2型糖尿病の爺 病気で ドットコム

貨幣は、貸借関係で存在します。貨幣に金や銀の裏付けはありません。
貨幣の裏付けは、供給能力です。

 

もう一度考えよう 『生きてることって何だ』

2016年04月22日 | 日記
 前回は、『癒し』を考えてみました。私も迷路に迷う事態になりましたが、何とか納得いくことが書けた気がしています。

 日常を生きることで、会社勤め、アルバイト、派遣社員、いろいろな勤務実態があります。どんな勤務でも人達の仲間で、常識と言われる範囲内で、行動して、勤務実態を続けることになります。ここでは自分勝手は許されません。いろいろな条件に当てはめて毎日の勤めを始めて就業時間が終われば解放されます。賃金を得るための約束事です。

 向いている仕事、向いていない仕事、あるようで無いのが、向き不向きです。人により、こんな仕事はプライドが許さない。もっと文化度の高い仕事がしたい。勤務地が、東京であれば、渋谷、新宿、丸の内、大手町、など山手線周辺や、有名な下北沢、など、一般の価値基準に準じる勤務地で仕事をしたいと職場を変わる場合もあるでしょう。
 
 でも向き不向きで、仕事を渡り歩く人は、只、楽な仕事を求めているだけに過ぎないことが多くあります。或いは、努力するのが嫌な人。または、可愛そうですが、努力できない人もいます。また。他人より長い時間努力しないとできない人もいます。仕方がない個人差です。個性でもあります。

 少子化で、親の子育てが上手くできていないばあいがあり、子供が集中力の弱い状態で育てられてしまった場合があります。
 それでも、殆どは、仕事が忙しくて、毎日働き続けているうちに、その道のプロに育っている場合が殆どです。そんなに大きな『向き不向き』が仕事にあるとは思えないのです。

 私は、東京生まれで、東京育ちです。東京が特別な処であるとの意識がありませんでした。でも、地方から、東京の大学へ入学して、アルバイトをしながら東京で暮らす人達に、実は違和感を感じたのは、20歳後半でした。
 
 どんな違和感かというと、私がまったくの田舎者であると認識したときでした。私にとっては、東京は生まれ育った環境です。大都会の東京で、知らない場所や、高級な生活環境の地域、女性が勤め先の昼休みに、近くの打ちっぱなしのゴルフ場へ行く姿、夜の遊び場でも高級な場所を好む人達の溜まり場があること、こうした場所に庶民であり、どちらかと言えば貧乏人の私には関係のない世界として、関心がまったくありませんでした。田舎者でした。

 しかし、仕事上、いろいろな付き合いが広がり、こうした場所に行くことが多くなり、そうした場所に出向く人達との会話もありました。素晴らしい高級な背広を着て、時には凄い美人の女性が一緒だったりしてました。金持ちは違うな~ぁ、そんな印象でした。
 しかし、この金持ちが酷く金銭に細かく、かなりの節約家であるのに驚いたことがあります。早稲田大学卒業、慶応大学卒業、東大卒業、凄い人達がいました。
 
 しかし、時が立ってきて、そうした人達の中には、東京で代々続いた金持ちや、成り上がりの粗製の金持ちもいました。しかし本当の金持ちは一部でしかありませんでした。
 東京人になろうと、一流大学の卒業と、一流企業に勤務して、高級志向で、とにかく夢に描いた東京人になることにかなり執着している人達の出会いました。服のセンス、仕草、会話、まさに流行の先端うぃを行く男女です。大学時代の4年間、勤めてからの2~3年で、見事な東京人の出来上がりです。

 東京、昔は江戸です。3代住み続けて『江戸っ子』と威張れたようです。何故か、徳川幕府が、江戸に本拠地を構えます。京都、大阪の関西は、古くからの歴史がある都です。旧態以前の文化が色濃くのこっています。当時、徳川家康は、公家文化や、室町文化、秀吉の大阪以外で、独特の文化都市を考えて江戸を選んだのだと推測します。未だに京都の人の本音を言わない交渉事は、私には解りにくい部分があります。また今テレビに出ているお笑い芸人の関西弁や、関西人独特の粘液質的付き合いかたには、慣れない状態にあります。誤解があたら許してください。
 
 江戸幕藩体制は、封建制度維持のために『参勤交代』という制度を各大名に義務つけます。大名は、国元と、江戸に居住の場所を創らねばなりません。しかも、江戸の藩邸には、妻と子をおいておかねばなりません。人質です。
 
