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奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

年の瀬

2008年04月12日 | 松下幸之助「道をひらく」

 フラワーヒル菊池高原(熊本県)

 

「年の瀬」

年の始があれば年の終わりがあるのはあたりまえで、だからいまさらになってバタバタあわてる必要もないのだが、やっぱり年の暮れになってみると、あれもこれもとウロウロする。一年三百六十五日の最後のしめくくりをつけておきたいと思うのである。

人間、生まれたときがあれば死ぬときがあるのはあたりまえで、だから死が近づいたとていまさらあわてる必要もないのだが、さてとなると、やっぱりあれこれと気ぜわしくなる。年の瀬はむりやりにでも越せるが、生命の瀬はそんな具合にはゆかない。

年の瀬は、これを越してしまえば年の始めがある。しかし生命の瀬はそれでおしまい。まことに融通のきかない話である。

しかし融通がきかないからこそ、人はまた真剣にもなるのであって、融通無碍もいいが、融通のきかないこともまた一得がある。

人はさまざま。事もさまざま。いろいろと気苦労なことであるが、人生の最後には融通のきかない一線があることを知って、つねひごろから心がけをよくしたいもの。

こんなことはわかりきったことだが、わかりきったことだけに、何度も自分に言い聞かせておきたいものである。

 

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熊本県・菊池市
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フラワーヒル菊池高原
日本最大級のスケールを誇る木と花の楽園のテーマは、 "人と自然との共生"。自然のままの地形と木々を最大限に生かし、その中で花を咲かせていくという理念のもとに設計・造園されています。

 

 

「百ヶ日・NOⅡ」

母ちゃん、今日は百ヶ日だよ!
父ちゃんと母ちゃんが大好きだった赤飯だよ!
それに、ホラ
母ちゃんが大事に育てていた欄の花が綺麗に咲いたよ!

母ちゃん
覚えているね。

もう、今から13年前にもなるけど

息子が破れているジーパンを穿いていて
母ちゃんが、ミシンで綺麗に縫ってあげたね・・・

 

「洋ちゃん・・・ジーパンが破れていたから
婆ちゃんが綺麗に縫ってあげたからね」って自慢げに・・・

 

息子は目を丸くして、顔は紅潮させて
「婆ちゃん、なんちゅうことをしてくれたとね!」
「この、破れがいいとよ」って
「元通りにせんね」カンカンに怒って

母ちゃんは、キョトーンとして・・

せっかく、目の悪いのを孫のために頑張ってくれたのにねぇ!

その後の一言は面白かったよ!

 

「そんな、破れたズボンば穿いて・・・・」
「乞食じゃあるまいし・・・乞食でも穿かんばい」

 

妻が何度言っても聞かなかったのに
あの、一言以来
息子は・・破れたジーンズを穿かなくなったよね!

いつも・・・爺ちゃん・・・婆ちゃんって
息子は、爺ちゃん、婆ちゃんが大好きだったからね!

今日は、大好きな爺ちゃん、婆ちゃんに会いに来てくれたよ!

 

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くふうする生活

2008年04月10日 | 松下幸之助「道をひらく」

阿蘇の春 

 

「くふうする生活」

とにかく考えてみること、くふうしてみること、そしてやってみること。失敗すればやりなおせばいい。やりなおしてダメなら、もう一度くふうし、もう一度やりなおでばいい。

同じことを同じままにいくら繰り返しても、そこには何の進歩もない。先例におとなしく従うのもいいが、先例を破る新しい方法をくふうすることの力が大切である。

やってみれば、そこに新しいくふうの道もつく。失敗することを恐れるよりも、生活にくふうのないことを恐れた方がいい。

われわれの祖先が、一つ一つくふうを重ねてくれたおかげで、われわれの今日の生活が生まれた。何気なしに見のがしている暮らしの断片にも、尊いくふうの跡がある。

茶わん一つ、ペン一本も、これをつくづく眺めてみれば、何というすばらしいくふうであろう。まさに無から有を生み出すほどの創造である。

おたがいにもう一度考え直そう。きのうと同じことをきょうは繰り返すまい。どんな小さなことでもいい。どんなわずかなことでもいい。きのうと同じことをきょうは繰り返すまい。

多くの人びとの、このわずかなくふうの累積が、大きな繁栄を生み出すのである。

 

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阿蘇の草原に春咲く花たち
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キスミレ&リンドウ   イチリンソウ   オキナグサ     ミツバチグリ

 

「百ヶ日」

母ちゃん、明後日は母ちゃんが逝ってから百ヶ日だね。
どうですか、天国では父ちゃんと仲良くやってますか?

今、よく思うことがあるんだよ!

