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奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

「欲」ということ=欲は悪の根源か=

2007年04月21日 | 松下幸之助「人生談義」

 欲の熊鷹股裂くる(よくのくまたかまたさくる)
      =欲が深すぎるとひどい目に遭うということ=
      (熊鷹は日本に生息する鳥では最大級で、羽を広げると
       1,7メートルのもなる。その熊鷹が二頭のいのししを同時
       に掴んだ。驚いたいのししが左右に駆け出したので、
       熊鷹の股が裂けてしまった。という昔話から)

    チュッ!(ミッキー&ミニー)    (*^_^*)ポチィと!
    ========☆☆☆☆========

            「欲は悪の根源か」

人間の欲望は、数限りなくあるようです。仏教ではこれを、三欲五欲とか、八欲十欲とか分類しているようですが、人間の欲望は、その質においても、その量においても、他の生物とは比較にならないほど広く、また深いものがあります。

まあお互い人間は、いわが欲の塊というか、欲と二人づれといってよいわけで、欲がないという人はおそらくないと思いますな。

それほど欲というものは、人間と切っても切れない関係にあるわけですよ。けれども、どうも、“欲”というと、これまでの通念として、あまりいい響きはありませんね。“欲が深い人”というと好ましくない人という響きがあります。

もっとも、そう考えるのもムリはない。お互いの社会生活において、何かよくない事件や、人と人とのみにくい争いなどは往々にしてこの欲に目がくらみ、ということから生じる場合が多いからです。

だから、これまで欲というものが悪の根源のように考えられてきた。そして、この欲を断ち、欲から脱却することが人間の徳として尊いことのように考えられてきた面があると思うのですよ。しかし、果たして欲は悪なのでしょうか。

ぼくはね、欲というものは、決して汚らわしいもにでもなければ悪の根源でもないと思うのです。それは人間の生命力のあらわれであり、生きんとする力が形になってあらわれてきたものだと思うのです。

つまり、これはね、蒸気船でいえば蒸気力のようなもにですよ。ですから、これを悪いものだといって停めてしまうと、船は動かなくなります。それと同じことでしてね、一切の欲望をなくせば、生命もなくなってしまうことになる。

欲それ自体は善でも悪でもないと思うのです。それは一つの力と考えるべきもので、善悪以前のものだと思うのですよ。生命力は人間が生きていくためにいわば宇宙根源の力によって与えられたものですからね。そのあらわれである欲望もまた天与のもの。

従って、人間はこれが与えられていることを大いに喜び感謝しなければならないと思うのです。欲望は感謝すべきもにであって、決して憎むべきものではない。

ただ注意しなければならないことは、善悪以前ということは、善にも悪にもなりうるということですね。

ちょうどそれは、われわれが船のカジを握っているようなもので、蒸気の力を善い方向にもっていくかは、このカジの動かし方一つにかかっているのですよ。

人間には、カジを左にも右にも動かしうる自由が与えられている。それは、船を順調に進ませるか座礁させるかの責任を負っているということでもある。つまり、みずからの欲望をお互いの繁栄・平和・幸福をおし進める方向に使うか、あるいは、お互いの不幸を招くために使うか、それは、人間自身が決めることだということです。

結局、欲望に対する認識とその処理は、すなわち、人間そのものの認識であり、人生の歩みを定めるものであるといっても過言ではないでしょうな。
                
     「松下幸之助:人生談義より抜粋」

   哀愁(ミッキー)  元気をください(^_-)-☆  

             写真:熊本県水俣市・湯の児温泉
      images  images  images
不知火海に面した海の温泉。景行天皇が発見されたという古い歴史を持つ温泉である。旅館が14軒ばかありあり各館とも露天風呂には凝っており、洞窟風呂やほら穴風呂、展望風呂と自慢の風呂がいっぱいである。それに、不知火海の海の幸が豊富に揃った料理も楽しみの一つである。また、桜の名所として有名で桜並木が続く
チェリーラインがあり、3月下旬~4月上旬の桜祭りには、八代海に乗り出す海上花見船が出て、船上からの花見も楽しめます。

 

 


