goo blog サービス終了のお知らせ 

奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

心の鏡

2008年02月06日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本:池の川水源 

 今が最善だと思っても、
それは今日の最善であり明日の最善ではない。
物事は日々進歩している。
=松下幸之助=

 

 

      「心の鏡」          
                   

自分の身なりを正すためには、人はまず鏡の前に立つ。鏡は正直である。ありのままの姿を、ありのままにそこに写し出す。

自分のネクタイは曲がっていないと、がんこに言い張る人でも、鏡の前に立てば、その曲直は一目りょうぜんである。だから人は、その誤ちをみとめ、これを直す。

身なりは鏡で正せるとしても、心のゆがみまでも映し出しはしない。だから、人はとかく、自分のふるまいの誤りが自覚しにくい。心の鏡がないのだから、ムリもないといえばそれまでだが、けれど求める心、謙虚な心さえあれば、心の鏡は随処にある。

自分の周囲にある物、いる人、これはすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である。すべての物がわが心を映し、すべての人が、わが心につながっているのである。

古の聖賢は「まず自分の目から梁(はり)を取りのけろ」と教えた。もうすこし、周囲をよく見たい。もうすこし、周囲の人の声に耳を傾けたい。

この謙虚な心、素直な心があれば、人も物もみなわが心の鏡として、自分の考え、自分のふるまいの正邪が、そこからありのままに映し出されてくるだろう。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

熊本の水源
 images images images images
舟の口水源     塩井水源     池山水源     白川水源
くまもとには、環境省の「名水百選」に選ばれた名水が一つの県としては最も多い4ヶ所(菊池水源・轟水源・池山水源・白川水源)もある。またおいしい水全国第3位にも選ばれた。(昭和58年・旧厚生省「おいしい水研究会」選出。)「日本一の地下水都市」の名にふさわしく、くまもとの水道水はすべて豊かな地下水でまかなわれている。つまり、くまもとの水道水は天然のミネラルウォーター。

 

 

「縛られた!」

確か、tomoが高校三年生の時
思春期・・・

今でも、何で・・・あんなに怒られたのか

普通、あんな怒り方するか・・・
不思議でならない!

 

学校から帰ってきたら母もいない

コタツの上に財布が
(ホォー・・千円抜いておけ・・分からん・・分からん)

それで・・遊びに行って

 

帰って来たら、
母の形相が変わっているではないか?

バレタカナ~

と・思う間もないくらいに・・・

「tomoあんたは、お金盗んだね」
「盗人に育てた覚えはない・・」
「あんた、みたいな盗人は人のためにならん・・」
とか・・・言って

台所から・・包丁を・・・

ドヒャー

 

これには!さすがのtomoもビックリ

タタタ・・・・と逃げて・・
玄関に
靴も履かずに裸足で・・・ただ・・逃げる

後ろを振り向くと・・・
包丁を持った母が追いかけて来てる

村中を逃げ回る

それでも・・母が息を切らしながら・・ハァ・・ハァ
追いかけて来てる・・・

やっと・・・諦めたのか・・


確かに悪い事したけど・・・ここまでするか?
足元を見ると、裸足で逃げたものだから
血が出てる

兎に角、悪いのはtomoだから、誤るしかない
そう・・考えて家に帰ることに・・・

「母ちゃん、悪かった、僕が千円盗んだ」

「チョッと庭に来んね!」と母

 

庭の大きな枇杷の木にtomoは縛られて・・
反省しなさい・・・

小学生じゃないのに・・
縛るかい「*****」

小さな村だから・・・
皆に知れ渡って・・・

 

「tomo・・・何をしたとか?」
近所の人・・・みな・・縛られてるtomoに・・・

「いや・・チョッと・・・」トホホホ

始めて親から真剣に叱られた17歳の冬

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

 


ファンがある

2008年02月05日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本: 霊巌洞

深い縁の力があっての人と人とのつながりである。
このつながり、縁の存在を、もっと大事に、
もっとありがたく考えたい。
=松下幸之助=


 

「ファンがある」

ファンというものはありがたい。相撲でも、それがひいきの力士であったなら、勝てば勝ったで無性に喜ぶし、負ければ負けたで心から同情する。

欲もなし得もなし。相手のどこかに、自分の好むよさを見つけて、そのよさにただ懸命に応援するのである。

だから、スポーツ人でも芸能人でも、自分のファンはとても大事にするし、そのファンの期待にこたえるべく、自分のよさをより一層伸ばすために、日夜精進を重ねる。そこに、スポーツ人、芸能人の向上の大きな励みがあるのだし、ひいてはスポーツ界、芸能界の発展の一つの大きな要素がある。

考えてみれば、私たちにもまたファンがある。芸能界だけではない。個人にも、お店にも、また会社にも、それぞれにそれぞれのファンというものがあるのである。そして陰に陽に力強い声援がおくられているのである。

おたがいに、この事業を改めて認識し直したい。そして、このありがたい自分のファンを、もっと大事にし、その好まれている自分のよさを、精いっぱい伸ばすようにつとめたい。そこに個人の、お店の、そして会社の繁栄の鍵がある。