介護する私は、睡眠不足になることもあったし
精神的に、「きつい・しんどい」と思うこともあったけど・・・
でも、それ以上に母ちゃんの方がしんどかったんだよね。

自分の息子に、下の世話をさせる母親って辛いよね。
自分の息子に、仕事を休ませた母親の気持ちって・・・

何度となく、母ちゃんは僕に言ったね。

「ねぇ・・・私を、殺して」っと

母ちゃんの気持ちがよく分かるだけに、その度に涙したけど
僕は、息子だよ。
何を、遠慮することがあるの・・・
「そう、言わせた、自分が悔しくて・・悔しくて」

母ちゃん・・
母ちゃんがボケてたら、
母ちゃんは、精神的には少し楽だったかもしれないね!

明後日は、もう、百ヶ日だよ!

母ちゃんの、死に顔、本当に綺麗だったよ。
穏やかで、ニッコリと微笑んで、
今にも、起きてきては
「tomo、仕事は終わったの・・・」って言いそうで・・・

 

あなたの息子でよかった。

 

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もっとも平凡な

2008年04月08日 | 松下幸之助「道をひらく」

阿蘇・仙酔峡

 

「もっとも平凡な」

朝起きたら顔を洗う。家の前をはいて水を打つ。しごくあたりまえのこと。

ものをもらえばありがとう。お世話になったらすみません。とりちらかしたら、あとかたづけ。別にむつかしい理屈も何もない。犬や猫ならいざ知らず、人間としてなすべき、もっとも平凡な、もっともあたりまえのこと。

ところがこれに理屈がつく。手前勝手な理屈がつくと、いつのまにやらあとかたづけ不要。顔も洗わず水も打たず。平凡なことが何やらむつかしいことになって、何をなすべきか右往左往。そんなことが、きょうこのごろはあまりにも多すぎはしないか。

それもこれも、つまり自分なりの都合のよい道を求めてのことであろうけども、自他ともの真の繁栄への道は、本当はもっと平凡なところにある。

みんなが納得するしごくあたりまえのところにある。別にむつかしく考える必要はないのではないか。

もう一度考え直してみたい。水が低きに流れるように、夏がすぎたら秋がくるように、自然の理にかえって、もう一度素直な心で考え直してみたい。

 

 

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緒方弘之「素晴らしい自然」阿蘇・ミヤマキリシマ
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 阿蘇の春から初夏の彩りを添えるのがミヤマキリシマや春リンドウの高山植物です。とくにミヤマキリシマのピンクの絨毯は仙酔峡や火口周辺、烏帽子岳の裾野から山頂までの広がりは、一種類の花でスケールの大きい風景を見せてくれます。

 

 

 「歳のせいかなぁ~」

「あなた、風呂が沸いていますよ」
「早く入ってくださいね!」

「ハイハイ・・・」
風呂でも浴びるか・・・

 

ポロシャツの胸のボタンを外して
シャツを脱ぐ

 

アララ・・・・脱げない
エェ・・・ボタンを外してない
鼻のところで右往左往!

 

そのまま、力任せに脱いだから
ボタンがポロリ・・・

 

全く3歳の孫と同じ
情けないやら・・・トホホ

 

 落ちたボタンを拾って
そのまま洗濯機の中にポロシャツを投げ込む

ついでに、スイッチを入れて

風呂を上がって洗濯機の中を見る

 

ドヒャ~~
「な・・な・なんじゃこりゃ~」

 

洗濯物に紙くずがまとわりついて・・・

tomoの馬鹿・・馬鹿
胸のポケットにティシュを入れたままだよ!

 

ワァ~・・・三歳の孫以下だよ!

 

ガビ~~~ン

 

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教えなければ

2008年04月07日 | 松下幸之助「道をひらく」

 阿蘇・高森

 

「教えなければ」

人間はえらいものである。たいしたものである。動物ではとてもできないことを考えだして、思想も生みだせば物もつくりだす。まさに万物の王者である。

しかしそのえらい人間も、生まれおちたままに放っておいて、人間としての何の導きも与えなかったならば、やっぱり野獣に等しい暮らししかできないかもしれない。

古来、どんなすぐれた賢者でも、その幼いころには、やはり父母や先輩の教えを受け、導きを受けてきた。その上に立っての賢者であって、これらの教え導きがなかったなら、せっかくの賢者の素質も泥に埋もれたままであったろう。

教えずしては、何ものも生まれてこないのである。教えるということは、後輩にたいする先輩の、人間としての大事なつとめなのである。その大事なつとめを、おたがいに毅然とした態度で、人間としての深い愛情と熱意をもって果たしているかどうか。

教えることに、もっと熱意を持ちたい。そして、教えられることに、もっと謙虚でありたい。教えずしては、何ものも生まれてこないのである。

 

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「お休みです」

今日は、お休みさせて頂きます。

でも・・・せっかく訪問して頂いて申し訳ないから
「駄洒落」を一つ


桜が・・・・咲くら~

 

だいぶ、暖かくなりましたねぇ!
そうですね!
「初夏で・・しょうか?」

 

熊本の人が日常に
自分では駄洒落のつもりでもないのに使う駄洒落!
「阿蘇に行って来たよ、良かったよ」
「あぁ~そう!」ジャンジャン!

