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奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

困っても困らない

2007年08月09日 | 松下幸之助「人生談義」

                    長崎:平和公園 

 十遍読むより一遍写せ
       =書物の内容は、何遍も読むよりは、一回書き写した
         方がよく理解できるということ=
           <十読は一写に如かず>ともいう

    ご機嫌ななめ(ティンカーベル)     日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

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                   「困っても困らない」

恐怖を抱いたり、悲観した上でものを考えると、心が萎縮して、出すべき知恵、出るべき創意工夫も出なくなりますな。

しかし、たとえ非常な困難にぶつかったとしても、「なにくそ、やればできるのだ」と考えて、その困難に人一倍の努力もって対処していけば、心も自然に大きく伸びてくる。

その大きな心から、すぐれた創意工夫も生まれ、そこから、その困難を乗り越えることも可能になるとおもうのです。困る困ると頭をかかえてばかりいたのでは、ほんとうに困る、ほんとうに行き詰ってしまいますわ。

そうではなく、悪いからこそこれをよくするのだ、困るからこそ困らないようにするのだ、そう考えたいものですね。

それができるところに、人間の真のたくましさ、尊さがあるのではないですか。
                       「松下幸之助:人生談義より抜粋」

 

    ピーターパンとティンカーベル     日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

                    写真:長崎市
  
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  原爆落下中心地     浦上天主堂       稲佐山公園(昼・夜)

 「のどが乾いてたまりませんでした。
水にはあぶらのようなものが一面に
浮いていました。どうしても水が欲しくて
とうとう油の浮いたまま飲みました。」


感謝の心を

2007年07月25日 | 松下幸之助「人生談義」

                     鹿児島市・磯庭園

 砂上の楼閣
      =砂の上の建てた高い建物は、基礎が弱いからすぐに
       倒れてしまう。物事の基礎がしっかりしていないため、
       すぐに失敗しそうなこと。また、実現不可能なこと= 

    しょんぼり    日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

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               「感謝の心を」

幸せを得ようと思えば、まず感謝の心が必要だと思いますね。人間とは妙なもので、同じことをしてもらっても喜ぶ人もあれば喜ばない人もある。いや、喜ばないどころか不平を感じる人もありますわな。

たとえば、子供でも、お母さんが朝起こしてくれる、それを、ああ、お母さんが気をつけて起こしてくださったんだと喜びを感じる子供と、うるさいなと思う子供と、二通りあると思うんです。

どちらの子供が幸せでしょうね。
                     
松下幸之助:人生談義より

 

    仲良し     日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

           写真:鹿児島市・城山・磯庭園
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  磯庭園      磯庭園から桜島  城山から桜島  城山からの夜景

鹿児島市の観光と言えば、磯庭園と城山であろう。磯庭園から見る桜島と城山から見る桜島を見比べるのも面白い。磯庭園は島津光久が別邸として造ったもので、目の前に雄大な桜島を築山に錦江湾を池にみたてた大自然の借景庭園は天下の名園として名高い。城山から見る鹿児島の夜景も綺麗である。

 


物と心

2007年07月24日 | 松下幸之助「人生談義」

                                        開聞岳(さつま富士)

 志は髪の筋
       =心を込めて贈れば、たとえ髪の毛のような些少な
         物でも、受け取った人は気持ちを酌んでくれる=

 

    最近どう?    日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

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                「物と心」

“物心一如”ということばがありますね。物と心というものは紙の表裏のように、本来、表裏一体をなしているものだと思います。

それが、最近は離ればなれになってきている。そこから、好ましからざるいろいろな問題が出てきているのではないでしょうか。

ほんとうは、物とあわせて心をつくり、物と共に心を売り、そしてお金と共に心をいただく、つまり物や金が通いあうだけでなく、お互いの心というものがお客様との間に通いあうことがきわめて大切なのです。
                     
松下幸之助:人生談義より

  

      お願い   日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

              写真:指宿・知覧
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   砂むし温泉   開聞岳    知覧武家屋敷  知覧特攻平和会館

指宿といえば、何と言っても砂むし温泉であろう。15分も入っていると身体全体から汗が吹き出てくる。身体の中の毒物を全て出したような感じを受ける。また、全国至る所に○○富士はあれど、開聞岳、「さつま富士」と呼ばれるだけのことあると思いませんか?(^^♪指宿に来たなら是非、知覧まで足を運んでほしい、知覧の町並みは、灯篭が立ち並び、民家も庭の手入れが行き届いていて素晴らしい、又知覧特攻平和会館で特攻隊員の家族に宛てた手紙は是非読んで欲しい・・・・

