ごちゃまぜなぶろぐ(goo Ver.2.0)

灯台・ツーリング・写真など、取り留めのない内容ばっかりです。

'01北海道ツーリング(6月18日~6月19日)

2010-03-14 17:43:33 | ’01北海道ツーリング

【6月18日】 開陽台→厚岸町

目が覚めると賑やか、小さな子供の声だった。起きてみると宿の中を走り回る男の子と女の子(多分)、オーナー夫妻の子供たちで昨日は既に寝ていたらしく解らなかった。当時は26歳だったが、おじちゃん遊ぼうと!子供たち。朝飯を食べた後に外で少し遊んだ、その後にバイクに荷造りを行い、子供たちと別れて出発した。この日は厚岸町まで行く予定、この春に退職した会社の上司の実家が厚岸町にあり、北海道に行くなら是非とも寄ってみろ!と言われていた。宿を出発する前に上司の実家に電話をし、今日にお世話になることを伝えていた。

「ミルクロード」から道々975号→国道244号と走り、途中から道々950号と走り野付半島を目指す。この日も天気は良好、遠くに国後島も見えていた。

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道々950号(野付風蓮公園線)は快走路、野付湾を見ながら気持ちよく走ることが出来た。今ではほとんどしない事だが、「野付半島に来ました!」と言わんばかりの証拠写真なんかを撮りつつ更に進むと途中から砂利道(ダート)になっていた。

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今回のぶろぐを更新しようと改めてアルバムを見ていたら、遠景ではあるがしっかりと野付埼灯台を撮っていました。当時は今のように根元までは行かなかった、今を思えば勿体無い事をしたものだ。

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道々950号を戻り、野付半島を後にして国道244号へと走る。野付湾を左手に走る、途中の野付十景の白鳥台パーキングや風蓮湖に寄り道しながら南下。国道244号から国道243号→国道44号(根釧国道)に入る。まっすぐな道で記念撮影を行いつつ、根室半島を目指す。温根沼大橋を渡り、国道44号から道々35号へと進む。途中の道沿いにあった「根室かにセンター」で小休止、てっぽう汁を注文した。味噌汁の中に花咲ガニが入っている豪快な味噌汁、店のおばちゃんと話しをしながら美味しく頂いた後に、自宅とお世話になった人へお土産として花咲ガニを送った。お土産もおまけしてくれたおばちゃんにお礼をし、再び道々35号を反時計回りに走る。途中でコンブ乾しの作業をしている姿を見ながら日本最東端の納沙布岬を目指す、道々の道脇に立ててある北方領土返還の看板が痛々しかった覚えがある。

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そしてようやく納沙布岬に到着した、ここでも「納沙布岬に来ました!」と言わんばかりの記念撮影を行ったり、北方館や平和の塔などを見て回った。

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納沙布岬灯台もしっかりと撮っています、でもこの頃は無意識だったんだよな。この後にこれもお決まりの、灯台手前にバイクを止めて撮影はしているのだが、やはりここも根元までは行かなかった。

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一通り見て回った後に、ツーリングマップルに乗っている請望苑にて行き、ほたて丼セットを注文した。この頃は食べ物の写真はあまり撮っていない、当時は食べ物を撮影するのが少し恥ずかしい行為だと思っていた。写真はしっかり撮っていても、肝心の味は覚えていない。美味かったのには間違いないだろうけど。食後にもう一度この日泊めて頂く元上司の実家に電話をする、納沙布岬にいる事を伝えると、こっち(厚岸町)に来るのは遅くても構わないと言ってくれた。なるべく早く行きますと伝えた後に納沙布岬を出発した。

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納沙布岬を出発し道々35号を反時計回りに走る、しばらく走りノッカマップ岬へと向かった。草原の中に灯台が立っていて、そこまでは道があったのでバイクで向かう。途中で廃車が1台放置してあった。ここでも撮影だけをして次に向かう、アルバムを見直してもノッカマップ岬灯台はこれ1枚しかなかった。

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ノッカマップ岬からは道々35号を走り、途中から道々313号→道々310号と走り花咲岬へと向かった。根室車石などを色々見ながら、ここもしっかりと花咲灯台を撮影していましたが長居はしなかった。花咲岬から道々310号→道々142号と走り落石岬方面へと走る、途中の海岸で北の国からのロケ地を発見したので寄ってみた。

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北の国から '98 時代でのロケ地、テレビで観たあのシーンがここに。ここでも感動、でもロケ地の看板がないと全く解らない場所だった。ここは撮影だけをして早々と立ち去り、再び道々142号を走り落石岬へと向かった

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ゲートの手前にバイクを止め徒歩にて移動、サカイツツジの自生地や無線送信所跡の建物を横目に進む。途中から木道が設置してあり、しばらく進むと素晴らしい景色が目の前に広がる。そう、ここでもしっかりと落石岬灯台を撮影している。ここは灯台の根元まで行っており、当日は工事の関係車両が止まっていた。落石岬灯台の写真は3枚撮っていた、他のアルバムの写真を見ても、灯台の写真で1枚以上撮影しているのは落石岬灯台だけだったが、ここでも長居はしなかった。再び木道を歩いて戻り、道々142号までも戻り霧多布岬を目指して走る。途中でムツゴロウ動物王国があったが、そのままスルーして道々142号から道々123号→道々1039号と走り霧多布岬に到着した。