 

自分で恥ずかしくなるよ!
トホホ・・・

 

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心を高める

2008年04月06日 | 松下幸之助「道をひらく」

阿蘇の桜 

 

「心を高める」

禅の修行はなかなかきびしい。ちょっと身じろぎでもすれば、たちまちバンバンと警策がお見舞いする。痛いとも言えないし、苦しいとも言えない。きびしい戒律にとりかこまれて、箸の上げ下げすらも自由ではないのである。自堕落になれた人間には、瞬時もがまんがならないであろう。

しかしこのきびしい戒律も、回を重ね、時を経るに従って、それがしだいに苦痛でなくなってくる、戒律を戒律と思う間は苦痛である。

しかし、その戒律がいつしか身につき、日常坐臥に自然のふるまいとなってあらわれる時、もはやそれは苦痛ではない。そして、このきびしさを苦痛と感じなくなったとき、そこからきたえぬかれた人間の美しさがにじみ出てくるのである。

人間は本来偉大なものである。みごとなものである。しかしそのみごとさは、放っておいてはあらわれない。

易きにつくのが人間の情であるとしても、易きがままの日々をくりかえすだけなら、そこにはただ、人間としての弱さが露呈されるだけであろう。

おたがいに与えられた人間としての美しさをみがきあげるために、きびしさを苦痛と感じないまでに心を高めたいものである。

 

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 阿蘇:緒方弘之「素晴らしい自然」阿蘇の桜
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「孫」

ガソリン・・結局馴染みのお店の高いガソリンを入れる
「よし・・・・ガソリンは満タン」
「さぁ~孫に会いに、福岡にでも行くか」

生まれたばかりの双子の孫
初めてこの腕に抱く

腕の中でスヤスヤと安心しきって寝てる孫の・・・
手の可愛いこと・・・

しっかり握りしめてる孫の手に、薬指を入れる。
私の薬指をしっかり握りしめて!感激

双子の孫を抱いていると
3才3ヶ月の上の孫
「ジィジィ・・・遊ぼう」

「オォ~・Yちゃん、ジィジィと遊んでくれるの?」
「ウン・・遊んであげるよ」だって!トホホ・・・可愛いね。

孫と追いかけっこしたり。隠れん坊したり・・・
本当に楽しい。
ケラケラ笑う孫・・・

「Yちゃんは。ジィジィ好き?」
「好き・・」だって

「ジィジィを好きなら・・チューして」
tomoの頬っぺたにチューをしてくれる孫

それが、嬉しくて、可愛くて
何度も、何度も、せがむtomoに 
チューして 
孫の一言

 

 

 「じぃじぃ・・・・・ 黙れ! 」トホホ
これには・・苦笑いだったよ!

最近、お喋りもしっかりしてきたけど
こんな、言葉どこで覚えたのやら・・・・・・

頭をコツン・・・と叩いてあげたよ!エヘヘ

叩かれた頭を手で押さえ、首をチョコンつすくめ
仕草が本当に可愛いね!

 

 

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真剣に叱られる

2008年04月04日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本県:天草

 

「真剣に叱られる」

おたがい人間、叱られるということは、あまり気持ちのよいものではない。自分に非があったと認めていても、叱られるということはやはりいやである。だから、叱られるよりも叱られないほうを好みがちで、これは一つの人情でもある。

また叱るほうにしても、あまり気持ちのよいものではない。嬉しい思いはしない。だからできれば叱らないに越したことはないわけで、これもまた一つの人情といえよう。

しかし、人情と人情とがからみ合って、マアマアのウヤムヤにすぎ、叱りもしなければ叱られもしないということになったらどうなるか。神さまならいざ知らず、おたがいに人間である。知らず知らずのうちに、ものの見方考えからが甘くなり、そこに弱さと、もろさが生まれてくることになる。

もちろん、私情にかられてのそれはいけないけれども、ものの道理について真剣に叱る。また真剣に叱られるということは、人情を越えた人間としての一つの大事なつとめではあるまいか。

叱られてこそ人間の真の値打ちがでてくるのである。叱り、叱られることにも、あたがいが真剣でありたい。

 

 

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 熊本県・天草              
 
images images images images   三角西港       崎津天主堂      殉教公園       祇園橋
写真は拡大して楽しんでください!


 

「思案六法」

今、将にガソリンの価格競争である。
暫定税率据え置きのスタンドと値引きしてるスタンド
又、値引きしてるスタンドでも価格が違うし・・

tomoが熊本に赴任して利用してるスタンドは
据え置きなのであります。

1L=146円なのであります。

その、スタンドの隣は126円・・・
もう少し行くと122円なのであります!

10年間付き合ってきたお店だし
146円・・仕方ないかぁ~
と、思う一面20円も違ってくると・・
浮気心も出てくるのも事実です。

 

マイカーは早くガソリンを入れてよと言ってるし

 

さあぁ~!どうする・・・どうする
困ったなぁ~

浮気するのはイヤだし・・
ここは、今だけ、価格の安い方を入れて置いて
その内に、馴染みの店も安くなるだろうから
又、安くなったら馴染みの店に行けばいいかぁ!

