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奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

敬う心

2007年06月29日 | 松下幸之助「道をひらく」

                                       水前寺公園 

 褐を被て玉を懐く
        =外見は飾らないが、内に美しい心を持っていること。
         また、人目にはつかないが、優れた知識や才能を
         そなえていること=

     ウィンク(ジミニー)  日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」

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                 「敬う心」
                            松下幸之助「道をひらく」

学校の先生を軽んじ、師と仰ぐ気持ちがなかったら、先生も教える張り合いがないし、生徒も学びが身につかない。社会にとって大きな損失である。

やはり聖職の師として先生を敬い、謙虚に師事する姿から、一言一句が身につき成長する。

親を大事にし、上司に敬意をはらう。先輩に礼をつくし、師匠に懸命に仕える。親や師にたいするだけではない。よき仕事をする人を心から尊敬し、一隅を照らす人にも頭を下げる。

天地自然、この世の中、敬う心があれば、敬うに値するものは無数にある。

犬や猫には敬う心の働きはない。だが人間には、ものみな、人みなのなかに敬うべき価値を見いだす能力が与えられている。本質として与えられている。その本質を生かしつつ、敬うべきものを敬うことによって自他ともの心をゆたかにし、高めることのできるのは人間だけではなかろうか。

その人間の特性を素直に生かしたい。敬う心を高めて、おたがいのゆたかさをはかりたい。

 
     マーチング(ジミニー)  日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」

              写真:水前寺公園参道
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水前寺公園の参道です、土産やが並んでいます。いきなり団子、からし蓮根、馬刺し、肥後象嵌をはじめとして、色々と熊本の名物があります。今回は参道を紹介しましたが、公園内は熊本においでのさいにジックリトご覧になってください。水が綺麗ですよ。

 


心配またよし

2007年06月26日 | 松下幸之助「道をひらく」

                                   熊本県水俣(湯の鶴温泉)

 ならぬ堪忍するが堪忍
        =もうこれ以上我慢できないところをじっと堪え忍ぶ
         のが、本当の忍耐だということ=
             (堪忍は一生の宝)

  

    お散歩    日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

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               「心配またよし」
                           松下幸之助「道をひらく」

何の心配もなく、何の憂いもなく、何の恐れもないということになれば、この世の中はまことに安泰、きわめて結構なことであるが、実際にはそうは問屋が卸させない。人生つねに何かの心配があり、憂いがあり、恐れがある。

しかし本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを懸命にそしてひたすらに乗り切って、刻々と事なきを得てゆくというところに、人間としての大きな生きがいをおぼえ、人生の深い味わいを感じるとうことが大事なのである。

この心がまえがなければ、この世の中はまことに呪わしく、人生はただいたずらに暗黒ということになってしまう。

憂事に直面しても、これを恐れてはならない。しりごみしてはならい。“心配またよし”である。心配や憂いは新しいものを考え出す一つの転機ではないか、そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。力をしぼる。知恵をしぼる。するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである。

新しい道がひらけてくるのである。まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、人の世の味わいは限りもなく深いといえよう。

 

    犬の散歩    日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

            写真:熊本県水俣(湯の鶴温泉)
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湯出川(ゆでがわ)の両岸に約10軒の旅館がならび、ひなびた風情がただよう温泉地である。古くから湯治の地として知られ現在でも自炊で一泊2000円~から泊まれる。夏にはカジカが鳴く湯出川の風情もなかなか良いものである。海の湯の児・山の湯の鶴とも呼ばれている。


雨が降れば

2007年06月25日 | 松下幸之助「道をひらく」

                     熊本市・長六橋

 雨晴れて笠を忘る
         =雨が上がると、かぶっていた笠のありがたみを
                      忘れる。苦しい境遇を脱すると、そのときに受けた
          人の恩をすぐに忘れてしまうたとえ=

 

    ピクニック   日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」

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               「雨が降れば」
                            松下幸之助「道をひらく」