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当時は灯台巡りではなく岬巡りを行っていた、だから近くに湯佛岬灯台があるのは知らなかった。アルバムの写真を見ても、どこにも灯台は写っていなかった。この時は曇ってはいたし、夕方に近づいていた。この後に厚岸町まで行く予定だったので、霧多布岬も写真だけ撮って早々と引き上げた。

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岬巡りだから、しっかりとアゼチの岬は行っていた。約10年経った今でもなお、納沙布岬から霧多布岬(湯佛岬)にかけての岬(灯台)は再訪したいと思っている。アゼチの岬も撮影だけ済ませて早々と立ち去り、道々123号を走る。途中の涙岬にも寄り、ここも早々と後にしてこの日最後の岬のアイカップ岬に到着した。

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「愛とロマン 愛冠岬」と看板に、この天気では「ロマン」はないと独り言を言ってたな。ついでを言えば、「愛」もなかったな。この日は慌しい1日でした、ここ愛冠岬も撮影だけをしてそれで終わった。この後に、今日お世話になる元上司の実家に電話をした。詳しい場所は案内するからと、とりあえずは厚岸駅まで来て欲しいとの事だったので、ツーリングマップルを頼りに道々123号を走り厚岸町に向かう事にした。

厚岸駅はすぐに到着した、バイクを降りて辺りをウロウロしていると遠くで手を振っている初老の男性が道路沿いに立っていた。バイクに乗り初老の男性が立っている所まで行くと、元上司のお父さんだった。「お疲れさんやったな!」と声をかけられた時、ほっとした瞬間に涙が込上げてきた。そこから自宅はすぐ近くの場所にあり、到着するとバイクは物置に入れさせてもらった。必要最小限の荷物だけを降ろし、自宅へお邪魔した。自宅には元上司のご夫婦と、上司の妹と子供(男の子)が居た。みんな優しく迎え入れてくれた、「疲れたでしょう、早く風呂に入りなさい」と声をかけてもらったり、夕食時にも色んな話をしてもらった。ホームシックではなかったが、久しぶりのアットホームな雰囲気に癒してもらい、堪えていた涙が溢れそうになった。楽しい夕食の途中に電話が鳴り、元上司から無事に着いたかの確認の電話だった。電話を変わってもらい少し話をした、仕事を辞めてまで迷惑かけたことを詫びたが、「お前が無事ならそれで良いよ」と一言だけ声をかけてもらった。その後もこれまでしてきた旅の話をしながら楽しく過ごし、布団は敷いてあるからと案内されたのは元上司が使っていた部屋だった。

この日の走行距離 開陽台→厚岸町 365.2Km

これまでの走行距離 自宅→厚岸町 1,621.6Km

【6月19日】 厚岸町→摩周湖

目が覚めた、朝ごはんが出来たと声をかけてもらった。朝飯を食べながら今日の予定を考える、この日は朝から雨が降っていた。ここに来るまでほとんど海岸線を走ってきたので、そろそろ山側を走ろうかと思っていた。

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朝飯の後にバイクへの荷造りを行い、お世話になった元上司の家族の方に深々とお礼をし出発した。国道44号を西へ走り、途中から道々142号へと進み尻羽岬へと向かった。この日は朝から曇り空、尻羽岬の到着した時にはポツポツト雨が降り出したのでレインスーツを着て岬へ向かったが、折れた看板があるだけだったので早々と立ち去った。

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バイクまで戻ると雨の降りが強くなった、北海道に来て初めての雨だった。サイドバックにもレインカバーを装着し出発、道々142号を進み途中のローソク岩に立寄った。漁港らしきところまで行ったのだが、雨でそれどころではなかったのでここも早々と引き上げる事にした。その後も道々142号を走り、道々1128号→国道44号→国道391号と走り釧路湿原へと向かった。楽しみにしていた釧路湿原も雨と曇り空、寄り道することなく国道391号を北上した。釧路町から標茶町に、途中のラーメン屋で昼飯を食べたのだが、ラーメン屋がどこにあったかのかは記憶がない。ラーメン屋に入る前に、レインスーツを脱ぐのに手間取った情けない記憶は残っている。

昼飯後も国道391号を北上し標茶町からついに弟子屈町に、まずは摩周湖に向かう事にした。国道391号から道々52号に入ると更に雨が強くなる、摩周湖の第一展望台は駐車場が有料だと聞いていたので無料の第三展望台に向かった。「霧の摩周湖」とよく言ったもの、数メートル先の見通しがきかないほどの霧に覆われた。摩周湖も見たかったし、神の子池にも行きたかったのだが全部キャンセルして摩周湖から離れる事にした。第三展望台から道々52号を走り屈斜路湖へと向かうのだが、視界が聴の悪い状態での走行しなんとか硫黄山に到着する事が出来た。