 

ウ~~ン・・・それもイヤだなぁ~

 

福田さ~~ん
「あなたなら・・・どうする?」

 

「エェ~・安い方に行きなさいって」

 

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眼前の小利

2008年04月03日 | 松下幸之助「道をひらく」

 阿蘇・桜

 

「眼前の小利」

一匹狂えば千匹狂うというが、これは何も、馬だけに限ったことではない。人間でも、一人がちょっとした心得ちがいをしたならば、それに引きずられてまた多くの人が道を誤る。

ことに、それば利益にかかわった問題になると、とかく人の判断は狂いやすい。そして眼前の小利にとらわれる。

眼前の小利にとらわれるな、とは昔からのことわざであるが、小利にとらわれては、結局は損をする。その損も、単に自分だけで終わるならまだ罪は軽いが、今日の世の中のように、人と人と、仕事と仕事とがたがいに密接につながっているときには、一人の損がみんなの損となり、その心得ちがいは大変な結果を生む。

こんなことは、いまさら事新しくいう必要もないのだが、この世の中、やっぱり一部のちょっとした心得ちがいからいろいろの問題が引き起こされていることを思えば、眼前の小利にとらわれるなと、何度も何度もくりかえしていいたくもなってくる。

別にむつかしいことをいうつもりはない。またいっても詮ないことだと考えてもいない。こんなことは結局、人の良識に訴えるのが根本で、だから何度も何度もあきずにいいたいのである。

 

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写真:緒方弘之「素晴らしい自然」菊池渓谷春
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「賞味期限」

妻から電話がかかる。
「帰りにタマゴを買って来てね」ホイ・・・お安い御用で・・・

で・・ニコニコ堂に・・・

タマゴ・・タマゴ・・っと
先ずは賞味期限をを見るしっかりしてるね!

 

エェ~~タマゴって結構賞味期限が長いんだ!
これには、感心したね!

 

帰宅して、妻に「ハイ・・タマゴ」
「それにしても、タマゴって一ヶ月も大丈夫なんだねぇ」

妻・・キョト~~ン

「ほら・・・ここ、賞味期限・・4月6日までだよ!」

 

すると・・妻が
「あなた・・陳列の一番前のを買ったでしょう?」
「あなた、今、何月だと思ってるの?」だって!

 

「タマゴでエッグゥー・グゥ~・グゥ~」
「アァ~」と妻の溜息!トホホ

アチャ~・・・tomo・・てっきりまだ3月だと思ってたよ!

「そうだ!4月なんだ・・・卯月だ・・これには胸がうづき・・ました」

月の初めって、とんだ勘違いをしますよね!
会社の書類も日付を間違いやすいから・・注意してたのに!

仕事を離れると、脳までノウ~ビてしまってます!

 

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自分の仕事

2008年04月02日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本城

 

「自分の仕事」

どんな仕事でも、それが世の中に必要なればこそ成り立つので、世の中の人びとが求めているのでなければ、その仕事は成り立つものではない。

人びとが街で手軽に靴を磨きたいと思えばこそ、靴磨きの商売も成り立つので、さもなければ靴磨きの仕事も生まれもしないであろう。

だから、自分の仕事は、自分がやっている自分の仕事だと思うのはとんでもないことで、ほんとうは世の中にやらせてもらっている世に中の仕事なのである。ここに仕事の意義がある。

自分の仕事をああもしたい、こうもしたいと思うのは、その人に熱意があればこそで、まことに結構なことだが、自分の仕事は世に中の仕事であるということを忘れたら、それはとらわれた野心となり小さな自己満足となる。

仕事が伸びるか伸びないかは、世に中がきめてくれる。世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしてゆけばよい。

大切なことは、世に中にやらせてもらっているこの仕事を、誠実に謙虚に、そして熱心にやることである。世の中の求めに、精いっぱいこたえることである。おたがいに、自分の仕事の意義を忘れたくないものである。

 

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写真:熊本城・桜
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お城に、桜はよく映えるね!熊本城は今、満開である。


 

「あぁ・・もう・・・嫌」

misaさんのブログを読んで
ご主人がmisaさんのためにケーキを買ってきたとか・・・
優しい、思いやりのあるご主人だと感心したtomoです。

で・・tomoも街に出たついでに・・
妻に・・・妻が大好きなシュークリームを

 

今は夫婦二人
2個買うのはチョッと少なすぎるし、恥ずかしい

二人だから2個づつで・・4個かな・・
でも・・4個って、どうも個人的に不吉な数字で嫌いである。

ならば・・5個買うか・・・

5個買ったものの、妻に3個は食べてもいいよ!
と言っても・・・妻は遠慮するだろうなぁ~・・・

で・・tomoが3個食べると・・それもチョッとねぇ!

