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奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

覚悟はよいか

2008年03月08日 | 松下幸之助「道をひらく」

鹿児島:佐多岬 

 

たとえ小さなことでも、自分の創意によって
事が決せられるということは生きがいがあるものだ。
=松下幸之助=

 

「覚悟はよいか」

事に臨んでイザというとき、うろたえもせずあわてもせず、ひごろの覚悟のほどを示して決然と、しかも悠然として事にあたるということは、まずはおたがいになかなか至難のことである。

ことほどさように、つい日々をウカウカとすごしていることになるわけで、だからイザ”覚悟はよいか”と問われたら、なすすべもなく呆然自失、悠揚決然どころでない。

しかしよく考えてみれば、日々の営みのなかにおいて、おたがいに刻々にその覚悟のほどを問われているわけで、たとえば今日のこの交通地獄のなかでは、一歩家の外に出れば、いついかなる危難がふりかかるかわからず、すでにここにおいても、その覚悟がうながされているわけである。

すべてのことにおいて、いろいろの姿で刻々に”覚悟はよいか”と問われているのである。そのことをみずから察知して、自問自答するかしないかは、その人の心がけ一つであろう。

ましてや、昨今のわが国の社会情勢、経済情勢は、世界の動きとともに寸刻の油断もならない様相を呈しつつある。つねに”覚悟はよいか”と問われることを、おたがいに覚悟したいものである。

 

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写真:鹿児島県・大隈半島
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   佐多岬        佐多岬     神川大滝公園   輝北うわば公園
鹿児島は桜島フェリーで渡り大隈半島に、佐多岬は景色が美しく感動しましたが、輝北うわば公園、ただ、丘の上に天文台があるだけでした???



 

「慌て者テヘヘ・・・」

私の携帯電話にメールが届くには
妻から・・・・
それと・・忘れた頃に、飲み友達のYHさんだけトホホ

ある時
YHさんと飲みに行く約束をしていたときの事。

すっかり、約束を忘れたいたtomo・・・・

「アレ・・・今日はYHさんと6時に約束していたなぁ~」
ドヒャ~
これから、急いでも30分は遅れる

 

どうしょう~ぅ!・・・・どうしよ~~う!

 

兎に角・・・連絡だけはしておかないと・・・

YHさんの携帯にメールを送る

つい・・約束を忘れていた・・なんて・・言えない

{今、妻と買い物に出ていますので、
30分ほど遅れますが、宜しくね!}ってヨシ・・送信

 

すると・・・妻が・・・ドドドと私が着替えているところに・・

「な・・・な・・・なんか・・用事」

今、私の携帯にあなた・・メール打ったでしょう

「ハァ~・・打たないよ

もしかして・・・・間違えたかな

 

YHさんに送ったはずのメールが何故か
妻の携帯に・・・・トホホホ

 

「なに・・・私と買い物だなんて・・・誰に送るメールなの」

「YHさんと約束してるの・・・・これこれしかじか・・・」

「私をダシにつかわないでよ」だって・・・トホホ

 

でも・・・良かったよ。
YHさんとで・・・妻も良く知ってる人だからね!

電話は時々間違えてかけるけど・・・
メールは注意だよ!

 

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心を通わす

2008年03月07日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本県・阿蘇
 

事物の背後にある流れ、つながりを見通す目と心を培え。
ものの一面にとらわれることは失敗を呼ぶ。
=松下幸之助=


 

                      「心を通わす」
                           松下幸之助「道をひらく」

故人曰く、人生はあざなえる縄の如し。まことにこの世に中、長い人の歩みのなかには、よいこともあればわるいこともある。うれしいこともあれば悲しいこともある。

そして、よいと思ったことが実はわるくて、わるいと思ったことが実はよくて、つまりあれこれと思いまどうことは何もなくて、はじめから素直に謙虚に歩んでおればそれでよかったと、人の知恵の浅はかさ、いまさらのように胸打たれることがしばしばである。

はじめからしまいまで徹底的にわるいということもなければ、また徹底的によいということもないのである。

それでもなお人は、わるいと思うときに自分で自分の心を閉ざし、よいと思うときにはまたおごりの心で人をへだてる。

心を閉ざし、人をへだて、心と心が通い合わぬ姿からは、おたがいに協力も助け合いも生まれてはこない。心ひらかぬ孤独の人びとばかりになるであろう。

有為転変のこの世の中、よいときにもわるいときにも、いかなるときにも素直に謙虚に、おたがいに心を通わし、思いを相通じて、協力し合ってゆきたいものである。 

 

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阿蘇・雪景色・緒方弘之「素晴らしい自然」 
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緑のイメージが強い阿蘇ですが2月頃雪に覆われることがあります。火山であることを強調する季節が冬の雪景色です。時には吹雪きになり白銀の世界を見ることができます。「緒方弘之談」

 

「バスケ・・・かい」

職場の若い社員

手には丸めたメモ用紙を手にして・・キョロキョロ

何をするのかと・・・

 

若い社員
チョッと離れたゴミ箱めがけて
ゴミをポイっと・・・

 

「アレレ・・・残念」
はい・・・はずれ!