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先ほどまで降っていた雨もようやく止み、硫黄山の駐車場にバイクを止めた後に硫黄山へと向かう。辺りは硫黄の匂いが立ち込めていたし、噴煙も方々で上がっていた。当日は観光客も多かった、辺りを散策した後に、硫黄の噴煙で蒸した卵を食べた。その後に駐車場まで戻るが、そこにはバイクで長旅をしていると云うおじさんライダーが居た。少し話をしたが、彼は宿には泊まらずにテント泊で旅をしていると。その後10分ほど話をして分かれた、次は屈斜路湖を目指した。

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再び道々52号を少し走り、屈斜路湖判の砂湯温泉に行った。砂を掘ると湯が湧き出すらしく、辺りには木で囲われた温泉もあったが誰も入ってはいなかった。近くに足湯らしき場所があったので、足湯に浸かることにした。ちょっと物足りなかったので、更に道々52号を走り無料の露天風呂のコタン温泉に向かった。ここは脱衣所もある混浴温泉だったが、当日はおじさんが数人居ただけだったな。

コタン温泉を出てからは、当日に予約をしていたとほ宿「ましゅまろ」に向かった。道々52号から国道243号→国道391号と走り、迷うことなく「ましゅまろ」に到着した。宿の前にバイク止め受付を済ませる、荷物などを部屋に運んでいた時に、ふと気がつくとバイクのキーをどこかに紛失したことに気づいた。バイクを止めた周辺や、宿屋部屋などを探したが一向に見つからない。一応スペアーキーは持ってはいたが、キーを無くした事が大きなショックだった。

この日は他に女性ライダーが1人居た、同じオフのバイクを乗っていたので話は盛り上がった。キーを無くしたのはショックだったが、楽しい雰囲気にキー紛失のことも次第に忘れていった。そして1日雨の中を走ったこともあり、疲れていたので早めに就寝する事にした。

この日の走行距離 厚岸町→摩周湖 207.4Km

これまでの走行距離 自宅→摩周湖 1,829Km


'01北海道ツーリング(6月17日)

2010-02-27 14:54:33 | ’01北海道ツーリング

【6月17日】 網走→開陽台

朝起きて外に出ると天気は良好、宿(アニマの里)で朝飯を食べた後にバイクへの荷造りを行った。この日の予定は、このまま東に走り続け知床峠へと向かう。

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宿から国道39号を北上、網走市内を走りまずは能取岬を目指した。道々76号を少し北上し能取岬に到着、ここでもしっかりと能取岬灯台を撮影していたのだが、不用意にも自分の指が写り込んでいた。灯台のページには更新しなかったのだが、2001年にはしっかりと巡っていたのです。この頃のカメラはAPSフィルムのCANON IXYを使用していて、昨今のデジカメのように撮影後の確認が出来ないので、現像した当初はかなりショックだったのを覚えている。

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能取岬でも撮影は程ほどで終了し、お次は知床半島を目指す。道々76号を南下し国道244号から国道334号へ、網走市から斜里町へと走り途中のオシンコシンの滝へに向かった。道内では白銀の滝に続き2つ目の滝、昨年(2009年)から始めた滝巡りも原点はここからなのであろうか。ただ、今のように三脚構えてじっくりと撮影というスタイルではなくかった。当日はここも観光スポットで、バスで乗り付けた観光客が多かった。この日は偶然にも近くにエゾシカが出てきていて、エゾシカは一昨日にノシャップ岬で見かけて以来2度目だった。そしていよいよ知床峠を目指すことにし、国道334号(知床横断道路)へと走った。

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この時は気が付かずに国道335号を斜里町から羅臼町へと走り、知床峠パーキングの石碑の前で撮影を行った。この後にツーリングマップルを見てみると、行く予定だったカムイワッカ湯の滝を通り過ぎている事に気がついた。カムイワッカ湯の滝は是非とも行ってみたいと思っていたので、知床峠パーキングから国道334号を戻り、途中の道々93号へと向かって走った。カムイワッカ湯の滝へと続く道々は途中からダートになっていたが、SL230だと楽々と走ることが出来た。途中にカムイワッカ湯の滝へつ向かうライダーは多く居たが、ロードバイクに乗っているライダーは四苦八苦しながら走行していた。

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滝へと到着すると、車やバイクが多く止まっていた。滝への入り口の近くにバイクを止め、タオル一枚をもって滝を目指す。至るところに人が居た、聞くと上へ行くほど滝(水)の温度は高くなると言っていたので、行ける所まで行ってやろうと。結構上まで登ると数人ほど居たが、温泉に浸かっている人はいなかったので、ここは足湯だけで済ませることにした。10分ほどしてから滝を下る、バイクまで戻ってくるとバイクに括り付けていた洗濯洗剤がカラスか何かの鳥に突かれて破れ、バッグに洗濯洗剤が散らばっていた。飛び散った洗濯洗剤を片付け、道々93号を戻り知床5湖を目指した。1~2湖へは行ったのだが、3湖以降は熊出没のために立ち入り禁止になっていた。

