聖書カルタ 「イエス様の44言」 読み札・絵札

聖書トランプ 
週一の追記予定です。

「は」

2007年04月28日 | Weblog
 新緑の季節は美しいものです。目で見て若葉を楽しむ人は多くても、やわらかいか否かを手で触って感じ取る人は少ないことでしょう。でも、いつも触れている人の方が何かの兆しを、見ているだけの人より早く察知できると思います。
 このイエスの言葉は、「世の終わり」と「来臨(イエスが再びこの世に来ること)」の譬です。「いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(「人の子」は、イエスが自身を呼んでいた名称です。)

「ろ」

2007年04月21日 | Weblog
 水平線に沈む夕日です。聖書の国では日没が日付の変わり目でした。夕日の「一日が終わった」というのが実感だったことでしょう。疲れを覚えながらも、一日が無事終わったことを確認するのは、幸せなひと時です。
 イエスが山の上で、弟子たちと群衆に語った「山上の垂訓」中の言葉です。この言葉の前には、「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

「い」

2007年04月16日 | Weblog
 カマキリです。交尾をすると雌はその相手の雄を食べてしまうと言われています。雄は、命がけで、次の世代への命をバトンタッチするのです。「カマキリの雄が、自分の命を救おうと思ったら、子孫としてのいのちを失い、自分のいのちを捨てる覚悟で交尾することを選ぶなら、次代のいのちを救うのです。」カマキリ版です。
 イエスは「パッション(受難)」の予告を告げた後に、弟子と群衆に語った言葉の一部です。前後は、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。」