 

すると・・ゴミを拾って捨てると思いきや!

 

なんと・・・元に位置に

 

又もや・・・ゴミ箱目掛けてポイっと!

「アレレ・・又もや残念」ざまぁ~~みろ!

 

トホホ・・・又・拾って元の位置に

 

今度は・・ゴミ箱に・・・ナイス!

すると小さく・・・ガッツポーズ

小市民のささやかな喜び・・・ってか 

 

「オイオイ・・お前はバスケット部か・・・」
暇なヤツ!

今度は一回で入れるように指導してやるか!
って・・・tomoも暇なヤツ!トホホ・窓際族!ってか!

 

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忍耐の徳

2008年03月05日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本・菊池渓谷・山桜

 

いかなる強い決意も、時間とともに弱まるもの。
常に自分に対する説得、戒めを続けなければならない。
=松下幸之助=

 

「忍耐の徳」

何ごとにおいても辛抱強さというものが大事だが、近ごろはどうもこの忍耐の美徳というものがおろそかにされがちで、ちょっとした困難にもすぐ参って悲鳴をあげがちである。

そして事志とちがった時には、それをこらえてさらに精進をし、さらに力を蓄えるという気迫がまるで乏しくなり、そのことの責任はすべて他にありとして、もっぱら人をののしり、社会を責める。

これは例えば、商売で品物が売れないのは、すべて世間が悪いからだと言うのと同じことで、これでは世間は誰も相手にしてくれないであろう。買うに足る品物で、買って気持ちのよいサービスでなければ、人は誰も買わないのである。

だから売れなければまずみずからを反省し、じっと辛抱をしてさらに精進努力をつづけ、人びとに喜んで買っていただけるだけの実力というものを、養わなければならないのである。

車も心棒が弱ければ、すぐに折れてガタガタになる。人間も辛抱がなければ、すぐに悲鳴をあげてグラグラになる。

おたがいに忍耐を一つの美徳として、辛抱強い働きをつづけてゆきたいものである。

 

 

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写真:緒方弘之「素晴らしい自然」菊池渓谷・春
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 4月の菊池渓谷は芽吹きと開花が一斉に始まり植物達の息吹が感じられます。いつもは大樹の影で気づかれない薮椿や山桜、藤の花が誇示するように咲いています。


 

「孫、誕生にホッとして」

3月4日に双子の孫誕生!
母子ともに健康で何よりです!

 

その、前日は寝れなくて心配で・・・心配で・・・

で・・無事生まれたよ・・・って聞いて
ホッとして・・・

近場の温泉、(スパハウス、健康ランドって感じの)
のサウナで汗を流して・・・

心身ともにリフレッシュ!

サウナ室・・あれ・・tomo一人だけ・・・

 

よし・・これから双子の孫を一度に抱えなくちゃ・・・って!

サウナ室で・・腕立て伏せ・・ハァーハァー
ついでに・・・腹筋運動・・・
体を鍛えなくちゃ・・・

 

すると・・・突然

「あぁ・・あ・・・・****

涙が出るほどの激痛・・・・

 

「あ・・足がつ・・・つったぁ~ぁ」

「誰か・・助けて~~え」・・って、誰もいない


「ウーーン・・・し・・死ぬ」って感じ
ふくらはぎの筋肉バンバンに硬くなって・・・トホホホ

これじゃ・・二人一緒に抱えられないよ!

一人でモガキ苦しんでると・・そこにお爺ちゃんが・・

「どうか・・されましたか?」
「はい・・・足が攣って・・・・」

「足がつりましたか?・・・大丈夫ですか」って

オイオイ・・・・・それだけ・・・見てるだけ

で・・tomo一人で足の指を曲げたりして・・
どうにか・・こうにか・・・・ホッ

 

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自然とともに

2008年03月03日 | 松下幸之助「道をひらく」

 阿蘇に咲く花・キジムシロ

節あればこそ竹は強い。
われわれもときには節目を設け
生活を見直して人生に耐える力を養いたい。
=松下幸之助=


 

              「自然とともに」
                             松下幸之助「道をひらく」

春になれば花が咲き、秋になれば花は枯れる。草も木も野菜も果物も。芽を出すときは芽を出し、実のなるときには実をむすぶ。枯れるべきときには枯れてゆく。自然に従った素直な態度である。