 

 
日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

熊本:霊巌洞
images images images images
熊本市の西方、金峰山(きんぽうざん)山麓にある洞窟。うっそうと茂る樹木におおわれ、神秘的な霊場として知られる雲巌禅寺(うんがんぜんじ)の裏山にあり、洞窟内には岩戸観音(いわとかんのん)の名で知られる観音像が安置されています。晩年の5年間を熊本で過ごした宮本武蔵(みやもとむさし)が、この洞窟にこもって兵法書「五輪書(ごりんしょ)」を著したことは、あまりにも有名。霊巌洞の歴史は寺より古く、いい伝えによれば異国から観音像を運んでいるときに舟は転覆しましたが、観音像だけは板にのって流れ着き、霊巌洞に安置されたといいます。この洞窟には武蔵だけでなく、平安期の歌人・桧垣(ひがき)も訪れています。雲巌禅寺から霊厳洞に至る岩山を削った細道には、五百羅漢が安置されており、さまざまな表情を見せてくれます。

 

 

「私だけじゃなかった!

食卓に今日も、愛情のこもった料理が並ぶ。

煮付け・・・刺身・・・

子供の頃から、よく箸(ハシ)の持ち方が綺麗と言われたが・・・・

 

サトイモを箸でとろうとして

ツルッ・・・とすべると・・

 

「オォー・これまだ生きてる」

つい・・・言ってしまう!

 

先だって、友人と食事をした時

イカの刺身をとろうとした友人

ツルッとすべって、落として

「まだ生きてる・・・」と・・ポツリ一言

「プッ・・・」と思わず噴出した。
よかった 私だけじゃなかったんだ!

 

 

2008年度のサラリーマン川柳から
チョッと気に入ったものを・・・

ゴミだし日  すてにいかぬば  すてられる

母の味  三ツ星よりも  口に合い

忘れても  忘れた事に  気付かない

メタボまで  2センチあるわと  食べる妻  

新鮮と  買って十日も  冷蔵庫

花粉症  ボクはハナカミ  王子です

温暖化  おなかの肉は  段々化

鈍感力  持ってることさえ  気が付かず

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 


見方を変える

2008年02月04日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本:菊池渓谷・冬

塩の辛さはなめてみないとわからない。
“百聞百見は一験にしかず”である。
=松下幸之助=

 

「見方を変える」

富士山は西からも東からでも登れる。西の道が悪ければ東から登ればよい。東がけわしければ西から登ればよい。道はいくつもある。

時と場合に応じて、自由に道を変えればよいのである。一つの道に執すればムリが出る。ムリを通そうとするとゆきづまる。動かない山を動かそうとするからである。そんなときは、山はそのままに身軽に自分の身体を動かせば、そこにまた新しい道がひらけてくる。

何ごとにもゆきづまれば、まず自分のものの見方を変えることである。案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の見方があることを恐れがちである。そしてゆきづまったと言う。ゆきづまらないまでもムリをしている。貧困はこんなところから生まれる。

われわれはもっと自在でありたい。自在にものの見方を変える心の広さを持ちたい。何ごとにも一つに執すれば言行公正を欠く。深刻な顔をする前に、ちょっと視野を変えてみるがよい。それで悪ければ、また見方をかえればよい。

そのうちに、本当に正しい道がわかってくる。模索のほんとうの意味はここにある。そしてこれができる人には、ゆきづまりはない。おたがいにこの気持ちで、繁栄の道をさぐってみたいものである。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

写真:菊池渓谷(熊本県) 
images images images images
写真:緒方弘之「素晴らしい自然」から
雪の菊池渓谷はモノトーンの世界です。北国のような雪風景は一シーズンに数回です。しかも湧水が流れるため川床の雪は直ぐに溶け、まだら模様になってしまうので僅か一日のチャンスです。阿蘇山に雪が積んだタイミングを見計らっての撮影です。


 

「ネット・サーフィン」

たまに、ネットサーフィンを楽しむことがある。

調べたい事があって・・・

次から次へとサーフィンしていくと

突如として、訳の分からないページに跳ぶ

「H」画像である。

「オォー!ワンダフルビューティーフル」

いつもは、tomoの部屋に入ってこない妻

そんな時に限って必ず入ってくる

「******」

慌てて、画面を切り替えようとするけど・・・


フリーズ・・・
オォー。何てこったい!

しっかり・・・妻に見られる!