 


より明るい物の見方を

2007年07月23日 | 松下幸之助「人生談義」

                      湯布院・観光辻馬車

 浩然の気を養う
       =広々として屈託のない気持ちになること=

   噴水(ダンボ)   日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」


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          「より明るい物の見方を」

ものごとにはさまざまな見方がありま、一見マイナスに見えることにもそれなりのプラスがあるというのが、世の中の常だと思います。

そうであるなら、同じ物を見、同じ事態に直面してもより心豊かになれる見方を選んでいく、というのがより豊な人生に通ずる道ではないでしょうか。

皆さんは、ものごとを、時々刻々に起こる出来事をどのように見ておられるでしょうか。
                     
松下幸之助:人生談義より

 

    ライフセーバー     日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

 

                写真:湯布院(大分県)
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        湯の坪横丁     美術館       ハーブワールド

人気の温泉街、湯布院です。町並みも整理され心落ち着きます。予約を入れないと買えない、人気のパン工房、チーズケーキ屋さんを始めとしてガラス工房の店、小物の店などあります。観光辻馬車に乗って町並みを見るのも良いですね、でも周りから見られるからチョット恥ずかしい感じ(^_^.)。温泉は最高ですよ。家族でユックリと・・・・時間を過ごしてください。
imagesこれが「だご汁」です。美味しいそうでしょう!

 


教えなければ

2007年06月22日 | 松下幸之助「人生談義」

                    熊本市(船場橋から市内を)

 教うるは学ぶの半ば
        
=人に教える立場になると、自分の知識不足や
          あいまいな点が明らかになるから、半分は自分の
          勉強になるということ=

 

    ごきげんよう  日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

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               「教えなければ」
                            松下幸之助「道をひらく」

人間はえらいものである。たいしたものである。動物ではとてもできないことを考えだして、思想も生みだせば、物もつくりだす。まさに万物の王者である。

しかしそのえらい人間も、生まれおちたままに放っておいて、人間としての何の導きも与えなかったならば、やっぱり野獣に等しい暮らししかできないかもしれない。

古来、どんなすぐれた賢者でも、その幼いころには、やはり父母や先輩の教えを受け、導きを受けてきた。その上に立っての賢者であって、これらの教え導きがなかったら、せっかくの賢者の素質も泥に埋もれたままであったろう。

教えずして、何ものも生まれてはこないのである。教えるということは、後輩に対する先輩の、人間としての大事なつとめなのである。その大事はつとめを、おたがいに毅然とした態度で、人間としての深い愛情と熱意をもって果たしているかどうか。

教えることに、もっと熱意を持ちたい。そして、教えられることに、もっと謙虚でありたい。教えずしては、何ものも生まれてはこないのである。 

 

    ダンス 日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」

 

             写真:熊本市新町(船場橋)界隈
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 新町と船場町を結んで坪井川に架かる橋である。このあたりは、昔、坪井川の船着場であったために船場とよばれ、川の名まで船場川とも呼ばれていた。大正頃まで木橋であったが昭和4年に市電段山線が敷設されるとき鉄筋コンクリートの橋となった。
【肥後手まり唄】
あんたがたどこさ 肥後さ。肥後どこさ 熊本さ。熊本どこさ せんばさ。せんば山にはたぬきがおってさ。それを猟師が鉄砲で撃ってさ。煮てさ 焼いてさ 食ってさそれを木の葉でちょいと隠せ
この唄にでてくる「せんば山」は昔、右岸に連なる小高い繁みがあり、それが「せんば山」であったといわれている。この橋の橋柱には唄にちなんで、狸とエビを象ったモニュメントが設けられている。ちなみに2番の歌詞はタヌキでなくてエビとなり猟師も漁師となる。


あきらめては成功はない

2007年06月21日 | 松下幸之助「人生談義」

                熊本城内・監物台樹木園

 ぽつぽつ三年波八年
         =日本画でぽつぽつと点で苔を描けるようになるのに
          三年、波を巧みに描くのに八年の歳月がかかる。
          どの世界でも、一人前になるにはそれなりの年月
          が必要だということ=
               首振り三年ころ八年  

    噴水(ダンボ) 日記@BlogRanking「暑いです、ご自愛ください」 

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       あきらめては成功はない」
                   
松下幸之助「人生談義」

いま思い返してみると、ぼくの人生にはこのようないまも忘れることのできない困難というか、出来事が何回かあり、そうしたことに直面するたびに“もう一度”“もう一度”と気を取り直して事に取り組んできたように思います。その“もう一度”がなかったら、おそらく今日のぼくはなかったのではないでしょうか。