北風と太陽

2007年04月19日 | 松下幸之助「人生談義」

 足るを知る者は富む
      
=満足することを知っている者は、たとえ生活は
        貧しくとも、心は豊である=

   痛っ!   宜しくね(^_-)-☆ 
 ========★★★★★=========

             「北風と太陽」

ご存知の方も多いでしょうが、『イソップ童話』にこのような話があります。あるとき、北風と太陽が、どちらが強いかということを言い争った。

たまたま下の野原を見ると、一人の旅人がやってくる。北風は「あの旅人のオーバーをどちらが先にはぎ取るかで勝負をきめよう」と提案した。

北風は早速旅人のオーバーを吹き飛ばしてやろうと、つめたい北風をビュービューと全力をあげて吹きかけた。しかし、風が強くなればなるほど、旅人はオーバーのエリをしっかり立てて、身をすくめながら歩いていく。

次に太陽の出番となった。太陽は雲をはらいのけ、照りつけた。そのポカポカ陽気に、旅人は汗をぬぐい、ついにオーバーをぬいでしまった。

ざっとこんな話だったと思うんですが、これは非常におもしろい話だと思うのですね。われわれが、何か望むことがあったときに、太陽のような態度をとっているのか、北風のような態度をとっているかということですよ。

たとえば、あの人は大変いい人だから、自分のお嫁さんにしたいなと思う。その人にこちらを向いてもらうためにはどうするでしょう。

北風のような態度をとれば、きっと彼女は逃げていく。やはり太陽のような態度が必要なのでしょうね。

この話は人間関係のすべてに通じると思いますよ。
                   「松下幸之助:人生談義より抜粋」

   雨ふり(プー)  宜しくね(^_-)-☆ 

            写真:熊本市立田自然公園
     images  images  images
立田山麓にある、肥後藩主・細川家の菩提寺泰勝寺(たいしょうじ)跡です。細川家初代藤孝(ふじたか)夫妻と二代目忠興(ただおき)とガラシャ夫人の墓「四つ御廟(ごびょう)」や、武人でありながら茶道にかけては国内随一といわれた細川忠興の原図に基づいて復元された茶室「仰松軒(こうしょうけん)」などがあります。茶室「仰松軒」にある手水鉢(ちょうずばち)は、京都で細川忠興が愛用したもので、豊臣秀吉(とよとみひでよし)や茶の師・千利休(せんのりきゅう)も使用したと伝えられます。

 


「夫婦」というもの

2007年04月17日 | 松下幸之助「人生談義」

 冬来たりなば春遠からじ
        =暗く寒い冬がくれば、明るく暖かい春がすぐに
         やってくる。今は辛く苦しい状態であっても、それさえ
         しのげば、やがて明るい未来が開けてくる=

    たんぽぽよろしくね!(*^_^*) 
 ★==========★★★★★===========★

          褒めあうことが必要

夫婦というものを、これだけ長くつづけてきますと、ときに、「夫婦にとって大事な事はなんでしょうか」とたずねられることもあるのです。ぼくは、それに答えられるにふさわしい人間かどうかはわかりませんが、しかしぼくなりに、これだけは大事だと思うようなことがあるのです。

それは、奥さんというのは、しかるべくご主人をほめるというか、その長所をよく認め、素直にそれを伝えていく、またご主人の方もある程度は奥さんをほめていくということです。

ほめるということはいたわりであり、お互い人間同士をしっかり結びつける一つの大切な絆ではないかと思うのです。

ぼくは、これまでにたくさんのご夫婦をみてきましたが、あまりうまっくいっていないご夫婦はどうもあまりほめあっていないように思える。
その反対に、うまくいっているご夫婦は、たくまず自然のうちに、お互いがほめあっている。そういうことがいえると思うのです。

男というものは、いや人間というものは他人からほめられるのもうれしいものですが、自分の奥さんなり、ご主人からそういうことを言われると、ひとしおうれしいものです。

ぼく自身も、たまに家内から「あなた、うまいこと考えましたね」とかいわれれば、正直なところ、うれしい気分になりますものね。反対にほめてくれないと、何か物足りない。そんなものですよ。

まあ、何といっても、夫婦はお互いによき夫、よき妻であり、信頼しあえることがいちばん幸せなことでしょうね。しかし、それには多少の辛抱が必要です。辛抱しないで、自分の好き勝手をして、いい奥さん、いい夫になるというのはどだいムリな話ですわ。

やはり、いい妻、いい夫になるためには、それだけの努力をしなければならない、ぼくは、そんなことを最近とくに感じるんです。
                                    「松下幸之助:人生談義より抜粋 」

          すげー!          よろしくね!(^_-)-☆

              写真:天草
     images  images  images

大矢野島、上島、下島を中心に大小120余りの島々が散在する天草。1966年20万島民の悲願であった本土と島が5つの橋で結ばれた。天草パールラインと命名されロマンの島も身近に観光できるようになったのである。
素朴な土地柄と新鮮な海の幸が訪れる人を歓迎してくれる。しかし、この美しい風土の背景には天草四郎をはじめとするキリシタン悲哀の歴史が秘められている。

 


「父親」というもの

2007年04月15日 | 松下幸之助「人生談義」

 不足しているものを数えるな
    恵まれているものを数えてみよう!
                    