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知床5湖から道々93号を少し走り、今度はプユニ岬を目指した。乙女の涙やフレペの滝などを見た後に撮影を行ったが、ここでもしっかりと宇登呂灯台が写っていた。この後バイクまで戻るのだが、途中でエゾシカが数匹ほど移動しているのを見かけた。

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プユニ岬から国道334号を走り再び知床峠を走る、羅臼岳を見ながらの走行は感動もひとしおだった。知床峠は交通量が多かったが、特にライダーが多かった。走り屋と呼ばれる方々の中を、じっくりと走っていると、走り屋の方々も追い越し様に手を上げてくれた。自身もすかさず手を上げるが、その時は遥か彼方を走っている。国道334号(知床横断道路)は様々な角度から羅臼岳を見ることが出来る快走路、気持ちよく走ることが出来た。

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国道334号から道々87号へと走り北上、無料の露天風呂のセセキ温泉や相泊温泉を目指したのだが、この時はカムイワッカ湯の滝で時間を使いすぎていたので、セセキ温泉と相泊温泉までは行かずに途中で引き返す事にした。途中で遠くに国後島が見えたので撮影したり、ひかりごけ洞窟に寄った。この後は開陽台を目指す、浜益海浜公園以来4日ぶりにテント泊をしようと考えていたのだ。ひかりごけ洞窟から道々87号から国道335号を走る。羅臼町から標茶町に入り、国道335号(国後国道)から国道244号(野付国道)へと進む。この時は夕方近く、国道244号から道々975号(西7号)へと走り開陽台に着いた頃には太陽が沈みかけていた。

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バイクを止め開陽台のキャンプ場に行ってみると、5~6張りほどテント泊しているライダーが居た。開陽台に来るのに必死だったので、晩飯も食べずにここまで来た。辺りには食事できるような場所も無し、風呂にも入っていない。途端にテント泊が嫌になった、北海道に入って初めて大きな後悔をしてしまったのがこの時。無理にテント泊などせずに、とほ宿やYHなどに泊まれば良かったと。とりあえず「あしたの城」で購入した"とほ"で近くのとほ宿を確認すると、「地平線」と「ミルクロード」の2件がある。始めに「地平線」に電話をしたが不通、この時はこれまでに経験した事がないような不安に襲われた。もう1件ある「ミルクロード」も不通だったらどうしようと、恐る恐る「ミルクロード」に電話をしてみると電話は通じた。宿泊予約は出来たが、時間も遅く晩飯は食べてきて欲しいとの事だった。宿の近くに数件の食堂があるからと教えてもらい、これまでの不安感がようやく安堵感に変わった瞬間だった。

宿の予約が出来たところで、早々と開陽台を後にして「ミルクロード」に向かった。ツーリングマップルを頼りに探すと、先ほど電話で教えてもらった食堂(ラーメン屋)を発見した。チャーシューメンとライスを注文し食べる、腹もようやく膨れたところで突然、情けない話だが少し泣きそうにもなったな。食堂を出てからは「ミルクロード」を探して走るが中々見つからない、電話をして案内してもらい、無事に到着した時は辺りは真っ暗になっていた。

宿の前にバイクを止め受付を済ませるとすぐに風呂に案内してくれた、風呂に入り今日の疲れを癒す。この日はオーナーが仕事でまだ帰ってきておらず、オーナーの奥さんとここに来るまでの経緯などを話した。この日は飛び入りの自身だけ、色々話をしているとオーナーが帰宅した。その後はオーナーが焼酎と牛乳を持ってきてくれた、酒は飲めないのだがせっかくなのでと、少量の焼酎を牛乳で割った牛乳焼酎を頂いたが酒の味は覚えていない。その後もオーナーと深夜近くまで色々と話をした、旅の事や現在の生活のことなど色んな話。興味深い話もあったが、オーナーは明日も早朝から仕事だということでその後は就寝に着く事にした。

この日の走行距離 網走→開陽台 323.94Km

これまでの走行距離 自宅→開陽台 1,256.4Km


'01北海道ツーリング(6月15日~6月16日)

2010-02-17 22:36:42 | ’01北海道ツーリング

【6月15日】 サロベツ原野→クッチャロ湖

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「朝ごはんの用意が出来ましたよー」、オーナーの声で目が覚める。早々と歯磨き・洗顔を済ませ朝飯を食べた。朝食後にバイクに荷造りを行い、これまたお決まりの撮影を行った。この時はまだ、この「あしたの城」と深く関係していくことは予想もせず。出発するときオーナーが見送ってくれた、まずは海岸線に出るために道々444号→道々106号を走る。今日も天気は上々、昨日より利尻島が良く見えた。

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日本海に浮かぶ利尻島は素晴らしく、今日は最高のスタートだった。そしてこの日は2〇回目の誕生日、まさか北海道で迎えるとは思っていなかったな。気分良く再び道々106号を走り、更に北上し、途中から道々254号へと進みノシャップ岬を目指す。道々254号を走っていると、道路脇などに「交通安全 無事カエル」と書いてあるカエルのマスコットが方々に置いてある。有難いことです、写真もしっかりと撮りました。そしてノシャップ岬に到着、観光客が多いことに少々びっくりした。