じゃぁ~・・・車の中で1個を食べて4個家に持って上がろう! っと!

 

で・・・車の中で1個食べる事に!

 

ワァ~・・美味しい
クリームがたっぷり

 

ところが・・・半分食べたところで
クリームがこぼれて・・・・背広の胸のところに!


ドヒャ~~

ハンカチ・・・ハンカチ・・・

アリャ~~・・・今度は膝の上に

今日、おろしたばかりの背広だよ!
アチャ~~・・・手はベトベトだよ!
なんで・・・コ~ナルノ

 

もう・・・・・イヤ!

 

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縁あって

2008年03月27日 | 松下幸之助「道をひらく」

 梅と鶯

 

「縁あって」

おたがいに、縁あってこの世に生まれてきた。そして、縁あっていろいろの人とつながりを持っている。

縁あって━ なんだか古めかしいことばのようだけれど、そこにはまた一つの深い味わいがひそんでいるように思う。

人と人のつながりというものは、とにかく人間の個人的な意思でできたと思いやすいもので、だからまたこのつながりは、自分ひとりの考えで、いつでも断てるかのように無造作に考えやすい。

だがほんとうはそうでない。人と人のつながりには、実は人間のいわゆる個人的な意思や希望を越えた、一つの深い縁の力が働いているのである。男女の縁もまた同じ。

そうとすれば、おたがいにこの世における人と人とのつながりを、もうすこし大事にしてみたい。もうすこしありがたく考えたい。

不平や不満で心を暗くする前に、縁のあったことを謙虚に喜びあい、その喜びの心で、誠意と熱意をもって、おたがいのつながりをさらに強めてゆきたい。

そこから、暗黒をも光明に変えるぐらいの、力強い働きが生まれてくるであろう。

 

 
   
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写真:我が家の春
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欄           金盞花        黄ラッパ水仙      マラーシアシャクヤク   

我が家の庭にも春の花が綺麗に咲きました。

 

 

「花粉症」

桜の花も咲き春が来た。
公園を歩いていると、病院で知り合った
ご年配の方に、バッタリお会いして!

「ああ、、お久し振りです」
「その後、体調は方はいかがですか?」

梅の花が咲いて、桜の花が色ずくこの季節は
私にとっては・・「鼻のシーズン」なんです!

「花が綺麗ですからね」
「違うんですよ!」
「はなは花でも鼻なんです」

「花粉症でね・・」
「マスクが離せないんですよ」
「この前はマスクを付けずに出かけたら」
早速・・・ハァクショーン・・ハクショーン・・ハクショーン
鼻がむずむずして、くしゃみ3回!

くしゃみだけなら、いいけど
この歳になると、くしゃみすると
腰を痛めたり・・

前がゆるくなってるから
くしゃみする度に「チョッと漏れるとよ」

「tomoさん、あんた、笑い事じゃなかばいた!」
「あんたも、あと何年かしたら、漏らすばいたぁ~」


ドヒャ~
tomoは・・漏らさんばい!

 

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本領を生かす

2008年03月20日 | 松下幸之助「道をひらく」

 阿蘇に春咲く花・アズマイチゲ

 

「本領を生かす」

完全無欠をのぞむのは、人間の一つの理想でもあり、また願いでもある。だからおたがいにそれを求め合うのもやむを得ないけれども、求めてなお求め得ぬままに、知らず知らずのうちに、他をも苦しめ、みずからも悩むことがしばしばある。だがしかし、人間に完全無欠ということが本来あるのであろうか。

松の木に桜の花を求めるのはムリ、牛に馬のいななきを求めるのもムリ、松は松、桜は桜、牛は牛であり馬は馬である。

つまりこの大自然はすべて、個々には完全無欠でなくとも、それぞれの適性のなかでその本領を生かし、たがいに与え与えられつつ、大きな調和のなかに美とゆたかさを生み出しているのである。

人もまた同じ。おたがいにそれぞれに完全無欠でなくとも、それぞれの適性のなかで、精一杯その本領を生かすことを心がければ、大きな調和のもとに自他ともの幸福が生み出されてくる。

この素直な理解があれば、おのずから謙虚な気持ちも生まれてくるし、人をゆるす心も生まれてくる。そして、たがいに足らざるを補い合うという協力の姿も生まれてくるのであろう。

男は男、女は女、牛はモーで馬はヒヒン。繁栄の原理はきわめて素直である。

 

 

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 阿蘇に咲く春の花
images    images    images    images    images 
 アマナ     スズラン   フデリンドウ  マイズルソウ   ワダソウ 

 

    

「墓掃除」


春のお彼岸である。

兄姉が墓参りに来るから綺麗にしておかないと!

まぁ・・兄姉が来るからというのも可笑しな話ですね!