そうした経験からつくづく思うことは、何ごとによらず、志を立てて事を始めた限り、少々うまくいかないとか、失敗したからといって、“これはもう見込みがない。ダメだ”と簡単にあきらめてしまってはいけないということです。そのような心弱いことでは、ほんとうにものごとをなし遂げていくことはできません。

世の中は常に変化し流動しているものです。ひとたびは志を得なくても、それにめげることなく、“もう一度やってみよう”と、気を取り直して、再び辛抱強く地道な努力を重ねていく。そうすると、そのうちに周囲の情勢が有利に転換して、新たな道がひらけてくるということもあるものです。世の中でいう失敗の多くは、そういう辛抱ができず、成功するまでにあきらめてしまうところに原因があるのではないでしょうか。

もちろん、そうはいっても、何かにとらわれてただいたずらに一つのことに頑迷に固執するということであってはなりません。一つのことにとらわれるあまり、理にはずれた方向への努力をつづけていたのでは、どれほど辛抱強く取り組んだとしても、やはり成果はあがらないでしょう。ですから成るものか成らぬものかの見極めは必要です。

しかし、よくよく考えて、それが理にかなっていると思えば、簡単にあきらめてしまわず、“もう一度”とみずからを励まし、思いを新たに挑戦していく、そのことがきわめて大切なのではないでしょうか。

“もう一度”“もう一度”、この勇気とねばりが、事態を切りひらいていくのだと思うのです。


 

   雨の日  日記@BlogRanking「梅雨だというのに雨が・・」 

           写真:熊本城内・監物台樹木園
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園内には,九州の郷土樹種である常緑広葉樹を中心に,各地の樹種を造園的に植栽していて,そのほか盆栽,草花等を合わせると141科793種,約2,100本に及ぶ植物が植栽されています。との事ですが、小中学生は無料。大人200円の入場料は???(^_^.)かな!


親孝行のすすめ

2007年06月20日 | 松下幸之助「人生談義」

                      熊本城

 親の恩は子を持って知る
         =自分が子供を持ってはじめて、親がどれほど
          苦労して自分を育ててくれたかが分かるということ=

 

    リロとスティッチ  日記@BlogRanking「50代ランキングに登録」 

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            「親孝行のすすめ」
                           松下幸之助「人生談義」

ぼくは父を十一歳のとき、母を十八歳のとき亡くしたのですが。その後、親が生きていてくれたら、どんなにでもしてあげるのになあ、といくたびも思ったものです。

“孝行したいときには親はなし”ということわざがありますが、ほんとうにその通りだとつくづく思いますな。

ぼくは、親を大切にするという道徳は人間としてもっとも尊いものだと思います。人間というものは、親は子を愛し、子は親を慕って大きくなっていくんです。そして子供は一人前になれば親のもとを離れ独立していく。それが宿命です。

親はそのことを理解していても、やはり心さびしい。そうした親の気持ちをおしはかって、子供はそのさびしさを補うように務める。それは人間の道として非常に尊いことではないでしょうか。ぼくはそんなことを、早く亡くなった両親からの無言の教えとして、長い間感じつづけてきたように思います。

若いときは、親の絶対的な愛にすらありがた味を感じることが少ない。そして、親が亡くなった後で、折にふれその偉大な愛に胸を打たれ、せめて少しでも親孝行らしいことをしておくべきだったと悔やむ、それが世の常の姿なのでしょうな。

だからこそ、若い人には“親孝行をして欲しい”と声を大にして言いたいのですよ。

 

   バスタイム(リロ&スティッチ)   日記@BlogRanking 「50代ランキングに登録」

                熊本城
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色んな角度から熊本城を撮りました。熊本城は城築400年を迎え、来年4月までいろんな催しがあります。復元工事もほぼ完了している様子です。新しい熊本城を見に是非、熊本に来てください。(*^_^*)まるで観光課みたいなコメントになりました。最後の写真は「本人の了解をとってます」。「ブログに載せますけど顔写していいですか?」はにかんでイイですよ。(*^_^*)好青年でした。

 


素直な心になれば

2007年06月19日 | 松下幸之助「人生談義」

                   旭志(鞍嶽山善光寺)

 水火を辞せず
        =あらゆる苦難を厭わず、物事をやり抜く決意をいう=
         「水火」は、水に溺れる苦しみ。火に焼かれる苦難。

 

