奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

素直な心について

2007年03月28日 | 松下幸之助「人生談義」

正直の頭に神宿る
       =
いつも正直であれば、人には神仏の加護が
         ついてまわるということ=
               お辞儀 

             <素直な心について>
素直といっても、それは一般によく使われているような、おとなしく、
従順という意味ではないのです。

ぼくがいう素直な心とは、心理に直結する心とでもいいますか、
私心や私利私欲など、何ものにもとらわれず、ものごとの
ありのままを見、ものごとの実相を明らかにする心です。
それは広い寛容の心、他に耳を傾ける態度にも通じる心ですね。

お互いが素直な心になれば、ものごとの実相に従って、
何が正しいか、何をなすべきかということがわかってくる。
従って、いっさいのものごとがスムーズに運び、
常になごやかな明るい姿を保ちつつ、日に新たな好ましい成果を
生み出すという姿がもたらされてくると思うのです。

しかし、人間というものは、ともすれば何かにとらわれて、迷ったり、
人間関係をこじらせたりしがちなものです。

ぼくも今日までを顧みても、毎日、憤慨したり、他人のことを
うらんだり・・・
だんだん少なくなりつつあるとはいえ、これまではずいぶん
そうした経験がありました。

でも、そうした心をもっていない人はおそらくこの世には一人も
いないのではないかと思うのです。もちろん、そのあらわれる
度合いや程度は、人によっていろいろだと思いますが、
しかし、「おれはいまだかつてそんなとらわれた
心をを持ったことがない」という人がいたらウソだとおもいますな。

それは、欲望や感情を持っている人間なら当然のことで、
そうした心の動きがあればこそ、また人生における満足や
幸せも生まれるのですね。

だから、大切なのは、欲望や感情をなくそうとするのではなく、
それにとらわれず善導することです。
折々に反省し、とらわれを極力排していかなければならないと
いうことでしょう。

そのことは何も自分の気持ちを押し殺せ、ということではないと
思います。
たとえば、あなたがトクをすればあなたの親しい友達がソンをする
その場合、きっとお互いにほどほどの調和点を求めるのでは
ないでしょうか。

それでよいのですね。つまり、自分の欲望も適切に満たす。
しかし、相手の欲望をも満たしてあげる。
自分だけの欲望、私心にとらわれることなく自他共に
いきるということを大切にする

そうした心がまた素直な心だと思うのです。
                    (松下幸之助:人生談義より抜粋)

                  ぶちゅっ! 

  写真:緒方弘之「素晴らしい自然」水のカーテン(熊本・菊池渓谷)
身を切るような清流は、谷の岩間を縫って、冷気が辺り一面に漂い、
夏は避暑地として、格好の場所となっている。
春は新緑、秋は紅葉、冬は霧氷の花が咲き、四季折々に
その表情を変え、訪れる人々の心をなごましてくれる。

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