D・カーネギー               ペット宜しく頼みますね!
 ==========☆☆☆☆============


            「父親」というもの
非行やいじめなど、子供の問題に関して、この頃父親不在という
ことがよくいわれていますね。確かに、
教育における父親の役割というものは大きいように思います。

              「心の財産」
ぼくは明治三十七年、九歳で郷里の和歌山から大阪船場の
商家に奉公に出てきました。父は、その二年前から単身大阪に
働きに出ていましたので、父にはときどき会うことができたのです。

 あるとき、こんなことがありました。
子供の時分、腸が少し悪かったからでしょうね。自転車に乗って使い
に行った帰り道、腹がしくしく痛み出し、便意をもよおしたのです。
そして、びろうな話ですが、どうしても辛抱できず、とうとう自転車に
乗りながらもらしてしまったのです。

汚いやら情けないやら、自分で始末することもできず、泣き泣き
そのままの姿で父の勤め先をたずね、泣きじゃくりながらわけを
話しました。

父はぼくの姿を見てびっくりしましたが、やさしくその始末をして
くれました。これに似たようなことがときどきあって、その都度父に
面倒をかけていたのですが、そうしたとき、父は口ぐせのように、
「幸之助、どんなつらいことがあっても辛抱せいよ。昔から偉く
なっている人は、皆小さいときから苦労して立派になっているの
だから」

ぼくが、船場での朝早くから夜遅くまでのいわば厳しい修業を
あまりつらいとは思わなかったのは、一つにはこの父の言葉が
あったからだと思うのです。

つまり、一瞬、”つらいな”と思うようなことがあっても、次の瞬間、
”これも将来の自分のため”
と考え、そこに希望を見出して
いたのです。

父はぼくに大きな心の財産を残してくれたといえます。
                    「松下幸之助:人生談義より抜粋」
       あくび(ダルメシアン) お願い(^_-)-☆

      写真:緒方弘之「素晴らしい自然」江津湖
江津湖は熊本市街地でありながら、1日約40万トンの湧水が湧き出る全国でも有数の湿地です。上江津湖・下江津湖水系は、平成13年10月に環境省から希少種が生息する湖沼や湧水池の一つとして「重要湿地」に選定されました。
       images images江津湖・写真拡大


「母親」というもの

2007年04月14日 | 松下幸之助「人生談義」

親の恩は子を持って知る
      =自分が子供を持ってはじめて、親がどれほど苦労
       して育ててくれたかがわかるということ=

        頼みますね!

                            そうじ(シンデレラ) 
 =========☆☆☆☆☆===========


         「母親」というもの
ぼくは、母が早くに亡くなりましたので母の愛に接した期間が
短かったのですが、それでも母のことはよく憶えています。
ぼくの体験からいうと、母親の愛というものは”私”
ありませんね。自分というものがない。
そして、海のように広く、かつまた深い・・・・・・・

         「紀ノ川駅での別れ」
ぼくの母は、自分の子供に対して精一杯の愛情をそそぐというような、
どこにでも見られるいわば平凡な母親でした。

いつか町に連れていってくれたとき、ぼくがおもちゃを買ってとダダを
こねて店先の道ばたにしゃがみこんでしまったのですな。
それを母はやさしくなぐさめてくれました。
買いもせんかわりに叱りもせん。母はやさしく女性的な人でしたね。

いつまでもぼくはね、大阪に奉公に出る九歳のぼくを、紀ノ川駅まで
送ってくれた母の姿をはっきり心に浮かべることができますよ。

「身体に気いつけてな、精出して奉公先のご主人にかわいがって
もらうんやで・・・・・」
と涙を浮かべてぼくに言ってくれました。

汽車が出るまでしっかり握って離さなかった手のあたたかみ、
隣あわせた乗客に、「この子は大阪までまいりますが、初めての
汽車の旅ですので、どうかよろしくお願いします。あちらに着けば
迎えにきていますから・・・・」
と一生懸命に頼んでくれたことなどがぼくの脳裡(のうり)になつか
しくもありがたい思い出として残っているのですよ。

          「偉大なる力」
よく一般に、女性は弱いものだといわれるでしょう。しかし、一概に
そうだとはいえないように思いますね。
母親の限りない愛情、それはまことに大きな力なのですから。