 この江戸の藩邸の維持に多くの人手が必要になります。各藩邸の地元から人が江戸へドンドンと集まり始めます。藩邸の建設、土木工事、などで多くの男達だけで、江戸には女性が少なく、現在にも伝わる屋台での食事が便利で安価で流行ったそうです。このころに大きな米の握りに、江戸の海で捕れた魚を醤油漬けにして載せたものが、握り寿司の原点になています。落語に出てくる『二八そば』の屋台もそうです。そば粉を8割、小麦粉を2割の割合での蕎麦を売り歩いたそうです。女手が少なく、外食が多かった江戸の町であったそうです。
 このころから、江戸は全国からの人の集まる街として栄えます。

 江戸は町人が独特の文化を創り上げて、世界的にも評価されてる多くの文化遺産があります。明治になって、近代化を進めるために、各藩の優秀な人達が招集されて、東京帝国大学に集い、政治、官僚、各地の鉱山開発、鉄道事業、商業、主な輸出品であった生糸の生産など、新たな人がまた江戸に集まり、その時々の状況に応じて人が地方から集まる習性ができあがります。
 
 関西系の人達は、文化は関西が先進性があるというプライドがあるのでしょう。言葉を治す劣等感はありませんが、関東以北の人達は特に言葉を江戸弁に変える作業が大変のようでした。東京人になるということは、かなり身構えて兆戦的な姿勢で列車に乗ったようです。

 こうした風習があるために、東京人の典型的な姿の見本みたいなライフスタイルがあるようです。私が田舎者と称したのは、都会人としての姿や生活スタイルを知らなかったので、酷く恥じ入り、『東京の田舎っぺ』と実感して次第です。

 東京人になるのも良いでしょう。皆がしていることを踏破することによって、仲間意識を持つのも良いでしょう。仲間ではないとイジメられますね。私も憶えがあります。

 日本人は、自我が無い、或いは自我を育てる教育がない。と言われて、戦争へ進んだことが止められなかった社会の同調圧力に負けてしまう民族だ。ということで、自我の確立などと言って、教育現場にのぼったことがあり、そんな話を聞かされたことがあります。

 アメリカという新興国家には、移民先の宗教、キリスト教が盛んで、非常な個人主義です。暴力も伴った勝者と敗者がはっきりとさせたがります。勝者であることが非常な安心感と安らぎを得られるようです。

 これに対して、日本人は、悪い事をしたという意識の中に、『おてんとうさま』がお見通しだよ、或いは、『おてんとうさまに、申し訳ない』『ご先祖様に申し訳ない』などと思い、正直であれと教えられてきたのです。
 湿潤な温帯地帯で、植物の繁殖が激しく、森林に覆われた自然環境、田んぼや畑も、山の中の盆地での作業であったりして、いつも自然災害と紙一重の違いで『死』が存在したりしてきました。

 地震、大雨、台風、火山の噴火などで、山崩れや洪水などに蹂躙されてきて、自然環境に『神が宿る姿』を、人間には贖えない(あがなえない)強大な自然エネルギーに『神』をみたのではないかと想像します。
 多神教の神々が存在する日本人の精神世界。小さな人間の『個の力の及ばない自然観』が成立したのではないでしょうか。ここに『村社会』が生まれてきて『自我の強い』欧米諸国や、中国人や韓国人との理解不能な部分があるように推測します。『

 村社会』という言葉は、日本人の習性を否定的に表現した言葉ですが、確かに同調圧力は激しいことになります。『個性の尊重』ということもありません。異端者は排除されます。ちなみに『異端者』という概念はキリスト教社会のもののようです。非キリスト教的存在を異端者として迫害してきたようです。

 こうした日本人論を展開すると、自分を失ってはいないか、ということです。ネット上で、テレビで、あそこの店は美味しいものを出す。とか、情報が乱れとんでいますが、そうした『皆と一緒』的な安心感が心地よくなります。
 東京人は、これが美味いと思うのだ。と、それに惑わされず、子供のころからの味覚を信じて、自分で美味い、まずいを決めて欲しいものです。皆が並んでいるから安心だから並ぶ。
 自分を信じましょう。信じられなければ確認作業をしてから選びましょう。皆がそうしています。そうした慣例になっています。テレビの情報では、それは美味しくないそうです。ネットの情報だとこうらります。こうした日本人を良く熟知した権力者が、こうした日本人の習性を利用して、国民を操り、権力者の思惑どうりに世論を作り上げてしまうことが起きて危険な政治的な方向性が決められてしまいます。

 自分で決めて、自分で生きて、自分で責任をもって、一生を送りませんか。
 
 追記します。
 不安であるのは誰でも同じです。自信がないのも誰でも同じです。物事の判断基準が確立されいない状態も誰でも同じです。  
生きていて、解らなくなってしまうのも誰でも同じです。 中国の昔の教えに、『老子』『荘子』などがあります。個の幸せを追求したものです。大乗仏教も同じように個の幸せを示唆してくれます。いずれも難しい境地で、私も日々迷い悩み悔恨でくらしています。
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