軽蔑されると・・・言い訳を「ペチャクチャ*****」と

 

ニコニコ顔の妻 

勘違いだよ・・・   トホホ!
「勘違いだからねぇ~」


日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 


世間というもの

2008年02月03日 | 松下幸之助「道をひらく」

山鹿灯籠まつり(熊本県) 

誰にでも与えるものはある。
笑顔を与える、笑いを与える。
求める活動から与える活動へ転換をはかりたい。
=松下幸之助=

 

「世間というもの」

世間というものは。きびしくもあるし、また暖かくもある。そのことを、昔の人は「目明き千人めくら千人」ということばであらわした。いい得て妙である。

世間にはめくらの面もたくさんある。だから、いいかげんな仕事をやって、いいかげんにすごすことも、時には見のがされてすぎてしまうこともある。

つまりひろい世間には、それだけの包容力があるというわけだが、しかしこれになれて世間をあまく見、馬鹿にしたならば、やがて目明きの面にゆき当たって、身のしまるようなきびしい思いをしなければならなくる。

また、いい考えを持ち、真剣な努力を重ねても、なかなかこれが世間に認められないときがある。そんなときには、ともすれと世間が冷たく感じられ、自分は孤独だと考え、希望を失いがちをなる。

だが悲観することはない。めくら千人いれば、目明きもまた千人いるのである。そこに、世間の思わぬ暖かさがひそんでいる。

いずれにしても、いつも謙虚さを忘れず、また希望を失わず、着実に力強く自分の道を歩むよう心がけたいものである。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

 写真:熊本県山鹿市・山鹿灯籠まつり
images images images images
8月15日の「飾り灯籠」で幕を開ける山鹿灯籠まつり。
しっとりと優雅に舞う乙女の頭には金灯籠。 ゆらりゆらりと灯りがゆれる「千人灯籠踊り」の幻想的な美しさ、夜明かし祭りの名のとおり、大宮神社に奉納される「上がり灯籠」は17日0:00から行われます。

 

「あら!見てたのね

家族で、外食した時のこと。
私は、チャンポンと餃子を注文して。

テーブルの上には綺麗な小皿が・・

すっかり、私は餃子のタレを入れる小皿と
思い込み・・・・
その、小皿にタレを入れて・・・

 

注文した料理が一度に運ばれてきて

作っていたタレをつけて
餃子を一口・・・

あれ・・・テーブルを見ると小皿が・・・

私がタレを作った小皿は
何と・・・灰皿のようである・・・

「しまった・・」っと思った瞬間

隣のテーブルの人にしっかり見られている!

「アラ・・・見てたのね」である。

 

 

街に出かけて、歩いていると

店のウィンドー硝子に自分の姿が写っている。

少しネクタイが斜めになっている姿が・・・

ネクタイを直しで
ついでに・・・髪を整えて

全体の自分の姿を見ていると

 

店内から・・・そんな私を見ている人影

オットットッと!

気恥ずかしい
「あら!見てたので」である!

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 


岐路にたちつつ

2008年02月02日 | 松下幸之助「道をひらく」

 阿蘇・草千里

同じものを見ても喜ぶ人喜ばない人。
かえって不満を抱く人もある。
われわれは喜びを感じる人でありたい。
=松下幸之助=

 

「岐路にたちつつ」

動物園の動物は、食べる不安はなにもない。他の動物から危害を加えられる心配も何もない。きまった時間に、いろいろと栄養ある食べ物が与えられ、保護されたオリのなかで、ねそべり、アクビをし、ゆうゆうたるものである。

しかしそれで彼らは喜んでいるのだろうか。その心はわからないけれども、それでも彼らが、身の危険にさらされながらも、果てしない原野をかけめぐっているときのしあわせを、時には心に浮かべているような気もするのである。

おたがいに、いっさい何の不安もなく、危険もなければ心配もなく、したがって苦心する必要もなければ努力する必要もない。そんな境遇にあこがれることがしばしばある。しかしはたしてその境遇から力強い生きがいが生まれるだろうか。

やはり次々と困難に直面し、右すべきか左すべきかの不安な岐路にたちつつも、あらゆる力を傾け、生命をかけてそれを切りぬけてゆく━そこにこそ人間としていちばん充実した張りのある生活があるともいえよう。

困難に心が弱くなったとき、こうしたこともまた考えたい。

 

 日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

写真:阿蘇・草千里
images images images images
周囲128kmに及ぶ世界最大級の陥没カルデラを持つ複式の火山・阿蘇山。阿蘇山は一帯の山を総じてそう呼びます。草千里ヶ浜は、阿蘇五岳の一つ鳥帽子岳の中腹に広がる草原で、阿蘇の代表的な景観として知られています。

 

 

「無題」

コンビニで弁当を買う
「温めますか?」って聞かれる

温めてもらいたい時は
「これ、温めてもらえますか?」って言う

でも・・家では「チーンして」って言う

コンビニの店員さんも家では「チーンして」って言ってるのだろうか?

 

靴を履いて、ちょうどその時に

「あぁ~忘れ物だ!」
と・思い出す

靴を履いたままヒザを立て
部屋まで忘れ物を取りに行く

靴を脱いで行った方が早かったかなぁ~トホホ

 

 日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 


風が吹けば

2008年02月01日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本県:水俣・湯の児温泉

希望を失うな、明日に夢を持て。
夢を持つということが、人生においてどんなに大切なことか。
=松下幸之助=

 

 