雨が降れば傘をさす。傘がなければ風呂敷でもかぶる。それもなければぬれるしか仕方がない。

雨の日に傘がないのは、天気のときに油断して、その用意をしなかったからである。雨にぬれて、はじめて傘の必要を知る。そして次の雨にはぬれないように考える。

雨があがれば、何をおいても傘の用意をしようと決意する。これもやはり、人生の一つの教えである。

わかりきったことながら、世の中にはそして人生には、晴れの日もあれば雨の日もある。好事の時もあれば、不調の時もある。にもかかわらず、晴れの日が少しつづくと、つい雨の日を忘れがちになる。好調な波がつづくと、ついゆきすぎる。油断をする。これも、人間の一つの姿であろうか。

このことをいましめて昔の人は「治にいて乱を忘れず」と教えた。仕事にしても何にしても、この道理はやはり一つである。

雨が降れば傘をさそう。傘がなければ、一度はぬれるのもしかたがない。ただ、雨があがるのを待って、二度と再び雨にぬれない用意だけは心がけたい。雨の傘、仕事の傘、人生の傘、いずれにしても傘は大事なものである。


   ねむい~(プー)   日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」

 

              写真:熊本市・長六橋
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熊本市を流れる白川にかかる橋、長六橋です。長六橋から仏舎利塔、長六橋から世継橋を、泰平橋を眺めて見ました、長六橋には女性の彫刻が幾つかあります。その一つです。熊本の自慢、水道の水が美味しい!

 


学ぶ心

2007年06月23日 | 松下幸之助「道をひらく」

                       熊本城内

 勘定合って銭足らず
        =計算は合っているのに、肝心の現金が不足している
         理論と実際とが伴わないことのたとえ=

 

    ヒヨコ誕生! 日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

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                  「学ぶ心」
                           松下幸之助「道をひらく」

自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生みだしたと思っていても、本当はすべてこれ他から教わったものである。

教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から、そうした今までの数多くの学びの上に立ってこそ自分の考えなのである。自分の知恵なのである。だから、よき考え、よき知恵を生みだす人は、同時にまた必ずよき学びの人であるといえよう。

学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。

語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩のきびしい叱責、後輩の純情な忠言、つまりこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さなことでにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。

これらのすべてに学びたい。どんなことからも、どんな人からも、謙虚に素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい知恵も生まれてくる。よき知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。

 

   ひよこ 日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

               写真:熊本城内
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城の周りをこんなに時間をかけて、ひとりで歩いた記憶は今までない。初めてである。それはそれで気持ちがいい。石の上に腰掛けて城を眺め、行過ぎる人をただ意味もなくボーと見つめ、人生を振り返り、自分らしく生きようと心に誓う。人間何かを失えば、何かを得る。

 


知恵の幅

2007年06月18日 | 松下幸之助「道をひらく」

                     水前寺公園

 薪水の労(しんすいのろう)
       =薪を拾い、水を汲む苦労。炊事などの労働のたとえ。
         転じて、人に仕えて骨身を惜しまず働く事をいう=

 

   ダンス(ピノキオ)  日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

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                 「知恵の幅」
                           松下幸之助「道をひらく」

賢い人と愚かな人と、その間にはたいへんな差があるように思うけれど、もっと大きな自然の知恵から見たならば、それが人間であるかぎり、賢さにも、愚かさにもおのずから限りがあるわけで、どんなに賢い人でも、神や仏ほどの知恵もなければ、どんなに愚かな人でも、本当に犬猫に劣るというほどの人もいない。

九十九パーセントまで、大自然から与えられ、大自然の恵みを受けているこの人間の身体である。心である。自分で自分の思うようになるのは、実はホンのわずかである。

そのわずかな知恵の幅の中に、さまざまの人があり、さまざまの生き方がある。いささかの賢さを誇り、些少の愚かさを卑下してみても、何ほどのことがあるであろう。それこそ所詮、稚気に類するというものではなかろうか。