我が家の、墓はチョッとした階段を上らないと・・

 

今日は墓を洗ってあげようと
バケツに水を汲んで、
その、バケツの中に花を入れて

 

スタスタを階段を上って・・

「父ちゃん・・・母ちゃん・・墓を綺麗にしてあげるからね」

 

と、気が焦ったのか!

 スッテン
バケツの水はこぼれるは、服は濡れるは
膝はすりむくは・・・・

 

階段がもう一段あったとは!

 

「なんか・・バチの当たることしたぁ~?」
トオホホ

 

 

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正常心

2008年03月15日 | 松下幸之助「道をひらく」

阿蘇の春 

 

「正常心」

火事になればだれもがあわてる。たいへんな非常事態で、だからなりふりかまわず、他人の足をふんででも、まず火を消さねばならぬ。物を持ち出さねばならぬ。人の助けもかりねばならぬ。非常の場合には、非常の措置もやむ得ないのである。

戦後数年のわが国は、この火事以上の非常事態であった。だから非常のなかの非常の振る舞い方や考え方が、次々とあらわれてきた。やむを得なかったともいえよう。

しかし、これはあくまでも非常のなかでのことである。火事がおさまれば、やはり他人の足をふむことはゆるされなぬ。

人の助けをかりることを、当然と考えるわけにもゆかない。正常にかえれば、正常の心がやはり求められるのである。

わが国の人心は、現在、はたして正常にかえったかどうか。生活は正常にかえったのに“非常”に甘えた振舞いや考え方が、なお根強く残ってはしないか。

正常心にかえるためには大きな勇気がいる。勇気をもって反省してみたい。ふりかえってみたい。そこに人としての道のはじまりがあるといえよう。

 

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写真:緒方弘之「素晴らしい自然」阿蘇の春
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阿蘇は九州で最も遅く春が訪れます。コブシの花が咲き終わる頃、南郷谷の植物達は一斉に芽を出し花をつけます。青い空に菜の花が揺れる陽炎のような光景に、しばし時間を忘れます。 れんげや菜の花が咲くと遠い昔の里山の風景が思い出され、花を摘んだり、弁当を広げた日が懐かしくなります。そんな雰囲気が南郷谷には残されています。

 

 

「言葉遊び」


我が家の前の空き地は子供らの遊び場である。
今日も、元気な子供らの声が聞こえる。

小学校の低学年であろう!

言葉遊びをしている。
チョッと耳を傾ける。

三個でも・・・イチゴ
起きてても・・・ネコ
居ても・・イヌ

あぁ・・tomoも子供の頃そんなことを言っていたなぁ!

夜でも・・・ア・ヒル
魚屋さんのおっさんが屁をこいた・・・・ブリッ!

 

相撲とりのおっさんが驚いた・・・ドヒョー オォ・・・こりゃ上手い!

タマゴ屋のおっさんが居眠りをした・・・・ウヅラ・・ウヅラってか!

子供たちの楽しそうな笑い声を聞きながら
ノンビリと、そして何となくホッとしてるtomoです。

 

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窮屈はいけない

2008年03月14日 | 松下幸之助「道をひらく」

阿蘇・白糸の滝 

 

           「窮屈はいけない」
                              松下幸之助「道をひらく」

窮屈な場所に窮屈にすわっていると、血のめぐりも悪くなって脚もしびれる。身体か固くなって自由な動きがとれないのである。無作法は困るけれど、窮屈はなおいけない。やっぱり伸び伸びとした自由自在な姿が欲しいものである。

どんな場合でも、窮屈はいけない。身体を窮屈にするのもいけないが、心が窮屈になるのはなおいけない。心の動きが鈍くなって、よい知恵がでてこないのである。

ものには見方がいろいろあって、一つの見方がいつも必ずしもいちばん正しいとはかぎらない。時と場合に応じて自在に変えねばならぬ。心が窮屈ではこの自由を失う。

だからいつもでも一つに執して、われとわが身をしばってしまう。身動きならない。そんなところに発展が生まれようはずなない。

万物は日に新たである。刻々と変わってゆく。きょうは、もはやきのうの姿ではない。だからわれわれも、きょうの新しいものの見方を生み出してゆかねばならない。

おたがいに窮屈を避け、伸び伸びとした心で、ものを見、考えてゆきたいもである。

 

 

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写真・緒方弘之「素晴らしい自然」から阿蘇、白糸の滝
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 阿蘇西原村には隠れた撮影地があります。外輪山からの流れがこの地に落差20mの滝を形成し西原村の台地を潤しています。黒い溶岩柱の岩壁が滝を囲み、滝の流れと面白いコントラストをつくっています。

 

 

「愛妻弁当


tomoは幸せ者です
結婚当時から、いつも愛妻弁当です。

それは・・今も変わらずにね!