「風が吹けば」

風が吹けば波が立つ。波が立てば船も揺れる。揺れるより揺れないほうがよいけれど、風が強く波が大きければ、何万トンの船でも、ちょっと揺れないわけにはゆくまい。

これを強いて止めようとすれば、かえってムリを生じる。ムリを通せば船がこわれる。揺れねばならぬときには揺れてもよかろう。これも一つの考え方。

大切なことは、うろたえないことである。あわてないことである。うろたえては、かえって針路を誤る。そして、沈めなくてよい船でも、沈めてしまう結果になりかぬない。

すべての人が冷静に、そして忠実にそれぞれの職務を果たせばよい。ここに全員の力強い協力が生まれてくるのである。

風のときほど、協力が尊ばれるときはない。うろたえては、この協力がこわされる。だから、揺れることを恐れるよりも、協力がこわされることを恐れたほうがいい。

人生は運不運の背中合わせといえる。いつ突如として風がおとずれるか、だれしも予期することはできない。

つねに自分のまわりを冷静にながめ、それぞれの心がまえを、しっかりと確かめておきたいものである。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

写真:熊本県水俣市・湯の児温泉
 images images images images
桜の名所で、岬を半周するように満開のソメイ吉野のトンネルを抜けると、眼下にリアス式の入江が広がり、海と空は、あくまで青く澄んでいます。海沿いには、10数軒の温泉旅館が立ち並ぶ温泉街があって、海へと続く大洞窟温泉や絶景の露天風呂、新鮮な海の幸を食材にした料理が楽しめます。

 

 

「ブログ1周年です」

2月4日で「奉の独り言」も一周年になります。

母が膠原病、強皮症で昨年の2月2日に再入院
病状の進行が早すぎる、

「今回、二度と家に帰ることはないと思ってください」
「普通、健康な人が、この状態なら死んでます」
「母の場合はすこしづつ、病状が悪化してるから
この状態でも、生きていられたんですよ」って
医者に死の宣告を受けました。

病気と闘う母の姿を記録に残そうと
ブログを始めました。

その母も今年1月5日に他界しました。

一年近く病気と戦い
その間には、医者も退院することは出来ないと言っていたのに

何度となく、自宅にも帰ってきました。

車椅子に乗って花見にも行きました。

私のブログも1周年となり、閉鎖しようと
考えておりました。

母の初七日を過ぎて、
私も、胃潰瘍で下血し、14日間ブログの
更新をしませんでした。

ブログの入場者も1月19日には
一日48人と過去最低にもなりました。

自分の中では少し気が楽になり、これでブログを
閉鎖できると思っておりました。

皆様方の励ましのコメントには本当に
感謝の気持ちで一杯です。

一月いっぱいは、感謝の気持ちで休まず
ブログを更新しよう・・・・
そして。2月3日に「ブログ閉鎖の」案内を
出そうと考えておりました。

しかし、昨日は私のブログの入場者も
以前の入場者数からすると、少しは減りますが
509人と大勢の人に読んで頂いております。

本当に皆様には感謝です。

又、ブログを通して多くの方と知り合い。
励まされ、人の温かさにも触れることが出来ました。

又、一年頑張ってみるか・・・
その、勇気を皆さんから頂きました。

又、二周年に向け、頑張って行きます。
今後とも宜しくお願い申し上げます。


 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」  

 


世間知らず

2008年01月31日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本県・宇土市・ 御輿来海岸

身についた技・習性は生ある限り失われない。
頼りになるのはこの身についた技・習性である。
=松下幸之助=

 

 

「世間知らず」

忍耐づよく、根気よく、知識を身につけよう・校長と先生の命令に絶対にしたがうべし・校長や先生が教室にはりるとき、教室をでるとき、起立して送迎すべし・先生に答えるときは起立、先生の許可あって着席すべし・校長と先生には敬意をはらい、校長や先生に道で出合ったときは礼儀正しくおじぎをせよ・年上のものを尊敬せよ・老人、幼児、弱いものに親切にていねいであれ、道や席をゆずり、あらゆる援助をせよ・親のいうことをきき、手助けをし、弟妹のめんどうをみよ・・・・・・・。

これは、ソ連の小学校、中学校で省令として公布されている“生徒守則”の一部で、この規則を破った生徒は、退学の罰を負うということである。

中央においても同じような規則がつくられていたというし、欧米諸国においてもこれに似たことが説かれている。

どこの国においても、たとえ主義主張がちがっても、人間として大事なことは万国共通、人みな共通である。だからやはりどこでもだれでも大事にする。

礼儀とか道徳とかいうと、何となくうとましいもののように思うがわが国昨今、おたがいに世間知らずであってはならないような気がする。

 

 
日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

写真:熊本県宇土市
images images images images
写真は拡大して楽しんでください!

 

「ブーム」

今から十数年前に、ナタデ・ココなるものがブームになった。

妻がデザートにナタデココを買ってきた。

台所で、妻と私が

「これ何・・」

「これが、今噂のナタデココよ・・」

「何・・・・ナタデどこ?」
「ナタデココ」
「えぇ・・・ナタデどこ」

などとバカな話をしていると・・・

その、話を居間で聞いていた母が飛んできて

 

「何・・・・なたで・・どこを切るの?」

「********」

これには大爆笑

なたはなか・・・・オット・・・スベッタ

あの・・・ナタデココのブームは一体何だったんだろうか・・
今では・・・余り耳にしない!