   キュート(マリー)   日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

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            「素直な心になれば」
                            松下幸之助「人生談義」

“コツをつかむ”ということが、単に経営に限らず、お互いの日々の生活の中で取り組むあらゆることにも、きわめて大切だと思うからです。

仕事はもちろん、勉強でも、スポーツでも趣味でも、およそものごとには、それをうまくすすめる勘所というかコツがあってそれをつかむかどうかによって、結果に大きな違いが生じてくる。

ですからお互いに、そのことをよく自覚して、何をするにもそのコツをつかむように務めていくことが大切で、そのことに成功するならば、そこからきわめて大きな価値が生まれてくるのではないかと思うのです。

お釈迦様は六年間山中で難行苦行をつづけられたけれども悟れずに、その苦行をやめて疲労困ばいして里に下りてこられた。そして一人の乙女の差し出す山羊の乳を飲んで菩提樹の木の下で一服されたときに、ホッと悟りをひらかれたということです。

もちろん、私たちが日々の生活の中でつかむものごとのコツというものは、そのときにお釈迦様がひらかれた悟りとは比べようもないものですが、コツをつかむということの性格は、自得するということにおいて共通していると思うのです。

つまり、日々お互いが、どんなことを行う場合でも一生懸命取り組んで、その都度これはうまくいったなとか、これはここをこうすればもっとよかったという具合に反省を重ね、新たなやり方を工夫していく。そのようなことを繰り返していくうちに、そのコツがおのずと身についてくるということではないかと思います。

たとえば水泳でも、手足をこう動かしてこうするものだといくら教えらてもらっても、そう簡単に泳げるものではないでしょう。

やはり実際に水の中に入って手足をバタバタさせて水を飲んだり、苦しい思いをしながら練習する。そういうことをしているうちにだんだん水を飲むことも少なくなり、苦しい思いをすることも減っていく。そしてあるとき、ふっとスイスイ泳げるようになる。このように実体験をとおしてそこコツをつかむことができるのだと思います。

そして、さらにいえば、そのしたコツをつかむときの心がまえとして大切なのは、やはり“素直な心になる”ことだと思います。もし、素直な心がなく自分の利害や感情、欲望といったものにとらわれていると、自分のやり方の悪いところがわからなかったり、せっかくの人の忠告や意見を取り入れることができにくかったり、わざわざコツをつかむのに遠回りをするということになりかねません。

素直な心になればものごとにとらわれることなく、そのほんとうの姿、実相を見ることができるようになります。その意味で、ものごとのコツをつかむコツは素直な心になることであるといえるのではないでしょうか。

おたがいに充実した人生を送るために日々素直な心になることを心がけ、経営なり、仕事なり、勉強なり、一つでも多くのコツをつかんでいきたいものだと思いますが、いかがでしょう。 


    雨の日(マリー)  日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」

 

           写真:熊本県菊池市(旧旭志村)
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        四季の里旭志           円通寺       ホタル

旭志村(きょくしむら)と言えば熊本では、ホタルで有名である。ホタルを写真に撮るには、私の腕では無理です。5月中ごろから6月の初旬にホタルを見に来てください、幻想的ですよ。4月にはシャクヤクが見事です。菊池温泉が近くにあります。


不平不満の解消 (その3)

2007年06月10日 | 松下幸之助「人生談義」

                     熊本:城見通り 

 言わぬは言うに優る
        =口に出さずに沈黙している方が、口で言うよりも、かえ
         って深い意味を伝えるということ=

 

     ほ乳瓶(グーフィー)    「宜しくお願いします」

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          「一歩の差が千里の差」
                             松下幸之助「人生談義」

何かに不平や不満を感じる場合、その何かにとらわれて不平不満に終始していればいつまでたっても状況は変わりません。いや、かえってますます悪くなっていきます。

そんなときは自分が何かにとらわれていないか、一度静かに考えてみることですね。そして、何にもとらわれず積極的に見直してみる。

そうすると、すうっと目の前の霧が晴れるというようなことがあるものです。あるいは、勇気が出てきたりいい考えが浮かんで事態が打開されるということもあるかもしれません。

けれど、実際は何かにとらわれたまま、ただ不平不満を訴えるにとどまることが多い。それでは自分自身を殺すことになりますし、人生はおもしろくなくなってしまします。

そこが非常に大事なところでして、そのちょっとしたところを理解するとしないとでは千里の差、千里のひらきが出てくるわけです。

いわば一歩の差が千里の差にもなってくると思うのですね。

 