そのには何の私心もなく、何の野心もない。無心である。虚心である。だから自然は美しく、秩序正しい。

困ったことに、人間はこうはいかない。素直になれないし、虚心になれない。ともすれば野心が起こり、私心に走る。だから人びとは落ち着きを失い、自然の理を見失う。そして出処を誤り、進退を誤る。秩序も乱れる。

時節はずれに花が咲けば、これを狂い咲きという。出処を誤ったからである。それでも花ならばまだ珍しくてよいけれど、人間では処置がない。

花ならば狂い咲きですまされもするが、進退を誤った人間は、笑っただけではすまされそうもない。自分も傷つき、人にも迷惑をかけるからである。

人間にとって、出処進退その時を誤らぬことほどむつかしいものはない。それだけに、ときに花をながめ、野草を手に取って、静かに自然の理を案じ、己の身の処し方を考えてみたいもにである。

 

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写真:阿蘇に春咲く花たち
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アマナ     アリアケスミレ     ヒゴイカリソウ    ヒカゲスミレ


 

「お詫び」

今日は・・ココはお休みです。

ごめんなさいね!

 


おろそかにしない

2008年03月01日 | 松下幸之助「道をひらく」

 南阿蘇:一心行の桜

 

絶えず自分自身を客観的に観察し、
正すべきところを正してこそ、
自分を向上させることができる。
=松下幸之助=

 

「おろそかにしない」

人から何かを命ぜられる。その命ぜられたことをその通りにキチンとやる。そこまではよいけれど、そのやった結果を、命じた人にキチンと報告するかどうか。

命ぜられた通りにやって、その通りうまくいったのだから、もうそれでよいと考える人。いやたとえ命のままにやったとしても、その結果は一応キチンと報告しなければならない、そうしたた命じた人は安心するだろうと考える人。

その何でもない心がけ、ちょっとした心のくばり方のちがいから、両者の間に、信頼感にたいする大きなひらきができてくる。

仕事には知恵も大事、才能も大事、しかし、もっと大事なことは、些細と思われること、平凡と思われることも。おろそかにしない心がけである。

むつかしいことはできても、平凡なことはできないというのは、本当の仕事をする姿ではない。

些細なこと。平凡なこと、それを積み重ね積み重ねて、そのうえに自分の知恵と体験とを加えてゆく。それではじめて、あぶなげのない信頼感が得られるというものであろう。

賽の河原の小石はくずれても、仕事の小石はくずれない。

 


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 写真・南阿蘇村・一心行の桜
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今日から三月・桜もモウ直ぐです。
南阿蘇村、一心行の大桜です、夜はライトアップされます。
県外からも多くの観光客が見に来ます。
台風で枝が折れ、以前の迫力はありません、左が枝が折れる前です。
右側2枚が台風で枝が折れた後の一心行の桜です。

 

 

 

「姉・・その2」

姉のエピソードの中で・・tomoに一番受けたのが
携帯電話のメール送信

姉はメールを送ると・・必ず・・「メール届いたね」
って、電話をかけてくる・・

電話をかけて・・送信したメールの内容を話すから
誰もが用件がわかるから・・その事を指摘しない!

姉のメールは「本文はいつも・・・空欄」 

「件名」の欄に長々と・・・入力していたらしい・・
だから・・・肝心の用件は分からず・・


いつも・・「おはよう、元気ですか?あ」  

な・・な・・何じゃ・・これ・・
と・・思っていると・・・姉のメール
そして・・・メール届いたね・・・って電話がかかる!
つい・・話に夢中になって・・・
メールの打ち方の指摘を忘れてしまって・・・

姉は件名の欄に、30分もかけて用件を入力していたらしい・・
けど・・・受け取る方には10文字ぐらいしか届かない・・

 

ヤット・・最近メールが完璧な形で届く!

 

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乱を忘れず

2008年02月22日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本城 

二階に昇りたい。何とかして昇りたい、
という熱意のある人は、ハシゴを考える。
=松下幸之助=

 

「乱を忘れず」

景気がよくて、生活も豊かで、こんな姿がいつまでもつづけば、まことに結構である。しかし、おたがい人生には、雨の日もあれば、風の日もある。

景気にしても好況のときもあれば、不況のときもある。いつも平和な、いつも豊かなときばかりとは限らない。それが人生である。世の中である。

ところが、世の中が落ちついて、ある程度景気もよくなり、生活も向上して、いわゆる安穏な毎日がつづくようになると、いつしか、この世に中の実体を忘れ、人生のあり方を忘れ、日を送る。

それですむなら、それでもよかろう。しかしいつかは台風が来、あるいは不景気の波が立つ。そのときになっても、はたしてきのうに変わらぬ泰然の心境でいられるか、どうか。

いついかなる変事にあおうとも、つねにそれに対処してゆけるように、かねて平時から備えておく心がまえがほしいもの。「治にいて乱れず」である。

それがわかっていながら、しかもおたがいに今ひとつ充分でないのも、これも人間の一つの弱点であろう。

 