人によって個人差はあるでしゅうが、女性には愛情のこまやかさとか、
思いやり、あるいは忍耐強さとか、いろいろな特徴があります。

その中でとくに大切なのはぼくは愛情だと思うのですよ。
愛情にあふれた女性に接すると、そこに女らしい美しさを感じるも
のですし、またそのような姿に女性がなることが、まわりの人を
幸せにし、みずからも幸せになる道ではないかと思うのです。

もちろん、愛情が深ければあとはどうでもよいというのではありま
せん。シンの強さとか、視野の広さとか、分別心とか、そういうものも
あわせ持つことが望ましいと思いますよ。

けれどもやはり、女性としては、愛情、思いやり、親切といった
心の面の豊かさがまず大切だと思うのです。

これらには、すべてのものを溶かすといっていいほどの偉大な力
がひそんでいるのではないでしょうか。
そこに、母親の尊さ、女性の尊さがあるのでしょうね。
                   「松下幸之助:人生談義より抜粋」

    握手      頼みますね!

       写真:緒方弘之「素晴らしい自然」五家荘(新緑)
           
images   images
1300~1700m級の九州山地の奥深い位置に点在する五家荘は八代市泉町(旧:泉村)の中の旧村であった椎原、仁田尾、樅木、葉木、久連子の5つの集落の総称であり、五家荘という地名では地図に載っていない。
五家荘地方は平家落人伝説の残る九州中央山地の奥深い山間に点在する集落で九州の秘境と言われている場所である。五家荘にある「平家の里」の資料館には平家落人伝説の資料が展示してある。

 


「成功するまでつづけて成功」

2007年04月12日 | 松下幸之助「人生談義」

今日だけは、一日の計画を立てよう。
   処理すべき仕事を一時間毎に書き出そう。予定どおりには
   いかないかもしれないが、ともかくやってみよう。そうすれば、
   二つの悪癖、拙速と優柔不断と縁が切れるかもしれない。
                            (D・カーネギー)

                 ほ乳瓶(グーフィー) よろしく
              =======================================================

                
       「成功するまでつづけて成功」
ぼくが今日までの人生で、いろんな人を見てきて思うことは、
成功している人は皆、途中であまり道を変えていないという
ことですね。

いろんな困難があっても志を失わず最後までやり遂げた人が
概して成功している。
考えてみれば、ぼく自身もひとすじに歩んできた。

いろいろ苦しいことがあったけれど、この道が自分の運命だと考え、
今日までやってきた。

最初何かの仕事についても、あれこれ迷って自分の道を転々と
する人は、もちろんそのことで成功することはあるでしょうが、
概して失敗することが多いようです。

自分で決めた道に徹した人は、初めのうちは困難が多くとも、
やがてそのことを克服し、どんなことでも腹がくくれるかどうか、
そして志が持ちつづけられるかどうかですね。

ただ、自分の若い頃のことを考えますと、正直なところ、大きな志を
いだいて仕事についていたとはいえない。

しかし、大きな志は持っていなかったが、一日一日を一生懸命
やってきた。一つ一つの仕事をまじめに積み重ねてきたように
思うのです。
いま考えれば、そのことによって、志を持って仕事
に取り組んだのと同じような成果をあげてきたのではないかと
いう感じもします。

そういうことから考えると、大きな志をいだくこと自体はまことに
大事なことではあるけど、遠くばかりを見つめてきょう一日の足もと
を顧みないということではダメだと思うのです。

やはり、大きな志を持てば持つほど、きょう一日の歩みをしっかり
踏み支えていかなければいけない。
志を持つあまり、きょうの現実を忘れたら大失敗をするんじゃない
でしょうか。
もちろん、人によって違うでしょうがね。
                  「松下幸之助:人生談義より抜粋」
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              写真;阿蘇神社
阿蘇神社(あそじんじゃ)は熊本県阿蘇市一の宮町にある神社である。式内社(名神大)、肥後国一宮で、旧社格官幣大社。日本全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社である。
大楼門は「日本三大楼門」に数えられる。現地には「阿蘓神社」と書かれた銘板も存在している。
      images  images阿蘇神社画像クリック拡大

   


「万物は常に変化している」

2007年04月10日 | 松下幸之助「人生談義」

 義を見てせざるは勇なきなり
     
人の道として当然行わなければならないと知りながら、
           それを実行しないのは、その人に勇気がないからだ。
                                 「論語」