     エ~ン(ドナルド)     「宜しくお願いします」

 

         写真:日本画展(アートスペース大宝堂)
   
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友人から展示会の案内状が届きましたので見に行きました。春丘社日本画展、熊本市上通りのアートスペース大宝堂で6/6~6/11日まで30点の作品が展示されています。阿蘇を画題にした作品で、書く人によって表現の違いに感動してきました。

 


不平不満の解消 (その2)

2007年06月09日 | 松下幸之助「人生談義」

                  熊本県民総合運動公園 

 苦は楽の種
        =いま苦労をしているのは、先で楽をするための種を
         蒔いているいるようなものだといういこと=
         「楽は苦の種、苦は楽の種」とも言う。

     ルンルン(ハッピー)  「宜しくお願い致します」 

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               「不満を希望に」
                              松下幸之助「人生談義」

たとえば、狭いとか、暗いとか、人間関係がおもしろくないとか、自分の職場にいろいろと不平不満があるとします。けれど、不平不満だけに終わって“この職場はダメだ”と思ってしまったら、さらに気分が落ち込むだけですね。何をする気も起こらなくなる。

そんなときに見方を変えてみる必要があります。不平不満があるということは、自分から見てよくない点があるということです。

ですから、そのよくない点を是正していくためにどうしたらいいか、そして多くの人に喜んでもらうにはどうすればいいか、ということを考えてみる。そうすれば、仕事に興味もわいてくるし、よし改善してやろうという勇気もわいてくるのではないでしょうか。

そういう物の考え方がないと、力強い仕事はできませんし、世の中の進歩発展もないだろうと思うのです。

つまりね。不平不満で毎日を過ごすのも困りますが、ものごとの改善発展のためには、不平不満を感じないというのも困るわけです。

理想を持って真剣にやっていれば、やはり何かそこに不満が出てくるのが普通だと思います。

たとえば、仕事でも、どうして買ってくれないのだろうか、どうして自分の考えを理解してくれないのだろうか、というように、その不満を不満のままに終わらせず、つぎには目標や希望に変えていくことができる。そういう物の考え方が非常に大切だと思うのです。

      照れちゃう(バッシュフル)  「宜しくお願い致します」 


                            写真:熊本県民総合運動公園
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 KKウイング        肥後ちょんかけ独楽      スイットアレッサム

熊本県民総合運動公園で“肥後ちょんかけごま”の達人に遭遇です。3番目の写真は「あんたが写真を撮る間、止めとくから撮りなっしぇ」と独楽を止めてくれて、撮りましたと言ったとたん、独楽が動きました。感激しました。肥後ちょんかけごまは400年の歴史があるのとことです。よく熊本城で見かけること多いと思いますけど、土曜日・日曜日は熊本城に居るからとのことでした。花の名前間違っていないか心配ですけど・・・(^_^.)トップの写真は運動公園の日本庭園です。

 


不平・不満の解消 (その1)

2007年06月08日 | 松下幸之助「人生談義」

                            熊本県民総合運動公園

 薬石の言(やくせきのげん)
        薬や治療のように身のためになる言葉。忠言のこと。

 

    仲良し(ミッキー&ミニー&プルート)   「宜しくお願いします」 

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          「名人は無理解な師匠から」
                              松下幸之助「人生談義」

たとえばね、若い人が学校を出てどこかの会社に入る。そうすると、いろいろな先輩がいて何かと指導してくれると思います。

しかし、すべての先輩が親切にしかも上手に指導してくるかというとそうでもない。

自分の仕事は熱心にするけれど、後輩の指導は苦手だという人もいますからね。

また、先輩と仰いで申し分ない人、つまり、人格の点からいっても、仕事の面、経験の面からいっても申し分のない人がいる反面、先輩として、ある面ではいささか問題があるという人もいるかもしれない。

その場合、不平や不満が起こり、心が動揺するということもあるでしょうな。しかし、ほんとうはそういう職場に入ったことを感謝すべき一面もあると思いますね。

というのは、芸ごとでも何でも、非常にいきとどいた師匠のもとからはあまり名人は出ないように思うからなんです。むしろ、いわば非常識な師匠のもとで修業し、みずからコツを会得した人が名人になる場合が多い。

もちろん、常識的には、いい指導者につくということによって、やはりそれだけ上達するということはいえると思います。けれども、画期的なというものは生まれにくい。すべて師匠の通りにするということになりがちだからなんでしょうね。