わずかな人間の知恵の幅である。賢さの中にも愚かさがあり、愚かさの中にも賢さがひそんでいる。

小さな賢愚の中で、小さなおたがいの心を乱すまい。

平々淡々、みずからの与えられた人生を、心しずかに歩みたいものである。

 

    ウソ(ピノキオ) 日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」

            写真:熊本市水前寺公園
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熊本の観光名所、水前寺公園です。その水前寺公園内にある出水神社。出水神社の御祭神は能楽をたしなまれ、春秋の大祭には神事能が奉納される。毎年8月第一土曜日の夕刻より薪御能が催される。薪御能は奈良の興福寺で始まったが、現在は全国で数ヶ所催されている。夏の夕闇の中、かがり火に照らされる神事能は、まさに一幅の絵巻物、熊本の夏の夜の風物詩として定着している

 


勤勉の徳

2007年06月13日 | 松下幸之助「道をひらく」

                   熊本県宇土市 

 積羽舟を沈む(せきうふねをしずむ)
         =羽のように軽いものでも、たくさん積めば舟を沈める
          ほどの重さになる。
          小さなことでも、積もれば大事を引き起こす= 


   トントン(ミッキー)      日記@BlogRanking「宜しくお願いします」 

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                 「勤勉の徳」
                            松下幸之助「道をひらく」

天災地変をまつまでもなく、粒々辛苦の巨万の富も、事あらば一朝にして失われてしまうことがしばしばある。形あるものはいつかは滅びるにしても、まことはかない姿であるといえよう。

だがしかし、身についた技とか習性とかは、これは生あるかぎりに失われない。たよりになるのは、やはり自分の身についた技、身についた習性。

だから、何か一つでもいいから、よき技、よき習性を身につけたいものであるが、なかでもいわゆる勤勉の習性は、何にまして尊いものに思われる。

勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間のいわば一つの大事な徳である。徳であるかぎり、これを積むには不断の努力がいる。

相撲に強くなるためには、不断に真剣なけいこを積まなければならないように、勤勉の習性を身につけるためには、まず日々を勤勉に務める努力がいるのである。

その努力が重なって勤勉の習性が身につき、その習性からはじめて徳が生まれてくる。おたがい勤勉の徳を積みたいものである。

     エ~ン(ドナルド)  日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

               写真:熊本県宇土市
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    轟水源       御興来海岸    轟泉自然公園   たばこの花

宇土市の西南に位置し、宇土城跡より西へ約1km、昔から、肥後三名泉の一つとして知られ、絶えることなく清水が湧き出しています。この水源を導水して、総延長5kmにわたる水道が轟泉水道で、現在、使われている上水道としては、日本最古のものであります。 これは二代宇土藩主・細川行孝によって、発案敷設されたもので、石管を用いた地下水道です。現在も多くの人々の飲料水に使用されています。

 


人間だけが

2007年06月12日 | 松下幸之助「道をひらく」

                      阿蘇

 華胥の国に遊ぶ(かしょのくににあそぶ)
         =いい気持ちで昼寝をすること=
         古代中国の天子皇帝が昼寝の夢の中で、理想の国
           とされていた華胥の国で遊んだことから

 

     やっちゃった    日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」 

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               「人間だけが」
                             松下幸之助「道をひらく」

この世の中、見方によっては、すべて人と人との約束のうえに成り立っているといってもよい。友人との待ち合わせの時間の約束から、金銭物品の貸借の約束、さらには社則や国家の法律というものは、おたがいの生活を秩序だて円滑にするための、一つの大事な約束ごとであるといってよい。

約束はおたがいの信用の上に花ひらく。だからこれらの約束を守るか守らないかは、人間の精神の高まりを示す一つのバロメーターであって、道義とか道徳というものも、こうしたところにその成果の如何をあらわしてくる。