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端っこっぽくない岬、観光化されていたノシャップ岬は想像していたのとは違ってた。

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知らない間に撮影していた稚内灯台、でもこの時は根元までは行かなかった。この後に、近くにある食堂へと行く。これもバイク関連の雑誌や、ツーリングマップルにも掲載されている食堂樺太に行き、人気の生ウニ丼を食べる予定にしていた。食堂は開いていたが、時間も早かったので誰も居なかった。店に入ると、壁から天井から旅人のコメントを書いた紙が張り巡らされている。早速おばちゃんに生ウニ丼(3,000円)を注文、人生初の生ウニ丼は大変美味しゅうございました。しかもこの食堂樺太はライダーに優しい食堂で、バンダナやステッカーなどをくれる素晴らしい食堂。おばちゃんと話しをしていると、1人で2~3杯食べる人も居るとか。量もさる事ながら、1回来て1万円ほど食事をするなんて、因みにお代わりは断った。

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もらったバンダナやステッカーを大事にバックにしまい、道々254号を南下し稚内市内から道々106号と走る。途中から進路を少し変更し、最北端の駅の稚内駅へと向かった。そしてこれもお決まりの、日本最北端の看板の前で記念撮影。今を思えばちょっと恥ずかしいが、当時はそんなことも考えなかった。人通りが多かったが、撮影だけを早々と済ませて再び宗谷岬を目指すことにした。

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稚内駅から国道40号を走り宗谷岬を目指すことにしたが、給油するために国道40号を少し南下してホクレンのスタンドに寄る事に。これも事前に調べておいた事なのだが、稚内市内にある最北限のホクレンノスタンドでは、ライダーだけが最北端のマークが入った旗がもらえる。この時はガソリンもほとんど満タン状態、たいした量も給油できない事は承知済み。旗欲しさのために行ったのだ、それなのに給油を終えた後に旗のこと訪ねると、旗を配布するのは7月からと店員サン、この時の落ち込みは今でもはっきりと覚えている。7月頃にまた来ますと告げ、再び国道40号を戻り国道238号を走り宗谷岬を目指す。国道238号を走っていると、稚内空港に着陸する飛行機が真上を飛んでいた、こんな所にも空港があるのかと思ったが、空港に寄る事はなかった。最北端まで続く海沿いの道を走り続け、ようやく宗谷岬に到着した時には、ここでも感動を覚えた。

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さすがに日本最北端は観光地、バスが次から次へと入ってくるし、ライダーも大勢居た。ここでもまた最北端の石碑の前でベタな記念撮影を行った、この時は石碑の前で撮影するために行列が出来ていたので、自身も迷わすに並び次を待つ観光客にカメラを渡し撮影をお願いした。その後にバイクも最北端の石碑と一緒に撮影を行い、土産物屋へと向かった。

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土産物屋では何も買わなかったが、近くの食堂でラーメンを食べた。さきほどノシャップ岬で生ウニ丼を食べたばかりなのに、それでもラーメンはしっかりと完食する奴。その後は少しでも腹を減らすために周辺を散策、ここでもしっかりと最北端の宗谷岬灯台をしっかりと撮影していました。2001年はまだ灯篭部がまだ赤色だった、その後に訪れた2005年以降は灯篭部は白色に塗装されていたな。

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周辺の散策も程ほどで終わり、この次は最北端の給油所で給油することにした。先ほどの稚内市内でのホクレンでは旗がもらえなかったが、ここではしっかりと最北端給油証明書を頂きました。でもここの給油所でもほんの少ししか給油しなかったが、嫌な顔せずに給油所のおじさんは送り出してくれ、本当に嬉しかった。気分よく国道238号(宗谷国道)を走る、天気も良く快適なツーリングを楽しめた。このまま猿払村まで走り、道の駅さるふつ公園で温泉に入った。

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温泉を出た後は浜頓別町にあるとほ宿「トシカの宿」を目指す、国道238号を更に南下し、猿払村から浜頓別町に入ってからはクッチャロ湖を目指して走る。ツーリングマップルを頼りに宿を探すが見つからず、クッチャロ湖畔にバイクを止め、宿に電話をして詳しい場所を聞くことにした。近くまで来ているとの事だったので、詳しく説明してもらい無事にトシカの宿に到着できた。宿に到着して一番初めに目に入ったのは郵便局の局員が乗っているスーパーカブ、旅人仕様にはなっていたが人目でそれと解った。宿の前にバイクを止め、受付を済ませた。部屋へと案内してくれた後、バイクから荷物を降ろし部屋へと運んだ。この日同室だったライダーが、例の郵便局員御用達のスーパーカブのオーナーで、数年前にとある郵便局から払い下げてもらったと。色んな話で盛り上がっていると、晩飯の用意が出来たとの事だった。「トシカの宿」はジンギスカン食べ放題で有名のとほ宿、自身のこれまでの経験では、ジンギスカンは鳥取県の大山で食べた記憶しかなく、お世辞にも美味いとは言えない代物だった。そんな過去の嫌な思い出も一層させるくらい、トシカの宿で食べたジンギスカンは美味かった。食後も楽しい時間は過ぎていった、明日の予定を考えるのを忘れるくらいに。就寝前にツーリングマップルを見ながら予定を決める、明日は網走くらいまで移動することに決め、その後はすぐに就寝に就いた。