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 


時を待つ心

2008年01月30日 | 松下幸之助「道をひらく」

 沖縄

決意は崩れやすく決心は守りにくいもの。
一度思いを定めても、くり返し自分自身に言い聞かせたい。
=松下幸之助=

 

「時を待つ心」

何ごとをなすにも時というものがある。時━それは人間の力を超えた、目には見えない大自然の力である。いかに望もうとも、春が来なければ桜は咲かぬ。いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。

冬が来れば春は近い。桜は静かにその春を待つ。それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。

わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。

静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。

時を得ぬ人は静かに待つがよい。大自然の恵みを心から信じ、時の来るのを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。

待てといわれればなおあせるのが人情である。だが、自然の理はわがままな人情には流されない。冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。おたがいに時を待つ心を養いたい。

 

 日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

写真:沖縄
images images images images
写真は拡大して楽しんでください!

 

 

「一握の砂」


東海の小島の磯の白砂に

われ泣きなきぬれて

蟹とたはむる

 

頬につたふ

なみだのごはず

一握の砂を示しし人を忘れず

 

大海にむかひて一人

七八日

泣きなむとすと家を出でにき

 

石川啄木の「一握の砂」から

ふと、若かりし日
「石川啄木」を

「石川・・えぇっと・・ブタ木・・・
「変な名前と」真顔で言って笑わせた
友を懐かしく思い出す。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 


長所と短所

2008年01月29日 | 松下幸之助「道をひらく」

鹿児島:磯庭園 

みずからの天分・資質を正しくつかみ、
それを存分に生かすところに、
人間として喜びに満ちた生活がある。
=松下幸之助=

 

「長所と短所」

この世の中は持ちつ持たれつ、人と人との協同生活によって、仕事が成り立っている。暮らしが成り立っている。

この協同生活を円滑に進めるためには、いろいろの心くばりが必要だけれども、なかでも大事なことは、おたがいにまわりの人の長所と欠点とを、素直な心でよく理解しておくということである。

そしてその長所をできるかぎり発揮させてあげるように、またその短所をできるかぎり補ってあげるように、暖かい心で最善の心くばりをするということである。

神様ではないのだから、全知全能を人間に求めるのは愚の限りである。人に求めるほうも愚なら、いささかのうぬぼれにみずから心おごる姿も、また愚である。

人を助けて己の仕事が成り立ち、また人に助けられて己の仕事が円滑に進んでいるのである。この理解と心くばりがなければ、百万の人も単につのつき合わせた烏合の衆にすぎないであろう。

長所と短所とーーそれは人間のいわば一つの宿命である。その宿命を繁栄に結びつけるのも貧困に結びつけるのも、つまりおたがいの心くばり一つにかかっているのではなかろうか。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

写真:鹿児島
 images images images images
鹿児島、桜島と磯庭園、城山からの夜景です。

 

「居酒屋にて」

一人で酒でも飲みたい気分になった。
行き付けの居酒屋に行く。

カウンターで一人手酌酒・・・

すると、私の席の横にはじめて会う人・・・

 

これも何かの縁で横に座られた方
色々と話をする。

 

年齢も私と同じか、少し上かなぁ~

 

「ところで、おいくつですか?」

「えぇ いくつに見えますか?」

(オイオイ・・62歳・・63歳そんなとこかな)
「私と同じくらいかと」

「だいたい、そんな感じですね」

(えぇ・・tomoまだ60歳にもなってないのに)
(もしかしたら、見かけより若いのかなぁ~)
(そんな感じって、tomoをいくつと思ってるのよ)モォー

で・・結局何歳か分からず・・・トホホ

「どちらからですか?」

「どちらと思います?」

(ドヒャ~・・分かるはずないじゃん)
「言葉からすると、関東方面・・東京ですか?」

「まあ・・そんなところです」だって
(オイオイ・・そんなところですって・・何処なのよ)

まあ~どうでもいいけど
何となく・・スッキリしない 

 

 日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 


サービスする心

2008年01月28日 | 松下幸之助「道をひらく」

 鹿児島:開聞岳(薩摩富士

礼儀作法は人間関係をなめらかにする。
いわば社会生活の“潤滑油”である。
=松下幸之助=

 

「サービスする心」

与え与えられるのが、この世の理法である。すなわち、自分の持てるものを他に与えることによって、それにふさわしいものを他から受けるのである。これで世の中は成り立っている。

だから、多くを受けたいと思えば多く与えればよいのであって、充分に与えもしないで、多くを受けたいと思うのが、虫のいい考えというもので、こんな人ばかりだと、世の中は繁栄しない。

与えるというのは、わかりやすくいえば、サービスするというこである。自分の持っているもので、世の中の人びとに精いっぱいのサービスをすることである。

頭のいい人は頭で、力のある人は力で、腕のいい人は腕で、優しい人は優しさで、そして学者は学問で、商人は商売で・・・・

どんな人でも、探し出してくれば、その人だけに与えられている尊い天分というものがある。その天分で、世の中にサービスをすればよいのである。

サービスのいい社会は、みんなが多くを与え合っている社会で、だからみんなが身も心もゆたかになる。

おたがいに繁栄の社会を生み出すために、自分の持てるもので、精いっぱいのサービスをしあいたいものである。

 

 


日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

写真:熊本・水前寺公園
 images images images images


 

「はぁ?こんにちは」

昨日デパートでのこと。

「こんにちは、お久し振りです」

「ハァ!こんにちは。本当に???」
{えぇ・・・誰だったかな?}
{確かに、見覚えはあるんだけど}
名前が思えだせない・・・
取引先・・それとも飲み屋で・・・ゴルフ場かな・・

「最近やってますか?」って

えぇ・・・・何を・・・
「ハァ・・・ぼちぼちです」
「では・・・又・・」

ホォー会話になってないよ!