自分に都合が悪くなったからといって、平気で約束を破るというのは、これはまさに動物の世界。人間だけが、おたがいにかわした約束は、これをキチンと守るという天与の高い精神の働きを持っているのである。

もしもこの精神が力弱くなったら、その影響は社会生活のあらゆる面に、物心とも大きなマイナスとなってあらわれてくる。単に待ち合わせの時間をムダにするというようなことだけでは事はすまないであろう。おたがいに、約束は守りたい。

 

     は、恥ずかし  日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」 

          写真:緒方弘之「素晴らしい自然」から阿蘇
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暗いニュース、厭な事件が多い世の中です。阿蘇の雄大な景色を見て頂き、心に清らかな風と空気を一杯吸い込んでください。自然は本当に心を癒してくれます。背伸びをせず、自分の背丈にあった生き方をしたいと思っています。自然体で・・・・

 


長所と短所

2007年06月11日 | 松下幸之助「道をひらく」

                                   熊本繁華街(三年坂)

 子故に迷う親心
         =子を愛するがゆえに、親としてどうしていいのか
          分からず、迷い悩んで正常な判断ができないこと=

 

    ガーデニング   日記@BlogRanking「宜しくお願いします」 

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                「長所と短所」
                             松下幸之助「道をひらく」

この世の中は持ちつ持たれつ、人と人との協同生活によって、仕事が成り立っている。暮らしが成り立っている。

この協同生活を円滑に進めるためには、いろいろの心配りが必要だけども、なかでも大事なことは、おたがいにまわりの人の長所と欠点とを、素直な心でよく理解しておくということである。

そしてその長所をできるかぎり補ってあげるように、暖かい心で最善の心くばりをするということである。

神さまではないのだから、全知全能を人間に求めるのは愚の限りである。人に求めるほうも愚なら、いささかのうぬぼれにみずからの心おごる姿も、また愚である。

人を助けて己の仕事が成り立ち、また人に助けられて己の仕事が円滑に進んでいるのである。

この理解と心くばりがなければ、百万の人も単につのつき合わした烏合の衆にすぎないであろう。

長所と短所と・・・・・・・それは人間のいわば一つの宿命である。その宿命を繁栄に結びつけるのも貧困に結びつけるのも、つまりはおたがいの心くばり一つにかかっているのではなかろうか。

 

    ミュージック     日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

             写真:熊本市繁華街(上通り)
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熊本市の繁華街、上通りです。岡田珈琲のコーヒー大好きです。今日はトーストサンドを頂きました。美味しかったです。母親がディーサービスの日の息抜きです。鬼のいぬ間に洗濯です(^_^.)たまには善いですよね。くちなしの花を見つけました。


真実を知る

2007年06月06日 | 松下幸之助「道をひらく」

                                        阿蘇・南郷谷 

                「真実を知る」
                            松下幸之助「道をひらく」

人間は、ものの見方一つで、どんなことにも堪えることができる。どんなつらいことでも辛抱できる。のみならず、いやなことでも明るくすることができるし、つらいことでも楽しいものにすることができる。

みな心持ち一つ、ものの見方ひとつである。同じ人間でも、鬼ともなれば仏ともなるのも、この心持ち一つにあると思う。

そうとすれば、人生において、絶望することなど一つもないのではあるまいか。

ただ、この、ものの見方を正しく持つためには、人間は真実を知らねばならないし、また真実を教えなければならない。つまり、ものごとの実相を知らねばならないのである。

もちろん情愛は大切である。だからかわいそうとか、つらかろうとか考えて、情愛に流され真実をいわないのは、本当の情愛ではあるまい。不幸とは、実相を知らないことである。真実を知らないことである。

人間はほんとうは偉大なものである。真実に直面すれば、かえって大悟徹底し、落着いた心境になるものである。

だからおたがいに、正しいものの見方をもつために、素直な心で、いつも真実を語り、真実を教え合いたいものである。

        決まらない~(プー)  「宜しくお願いします」

             