                 クックックッ(マッドハッター)   敬礼         

        「万物は常に変化している」
お釈迦様は、「諸行無常」ということをいわれましたが、
この教えは、この世の中ははかないものだ、と解釈されている
ようですね。

そこには深い意味があるのだとは思いますが、そのような
解釈をすることによって、現世を否定するようになり、生きる
張り合いをなくしてしまうようならお互いの益にはなりません。

ぼくは、「諸行」とは万物、「無常」とは流転つまり万物は
常に変化していくものであり、そのことはすなわち進歩発展なの
だと考えられないだろうかと思うのです。

人間の考え方も変われば社会も変わる。政治も国も変わっていく、
万物は流転し、生成発展する。
言いかえますと、お釈迦様は、日に新たでなければならないぞ
と教えられたのではないでしょうか。

われわれはともすれば、常識やこれまでのやり方にとらわれて、
これが最良だと思ってしまう。それが固定停滞に結びつくのです。

だから、何にもとらわれない素直な心で考えることが
必要なのですね。

織田信長は積極的に新しい武器を使い、新しい手法を使って
勢力を伸ばしました。旧来のものにとらわれなかった。
時代の変化に応じていった。つまり、織田信長には素直な心が
働いていたといえるように思いますね。
                  「松下幸之助:人生談義より抜粋」

      クリックしてね!            春 
            

            写真:阿蘇トロッコ列車
阿蘇5岳の南側のカルデラを走るトロッコ列車は、阿蘇の山々や高さ58メートルの白川の大渓谷のスリルを味わいながら、のんびりゆったり55分の旅が楽しめます。 
 阿蘇平野や外輪山の風景  imagesクリックすると大きくなります。


「素直な初段めざして」

2007年04月06日 | 松下幸之助「人生談義」

 韓信の股くぐり(かんしんのまたくぐり)
     =大望を抱く者は、どんな屈辱にも耐え、よく我慢をする=
     (中国・前漢の名将韓信が若い頃乱暴者に虐められ、
       その股をくぐる屈辱に耐えたことから)

               シャボン玉(プー&ピグレット) 
                  「素直な初段めざして」
ぼくはね、こうした素直な心をたえず持ちつづけ、それで、一生を
おくることは人間にとって一つの理想の姿だと思うのです。
しかし、実際には、それはなかなかむずかしい。

あの偉大なお釈迦様でさえ、それができたかといえば、ぼくは
できなかったように思うのです。
お釈迦様も苦悩をもって家を出られたこともあるということですから

すると、ましてやぼくら凡人には、素直は心で日々を過ごしたいと
思いつつなかなかそこまで到達できんということですわ。
だから、毎日腹を立てたり、苦しんだり・・・・

それがありのままの人間の姿かもしれません。しかしね、だからこそ、
多少とも素直な心を持って、そういう苦悩から抜け出したい、
そう考えるのも、これまた、人間の尊い一つの姿だと思うのですよ。

ぼく自身も、素直な心になろうとこれまで修行してきたのですが、
なかなかなれませんわ。
碁や将棋は一万回やればだいたい初段になれるということですが、
素直な心の初段になることはもっとむずかしい。
毎日一回素直な心になりたいと心に誓っても、初段になるには
一万回以上、少なくとも三十年はかかる。

ましてや素直な心の名人ともなれば神のごときもの、そこまでに
至るにはきわめてむずかしいといえますね。
しかし、初段か、それに近い一級か二級には、お互い努力して
なりたいものだと思います。        
                                              「松下幸之助:人生談義より抜粋」

                                                      メリークリスマス!(ダルメシアン) 

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              写真:水前寺公園(熊本市)
水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)は細川御歴代を祀る出水神社の敷地内に、おおよそ360年前に造られた庭園である。細川忠利、光尚、綱利の3代にわたって造園された庭園で桃山式池泉回遊庭園です。阿蘇の湧水で作られた池を中心にして、東海道五十三次を模したみごとな庭園であり、国の名勝、史跡に指定されています。


病と仲良く!