別れた後も気になって

喉に魚の骨がひっかっかったようだよ!
誰だったかなぁ~

って、考えて駐車場に行ったものだから!

 

えぇ・・・えぇ・・・・車がない

確かに、ここに止めたのに・・

 

冷静に・・・冷静になって思い出せ・・

 

確かに五階に止めたのに

ここは何階じゃぁ~
アチャ・・・・・四階だよトホホ・・ションボリ

 

あぁ・・思い出した
あの人・・・パソコンを一緒に習った人だ!

 

 日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 


生と死

2008年01月27日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本県:五家の荘・縦木の吊り橋

人間はともすれば、うまくいけば自分の腕で
やったと思いがちである。
それはおごりに通ずる。
だから、事がうまくいったときは運がよかったと考え、
うまくいかなかったときは運がないと思わず、
腕がなかったと考えたい。
そうすれば、自分の力を上げざるを得まい。
=松下幸之助=

 

「生と死」

人生とは、一日一日が、いわば死への旅路であると言えよう。生あるものがいつかは死に至るというのが自然の理法であるかぎり、ものみなすべて、この旅路に変更はない。

ただ人間だけは、この自然の理法であることを知って、この旅路に対処することができる。いつ死に至るかわからないにしても、生命のある間に、これだけのことをやっておきたいなどと、いろいろに思いをめぐらすのである。

これは別に老人だけにかぎらない。青春に胸ふくらます若人が、来るべき人生に備えていろいろと計画するのもこれまた死への準備にほかならないと言える。生と死とは表裏一体。だから、生の準備はすなわち死への準備である。

死を恐れるのは人間の本能である。だが。死を恐れるよりも、死への準備のないことを恐れた方がいい。人はいつも死に直面している。

それだけに生は尊い。そしてそれだけに、与えられいる生命を最大に生かさなければならないのである。それを考えるのがすなわち死への準備である。そしてそれが生の準備となるのである。

おたがいに、生あるものに与えられたこのきびしい宿命を直視し、これに対処する道を厳粛に、しかも楽しみつつ考えたいもである。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

五家の荘
images images images  images 

 

「高所恐怖症」

父と母と4人で兎に角ピクニック気分で
花見、紅葉狩り、コスモスを見に、又つつじを見に
出掛けたものである。

前年に五家の荘の紅葉を見た私は
この景色を、妻に父に母に見せたいと思った。

翌年、父と母と妻と四人で五家の荘に出掛けた。

その自然の、紅葉の美しさに皆、ただただ溜息である。
「綺麗 凄い わぁ~」の言葉だけ!

連れて来て良かった!

 

縦木の吊り橋から見る紅葉も又美しい

縦木の吊り橋を渡って食事にしようという事になり・・
吊り橋を渡ることに・・

 

吊り橋は足元から下が見えるのである

結構・・高い

丁度、真ん中ごろに差し掛かった時に
父が、吊り橋につかまって全く動かない

「オォー・・・足が動かん」
「身体が動かん・・・恐ろしい」

又 シーズンで観光客も多くて
吊り橋が揺れるのである。

「頼む・・・揺らさんでくれ」
と叫ぶ父の目には涙が・・・

 

オマケに、危険ですので吊り橋には一度に
50人以上乗らないでくださいの看板をしっかり見てる父

橋の上には50人以上の人が乗っている

 

「オォー定員オーバーだ
「早く誰か降りて・・・来ないで」と叫ぶ父

 

普段は温厚で、物静かな父
いつも、堂々としてる父が、慌てまくり 

 

これには、tomoは大笑い

 

父の手を取って・・・・
父は私の手を握って・・・それが又なんとも

 

tomoの手を握る父の力の凄い事

 

tomoの手は血が通わないくらいになって
渡り終えた時のtomoの手
紫色ドヒャー

 

どうにかこうにか渡って、食事をして
渡れば帰らないといけない!

吊り橋の手前に来て

父「俺は帰らん・・・」

母「あんたは帰らんでいいから・・ここで寝らんね」

帰りも私の手を強く握って
どうにか無事渡り終えて・・・

 

父の命日に兄姉に
「父ちゃんは高所恐怖症だったの知ってる?」って聞くと

兄姉・・すべて父を高いところに連れて行って
父を恐怖のどん底に陥れているではないか!

その時の話を肴に、大笑いをして
父を偲ぶ!