                 お詫び  
母の体調が優れません、時間がユックリとれませんので、本日はただ、更新しただけのブログになりました。改めて編集しますので宜しくお願い致します。             奉より


身につまされる

2007年06月05日 | 松下幸之助「道をひらく」

                                     阿蘇・夜峰を望む

 学問に王道なし
      
=学問には、手軽に身につける近道はない。地道に努力を
       積み重ねるしかないということ=


    雨ふり(プー)  「宜しくお願いします」 

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               「身につまされる」
                            松下幸之助「道をひらく」

一つのことを聞いても、一つのことを見ても、わが身につまされる思いがあったなら、その見たり聞いたりしたことが、そくそくとわが身にせまってきて、いろいろさまざまの感慨が生み出されてくる。

身につまされてもらい泣きというけれど、つまりは人の世の喜びも、悲しみも、その味わいも、身につまされた思いのなかで、無限に深まりゆくのである。

だだ事なかれの日々をすごして、生命をかけて打ちこむほどの思いも体験もなく、従って何を見ても聞いても身につまされず。何もが他人事で、何もかもわれ関せず焉(エン)。

それも一つの生き方ではあろうけれど、見方によってはまことに味わいうすき人生とも言えるであろう。

人間にとって、人生を歩む上において、身につまされるということは、はやり大事である。

そしてこれは何も個人の身上のことだけではない。身につまされる思いで、おたがいのまわりを、もう一度よく見まわしたい。おたがいのこの国日本のことも、わが身につまされる思いで、もう一度よくよく考えてみたい。反省してみたい。


 
     
あいさつ  「宜しくお願いします」  
 

 

              写真:沼山津神社
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幕末の政治家・思想家として有名な横井小楠ゆかりの神社と友人に聞きました。別名を小楠神社とも言うと・・しかし?(^_^.)です。小楠の考え方は保守的な考えの強かった地元熊本では受け入れてもらえず、福井藩の改革とか、幕政改革などに大きな功績を残します。例えば、天保14年(1843)に肥後藩の藩政改革のために書いた「時務策」で、藩の経済行政を批判したという理由で、肥後藩には受け入れられませんでした。改革というのは現状を変えることだから、それを藩政批判ととられたのですね。悲しいことです。

 


自然とともに

2007年06月04日 | 松下幸之助「道をひらく」

                  南阿蘇村・旧久木野村

 正直の頭に神宿る
         =
いつも正直であれば、人には神仏の加護がついて
          まわるということ=  

 

   読書(ドナルド&デイジー)  「宜しくお願いします」 

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                「自然とともに」
                             松下幸之助「道をひらく」

春になれば花が咲き、秋になれば花は枯れる。草も木も野菜も果物も。芽を出すときは芽を出し、実のなるときには実をむすぶ。枯れるべきときには枯れてゆく。自然に従った素直な態度である。

そのには何の私心もなく、何の野心もない。無心である。虚心である。だから自然は美しく、秩序正しい。

困ったことに、人間はこうはいかない。素直になれないし、虚心になれない。ともすれば野心が起こり、私心に走る。だから人びとは落ち着きを失い、自然の理を見失う。そして出処を誤り、進退を誤る。秩序も乱れる。

時節はずれに花が咲けば、これを狂い咲きという。出処を誤ったからである。それでも花ならばまだ珍しくてよいけれど、人間では処置がない。

花ならば狂い咲きですまされもするが、進退を誤った人間は、笑っただけではすまされそうもない。自分も傷つき、人にも迷惑をかけるからである。

人間にとって、出処進退その時を誤らぬことほどむつかしいものはない。それだけに、ときに花をながめ、野草を手に取って、静かに自然の理を案じ、己の身の処し方を考えてみたいもにである。

  

     ラブラブ   「宜しくお願いします」 

             写真:江津湖で見つけた花
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                          ♪デイゴの花が咲き・・・・デイゴの花木