この日の走行距離 サロベツ原野→クッチャロ湖 164.7Km

これまでの走行距離 自宅→クッチャロ湖 662Km

【6月16日】 クッチャロ湖→網走

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この日も天気は良好、朝飯後に荷物をバイクに積込み出発準備を行う。この頃から、テントやロールマットなどが少し邪魔に思えてきたが、その内にテント泊するだろうと自分に言い聞かせた。荷造りも終了し出発することに、まずは国道238号を南下し神威岬を目指した。

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国道238号から神威岬方面へと続く道を進む、暫く走ると山側に灯台が見えた。白黒の塗装の灯台、山(崖)のふもとに立っているこの北見神威岬灯台は、道内で1番好きな灯台になるのだが、この時はさほど気にもしなかった。撮影だけを終えてからは再び国道238号を南下、途中に目梨泊岬やウスタイベ岬にも寄ったのだが、写真もなければ記憶も無し、気がつくと浜頓別町から枝幸町に入っていた。その後も国道238号の南下を続け、雄武町に入った辺りで音稲府岬へと向かう。北海道ツーリングは岬巡りが目的だった、実際にこれまでも様々な岬を巡ってきた。だが写真だけを見ると、岬より灯台が中心となっている。やはりこの頃から灯台を意識していたのであろうか、それともただの偶然なのか?

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現在の灯台巡りとの違いといえば、長居はせずに写真だけを撮ってすぐさま次の目的地へ移動していたこと。音稲府岬からさらに国道238号を南下し、次は近くの日ノ出岬へと向かった。

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ずっと灯台だと思っていましたが、ガラス張りの展望台だそうです。実際に中にも入りましたが、ここも早々と撮影だけを行って立ち去った。

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日ノ出岬を出てからしばらく国道238号を走り、雄武町から興部町に入る。ツーリングマップルに紹介されている「牛乳ダンゴ」を購入するために、興部町のAコープに寄る事にした。購入後にAコープ内の電子レンジで"チン"してから食べてみたが、味の記憶は全く残っていない。食後も同様に国道238号を走り沙留岬へと向かったのだが、そこには開拓発祥の碑があるだけだった。沙留岬からしばらく走り紋別市に入り、道の駅オホーツク紋別で小休止した。ソフトクリームを食べながら付近を少し散策し、その後はサロマ湖を目指して国道238号を走った。いきなり目の前に大きな湖が現れた、海かと思うほどスケールの大きな湖だった。サロマ湖にキムアネップ岬があり行ってはみたが、キャンプ場の中に看板が立っているだけだった。少し残念な気持ちではあったが、この日の宿泊予約をしているとほ宿「アニマの里」のある網走市を目指した。

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国道238号を走り常呂町から網走市へ、能取湖沿いの道を走り今度は網走湖沿いの道を走り国道39号へと走る。網走刑務所や網走監獄博物館などが気になったが、前を通り過ぎただけだった。その後に網走湖畔まで行き、「アニマの里」に電話をして詳しい場所を聞いた後に向かう事にした。迷うことなく宿に到着、この日は自身と電車で旅をする女の子だけだった。アニマの里でも楽しく過ごす事が出来たが、この時はオーナー以外に「ヘルパー」と呼ばれるお兄さんが居た。宿に住み込み、掃除や片付けや客の世話をする人たちで、初めてその存在を知った。後にヘルパーに対する気持ちが大きくなっていくのだが、この時は北海道ツーリングを楽しむ気持ちのほうが多く、これからの事で頭がいっぱいだった。

この日の走行距離 クッチャロ湖→網走 270.5Km

これまでの走行距離 自宅→網走 932.5Km


'01北海道ツーリング(6月11日~6月14日)

2010-02-14 16:45:35 | ’01北海道ツーリング

2001年6月11日から7月2日まで北海道ツーリングを行った、22日間で4,095.3Kmを走った。あれから9年8ヶ月余り、当時の記憶はまだ鮮明に覚えている。思い出を振り返るのと同時に、あの頃の懐かしい思い出や記憶をこの「ごちゃまぜなぶろぐ」に残そうと思った。

 

無職になった2001年、かねてより憧れだった「バイクで日本一周」を計画した。ところがこれまで車ででしか一人旅をした事が無く、ましてバイクでの旅は初めての試みだった。いきなり日本一周は障害が大きく、北海道一周ツーリングをすることに決めた。日帰りでしかツーリングをした事の無い自身にとって、慣らし(試し)の目的で四国ツーリングを行ったのが同年の4月16日~4月20日の5日間。短い期間のツーリングではあったが大変参考になった、北海道ツーリング出発月を6月と決め、新たに準備を整えた。北海道には新日本海フェリー(舞鶴→小樽航路)を利用することに決めた。