朝は5時ごろに、妻が起きて作ってくれるです。
有難いね・・・感謝・・感謝・・だよ!
「いつも・・・有難うね」って・・・

新婚当時・・もう30年前の話なんだけど・・

tomoは経理課だから、社外に仕事で出る機会はすくないんだけど、
その日は、営業の人に随行して、外に・・・・

外回りは良いよね!
tomoは人と会うの大好き人間だから・・・

で・・・丁度、昼になって、昼食にしましょうか・・・って事になって!
私は、弁当を持ってきているから・・・車内で食べます。

「じゃぁ・・・・うどん屋に行きましょうか」
「うどんをとって、弁当を食べればいいでしょう」

そうですね・・・うどんなら丁度いいや・・・

で・・うどんを注文して・・・・

サァー・・・食べよう・・・って!弁当を開けて


二段重ねの弁当・・・野菜サラダが・・・・・

下の段・・・・スパゲティー・・・・ナポリタンがぎっしり!

tomo,・・・うどんの麺を食べて・・・おかず代わりにパスタの麺
スパゲティーを食べて、おかず代わりにうどんの麺・・ドヒャ~

自分で食べてて・・・可笑しくて・・・可笑しくて
でも・・・完食

tomo,弁当は開けるまで、何が入ってるのか分からないのです!

で・・・こんなことも有ったなぁ~

 

「あなた・・・今日は、貴方の大好きなエビフライですからね」って

楽しみにして・・・開けた・・・弁当

 

エビフライ

こんがりとした狐色・・・と思いきや
パン粉がそのままの・・真っ白

アチャ~・・・・揚げてないよ!

 

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懸命な思い

2008年03月13日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本城:本丸御殿大広間

 

「懸命な思い」

人生は坦々たる大道を行くが如し、という人もあれば、峯あり谷ありの起伏の連続、という人もある。いずれが真実か見る人によってそれはさまざまであろう。

しかしおたがいに、まずは坦々たる大道とはいいかねるこの日々ではなかろうか。峠を越えればまた峠がある。仰ぎ見つつ息つく間もなく、また登り始める。つまりこれが人生なりとの諦念も、そこにおのずからわいてくるような日々である。

しかし、もしころを神のような立場から見たならばどうなるか。おたがいに起伏の連続と見ているこの人生も、実はそれは起伏でも何でもないのであって、坦々たる大道ではないかということになるかもしれない。

つまり、坦々たる大道として与えられているこの人生を、わが心至らず、わが心眼ひらかざるために、峯あり谷ありと観じているのかもしれないのである。

いつの日か、この真実が見きわめられるであろう。けれども、今はただおたがいに、懸命にわが道を歩むほかないであろう。

懸命な思いこそ、起伏があろうと、坦々としていようと、ともかくもわが道を照らす大事な灯りなのである。

 

 

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 写真:熊本城・ライトアップ
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熊本城、本丸御殿が今年4月20日公開!
昭君之間は床の間や違い棚、付書院(つけしょいん)などを持つ書院造りで※鉤上段(かぎじょうだん)、帳台構(ちょうだいがまえ)なども備わっており、部屋全体にきらびやかな装飾が施され、本丸御殿大広間の中でも一番格式の高い部屋で、対面所(接客の場)として使用されたと考えられています。

 

「最近聞いた・・・あぁ・・チョッと・チョッと??偏」

 

モット前向きに、ネガティブに行かなきゃ・・
オット・・・前向きに消極的にってか・・
それを、言うなら・・・ポジティブにだよ~~ん!

 

結婚おめでとう!
「グラデーション!」
オットト・・・色が変化してどうするんだよ!
それを言うなら「コングラッチュレーション!」だよ~~ん

 

本当に君はトラベルメーカーだな!ウン・・モォー
ってか?・・旅行じゃないんだから・・
トラブルメーカーの間違いじゃないのかい!

 

 

やっぱりビールはアドバイザーに限るね・・・ってか!
tomoも一度飲んでみたい
アドバイザー・・・・
誰に・・アドバイスするのやら・・・・
チョッと・チョッと・アドバイザーなら
tomoは発泡酒で我慢するよ!ヤッパリ

 

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体験の上に

2008年03月12日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本県:菊池渓谷 

 

「体験の上に」

ここに非常な水泳の名人がいるとする。そしてこの名人から、いかにすれば水泳が上達するかという講義をきくとする。かりに三年間、休まず怠らず、微に入り細にわたって懇切ていねいに講義を受け、水泳の理を教えられ、泳ぎの心がけをきかされる。それでめでたく卒業のゆすしを得たとする。だがはたして、それだけで実際に直ちに泳ぎができるだろうか。

いかに成績優秀な生徒でも、それだけではすぐさま水に放りこまれたらどうなるか。たちまちプクプク疑いなし。講義をきくだけでは泳げないのである。

やはり実際に身体を水につけねばならない。そして涙のこぼれるような不覚の水も飲まなけれがならない。ときには、死ぬほどの思いもしなければならないであろう。

そうしてこそ水に浮けるし、泳ぎも身につく。体験の尊さはここにあるわけである。

教えの手引きは、この体験の上に生かされて、はじめてその光を放つ。単に教えをきくだけで、何事もなしうるような錯覚をつつしみたいと思う。

 