トップの写真は現在の南阿蘇村(旧久木野村)です。南阿蘇村も最近ではこしゃれた喫茶店等が多くなりました。自然の景色を満喫し阿蘇の美味しい水を使ってのコーヒーは格別です。下の写真は江津湖に咲いてる花です。変わった花でしょう。もしかしたら珍しい花のような気がします。名前を教えて戴けると嬉しいのですが・・・どなたか、ご存知の方宜しくお願い致します。

 


もっとも平凡な

2007年06月03日 | 松下幸之助「道をひらく」

 
 韋弦の佩(いげんのはい)
       =自分の欠点を克服するために努力すること=
        「韋」はなめしの皮。「弦」は弓の弦
        古代中国で、西門豹という男は、自分のせっかちな性質
        をゆるやかにするためになめしの皮を腰に帯び、
        董安うという男は、自分のノンビリした性格を緊張させる
        ためにピントはる弓の弦をいつも身につけていたことから

 

    テレビ   「宜しくお願いします」 

   ★=========★★★★★=========★

               「もっ、とも平凡な」
                           松下幸之助「道をひらく」

朝起きたら顔を洗う。家の前をはいて水を打つ、しごくあたりまえのこと。

ものをもらえばありがとう。お世話になったらすみません。とりちらかしたら、あとかたずけ。別にむつかしい理屈も何もない。

犬や猫ならいざ知らず、人間としてなすべき、もっとも平凡な、もっともあたりまえのことである。

ところがこれに理屈がつく。手前勝手な理屈がつくと、いつのまにやらあとかたづけ不要。顔も洗わず水も打たず。

平凡なことが何やらむつかしいこちになって、何をなすべきか右往左往。そんなことが、きょうこのごろはあまりにも多すぎはしないか。

それもこれも、つまりは自分なりの都合のよい道を求めてのことであろうけれども、自他ともの真の繁栄への道は、本当はもっと平凡なところにある。

みんなが納得するしごくあたりまえのところにある。別にむつかしく考える必要はないのではないか。

もう一度考え直してみたい。水が低きに流れるように、夏がすぎたら秋がくるように、自然の理にかえって、もう一度素直な心で考え直してみたい。

 

     腹筋     「宜しくお願いします」 

              写真:熊本市尾ノ上
 
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   尾ノ上      錦が丘公園      額紫陽花       夾竹桃

写真は通称、高校野球の名門校熊本工業の北門がありますので、北門通りと言っています。熊本市尾ノ上のケヤキ並木と、そこにある公園、錦が丘公園です、子供達がサッカーをしたり、野球をしたりしてます。又テニスコートもあります。ジョギングしたり、散歩したり、憩いの場として親しまれています。最後のピンクの花の名前が分かりませんので何方か教えて頂けますと有難いのですが・・・・・


なぜ

2007年06月02日 | 松下幸之助「道をひらく」

                                       熊本市通り町筋 

 足るを知る者は富む
        =満足することを知っている者は、たとえ生活は貧しく
         とも、心は富んで豊かである= 

 
    ぶちゅっ! 「宜しくお願いします」 

  ★=========★★★★★=========★

                  「なぜ」
                             松下幸之助「道をひらく」

こどもの心は素直である。だからわからぬことがあればすぐに問う“なぜ、なぜ”と

こどもは一生懸命である。熱心である。だから与えられた答えを、自分でも懸命に考える。考えて納得がゆかなければ、どこまでも問いかえす。“なぜ、なぜ”と。

こどもの心には私心がない。とらわれない。いいものはいいし、わるいものはわるい。だから思わぬものごとの本質をつくことがしばしばある。こどもはこうして成長する。“なぜ”と問うて、それを教えられて、その教えを素直に自分で考えて、さらに“なぜ”と問い返して、そして日一日と成長してゆくのである。

大人もまた同じである。日に新たであるためには、いつも“なぜ”と問わねばならぬ。そしてその答えを、自分でも考え、また他にも教えを求める。

素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、“なぜ”と問うタネは随処にある。それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる。