 

【6月11日】 自宅→舞鶴港(新日本海フェリー)

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北海道旅立ちの日、朝からバイクに荷造りを行った。北海道ではユースホステルや旅人宿などの格安の宿泊施設か、キャンプ場でテント泊をしながら北海道を一周する予定だった。当時はHONDA SL230が旅の相棒、バイクのリアにサイドバックや防水バックに衣類やキャンプ道具など詰め、テント(ダンロップ製ドーム型ツーリングテント)やシュラフやロールマットなどを括りつけた。普段は軽く扱いやすいSL230も、ここまで積載すると重く扱いにくく感じた。午前中に荷造りを終了、17時に舞鶴港に向けて自宅を出発した。

 

自宅から国道175号を北に走る、途中のコンビニで小休止した後、国道175号から国道9号へ入り福知山市内を走り、再び国道175号を走る。辺りも暗くなりかけてきたがそのまま走り続ける、舞鶴市に入ってからは国道27号を走り舞鶴港へ着いた頃は辺りは真っ暗になっていた。まずは乗船手続きを済ませ、ターミナル内の食堂で晩飯を済ます。当日はライダーも10人くらいはいたが、やはり車での乗船客のほうが多かった。何もかもが初めてだったので、乗船待ちの時でも他のライダーと話することも無かった。たしか22時30分過ぎだったと思う、トラックなどの乗船が終わった後からバイクの乗船が始まった。車両甲板の端っこの方にバイクを止め、最小限の荷物だけを持って客室へ。2等(雑魚寝)も初めての経験だったが、客も少なくのんびりと船内では過ごす事が出来た。23時30分過ぎ、真っ暗の中をフェリーは日本海を小樽港に向けて出向した。すぐに風呂に入ろうとしたのだが、疲れていた為すぐに就寝に就いた。

 

【6月12日】 フェリー内

目が覚めた時は既に日が昇っていた、どうやら船酔いもしなかったみたいだ。起きてから歯磨き・洗顔を済ませ、事前に購入して持ち込んでいたパンで朝飯を食べた。当時の新日本海フェリーの舞鶴→小樽航路は30時間、この日は1日フェリー内で過ごす事となる。朝飯後は船内をウロウロしたり甲板に出たり、初めての長旅のフェリーも新鮮なものだった。時間が過ぎるのも早く感じた、昼飯は船内のレストランを利用した。メニューの中にウニやイクラなどの海産物を使ったメニューもあったが、北海道上陸前に食べるのを躊躇いハヤシライスを注文。食後に洗濯をしたり部屋(2等)に戻り、明日の予定をツーリングマップを見ながら考えたりしながら過ごしていた。

そもそも今回の北海道ツーリングは、「岬巡り」と、小樽港からは時計回りに進むという事だけが決まっていてそれ以外は全くの無計画。以前に何かの雑誌で読んだ事がある、ライダーは「端っこ」や「先端」が好き!なのだと。出発前もツーリングマップルを見ながら、〇〇岬と着く場所を片っ端から調べていた。現在のような灯台巡りではなく、自分自身の通った軌跡がそのまま北海道の形になると云う壮大なスケールを夢見つつ。

やがて夕方になる、少し早めに船内の食堂で晩飯を取ることに。船内最後の晩餐は贅沢にハンバーグステーキ定食、明日からの北海道ツーリングに備えて英気を養おうと。明日の早朝4時にフェリーは小樽港に着く、食後すぐに風呂に入り荷物をまとめて早めに就寝する事にした。

 

【6月13日】 小樽港→浜益村

2等の客室内のざわつきで目が覚める、暫くすると小樽港に1時間ほどで到着すると船内放送が鳴る。歯磨き・洗顔を済ませ小樽港到着を待つ。再び船内放送が鳴り、車両甲板の立入が解除された。船内に持ち込んだ荷物を再びバイクに荷造りを行い下船を待つ、下船は車から順番でその後にバイクが下船した。初めて降り立つ北海道の大地、まず始めに小樽の空気を大きく吸い込んだ。同時に感動が込上げる、今から北海道ツーリングが始まるのだ。

天候も上々、まずは海沿いの道を走る。右手にマイカル小樽(当時)、左手に石原裕次郎記念館を眺めつつ国道5号を目指す。信号待ちで止まっていたら、見ず知らずのおじさんが車の中から地図を出し、「これあげるよ!気をつけてな」と声をかけてくれた。こんな出来事も初めて、いきなりの事で驚きもあったが、信号が変わるまでの間に少し話をした。もらった地図をジャケットに入れ、再び走り国道5号に入る。国道5号に入ると路面が濡れていて、前を走る車が飛沫を舞い上げる。このまま走行し続けるのも厳しく、途中の駐車帯に止まりレインスーツのズボンを履いて国道5号を走る。道路脇に立つログハウス(展示)を見て感動、この頃は何を見ても感動していた。途中のコンビニで朝飯を購入、パンとコーヒーの質素な朝飯だった。この後の予定は札幌市内を目指す、一昨日の夜の舞鶴港を目指して走っていた時、メーター内の電球が切れていたので、まずは電球の交換をする事にしたのだ。