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熊本県・観光名所 
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  菊池渓谷     阿蘇噴煙     せんだん轟の滝     天草


 

「政治雑学NO1]

最近の国会中継を見てると、大臣達の国会答弁は
原稿の棒読みである。

何とも情けない・・・と感じるのは私だけ

では・・いつからこんな習慣がはじまったのか

昔の帝国議会には原稿はなく
活発な議論が交わされていました。 うるさいな~ 

ところが、太平洋戦争が近づくと、
軍部が答弁の内容をチェックするようになり
はてにはあらかじめつくらてた原稿を検閲し
それを読み上げることしか許されなくなったのです。

その習慣が今も続いているというわけです。
戦争も終わり、表現の自由が抑圧されることもない現在
大臣の心・頭で考えた答弁を聞きたいものです。

 

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力をつくして

2008年02月20日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本;菊鹿町・棚田 

上手の手からも水が漏れることはあるが、
その失敗をすぐに反省し過ちを改めることが大切である。
=松下幸之助=

 

 

「力をつくして」

どんな仕事でも、一生懸命、根かぎりに努力したときには、何となく自分で自分をいたわりたいような気持ちが起こってくる。自分で自分の頭をなでたいような気持ちになる。

きょう一日、本当によく働いた。よくつとめた、そう思うときには、疲れていながらも食事もおいしくいただけるし、気分もやわらぐ。ホッとしたような、思いかえしても何となく満足したような、そして最後には「人事をつくして天命を待つ」というような、心のやすらぎすらおぼえるものである。

力及ばすという面は多々あるにしても、及ばずながら力をつくしたということは、おたがいにやはり慰めであり喜びであり、そしていたわりでもあろう。

この気持ちは何ものにもかえられない。金銭にもかえられない。金銭にかえられると思う人は、ほんとうの仕事の喜びというものがわからない人である。仕事の喜びを味わえない人である。喜びを味わえない人は不幸と言えよう。

事の成否も大事だけれど、その成否を越えてなお大事なことは、力をつくすというみずからの心のうちにあるのである。

 

 

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 熊本県:棚田風景
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菊鹿町       阿蘇産山村     水俣市        矢部町

 


「自分が自分で可笑しい」

あぁ~ブログやっと書き上げた!

って、ホッとして

「タバコでも一服するか」

 

タバコとライターを手にとって・・・

 

オヨヨ・・・・オパッピィ~

口に入れたのは「ライター」だよ!

 

ガムを買ってきた
ロッテだよ!

両手でガムを開けて

要らない、開けた紙をゴミ箱に捨てた・・・

 

アリャ~・・・

捨てたのは、中身の入ったガムの方だよ!トホホ

 

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まねる

2008年02月19日 | 松下幸之助「道をひらく」

大分県:湯布院 

とにかく皆が豊かに楽しく暮らしていくには、
譲りあいと辛抱と、奉仕の精神が必要である。
=松下幸之助=

 

「まねる」

徳川家康という人は、ずいぶんえらい人であった。人によっては好ききらいがあるかもしれないが、ともかく天下を安定させ、三百年の治世の基礎をきずいた。どこかにすぐれたところがあったにちがいない。だからこそ、徳川家康ブームといわれるほどに、その小説は読まれ、愛好されたのである。

しかし、家康がえらいからといって、そのままこれをまねるようとするのは、これはいささか見当ちがいである。

家康なればこそあの道が歩めたのである、たとえ家康以上の人物があったとしても、まねる心だけではおそらく道を誤るであろう。

ものをおぼえることは、まねることから始まる。こどもの歩みを見てもよくわかる。しかしウリのつるにナスはならない。柿の種をまけば柿がなり、梅ノ木には梅の花が咲く。

人もまたみなちがう。柿のごとく梅のごとく、人それぞれに、人それぞれの特質があるのである。大事なことは、自分のその特質を、はっきり自覚していることである。

その自主性がほしい。まねることはその上に立ってのことであろう。

 

 

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 写真:湯布院(大分県)
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     湯の坪横丁           美術館    ハーブワールド
写真は拡大して楽しんでください!

 

「目くそ鼻くそを笑う」

「目くそ鼻くそを笑う」ってことわざがある。
まぁ~五十歩百歩ってことだけど!

目やにとは、寝ている間に目に溜まった涙の水分が蒸発したもので、
朝良く出ているのは瞬きをしないので目やにが出てくるのです。

瞬きをすることによって、目から鼻に移って、鼻くそになるんです。

しってましたか?