2007年04月04日 | 松下幸之助「人生談義」

病は口より入り禍は口より出ず
      =病気は口から入る飲食物が原因で発生し
       災いは口から発せられる言葉によって引き起こされる。
       飲食と言葉には充分注意しましょうということ=

                 医者 
              「病と仲良く」
ぼくはよく、健康状態のよくないことを悩む若い人にこんなことを言って
激励してるんです。
「君、体の弱いこと、そんなに心配しないでもいい。君は自分の
体の程度に応じて働いたらいい。非常に健康な人と同じように
働くことは、そらだめだ。ぼつぼつ、しかし、他の人より
何か工夫をこらしてやればいい、
君がもって生まれたそういう不健康だったら、不健康もまた結構
という気持ちでやっていけよ。そのうちにいいこともあるよ」

またね、病にふせっている人にこんなことも言うんです。
「ぼくの体験からいえば、病気というものは恐れてはいけないな。
恐れ遠ざけていれば、あとから追いかけてくる。
病気と仲良く親しんで
積極的に近づいていればいくほど、向こうが逃げていく。
病気と仲良くなれば、しまいに病気の方から卒業証書をくれる
もんだ。やはり、病気も大切にしてやらないといけないな」

要するに、不健康者が不健康をなげいてばかりいてはいけない
わけで、それではますます悪くなる。
いっさいの不幸もそこから生まれてくるのだと思いますな。

万物は日々生成発展をしているのです。それがほんとうの
姿だと思うのですね。
ですから、病も、老いも死さえも生成発展の姿である。
そういう見方をするといやだ、いやだと思っていたものが
いやでなくなる。敵のように思っていたものが、
やがて味方になるということになります。

何ごともこだわってはいけませんね。素直にありのまま
見るということですわ。

病とはそのような気持ちでつきあっていきたいと思いますね。
                    「松下幸之助:人生談義より抜粋」

                       桜 

    写真:緒方弘之「素晴らしい自然」仙酔峡(熊本県阿蘇)
阿蘇山が爆発したときの溶岩流が造り出した峡谷。溶岩むきだしの谷に5月15日~末にかけてミヤマキリシマが咲き、緑あふれる峡谷と赤い花のコントラストが見事な風景となります。それと展望台から見る
阿蘇平野や外輪山の風景も絶景です。

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熱意ということ。

2007年04月03日 | 松下幸之助「人生談義」

学問に王道なし
        =学問には、手軽に身につける近道はない。
         地道に努力を積み重ねるしかにないというたとえ

                    ラブレター(ミニー)
           「エジソンの熱意」
発明王のエジソンは、小学校では先生から劣等性あつかいされ、
たった三ヶ月で退学しています。だから、学校では勉強らしい
勉強はしていなかったのですね。

だたエジソンは、子供の頃から、ものごとに対する研究意欲は
非常に盛んだった。つまり、自然現象や世の中のことを、
ただぼんやりとながめてはいなかった。すべてに「なぜ」という
疑問を発したのですね。

ときには、鳥を捕まえてきて、なぜ空を飛べるのかと、
羽の構造を熱心に調べた。
またあるときは、止まっている蒸気機関車の下にもぐりこみ、
油まみれになりながら、機械の仕組みを調べていて、
運転手にひどく叱られたといいます。
それほど、熱心だったわけですな。

そこに、多くの発明を生みだす根本があったのでしょうね。
いわゆる学問上の先生はいなかったけれど、自然の事物の中に、
自分の先生を見つけ出した。

つまりね、みずから開拓していこうという熱意にみちて、
心して物事を見、そこから学びとろうとするなら、
道は無限にひらかれている。
心構えしだいで、立派な師は無数にあるということだと思うのです。
                   「松下幸之助:人生談義より抜粋」

                かくれんぼ(バンビ&フラワー)

      写真:緒方弘之「素晴らしい自然」阿蘇(南阿蘇の桜)
桜の本数:約6000本
阿蘇くじゅう国立公園特別地域内に位置し、阿蘇外輪山の南東部にあたります。高森峠を含むこの地域内には、通称九十九曲がりと呼ばれているカーブの多い道路があり、沿線の桜は高森峠千本桜として県下桜の名所の一つとなっている。
ここからは阿蘇五岳と南阿蘇平野が一望でき、その眺望はすばらしいものです

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自信ということNO2

2007年04月02日 | 松下幸之助「人生談義」

雀百まで踊り忘れず
    =スズメは死ぬまで踊り跳ねるような仕草を忘れない。
     幼い時に身につけた習慣は、年をとってからも
     改まらないということ=
             (三つ子の魂百まで) 

                 プンプン(イアーゴ) 

             「スズメに学ぶ」
鳥たちの生態をよく見てみると、非常に教えられるところがあり
ますな。たとえば、家の庭先にいるスズメにしても、
まさに寸秒のおしみのなく飛び歩いて、一途にエサを求めている。

もう何も考える余地がないほど懸命に動きまわっているわけですね。
もしそれをやらねば、スズメは生きていけない。
少しでも、手を抜けば、栄養失調で死んでしまうわけです。