 

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 写真:緒方弘之「素晴らしい自然」菊池渓谷(熊本県菊池市)
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 菊池川の源をなす菊池渓谷は、うっそうとした天然生広葉樹で覆われ、その間をぬって流れる淡水は、大小さまざまな瀬と渕と滝をつくり、その変化に富む渓流と,美しい森林とがおりなす姿は絶景です。
また、天然クーラーと称され、夏の平均水温は13度と低く、身を切るような清流は避暑地として最適であり、渓谷ぞいは、川のせせらぎと小鳥のさえずりで、楽しい夢をさそい、秋は渓流に映える紅葉がすばらしく、春は新緑、冬は全山に霧氷の花が咲くなど四季を通うじて訪れる人々の心をなごませてくれるところです。

 

 

「意味分からない!」


「tomoさんは、血液型は何型?」

「うん・・私はA型ですけど・・・・それが何か?」

 

「やっぱりね」
「多分、A型だと思った通り」

「えぇ・・tomoさん、A型なの?」
「テッキリ・B型だと思ってたよ」

 

「いや・・・やっぱり、tomoさんは模範的なA型ですよ」

何、二人して
もしかしたら・・・君たち、tomoの血液型でカケてるね!

 

「tomoさん・・本当にA型ですか?」
って・・何を賭けたの

「昼飯・・・」

 

じゃぁ・・tomoが昼飯おごるよ!
「ほら・・・社員食堂のA定食の食券2枚」


「えぇ~・・・・社員食堂ですか」って

 

 

「でも・・tomoは、過去に1、000CC程輸血してるからね!」
「自分の血液は、半分もないよ」
「もしかしたら・・・今、調べたらC型かもよ?」エヘヘ

 

そう、そう、友人は、
tomoのことを・・「あんたは能天気なO型」だよ・・・って!

そなまま・・・そっくりその言葉
ノシを付けて返すよ!エヘヘ

 

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転んでも

2008年03月10日 | 松下幸之助「道をひらく」

大分・九重・ 泉水湧水

 

                「転んでも」
            
                       松下幸之助「道をひらく」

「七転び八起き」ということわざがある。何度失敗しても、これに屈せずふるい立つ姿をいったものである。

人生は長い。世の中はひろい。だから失敗もする。悲観もする。そんなとき、このことわざはありがたい。

だが、七度転んでも八度目に起きればよい、など呑気に考えるならば、これはいささか愚である。

一度転んで気がつかなければ、七度転んでも同じこと。一度で気のつく人間になりたい。

そのためには「転んでもただ起きぬ」心がまえが大切。このことわざは、意地汚いことの代名詞のように使われているが、先哲緒聖の中で、転んでそこに悟りをひらいた人は数多くある。

転んでもただ起きなかったのである。意地きたないのではない。真剣だったのである。

失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたほうがいい、たとえ失敗しても、ただは起きぬだけの充分な心がまえができてくる。

おたがいに「転んでもただ起きぬ」よう真剣になりたいものである。

 

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写真:大分県くじゅう連山
 
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写真は拡大して楽しんでください!

 

「孫・・・」

最近は、双子の子供の出生率が増えてるとのこと!
我が家にも、3月に可愛い・・可愛い・・双子の孫・誕生!
しかも・・・男の子と、女の子である。

母体のこともあり、帝王切開で早産で生まれた。
生ませた!・・・と云った方が正解かもしれないね!

 

で・・先日、その孫とご対面!

早産という事もあって、今はまだ、新生児室、無菌室の中で、
廊下からカラス越しにしか会えないのです。

この腕に・・・思い切り抱きたいのに!

本当に小さな手、足を動かして・・・
「あぁ~生きてる・・・ほら・・今・・手が動いた」 可愛いねぇ!
涙がこぼれるんであります。

この日は、日曜日ということもあって!

何組か・・お爺ちゃん、お婆ちゃんが、我が孫を見に・・・
皆さん・・・素晴らしい笑顔で・・・

窓越しに・・・「○○ちゃん、おばあちゃんでちゅ~よ!なんて・・
「あら・・・私を見て、今、笑ったよ。ほら・・ほら」

そんな中・・・
tomoに、お宅も、お孫さんですか・・
「あぁ・・あの子ですか・・・可愛いですね」
「でも・・・家の孫の方が可愛い・・・」って・・・
「アラ・・・スミマセン」「・・・・・・・」だって!

 

「いえ・・いいんですよ。誰も自分とこの孫が一番ですからね」
顔で笑って・・・
心で{家の孫より可愛い・・・どこがじゃ~}なんてね!
家の孫・・・18年後にはミス日本ですから・・・オホホホ・・・

で・お宅さんのお孫さんは・・・・あの赤ちゃんですか?
「お宅の、お孫さん可愛いですね」テヘヘヘ

人の痛みが分かる、優しい子に育てと・・・ただ、祈るtomoでした。

 

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