鼻くそとは、瞬きによって涙が鼻に流れて水分が蒸発したもの。

って言うことで、目くそ、鼻くそは同じなんですよ 

 

花粉症で目やに、
鼻みずに悩まされる方も多いのでは・・

 

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生かし合う

2008年02月14日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本県:芦北・うたせ船

自分一人ではほどほどの仕事はできても、
大きな仕事はできない。
みんなの力、知恵を集めよう。
=松下幸之助=


 

「生かし合う」

人間の生命は尊い。尊いものは誰もが尊重しなければならぬ。

ところが、自分の生命の尊いことはわかっても、他人の生命もまた尊いことを忘れがちである。ともすれば私心に走り私利私欲が先に立つ。つまり、自分にとらわれるということで、これも人情としてやむえないことかもしれない。

しかし、これではほんとうに、おたがい相互の繁栄は生まれないであろう。人間本来の姿は生かされないであろう。

やはり、ある場合には自己を没却して、まず相手を立てる。自己を去って相手を生かす。そうした考えにも立ってみなければならない。

そこに相手も生き、自分も生きる力強い繁栄の姿がある。尊い人間の姿がある。

自己を捨てることによってまず相手が生きる。その相手が生きて、自己もおのずから生きるようになる。これはいわば双方の生かし合いではなかろうか

そこから繁栄が生まれ、ゆたかな平和と幸福が生まれてくる。

おたがいに、ひろく社会の繁栄に寄与するため、おたがいを生かし合う謙虚なものの考え方を養いたい。

 


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写真:南阿蘇・白川水源
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熊本市内を流れる白川。その水源のひとつがここ、白川水源。毎分60トンもの湧水量を誇り、おいしい水処として、年中賑わっています。杉林に囲まれた水源内は、外より涼しく、涼を求める人たちのオアシスでもあります。交通の便がよく、駐車場から水源まで100m程と、利用しやすい観光地です。年中通して14℃という湧水は、水源の地中より、砂を巻き上げ湧き出しています。水源内には、売店が建ち並び、湧水を持ち帰るための、ポリ容器を始め、白川水源ならではの名産品や地域の物産品などを求めることが出来ます。 

 

 

「この裏技はどうよ!」

網戸の細かな汚れを取り網戸を綺麗にする方法!

網戸の汚れは雑巾で拭いても、
網戸に入ったホコリは、なかなか落ちにくい!

そこで、登場するのが

掃除機です!

網戸の片方に新聞紙を貼り付ける
新聞紙を貼り付けた、反対側から掃除機をかける!

細かなホコリまで綺麗に取れます。ヤッター

「知ってるよ」ってウン・・モォー
そうだよね!
裏技でもなんでもなかったね!トホホホ・ショボ~~ン!

 

では・・これどうよ! 

使い捨てカイロを再び蘇らせる方法

カイロの袋に小さく穴を開け

そこから、水を1cc~2ccほど入れて

テープで穴をふさぎ、再度振ると・・

カイロがまた、温かくなります!

エヘヘ・・これなら・・どうよ!

「アラ・・使い終わったカイロをそこまでして使わないわ」って

「えぇ・・・エコだよ!  エコ」トホホ・・・

 

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視野を広く

2008年02月13日 | 松下幸之助「道をひらく」

阿蘇・阿蘇望橋 

自分の権利や要求を主張するのもいいが、
それ以上に自分の責任を追及することがなければならない。
=松下幸之助=

 

 

「視野を広く」

世の中は広い。その広い世の中を、狭い視野ですすめば行き詰る。人生は長い。その長い人生を、狭い視野で歩めば息が切れる。

視野の狭い人は、わが身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。だから、おたがいの繁栄のために、おたがいの視野の角度を、グングン広げなければならない。十度の視野は十五度に。十五度の人は二十度に。

もっとも、百八十度までひろげてみても、それでようやく、ものごとの半面がわかっただけだから、ほんとうは、グルリと三百六十度を見わたさなければならない。それが、真の融通無碍、つまり解脱というものではなかろうか。

だが、なかなかにこうはいかない。百八十度も広がればたいしたもので、普通は、せいぜいが十五度か二十度ぐらいの視野で、日々を歩んでいるのではなかろうか。

だから争いが起こる。悩みが起こる。そして繁栄がそこなわれる。

視野を広く。どんなに広げても広げすぎることはない。おたがいの繁栄と平和と幸福のために、だれもが、広い視野を持つようにこころがけたいものである。

 

 
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    写真:旧波野村(阿蘇)
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阿蘇、波野村の「マディソン群の橋」です。「阿蘇望橋」といいます。
初秋の波野村のソバの花です。あたり一面にソバの花が咲きます。


 

「裏技偏NO1」

”彼氏の、彼女の携帯メールを覗き見したい”

でも、新着メールを勝手に読んでしまったら、

メール開封マークになってしまって、覗き見がバレてしまう。

そこで・・・読んでしまったメールを「未開封」に戻す裏技!