合掌

 


日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 


病を味わう

2008年01月26日 | 松下幸之助「道をひらく」

 福岡県:大宰府

 悩みから逃避するのではなく、
悩みがあるから生きがいがあるのだと考えてはどうか。
=松下幸之助=

 

 

「病を味わう」

病気になってそれがなおって、なおって息災を喜ぶうちにまた病気になって、ともかく一切病気なしの人生というものは、なかなか望みえない。軽量のちがいはあれ、人はその一生に何回か病の床に臥すのである。

五回の人もあろう。十回の人もあろう。あるいは二十回、三十回の人もあるかもしれない。親の心配に包まれた幼い時の病から、不安と焦燥に悶々とする明け暮れに至るまで、人はいくたびか病の峠を越えてゆく。

だがしかし、人間にとって所詮死は一回。あとにも先にも一回きり。とすれば、何回病気をしようとも、死につながる病というのも一回きり。あとの何回かは、これもまた人生の一つの試練と観じられようか。

いつの時の病が死につながるのか、それは寿命にまかすとして、こんどの病もまた人生の一つの試練なりと観ずれば、そこにまたおのずから心もひらけ、医薬の効果も、さらにこれが生かされて、回復への道も早まるであろう。

病を味わう心を養いたいのである。そして病を大事に大切に養いたいのである。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

写真:福岡県・大宰府
 images images images images
今太宰府天満宮には全国各地より天神さまに献げられた梅(これを献梅という)が197種類あるそうです。極早咲・早咲・本咲・遅咲・極遅咲とあるので1月後半から4月上旬まで梅の花を楽しめます。ただ本当の見頃は例年2月下旬~3月初旬が見頃となります。
また、境内には菖蒲園があり50種3万株の花菖蒲が例年6月上旬~中旬にかけて見頃となります。


 

「無題」

「チョッと此処だけの話だけど・・・」
って、
あっち、こっちで話してる人

 

今年の風邪は悪い風邪みたいよ!
って
毎年、同じ事を言う!

 

悔しいのは
ショートケーキを綺麗に食べようと思ってるんだけど
必ず、倒れてしまう!トホホ

 

携帯電話をどこに置いたのか
分からなくなって
家の固定電話から携帯に電話して探すのだけど
マナーモードにいつもしてるから
なかなか見つからないアチャ~

 

 日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 


是非善悪以前

2008年01月25日 | 松下幸之助「道をひらく」

 阿蘇:白糸の滝

絶えず自分自身を客観的に観察し、
正すべきところは正してこそ、
自分を向上させることができる。
=松下幸之助= 

 

 

「是非善悪以前」

この大自然は、山あり川あり海ありだが、すべてはチャンと何ものかの力によって設定されている。そして、その中に住む生物は、鳥は鳥、犬は犬、人間は人間と、これまたいわば運命的に設定されてしまっている。

これは是非善悪以前の問題で、よいわるいを越えて、そのように運命づけられているのである。その人間のなかでも、個々に見れば、また一人ひとり、みなちがった形において運命づけられている。

生まれつき声のいい人もあれば、算数に明るい人もある。手先の器用な人もあれば、生来不器用な人もある。身体の丈夫な人もあれば、生まれつき弱い人もいる。

いってみれば、その人の人生は、90パーセントまでが、いわゆる人知を超えた運命の力によって、すでに設定さあれているのであって、残りの10パーセントぐらいが、人間の知恵、才覚によって左右されるといえるのではなかろうか。

これもまた是非善悪以前の問題であるが、こういうものの見方考え方に立てば、得意におごらず失意に落胆せず、平々淡々、素直に謙虚にわが道をひらいてゆけるのではなかろうか。考え方はいろいろあろうが、時にこうした心境にも思いをひそめてみたい。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

写真:阿蘇・白糸の滝
images  images images images
写真は緒方弘之「素晴らしい自然」から、阿蘇・白糸の滝です。
写真は拡大して楽しんでください!

 

 

「怖い笑い話」

父と母はパチンコが大好きでした。
いつも夫婦仲良くパチンコに出掛けていました。

 

そんな、ある日

父と母がパチンコをしていると、

突然、父が床に倒れた
意識モウロウとしている。

慌てたのはパチンコ店の店員さん

急いで救急車を呼んで・・・・

父は救急車で病院へ

 

その時、母は・・・・・

母から私の携帯に電話が
「tomo、父ちゃんが倒れて救急車で病院に・・」
「どこの病院ね」
「それが・・・分からんとよ」

消防署に電話して、運ばれた病院を教えてもらい・・・



父はベッドの上で、すでに元気そうに
「貧血でめまいがして・・・」だって!

 

あぁ~父が倒れた時に母は何をしていたか?

「父ちゃんが、倒れたの知らんかったとね」
「知っとたよ、すぐ、後ろでパチンコしよったから」

「あぁ!父ちゃんが倒れたと思った時、
私はセブンがかかっていて、止められんかったとよ」

普通、自分の夫が倒れたら、
パチンコどこじゃないやろうもん・・・

「それが・・セブンがかかっていて止めらんかったとよ」
あれから、連チャンで3万円儲かったとよ!