反面、師匠が非常に無理解であると、当然ほめらていいところをボロクソに言われる。やめてしまおうかという思いをこらえて、辛抱に辛抱を重ねて修業した結果、その師匠を超えるような名人になった。そんな例をぼくはしばしば聞くんですよ。

だから、理解のある先輩につくことができれば、それはまことに結構なことですし感謝すればいい。しかし、そうでない先輩についても“俺は名人になれる”と考え、懸命に仕事に取り組めばいいと思います。

その方が楽しく仕事ができますし、自分にとってプラスになるでしょうからね。


     おままごと(ミニー)   「宜しくお願いします」 

 

             写真:熊本県民総合運動公園
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熊本県民総合運動公園、総合的なスポーツ、レクレーション施設を有し公園は東西に長い、兎に角広い、敷地約100haで、ジョギングコース・憩いの広場・お楽しみ広場・芝生公園・和風庭園・ちびっこ広場・肥後銘花園・バラ園などの公園施設とスポーツ施設である。駐車場も4箇所あり、バラ園・ちびっこ広場・和風庭園の写真を撮る予定でしたが、途中8枚写真を撮ったところで、デジカメの充電切れ、それでも1時間近く歩く、駐車場が分からなくなる(?_?)広いところは苦手である。
散歩道には写真の黄色い花が咲き始めています、綺麗な花でした。何という花なのか?いつものようにお尋ねするしかない・・・(*^_^*)宜しくお願いいたします。


 


真の体験は頭の中にある

2007年06月07日 | 松下幸之助「人生談義」

              熊本県宇土市住吉町“あじさい公園”

 琴瑟相和す(きんしつあいわす)
          =夫婦仲がきわめて睦まじいたとえ=
          「瑟」は大きな琴。琴と瑟は合奏すると音がよく調和
          するからそう言う。
          もとは、家族の仲が睦ましいという意味でした。

 

     ツッコミ  「宜しくお願いします」 

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         「真の体験は頭の中にある」     
                           松下幸之助「人生談義」

一度失敗したことは体験として残ります。成功したことも体験になりますね。そういうことを年と共に重ねて自分の血肉としていくっことが大切で、年長者というか、先輩が尊重されるのは、やはりそういう多くの体験を持っているからだと思うのです。

年をとっても何の失敗も成功の体験もないというのでは、ほんのとに年をとったことにはならないのではないでしょうか。

しかし、大きな失敗や成功がないと体験が得られないのかというと、そうではない。平穏無事な時を過ごしていたとしても、一日が終わったとき、自分が今日一日やったことは、成功だったか失敗だったかを考えてみる。

そうすると、“あのときは、ああすべきだったな”“あれはうまくいったな”ということが必ずあるものですよ。

このように、一日の行動の中に、失敗や成功を見出し、その味をかみしめる。そうすれば、それが貴重な体験になるんです。

反省することなしに、ポカンと時を過ごしてしまえば、これは体験にならない。そういう意味で真の体験は、人間の頭の中にあるんです。

 
     雨の日(マリー)  「宜しくお願いします」 

        写真:熊本県宇土市住吉町「あじさい公園」
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天草に向う途中の宇土市住吉町の“あじさい公園”です。6月になると毎年たくさんの紫陽花が咲き乱れ、見物客の目を楽しませてくれます。道路に面していますので車窓からも楽しめますが、ユックリ歩いて楽しんでください。遠くは島原の普賢岳を眺める事が出来ます。初夏の潮風が心身をともに癒してくれます。

               お礼
皆様には大変ご心配をおかけしましたが、母は大事に至りませんでした。胸水がひどくそのため息苦しようですが、薬で治療するしかないようです。なにせ、高齢90歳ですから・・精一杯看病してやろうと思っています。色々とご心配して頂きました。本当に皆様に励まされました。感謝申し上げます。

 


一休さんの工夫

2007年05月23日 | 松下幸之助「人生談義」

                      熊本県:黒川温泉

  昨日は人の身今日は我が身
       =昨日他人に降りかかった災難が、今日自分のものに
        になるかもしれない。人の運命は、いつどのように
        変わるかもしれないということ=


     家族旅行 「宜しくお願いします」 
 

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                               「一休さんの工夫」
                                                      松下幸之助「人生談義」

それは、一言でいうと、“人を見て法を説く”ということ、つまり、相手の人の性格や好みやそのときの気持ちをよくわきまえて、その人にあった言い方をするということです。

もちろん、自分の考え方を受け入れてもらおうと思えば、その考え自体が的を射たものであることが大切なのはいうまでもありませんし、熱心に熱意を持って伝える努力をすることも必要でしょう。しかし、それだけでは十分でない、やはり相手によって、言い方、説得の仕方を変えなければならないと思うのです。