  『1』 普通にメールを見る。

  『2』 メールを読み終わったら、そのままの画面で電池パックを外す。

  『3』 再び電池パックを付ける。

  『4』 これでOKです。

これで、未開封の状態に戻っています。

ただし、一度にできるのは、一通のメールのみです。

 

注意する事は
必ずメールの内容が表示されている状態で、電池パックを外すこと。
その、画面を閉じてしまったり、待ち受け画面に戻してしまったら、
未開封には二度と戻りません!

また、この方法は携帯電話端末のメーカーによって出来ない場合も
ありますので、あらがじめ、同じ機種で試しておくとよいですね!

「一番は、貴方の彼氏、彼女を信じる事です」

知識として、知っているだけの方がいいですね!

じゃあ・・・・書くなよ!って

ホーウゥ~・・・ごもっとも!
アイム・ソウリィー・・・・福田総理!

 
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あいさつをかわす

2008年02月12日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本:天草 

決断は物事の終わりではなく始まり。
決断したことを実現させてはじめて事が完結する。
=松下幸之助=

 

「あいさつをかわす」

さわやかな朝の空気を胸いっぱいに、わが家の前の道を掃除する。勤めの早い近所の人が向こうからやって来る。「おはようございます」「おはようございます」

何気なくとりかわすこの朝のあいさつは、毎日の習慣のように、何でもないことのように思えたりするのだが、わたしたちは。もう少しあいさつの大切さを考えてみたい。

「夕べは寒かったですね」という、おたがいにいたわりあう気持ちから出たこのあいさつで、あるいは「毎度お世話になっています」というこの感謝の気持ちから出たあいさつで、おたがいの用件にはいる。仕事がスムーズに動き出す。

だれが、考え出したものでもない。私たちの遠い祖先から伝わってきたこのあいさつというものは、いわばおたがいの毎日の暮らしの潤滑油とでもいった尊い働きを果たしているのである。

「お寒うございます」と言ったところで暖かくなるわけでもなし、というのは落語の中の話だけにしたいものである。

あいさつにもいろいろとあろうが、要は、私たちはもっと、あいさつというものを大切にしたい。明るく朗らに、あいさつをかわしあうことを心がけたいものである。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

熊本:天草
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写真・緒方弘之「素晴らしい自然」から

 

「市販のお菓子を使って・・・」

今日は、市販のお菓子を使って料理をモット美味しく???

サラダに”カール”というお菓子があいます。

チーズ味のカールを小さく砕いて、
サラダにふりかけるだけで

サクサクとした食感が最高です。

 

柿の種

スパゲティーカルボナーラに柿の種を
細かくつぶしてふりかける。

サクサク感と、柿の種のピリ辛さが
カルボナーラの味を引きたてます。

 

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敵に教えられる

2008年02月11日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本・菊池渓谷

厳しくもあり、温かくもあるのが世間というものである。
いつも謙虚さを忘れず、希望を失わず、
着実に自分の道を歩めば、
いつかは世間の温かさに必ず触れることができよう。
=松下幸之助=

 

「敵に教えられる」

己が正しいと思い込めば、それに異を唱える人は万事正しくないことになる。己が正義で、相手は不正義なのである。いわば敵なのである。だから憎くなる。倒したくなる。絶滅したくなる。

人間の情として、これもまたやむを得ないかもしれないけれど、われわれは、わがさまたげとばかり思い込んでいるその相手からも。実はいろいろの益を得ているのである。

相手がこうするから、自分はこうしよう、こうやってくるなら、こう対抗しようと、あれこれ知恵をしぼって考える。そしてしだいに進歩する。

自分が自分で考えているようだけれど、実は相手に教えられているのである。相手の刺激で、わが知恵をしぼっているのである。

敵に教えられるとでもいうのであろうか。

倒すだけが能ではない。敵がなければ教えもない。従って進歩もない。だからむしろその対立は対立のままにみとめて、たがいに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めたいのである。つまり対立しつつ調和する道を求めたいのである。

それが自然の理というもにである。共存の理というものである。そしてそれが繁栄の理なのである。

 

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写真:熊本県・菊池渓谷秋「緒方弘之写真集」
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写真は拡大して楽しんでください!

 

2007年9月23日にアップしたものです。
今日は、母の法要です。
手抜きをしてしましました!
 