ひるがえって、果たして人間はそれだけの努力をしているかどうかと
いうことですな。

非常に酷な言い方ですが、そこまでやって初めて、ほんとうに
生きる自信が生まれてくるのではないでしょうか。

そのことを知らずして「ぼくは自信がない」などと安易に言って
いる姿は結局甘えにすぎない。そんな気がするんですよ。
そこに気がつかんといかんと思うのです。

生きるということは、ほんとうに非常に厳しいものだと
思います。
                    「松下幸之助:人生談義より抜粋」

                     アリエルとフランダー 

             写真:小泉八雲熊本旧居
「耳なし芳一」、「雪女」、「むじな」などの作者として知られる小泉八雲(こいずみやぐも・別名ラフカディオ・ハーン)。小泉八雲熊本旧居は、明治時代、第五高等中学校(現在の熊本大学)の英語教師として熊本に赴任した際、最初の一年を過ごした住居です。

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「困った・困った」では困る(?_?)

2007年03月31日 | 松下幸之助「人生談義」

熊本も桜が満開です。
今から熊本城に遊びに行きます。今日は人も多いでしょうね!
心が弾んでいます。春です・・・

                プレゼント 

                 困っても困らない
恐怖を抱いたり、悲観した上でものを考えると、心が萎縮して、
出すべき知恵、出るべき創意工夫も出なくなりますな。

しかし、たとえ非常な困難にぶつかったとしても、
「なにくそ、やればできるのだ」と考えて
、その困難に人一倍の
努力もって対処していけば、心も自然に大きく伸びてくる。

その大きな心から、すぐれた創意工夫も生まれ、そこから、
その困難を乗り越えることも可能になるとおもうのです。

困る困ると頭をかかえてばかりいたのでは、ほんとうに困る、
ほんとうに行き詰ってしまいますわ。

そうではなく、悪いからこそこれをよくするのだ、
困るからこそ困らないようにするのだ

そう考えたいものですね。

それができるところに、人間の真のたくましさ、尊さがあるのでは
ないですか。
                「松下幸之助:人生談義より抜粋」

                   ハクション 

          写真:高瀬眼鏡橋(熊本県玉名市)
玉名市の菊池川そばの国道208号線のすぐそばにある石橋である。江戸時代に高瀬町は米をはじめとする農産物の集積地(港町)として繁盛した。この石橋が架かっている川は人工の河川で裏川といい、ここから直接荷物の揚げ降ろしができるようになっていた。

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「日に新た」ということ(NO1)

2007年03月30日 | 松下幸之助「人生談義」

 凝っては思案に余る 
      =あまり物事に熱中して凝りすぎると冷静
       さを失い、よい考えが浮かんでくなくなる=

               サプライズ!(ミニー) 

                 「日に新た」ということ(NO1

中国古代の殷(いん)王朝をひらいたといわれる湯王は孔子も
代表的な名言としてその徳とたたえている人ですが、
その湯王が使った盤に、
「笱(まこと)に日に新たにせば、日に新た、また日に新たなり」
ということばが彫ってあったというんですな。

むずかしい意味はよくわかりませんが、要は日に新たということが
大切でほんとうにそれを行えば心が若返り、
自分が新しくなっていく、とでもいったことでしょう。
そういうことを自分自身に対するいましめとして、日々使う盤
に彫っていたのでしょうね。

湯王というのは、実在したとすればいまから三千年以上も昔の
人だそうです。
その頃はいまと違って時代の変化というものはきわめて
ゆるやかだったでしょう。
そのようなテンポの遅い時代にも、王たる自分は日に新たで
なければならないと考えた。
湯王は実に偉大な指導者だと思います。

ぼくはね、ほんとうはこの世にあるすべてのものは一瞬の間も
静止していないと思うんですよ。
たえず動き、たえず変わりつつある。
古いものが滅び、新しいものがつぎつぎに生まれてくる。
この生成発展の姿こそが自然の理法だと考えられます。だから、
われわれ人間の生活も本来日に新たでなければならないと
思うのです。

「今日の最善は明日になればもう最善ではない。
明日は明日の最善を生みだしていかなければ
ならないということなんです」
                            「松下幸之助:人生談義より抜粋」

                  う~ん?(ミッキー) 

         写真:清正を祀る浄池廟(本妙寺)熊本市
       本殿浄池廟の裏山に300段の石段があります。
       石段を上り詰めると山頂に清正の銅像が建っています。

