https://www.youtube.com/watch?v=WWxWXexSwXI
上のURLの動画は、長野県の地獄谷温泉に入っている日本ザルです。
この状態が知られるようになったのは、身体を温める行為が珍しいとしたことか、或るは、子ザルが遊んで入浴していたことが、目撃されて見物客が多く集まり始めたことがあったのかは、殆ど知識はありません。
しかし、観光客を呼べる観光資源になると、政策的に行われて、観光事業として推進さ来たことは、知っています。
わざわざサル用の温泉を作り、サルを寄せ集めるために、麦の餌で誘い、新たに造った岩の温泉施設の中に、麦を撒いて、底に沈んだ麦を潜っ食べるサルを撮影した動画も見ています。
しかし、すべてのサルが、温泉に入ることはありませんでした。 若いサルはドンドン入浴して、遊び回ります。大人のサルは、誘導に撒かれる麦を得るためにやてきます。冬の長野の山ですから、食べ物が限られています。
しかし、年月が経ち、次第に多くのサルが、冬の寒さを凌ぐために、温まりに温泉に浸かりだします。しかし、最後まで、高齢のサルで、入浴をしない大人のサルが存在したそうです。それらの大人のサルは、温泉に入らずに亡くなってしまったそうです。
要するに、サルの世界でも、新しい変化を簡単に受け入れるサル社会ではないようです。
新しい変化を完全に全員が受け入れるまでは、世代交代という年月が必要であったのです。
私の知る、女性が、結婚前に、1年間?くらい同棲していた彼氏と別れてしまいます。
その後、私の知り合いと結婚します。その女性は前の彼氏との同棲を完全に否定はしていません。私にも知れる情報です。
その女性との結婚した男は、その同棲してた男性を気にしています。その男性との思いでの品物が入った、段ボール箱がとってあったのです。
結婚して、男の子と女の子が生まれます。
やがて、成人になりかかると、その女性は、娘に一人暮らしを進めます。
お解りだと思いますが、短い同棲生活の過去。
日常の生活の連続が結婚です。男女とのお互いに良い部分も悪い部分も、育ってきた環境の違いも存在します。
男と女の違いもあり、夫婦としての理解不能の部分も共有して暮らします。理想の男女としての未来志向は、現実という無残なことで、ドンドン壊れてゆきます。
しかし、僅かな期間の同棲生活の思い出は日時が立つとドンドン純化して記憶が美化され続けます。
何とか、育てた、娘に自分と同じ一生の忘れない男性との思い出を持たせてやりたい、としたことで、娘の一人暮らしを後押ししたのです。経済的な援助をしてでも、後押しをして一人暮らしをさせたのです。
何で、こんなことを書いた、と思うでしょう。生活をするということは、世間の常識という範囲内で、皆がそうしている。世間が認めている。その範囲では、充分に生きていることに充実感があって良いのだ。としたことが、親娘の間で引き継いでゆかれるのです。
こうした、幸福感の追求の姿勢は、年月の経過とともに変化してゆきます。生きる社会の在り方も影響してゆきます。人間の生き方というのは、長い年月で、変化がおきています。
その変化の記憶が、遺伝的に記憶されている部分が大きく存在しています。
話は、移りますが、私の、中学時代に、日本の国が認めて、しかも厚生省が管理していた、遊郭というものが廃止されました。現在、東京の吉原という地区です。『公娼』が認められていた時代が存在しました。
戦後のこうした『公娼』の存在理由を当時、私が教えられていたのは、良家の子女が暴漢に襲われることがないように、『男が性を買う、ということができれば、良家の子女が守られる。その場所が必要だから』
事実は、違い、女性差別の状態が存在していたからである。貧しい女性が売られてきたのです。
『娼婦』とした存在は、古代のローマ時代から存在していたとの記録があります。要するに、女性の性が売り物になっていたのが、2000年以上前からあったのです。
人間の生物として、子孫を残すという営みに、生物進化としての、快楽としてその行為を意味づけた進化により、あらゆる生物が子孫を残し、そのために生きていると言っても過言ではない状態です。
寿命の短い生物程、その生殖能力は早く発達します。地球の歴史を生物だけの歴史としてみると、何回も絶滅に近い状態で、生き続けて、現在は、僅か10万年の繁栄の歴史があり、人類の異常発生状態で、滅んでしまう危機もはらんでいます。
生物としての、人類は、大脳の発達で、苦労をしている状態ではないでしょうか。いろいろなものを、認識をして本能のままには生きられない抑制が存在してます。また、大脳の認識で、自由というものも失っているのが人間ではないでしょうか。
自己規制があったり、空気という同調圧力も集団生活の中から出てきた問題です。
僅か、20万年くらいの生活歴史で、生きてゆくために、あらゆる準備をして、集団に属して、その集団の規則や、支配者の元にいろいろな抑圧に苦しめられることでいきています。
中途半端に発達した大脳のせいで、殺し合いもできる認識のコントロールが存在する。
何を感じて、何を感じないか、何かを犠牲にして、何かを得る。
人間の思考は複雑ですが、人間の発達した大脳は、不完全でもあるのです。
こうして、人類は、生きていくのに、色々な習性を本能的な脳の部分に染みつけてきた。そうした部分も科学という名の元で、解明も進んでいます。
集団。支配する集団、支配される集団、そして、国家ができて、国家の形態を持たなくて良い人達にも、無理やりに国家という国境線を引かれて、生活文化を遮断もされてもきました。植民地支配です。
或るは、主義主張による分断、人間の愚かさは、現実的ではない理想を掲げて、その主義主張のために、殺し合う。
サルの生物的な本能に、厄介な大脳を得て、人間は不幸を自ら作り出している。
こうして、集団生活している人間は、経済というモノを考え出して、その仕組みを感情や思い込み、理想、先入観、あらゆる雑音を心に秘めて、自分も、他人も苦しめて、自分の存在感を主張するようです。
誤っていても、見ない、聞かない、言わない、その行く末は殺し合いでの解決をしてきました。
経済理論なって、そんなモノの一部です。
他人の不幸などの要素を感じ取れるほど、私たちの大脳は完全ではありません。
財務省の頑固なところは、自分たちは東大という最高学府の国の形を作ってきた先祖代々メンバーであり、法律の勉強をした特別な日本人だ、としたことを、祖先から引き継いだ支配者であるのだ、と完全に先入観の虜です。親がそうして育てた、お坊ちゃんなので、思い込んでしまっているある種の単純思考の人達で、怖さが存在します。
人間の不完全な大脳が創った、人間社会で、普遍性の無いことにシガミツイテ、他人の不幸を犠牲にしていることすら、それで良いのだ、と思っています。
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