それを、聞いていた父
「ホォー連チャンしたか・・・良かった・良かった」だって!

 

この話は、いつも話題になり
兄姉で腹を抱えて笑いまくり・・です!

 

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 


真剣勝負

2008年01月24日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本:阿蘇

人間の道は排除の道ではない。
いやな人も、いやなものも、
心を定めてあるがままを承認し、受け入れる。
そこに対立の中にも調和が生まれ、
自他ともに生きる道がひらけてくる。
=松下幸之助= 

 

「真剣勝負」

剣道で、面に小手、胴を着けて竹刀で試合をしている間は、いくら真剣にやっているようでも、まだまだ心にスキがある。打たれても死なないし、血もでなからである。

しかしこれが木刀で試合するとなれば、いささか緊張せざるを得ない。打たれれば気絶もするし、ケガもする。死ぬこともある。まして真剣勝負ともなれば、一閃が直ちに生命にかかわる。

勝つこともあれば、また負けることもあるなどと呑気なことをいっていられえない。勝つか負けるかどちらか一つ。負ければ生命がとぶ。真剣になるとはこんは姿をいうのである。

人生は真剣勝負である。だからごんなに小さな事にでも、生命をかけて真剣にやらなければならない。もちろん窮屈になる必要はすこしもない。しかし、長い人生ときには失敗することもあるなどと呑気にかまえてはいられない。

これは失敗したときの慰めのことばで、はじめからこんな気構えでいいわけがない。真剣になるかならないか。その度合いによってその人の人生はきまる。

大切な一生である。尊い人生である。今からでも決しておそくはない。おたがいに心を新たにして、真剣勝負のつもりで、日々にのぞみたいものである。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

 写真:阿蘇の雪景色
 images images images images
写真は緒方弘之さん「素晴らしい自然」から
阿蘇の冬は厳しい・・・

 

 

「成長してないね!」

tomoは居酒屋などで、個室の時は

おしぼりを開けるときには

 

 『バァーン』  と音をさせて開ける。

これが・・快感なのであります。

特に、友人と飲むときは、友人を驚かせるために!

友人が驚きそうなタイミングをはかって!

 

「タイミングが外れた時は」ガッカリ・・・ショボン

 

そんなtomoに友人が一言

「あんたも・・・まだまだ子供だね」・・・・だって!

 

もちろん、個室とか、他にお客がいないときだけしかしません!

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」  

 


紙一重

2008年01月23日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本・阿蘇 

本当の思うやりとは、真にその人のためになるか
どうかを考えて事をなすこと。
だから、ときには一見冷たく見られる態度や厳しいことばが、
非常な思いやりである場合もあるのである。
=松下幸之助=

 

「紙一重」

天才と狂人は紙一重というが、その紙一重のちがいから、何という大きなへだたりが生まれてくることであろう。たかが紙一重と軽んじてはいけない。そのわずかな違いから、天才と狂人ほどの大きなへだたりが生まれてくるのである。

人間の賢さと愚かさについても、これと同じことがいえるのではないだろうか。賢と愚とは非常なへだたりである。しかしそれは紙一重のちがいから生まれてくる。

すなわち、ちょっとしたものの見方のちがいから、えらい人と愚かな人との別が生まれてくるのである。どんなに見ようと、人それぞれの勝手である。だからどんな見方をしようとかまわないようであるけれど、紙一重のものの見方のちがいから、賢と愚、成功と失敗、繁栄と貧困の別が生まれてくるのであるから、やはりいいかげんに、ものの見方をきめるわけにはゆくまい。

考えてみれば、おたがいの生活は、すべて紙一重のちがいによって、大きく左右されているのではなかろうか。

だからこの紙一重のところをつかむのが大切なのであるが、これにはただ一つ、素直な心になることである。素直に見るか見ないか、ここに紙一重の鍵がひそんでいる。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

写真・阿蘇、古閑の滝
 images  images  images  images

阿蘇の冬の風物詩・古閑の滝は、自然が作りだす氷の芸術品。 暖かい南国のイメージが強い熊本だが、実は冬の寒さが厳しい。 こんな阿蘇の冬の風物詩といったら阿蘇五岳を取り囲む外輪山から落ちる『古閑の滝』。
写真は拡大して楽しんでください!

 


「アリャ~・・・***」

「あぁ~あなた、立ったついでに、
風呂に水をお願いしていいかしら」

 

「いいよ!

 

風呂にお湯を入れようと蛇口をひねる!

 

「オォ~~*****」
「冷たい」

な・・な・・なんじゃ~

 

頭からずぶ濡れ・・・

え~ぃ・・このまま、洋服ごと石鹸をつけて
洗ちゃおうかな・・・・なんて

思うわけないか・・・エヘヘ

 

風呂掃除をした時に
シャワーに切れ替えたまま

「ハァ~ハクシャン」

ずぶ濡れになった私を見て妻は
腹を抱えて笑う!

「あなたって・・・本当に慌てもんねぇ」

(風呂の掃除をした後はチャンと切り替えておけ)

心の中で文句を言うだけ・・・トホホ

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」