そうでなければ、いくらいい考えを持っていたとしても、熱心になればなるほど相手の人の心を閉ざし、受け入れてもらえないということになりかねません。

あの有名な一休さんの若い頃の話に次のようなものがあります。

一休さんは若い頃から才知がすぐれていて、しばしば人を教え導いていました。しかし、中にはそんな一休さんの姿を見て、若僧のくせに生意気だ、と思う人もいたらしく、そんの人の一人が、ある日一休さんに質問しました。

「聞くとことによると、地獄とか極楽というものがあるそうですな」
「ありますよ」
一休さんはにこやかに答えます。
「しかし、その地獄や極楽へは行くのは、死んでからでないといけないといいます」
「そうです」
「人が生きている間に悪事をすれば、死んでから三途の川、死出の川などという難所を越して、そしてようやく地獄に入るといいます。そして極楽浄土というのは、ここより十万億土というはるか遠く離れたところにあるといいます。非常に遠い道のりを行かねばなりません。私たちのような体の弱い者は、極楽はともかく、地獄へも行きにくいと思うのですが、どうでしょう」

こういう質問を受けて、一休さんは静かに答えて言いました。

「地獄というのは、別に遠くにあるものではありません、目の前のこの世の中にあるのです。浄土もまた、ここから遠いところにあるわけではないのです」

するとその人は
「いやいや、あなたそのように目の前に地獄や極楽があるとおしゃるが、実際にあらわれて見えないのですから、私は納得できません。あなたのように若い坊さんとしては、やはりくわしく、わかるように示してくださることはできないのでしょうね」
と言ってあざ笑いました。バカにされて腹を立てたのが一休さんです。

「さてはあなたは、私を若年ものとあなどられるのですか!」
一休さんは、一本のナワを持ってその人のうしろへまわり、そのナワを首にかけて、ギュッと締めつけました。

「さあ、これでどうだ!」
締めつけられてはたまりません。
「苦しい!わかった、わかった。これは地獄だ。まさに地獄だ。助けてくれ!」
それで一休さんはそのナワをといてまた、たずねました。
「さあ、こんどは、こういう状態ではどうだ!」
ホッとして息をついたその人は答えました。
「やれやれ、これはほんとうに極楽だ。浄土だ。よくわかりました。いや、あなたはまだ若いから実際は大したことはないと思っていましたが、私が間違っていました。あやまります。あなたの才知はほんとうにすばらしい!」

一休さんは、口で言ってもわからないので当意即妙に身体でわからせようとした。そうすると、相手はたちまちのうちに理解したというのです。

これは、実際にあった話かどうかはわかりません。また自分の考えを相手に伝える方法としては非常に極端な例だとは思います。けれども、人に自分の考えを理解してもらおうとする場合には、この一休さんのような工夫がやはり必要なのではないでしょうか。

人はさまざまです。短気な人もいれば気の長い人もいる。緻密な人もいればおおざっぱな人もいる。理論派もいれば人情家もいる。というように、それぞれの持ち味がみな異なります。

しかも、それだけではありません。同じ人でもその心というものは刻々に動いていて、いわば千変万化の様相を呈しています。ですから、同じことを言っても、ある人は反発し、ある人は喜んで聞いてくれるといったことがあるでしょうし、同じ人でもそのときの心の状態のいかんによって、受け取り方はさまざまに変わってくると思うのです。

 

    洗車 「何卒・宜しくお願いします」

             写真:阿蘇・黒川温泉
 
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田の原川沿いに旅情あふれる旅館やお土産屋やお食事処が軒を連ねる。各旅館のそれぞれに趣向を凝らした露天風呂を下駄と浴衣姿で巡る。小さな温泉地全体がしっとりとした雰囲気に包まれている。

 

 


人との関わりを大事にしたい

2007年05月22日 | 松下幸之助「人生談義」

  佐座家屋敷(五家荘)

禍福は糾える縄の如し
      
=幸・不幸は、より合わせた縄のように巡り巡ってやって
        くる。不幸を嘆いているとそれがいつの間にか福に
        変わり、幸せを喜んでいると、それが次は災いに変わ
        るということ=
           <沈む瀬あれば、浮かぶ瀬あり>

  風船(ティモシー)  「宜しくお願いします」 

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    「人との関わりを大事にしたい」
                         松下幸之助「人生談義」