 

「学生時代の話 」

私は、学生時代は、友人と二人で部屋を借りていました。

その、友人との思い出の話です。

友人はバイクが大好きで

暇を見つけては、一人でツーリングを楽しんでいました。

ある日

「tomo・・・丘の上に新しい公園が出来たらしい」
「今度、公園に遊びに行ってくる」と・・

「ヒェエ~・あんなところに公園が」
「嘘・・・・又なんで・・あんなところに」

「看板もチャンと立っとたばい!」
「しかし・・あそこなら・・見晴らしは最高かも」
「一緒ね行くか?」

「俺は遠慮しとく」

 

で・・・ある日、友人は一人で
バイクに乗って公園へ・・

 

「tomo・・・この前話した例の公園に行って来たばい」

「で・・・どうやった!」

「それがたい・・笑い話ばい」

「見晴らしは・・街中が見晴らせて最高!」
「ばってん・・・笑うなよ・・」

「な・・なん・・・」

 

公園と思いこんどったら

「墓地・・・墓・・墓・・・」
「******」
「なんじゃ~こりゃ~」ガッカリばい!

「メモリアル・パークと看板があったから
テッキリ公園と思いこんどったばい」・・

墓地のこつば・・メモリアル・パークって
tomoは知っとたぁ!

「知っとたよ・・新聞のチラシに入とるもん」


腹を抱えて笑いました!

 

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大事なこと

2008年02月09日 | 松下幸之助「道をひらく」

 福岡県:柳川市

社会生活は日々これ戦い、日々これ苦難。
そのときに心が動揺するかしないかは、
信念の有無で決まる。
=松下幸之助=

 

「大事なこと」

いかに強い力士でも、その勝ち方が正々堂々としていなかったら、ファンは失望するし、人気も去る。つまり、勝負であるからには勝たなければならないが、どんなにきたないやり方でも勝ちさえすればいいんだということでは、ほんとうに勝負とはいえないし、立派な力士ともいえない。勝負というものには、勝ち負けのほかに、勝ち方、負け方というその内容が大きな問題となるのである。

事業の経営においても、これと全く同じこと。その事業が、どんなに大きくとも、また小さくとも、それが事業であるかぎり何らかの成果をあげなければならず、そのためにみんなが懸命な努力をつづけるわけであるけれど、ただ成果をあげさえすればいいんだというわけで、他の迷惑をかえりみず、しゃにむに進むということであれば、その事業は社会的に何らの存在意識も持たないことになる。

だから、事業の場合もやっぱりその成果の内容━つまり、いかに正しい方法で成果をあげるかということが、大きな問題になるわけである。

むつかしいことかもしれないが、世に中の人びとが、みんなともども繁栄してゆくためには、このむつかしいことに、やはり成功しなければならないと思うのである。

 

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福岡県:柳川市
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 北原白秋生家      お堀めぐり            柳川うなぎ

 

 

「似たもの同士」

妻とは私の休みの日には必ず買い物に出かける。

まぁ~一週間分のおかずをの材料を買いに行くのである。

私は、妻の足代わりであり・・・荷物持ちである。

それは、仕方のないことで・・・
ある意味義務なのかもしれない考えている。

私が買い物カゴを持って、
妻が、買うものをカゴに入れるのであるが・・・

新鮮な魚を目にした私が

「オォー・これ買おうよ・・これで今夜、鍋にしようよ!」
と・・横に居る筈の妻を見ると・・・

そこには、見ず知らずの人・・・
妻はサッサ・サッサッと向こうの方で知らん顔
トホホ・・・・「済みません・・・」

この話を、友人にすると・・・」

 

それなら・・まだ・・救われるよ!

僕なんか、妻の買い物カゴと思って
欲しいものを、買い物カゴに入れたら・・・・
他の人の買い物カゴ・・・・だよ!

睨まれて・・・
「チョッと・・・おかしんじゃないの」って捨て台詞言われて・・・・

 

tomoも、友人の話を聞いて
(人の買い物カゴに入れるとは・・・馬鹿じゃない)
このドジ男が・・・と・チョッと思ったりして・・・

いつだって・・・tomoよりは上手・・・・
ウ~ン悔しいぃー


 

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花のように

2008年02月08日 | 松下幸之助「道をひらく」
                                           ソバの花

 帯に短し襷に長し
       =帯には短くて使えない、襷には長すぎてじゃまになる
        ことから、中途半端で使い物にならないことのたとえ=

      大好きだよ        日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

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                「花のように」

砂漠に見いだす清らかな泉は、旅行く人の喜びであり憩いであり、そして励ましである。荒涼たる山野に、毅然として咲き誇る一輪の花は、また旅人へのこよなき慰めとなり励ましとなる。

今の世の中が、荒野の如く荒れ果てているとは敢えて言わないが、それでもこのおかしな時代に、人びとの心は次第に落ち着きを失って、索然たる気配が感ぜられぬこともない。

おたがいに手をつなぎ、助け助けられながら生きねばならぬこの世の中である。人の心が砂漠の如く荒れ果ててはたまらない。せめてわれわれでけでも、清らかな泉のように、毅然たる一輪の花のように、強く正しく働いてゆこうではないか。

