の44言」 読み札・絵札

聖書トランプ 
週一の追記予定です。

【ふ】

2008年09月28日 | Weblog
【ふ】
 親しい友人がふたり、ラーメンが食べたいと、意気投合。しかし、A君のイメージしていたのは、白いスープの豚骨のもの、B君は中華料理屋の醤油系ラーメン。ふたりは、同じお店で「ラーメンを食べる」という行為におよんだでしょうか?。
「心を一つ」というのが、むずかしいことなのかも知れないと感じます。「目的はひとつ」というのは割と簡単でしょう。色々な結構大きな団体もあると思います。「「手段も同じ」となると、仲間が分かれるかもしれません。「心が一つ」は、かなりの難題。
【「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」】

【ひ】

2008年09月21日 | Weblog
 おいしそうに日本酒をちびりちびり飲んでいる横で、酒好きの糖尿病患者が、カロリー制限された食事をするのはつらいでしょうね。でも逆に、下戸(お酒のまったく飲めない人)は、隣でどれだけ高級なウイスキーを飲む人がいようが、お構いなしというところでしょうか。40日の断食のあとで、お腹のすいていない人はいないでしょうから、大誘惑です。
 【さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。】

【は】

2008年09月13日 | Weblog
 戦国武将の埋蔵金とか沈没船のお宝とか、どこかにあるんじゃないか・・・・その手の番組を、時々テレビで見ませんか。でも、ほんとうは、どこかの誰かが大騒ぎせずに、ひっそりと、もうすでに手に入れているのかもしれません。
反対に「必ず儲かるから、この○○を今のうちに買っておきなさい!。」などと、声高に宣伝しているのは宝に見せかけた偽物です。この手の詐欺に気をつけましょう。
さらに言えば騙されやすい人は、悪賢い人にとって、畑の宝です。こういう宝として見つけられる人にはなりたくないものです。
【「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
 また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」】

【の】

2008年09月07日 | Weblog
 家族でいただき物の葡萄をたべていました。「一房に、巨峰とマスカットとデラウエアなど、色んな葡萄が、実っていると、うれしいな。」と言う、話になりました。一本の木で、バナナと ビワと 柿と ザクロと リンゴと・…実ったら、それは無理です。美味しいミカンが生る木で十分です。
自分の子供が算数で100点を取ってきました。どうしますか?。「よくできたね。次ぎは国語で100点をとりなさい。」 
職場の部下が、大きな仕事を営業してきました。大成功です。どうします。次に、新製品開発成功を求めて課題をあたえますか?。開発業務が向いていない社員なら、過大な期待に悩んでしまうかもしれません。
 桃の木に、「おいしい桃が実ったから、来年は栗をぜひお願いしたい。」こう言うよりは、「来年はもう少し大きい桃をお願いするよ。」「次ぎは、もう少したくさんの桃を生らせてくれよ。」この方が、桃の木は幸せですね。
 栗が欲しい人は、栗の木を植えましょう。ひとつの木から色んな実を収穫することを期待するのは、欲張りというものです。
 【悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。】