2型糖尿病の爺 病気で ドットコム

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長く続いた、下痢状態、高齢によるものか、癌再発か?

2018年06月19日 | 日記
 2型糖尿病の血糖をコントロールする、ビクトーザという注射を始めてから、便秘が酷くなったりしたので、市販の下剤を飲んだ。

 若いころより、便秘と下痢状態の繰り返しでした。

 人により、毎朝の便通が無いと気持ちが悪く、即、便秘だ、と断言する人がいる。相当な多喰いの人ではない限り、毎日の便通が無くても便秘とは言えない。

 通常の人で、週に、2度から3度の便通があれば便秘ではない。しかし個人差も存在する。

 大腸癌の手術をしているので、大腸の長さが通常の人より短い。大腸では、小腸から消化して吸収した残りの食物のカスと消化液と大量の水が大腸に到達する。

 大腸では、その水分を再吸収して、直腸の手前で固形化して溜まり、朝の食事で、刺激を受けて、固形化した消化のカスが、直腸に下がり、肛門付近で、便意を感じて排出する。思う存分に排泄できると、非常に気分が良いモノだ。

 私の癌はこの固形化した大腸のカスが溜まる部分にできてしまったので、その部分を10cm位切除したので、固形化したカスが多くたまっていない。言い方を変えれば、溜めておく場所が短いので、直腸に一遍に降りてこない、そのために、排泄下後に、暫く時間が経過すると、また徐々に溜まったカスの固形物が直腸に降りてきて、便意を感じ、排泄が始まると、3回はトイレの便座に座る。

 面倒な時は、本をトイレに持ち込み、オシュレットの温い水を肛門にかけて、刺激を続けて大腸の動きを促しながら、イメージトレーニングで、大腸を通貨するカスの固形物が、お腹の右から左に動くイメージを描きながら、1時間くらい座っているばあいもある。

 しかし、この2週間くらい、食事をすると、便意を感じ、トイレに駆け込むと、下痢状態である。我慢して座り続けるが、次が出ないので、トイレから出る。暫く、ベッドに横になったり、座ってテレビを観たり、パソコン操作してりしていると、また排出の刺激が起きて、トイレに駆け込む。下痢状態が続く。次も下痢で殆どが、水の状態である。

 何か、病的な異変かと疑うが、下痢の内容物の臭いは、消化液の臭いが強く、大腸が水分の再吸収をする間もなく、通貨してくるようである。

 便の臭いは、普通は、大腸菌の臭いが強く、下痢状態であると、小腸からの消化液が、液体の状態で排泄されるので、通常の便とは臭いが違うようだ。

 中々、下痢状態が収まらず、医療機関に出向くか思案している状態で、北からの高気圧が張り出してきて、関東や、東北に冷たい『親潮』の上空を北北東に風が吹き、冷たい空気が流れ込み、関東と東北に冷たい空気の中に入り込むことになる。寒いくらいの気温になり、暑くて蹴飛ばしていた厚手の夏掛けでは寒いので、一枚余分に薄カケを架けて、ベッドの保温を確りとした。いつの間にか下痢が止まった。

 身体の冷えが原因で、下痢をしていたようで、冷えは、骨の関節の部分にも軽い痛みに似たダルサを感じたりしていた。

 直腸癌の手術後には(夏)2型糖尿病性の痒みが起こるので、ヒスタミンを押さえる薬飲んでいたが、全ての薬が暫く呑めない状態になり、痒みは、身体を冷やすと収まるのを経験的に憶えていて、個室にいたので、エアコンを効かせて、掛け布団をかけずに寒い位の状態で眠っていた。それで特に問題は無かった。

 しかし、少しずつ歳を重ねているようで、身体の冷えが影響をするようになったらしい。

 今年も、8月には、大腸の内視鏡検査で、1泊2日の入院を予定している。私の掛かり付けの病院は、内視鏡検査はフリーランスの医師である。からり多くのフリーランスの医師がいる病院である。

 梅雨時期は、ご承知のように、夏の暑い気団と冬の寒い気団がぶつかり合い、その間にできた前線で雨がふる。暑い空気と冷たい空気の気団が日本列島上空で、南北に動くので、暑くなったり、寒くなったりするのが、この時期の特徴である。

 日本列島は、地球規模の位置では、乾燥地帯に所属する。地図で、日本列島の西へ向かってゆくと、砂漠地帯が多いのに築くだろう。しかし、日本列島の太平洋側には、黒潮という暖流が流れていて、湿った空気が雲をつくり、雨が多い。また冬には、この黒潮の分流の対馬暖流が日本海を北上して、北海道付近まで達する。大陸の冷たい北東の気流が、日本海の対馬暖流の水蒸気を含み、日本列島の背骨の山脈にぶつかり、上昇気流となり、雲をつくり、かなり冷たい北西の気流で、大雪をふらして、山岳地帯には、雪という天然の貯水ダムが、春まで水をため込んで、日本人を水で潤すことになる。

 春からの梅雨、秋の秋雨前線も、季節の変わり目に降る雨であるが、この雲の帯は遠くインドのモンスーン気候も影響している。

 アジア上空は、偏西風が大きく蛇行して、風速は、100kmから200kmくらいのスピードで吹いている。この偏西風が、ヒマラヤ山脈の影響で、インドの北部のヒマラヤの麓付近を流れながら、インド洋からの湿った空気を取り込んで、ベトナム北部かた東シナ海へ、沖縄付近から太平洋の黒潮に載って、北へと進むことになる。この時期に朝鮮半島の南部にも前線がかかり、梅雨の雨の恵みがある。しかし、朝鮮半島は、大陸的な気候に入るので、乾燥地帯にも属する。古代より、干ばつと冬の寒さに悩まされてきた歴史が存在している。

 この気候が色々な事情により常に変化を繰り返してきた。14世紀から19世紀までは、小氷河期と呼ばれて、日本の江戸時代に度々、飢饉として飢え死にしたり、伝染性の感染症が流行ったりして、沢山の人間が死んでいる。

 ヨーロッパでは、イギリスのテームズ川が凍り付いたり、パリのセーヌ川も凍り付いたりした寒さであったらしい。

 元々、北に位置する、ヨーロッパは、乾燥と寒さの中で、麦類の栽培で生きてきた。しかし、寒くなるとその麦の収穫量も大幅に落ちて、当時のスペインが南米の植民地のアンデスの高地の寒冷地のジャガイモをヨーロッパに持ち込んで、家畜の餌として栽培していたが、徐々に品種の改良で、大きく育ち、収穫量も増えるようになり、第二の主食とし食卓に上り、飢えを凌いだようだ。この食料難に、フランスの王侯貴族が、贅沢な暮らしを、尚、続けていたので、一般民衆が蜂起て、フランス革命が起きたと言う話も存在する。ヨーロッパの人口が4分の3にまで減ってしまったとある。

 農業革命、産業革命などもこの寒冷化が大きく起因しているという説に納得する部分もある。

 

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