むつかしいことかもしれないが、自分の仕事に誇りを持ち、自分の働きに意義を感じるならば、わが身の処し方もおのずから見いだされてくるであろう。

どんな世に中になっても、あわてす、うろたえず、淡々として社会への奉仕を心がけてゆこう。その姿自体が、人びとにとってすでに大きな励ましとなり、憩いとなるのである。

花のように。泉のように。そこにわれわれの喜びもある。
                        松下幸之助「道をひらく

 

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             写真:阿蘇に秋に咲く花

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 ツクシフウロ     ツルニンジン    コウライモエソウ  キツリフネ

 

このブログの記事は昨年の9月9日にアップしたものです。
今日は、小休止・・・ エヘヘ・

 

            「ウソのような本当の話 その4」

友人と食事に行ったときの話し

「ねぇ~・・何を食べようか?」

「私は・・・何でもいいですよ・・・」
「tomoさんに・・・任せます」

友人・・いつも・・優柔不断・・・何でもいいよ!

「じゃあ~・軽く・・うどんか、蕎麦にしますか?」

「あぁ・・・いいですね」

って、ことで、うどん屋さんに行ったときの事。

店員さんが、メニューを持ってきて
何にしようか迷っている時。

丁度・・・隣のテーブルに・・・ザルソバが・・
70歳を過ぎた仲の良い老夫婦・・・

 

その時、ザルソバを注文した、おじさん!


えぇ

 

ザルソバの上からつゆをドバァーと一気に

ドヒャ~~

つゆはアッと云う間に、テーブルにこぼれ

 

こぼした、当のおじいちゃんも
ドヒャ~・・・大慌て!オットットット

あばあちゃん「あんたは、本当・・・なんばしよっとかいた!」
ウン・・モォーオ

それを、一部始終見てたtomoと友人
笑いをこらえるのに・・・・ 大変!

 

おばあちゃんが、テーブル拭きと
おつゆを貰ってあげて・・・めでたし・・・めでたし!


その後、おじいちゃんが・・・
わたしゃ・・・あんたの、そばがいい・・・
と云ったかそうなぁ
その後、二人は仲良く、長生きをして、楽しく暮らしたそうな!

オイオイ・・・日本昔ばなし・・・かいな!テヘヘ

 
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恵まれている

2008年02月07日 | 松下幸之助「道をひらく」

佐賀県:伊万里・トンバイ橋 

まず“できない”という考えを捨てることだ、
そして一から新しい方法を生み出してみることだ。
=松下幸之助=
 

                   「恵まれている」

人間というものはまことに勝手なもので、他人をうらやみ、そねむことがあっても、自分がどんなに恵まれた境遇にあるか、ということには案外、気のつかないことが多い。だからちょっとしたことにも、すぐに不平がですし不満を持つのだが、不平や不満の心から、よい知恵も才覚もわきそうなはずがない。

そんなことから、せっかく恵まれた自分の境遇も、これを自覚しないままに、いつのまにか自分の手でこわしていまいがちである。

恵みにたいして感謝をし、その感謝の心で生き生きと働いたならば、次々とよい知恵も生まれて、自他ともにどんなしあわせな暮らしができることか、思えば愚かなことである。

だが恵みを知ることは、そう容易なことではない。古来の聖賢が、恵みを知れ、と幾万言を費やしてきても、実感としてこれを受け取る人はどれだけあるのだろう。

頭で理解はしていても、心に直接ひびかないのである。そこに人間の弱さがある。

お互いに修業をしよう。自分は恵まれているということを、直接、自分の心にひびかすために、日常の立居振る舞いに、今一度の反省を加えてみよう。

 

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佐賀県
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吉野ヶ里遺跡      伊万里      伊万里陶器     唐津城

 

 

「ドアと喧嘩」

職場の退社時間は17時15分である。

丁度、玄関の前を同僚が急いで帰ろうとしている。

「あぁ~お疲れさん、今日は早いですね」

振り向き様に、

同僚・・・「あぁ・・・お先します」と片手を上げながら

「アァ~・・・あぶ・・」

 

その、瞬間

 

ドスッ

玄関のドアに身体ごと・・・体当たり

急いでいたから、自動ドアが開く前に
又、私が声をかけたものだから、後ろ向きだったから・・

グラグラっとよろけて・・・

 

「大丈夫?」

「うん・・・大丈夫・・・」

「本当・・怪我しなくてよかったよ」

「じゃぁ~気を付けて帰ってね」
「それから・・・・ほら・・前のチャック開いてるよ」

 「ワハハ・・・」って照れ笑い

 

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