私たちは日頃。さまざまな人間関係の中でいきています。そして、そうした人と人とのつながりはとかく個人的な意志でできたものと考えがちで、だからそれらのつながりは、自分一人の考えで、いつでも断てるかのように思っている一面があります。

しかし、“袖ふり合うも他生の縁”と昔からいわれているように、人と人とのつながりには、やはり個人の意志を超えた、縁という深い力が働いている。

夫婦の間にももちろん、友人の間にも、また会社の上司や同僚、隣人との間にも、個人的は意志の力を超えた縁の力が働いていて、その力によってお互いが結びつけられていると考えられるのではないでしょうか。

とするならば、私たちは、職場でといわず、隣近所でといわず、いまそれぞれに持っている人と人との関わりを、もっともっと大事にしていく必要があるのではないかと思います。

日頃何気なく受けとめているあの人、この人とのつながりも、実は世界何十億という人の中から、深い縁の力によって選ばれ、結ばれた結果である。そう考えて、お互いの心もよりスムーズに通いあって、ほんとうに力強い真の人間関係が育まれてもくるのではないかという気がするのです。

縁などというと、若い皆さんには、古くさいことばのように思われるかもしれませんが、日々人間関係に、わずらわしさを感じたときなど、一度この縁の力の不思議さについて、考えてみてはどうでしょうか。きっと新しい勇気がわいてくるのではないかと思います。

 

  ごきげん(ダンボ)  「宜しくお願いします」 

          写真:緒方弘之「素晴らしい自然」五家荘
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 五家荘(新緑)  せんだん轟の滝    五木の里        平家の里

最後の秘境と言われる五家荘、今でも手付かずの自然が残っている。この五家荘は広く知られるように平家の落人の里である。五家の荘の紅葉は言葉では言い表せないほどの美しさである。
       写真の上にマウスを当てクリックしますと写真は拡大されます。

 


無理ということ

2007年05月18日 | 松下幸之助「人生談義」

                     阿蘇:草千里 

天に口なし人を以って言わしむ
         =天はものを言わないが、その意志は人の口を借りて
                      伝えられる。大衆の間意に自然に広がる世評こそ
          天の意志の表れだということ=  

      レイブガール 「昔を思いだして踊りたいね」 

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        「無理ということ」
                        松下幸之助「人生談義」

仕事がうまくいかない、人間関係がうまくいかない、あるいは、その他の何かがうまくいかないという場合、一度静かに無理をしていないかどうかを考えてみることも意味あることではないでしょうか。

         「天地自然の理」

無理をしないということは、理に反しないということ。言いかえると、理に従うことです。

春になれば花が咲き、秋になれば葉っぱが散る、草も木も。芽を出すときには芽を出し、実のなるときには実をむすび、枯れるときには枯れていく。まさに自然の理に従った態度です。

人間も自然の中で生きている限り、天地自然の理に従った生き方、行動をとらなければなりません。といっても、それは、別にむずかしいことではない。言いかえると、雨が降れば傘をさすということです。

雨が降れば誰でも濡れる。これは自然の理ですね。しかし、傘をさせば濡れないですむ。これも自然の理に従った姿です。そのことは誰もがごく当たり前に行っている。おかげで、雨にも濡れませんし、風邪もひかない。

しかし、もし、雨が降っても自分は絶対傘をささないんだ、と意地を張って歩き出せば、たちまちずぶ濡れになってしまいます。

悪くすれば、病気になるかもしれない。無理をするからですね。
もちろん非常の場合には、そうしたことも、ときに必要かもしれませんが、いずれにしても傘をささなければ濡れてしまう。所詮は自然の理にはかなわない。かなわなければ、従うほかないのです。

そこは誰でもわかっている。ところが、実際の生活はもっと複雑ですから、ともすれば判断がこんがらがってくる。そして、雨の中を傘もささずに歩くような考え方をしたり、不自然な行動をとったりする。そこから、いろいろな間違いが起こってくるのですね。

 


   ちょうだい!(ジョック&スキャンプ) 「ねぇ~遊んでよ!」 

           写真:緒方弘之写真集から 阿蘇の四季
  
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阿蘇の季節ごとの写真を抜粋してみました。春は一心行の桜、高森の千本桜を始めとして阿蘇には色んな花が咲きます、秋のススキがあたり一面の景色は個人的には大好きです。阿蘇をドライブするだけで気分が爽快になります。阿蘇の大自然に抱かれるだけで、悩みが吹き飛んでしまします。秋の景色の阿蘇の涅槃像アップしてみてください。