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生きがいの条件

2007年03月29日 | 松下幸之助「人生談義」

 賢者は長い耳と短い舌を持つ
      =賢い人は他人の話をよく聞くが、自分は余計な
       ことは言わないということ=

                  ペット 
           「生きがい」ということ
皆それぞれに、一度しかないかけがえのない人生の今この時を
歩んでいるのですよ。
それを、これといった喜びもなしに、ただ何となく過ごすということは、
まことにもったいない。
第一、何のために生きているのか、ということになりかねませんね。

 

           生きがいの条件
仕事に生きがいを感ずるもいい、家庭に生きがいを感じても、
あるいは趣味やスポーツに生きがいを感じてもいいのです。
人間は一人ひとり顔貌が違うように物の見方、考え方が
異なるのですからね。

ただ、一つ考えておかなければならないことは、生きがいと
いうものは、人さまざまでいいわけですが、
自分だけが喜びや満足を感じさえすればよいかと
いうと、それだけではいけないように思うのですな。

やはり、第三者もそれを承認する、社会の良識もその
ことに賛成する
、そういったもにであることが好ましいし、
それがほんとうの生きがいだと思うのです。

早い話、物を盗んだり、人を殺したりすることに生きがいを
覚えるというような人があっても、それは社会から承認
されないわけですよ。
騒音をまきちらす暴走族の生きがいなんかもそうかもしれません。
                         <松下幸之助:人生談義より抜粋>                            

  ミュージシャン    写真:雲巌禅寺:(熊本)
   名刹・雲巌禅寺。武蔵が参禅し、『五輪書』を著した霊巌洞は、
   この雲巌禅寺の奥の院になっており、古くからの修験場として
   知られていました。

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素直な心について

2007年03月28日 | 松下幸之助「人生談義」

正直の頭に神宿る
       =
いつも正直であれば、人には神仏の加護が
         ついてまわるということ=
               お辞儀 

             <素直な心について>
素直といっても、それは一般によく使われているような、おとなしく、
従順という意味ではないのです。

ぼくがいう素直な心とは、心理に直結する心とでもいいますか、
私心や私利私欲など、何ものにもとらわれず、ものごとの
ありのままを見、ものごとの実相を明らかにする心です。
それは広い寛容の心、他に耳を傾ける態度にも通じる心ですね。

お互いが素直な心になれば、ものごとの実相に従って、
何が正しいか、何をなすべきかということがわかってくる。
従って、いっさいのものごとがスムーズに運び、
常になごやかな明るい姿を保ちつつ、日に新たな好ましい成果を
生み出すという姿がもたらされてくると思うのです。

しかし、人間というものは、ともすれば何かにとらわれて、迷ったり、
人間関係をこじらせたりしがちなものです。

ぼくも今日までを顧みても、毎日、憤慨したり、他人のことを
うらんだり・・・
だんだん少なくなりつつあるとはいえ、これまではずいぶん
そうした経験がありました。

でも、そうした心をもっていない人はおそらくこの世には一人も
いないのではないかと思うのです。もちろん、そのあらわれる
度合いや程度は、人によっていろいろだと思いますが、
しかし、「おれはいまだかつてそんなとらわれた
心をを持ったことがない」という人がいたらウソだとおもいますな。

それは、欲望や感情を持っている人間なら当然のことで、
そうした心の動きがあればこそ、また人生における満足や
幸せも生まれるのですね。

だから、大切なのは、欲望や感情をなくそうとするのではなく、
それにとらわれず善導することです。
折々に反省し、とらわれを極力排していかなければならないと
いうことでしょう。

そのことは何も自分の気持ちを押し殺せ、ということではないと
思います。
たとえば、あなたがトクをすればあなたの親しい友達がソンをする
その場合、きっとお互いにほどほどの調和点を求めるのでは
ないでしょうか。

それでよいのですね。つまり、自分の欲望も適切に満たす。
しかし、相手の欲望をも満たしてあげる。
自分だけの欲望、私心にとらわれることなく自他共に
いきるということを大切にする

そうした心がまた素直な心だと思うのです。
                    (松下幸之助:人生談義より抜粋)

                  ぶちゅっ! 

  写真:緒方弘之「素晴らしい自然」水のカーテン(熊本・菊池渓谷)
身を切るような清流は、谷の岩間を縫って、冷気が辺り一面に漂い、
夏は避暑地として、格好の場所となっている。
春は新緑、秋は紅葉、冬は霧氷の花が咲き、四季折々に
その表情を変え、訪れる人々の心をなごましてくれる。

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