繁栄は“なぜ”と問うところから生まれてくるのである。


  ダッシュ! 「宜しくお願いします」 

 
              写真(熊本県)
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  白糸の滝       健軍神社     菊池渓谷     芦北町

今までに載せた写真の中から自分の中で思い出があったりして、お気に入りの写真をアップしました。

 


人事をつくして

2007年06月01日 | 松下幸之助「道をひらく」

                                          はな阿蘇美 

 蜀犬日に吠ゆ
       =見識の狭い人間が、賢人の優れた言動に不審を
        抱き、非難することのたとえ=


    読書(ドナルド&デイジー) 「よろしくお願いします」 

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               「人事をつくして」
                          松下幸之助「道をひらく」

「人事をつくして天命を待つ」ということばがある。まことに味わい深いことばである。私心にとらわれることなく、人としてなしうるかぎりの力をつくして、そのうえで、静かに起こってくる事態を待つ。

それは期待どおりのことであるかもしれないし、期待にそむくことであるかもしれない。しかしいずれにしても、それはわが力を越えたものであり、人事をつくしたかぎりにおいては、うろたえず、あわてず、心静かにその事態を迎えねばならない。そのなかからまた次の新しい道がひらけてくるであろう。

こうした心境も尊さを人みなが知り、その境地をかみしめつつ、それぞれの人が、それぞれのつとめをつくしたならば、この世の中は、もっと静かになるかもしれない。

天命とは、これだけのことをつくしたから、これだけの結果があたえられるという、そんな計算の成り立つものではない。

まして、私心多くなすべき人事もつくさずに、いたずらに都合よき成果のみを期待するのは、天命を知らざることはなはだしいといわねばなるまい。

めまぐるしい利害の波の日々ではあるけれども、時におたがいに三省してみたいものである。

 

    チアリーダー(ミニー)  「よろしくお願いします」 

             写真:阿蘇・「はな阿蘇美」
 
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九州最大級の「イングリッシュローズガーデン」をはじめ、珍しい「とうふ博物館」、阿蘇の物産を販売する物産館、自家製豆腐を使った料理が楽しめる「ガーデンレストラン」などがある。ローズガーデンには、貴重なイングリッシュローズ約100品種を中心にモダンローズ、オールドローズあわせて400品種6000株のバラが植えられている。

 


視野を広く

2007年05月31日 | 松下幸之助「道をひらく」

                 阿蘇望橋(波野村)

精神一到、何事不成
            =精神を集中して努力すれば、どんなことでもできない
      ことはないということ=

 
    とんかち  「危険だから真似しないでね」 

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                 「視野を広く」
                          松下幸之助「道をひらく」

世の中は広い。その広い世の中を、狭い視野ですすめば行き詰る。人生は長い。その長い人生を、狭い視野で歩めば息が切れる。

視野の狭い人は、わが身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。だから、おたがいの繁栄のために、おたがいの視野の角度を、グングン広げなければならない。十度の視野は十五度に。十五度の人は二十度に。

もっとも、百八十度までひろげてみても、それでようやく、ものごとの半面がわかっただけだから、ほんとうは、グルリと三百六十度を見わたさなければならない。それが、真の融通無碍、つまり解脱というものではなかろうか。

だが、なかなかにこうはいかない。百八十度も広がればたいしたもので、普通は、せいぜいが十五度か二十度ぐらいの視野で、日々を歩んでいるのではなかろうか。

だから争いが起こる。悩みが起こる。そして繁栄がそこなわれる。

視野を広く。どんなに広げても広げすぎることはない。おたがいの繁栄と平和と幸福のために、だれもが、広い視野を持つようにこころがけたいものである。


    投げあい   「食べ物で遊ばないでね」 

 

                写真:旧波野村(阿蘇)
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阿蘇、波野村の「マディソン群の橋」です。「阿蘇望橋」といいます。初秋の波野村のソバの花です。あたり一面にソバの花が咲きます。