札幌市内に着いたのは確か7時過ぎだったか、朝の早い時間だったので交通量も少なかったのは幸いだった。慣れない札幌市内を走っていると偶然にも時計台を発見、時計台の前にバイクを止めて初の撮影を行った。

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時計台は撮影だけで終わり、再び札幌市内を走る。時には一歩通行を逆走しそうになったり、道に迷い場所も解らなくなり市内を迷走しながら大通り公園に到着。近くにバイクを止め公園内のベンチで休憩、朝の通勤・通学の時間帯だったので人は多かった。朝のラッシュも落ち着いた頃にバイク乗り、電球の交換の出来るバイクショップを探しながら市内を走った。札幌市内を彷徨い、ようやく見つけたバイクショップ(白石区周辺だったと思う)で電球の交換をお願いした。運よく電球の在庫もあり、予備と含めて2個を購入。交換を店主にお願いしたところ、自分で変えた方が安くつくよ!と言われたが、恥ずかしながら自分で整備なんかした事もなく、お願いすると快く交換してくれた。電球の交換もようやく終わり、ツーリングを再開する事に。店主に石狩方面へ行くと伝えると、地図を見ながら案内してもらった。店主にお礼をし、札幌市内から国道231号→国道337号へと走った。

国道337号を走っていると、道路脇の看板に「石狩」や「鮭」などの文字が見えてくる。まずは石狩展望台を目指し、国道337号から道々225号へと走った。途中に海水浴場や温泉を発見したが、まずは展望台を目指した。

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展望台の手間に駐車場があり、そこにバイクを止めて展望台へ向かった。人もまばらだった、展望台の中のショップではまなすソフトクリームを購入し、その後に周辺を散策した。今を思えば、これが道内初の灯台巡りとなった訳で。もちろんこの当時は記録として撮影した写真であり、灯台は意識していなかった。散策した後は、道々225号を戻り国道337号→国道231号と走り厚田村方面へ北上。途中の石狩市内のスタンドで給油を行い、店員に食事できる場所を尋ねると、少し行った場所に数件の食堂があるとの事だったので、給油後に近くの食堂で昼飯を食べることにした。たしか国道沿いにある食堂だった、かけぞばとおにぎりを注文し、地図を見ながら食したことを覚えている。食後は再び国道231号を北上、永遠と続く海沿いの道を走っている時に感動が込上げてきて、北海道を走っていると認識し始めていた。

自身の中での北海道といえば「北の国から」の情報のみ、だから余計に自分の目で見て感じる北海道の大地に感動が出来た。厚田村にキャンプ場があるのは調べていたが、まだ時間も早かったのでもう少し北上することにした。浜益村にもキャンプ場があり、近くには温泉もあり好都合だった。浜益海浜公園に着いたのは夕暮れ頃、ここは無料のキャンプ場で広々と芝生サイトですぐ側に食堂や食料品店もある。場所の確認だけをした後、近くの浜益温泉へと向かった。キャンプ場から温泉までは結構距離があったように覚えているが、浜益温泉がどんな温泉だったかは覚えていない。温泉を出た後はキャンプ場に戻り、暗くなる前にテントを張った。

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広々としたキャンプ場にテントを張ったのは、自身とチャリダーの女の子とで2張り。このキャンプ場は海沿いという事もあり風が強く、テントを設営するもの一苦労。風に煽られないように看板の真横にテントを設営、ペグを強めに芝生に打ち込んで風に飛ばされないようにした。チャリダーの女の子はトイレの建物の裏に設営していた。設営後に近くの食堂で晩飯、キャンプしているのに食堂で晩飯とは、今を思えば少し可笑しい気もするが、当時はそんな事も考えなかった。それより気にしていたのは、テントの中に置いている衣服などの私物が盗難に合わないかということ。テントには当然ながら鍵は付いていないし、管理人も居ない。晩飯を食べに行くときも、財布などの貴重品は肌身離さず管理をし、一抹の不安を抱いていた。食後にテントに戻り、テント内でくつろぐ事にしたのだが、テント泊も初めてだったので不安は募る。またこの日は寒く、冷え込みも厳しかった。バイクの用のジャケットを着てシュラフに入り、寒さを凌ぎながら北海道での初日の夜は過ぎていった。

 

これまでの走行距離 自宅→舞鶴港(フェリー内)小樽港→浜益村 276.7Km

 

【6月14日】 浜益村→サロベツ原野

辺りが明るくなってきた頃に目が覚めた、テント内はかなり冷え込んでいた。近くのトイレで歯磨きと洗顔を済ませ、ガスストーブで湯を沸かしインスタントコーヒーを飲みながらこの日の予定を確認した。このまま日本海側を北上し、サロベツ原野を目指す事に。昨夜1日でテント泊はこりごりに、今日からは宿に泊まる事に決めた。ツーリングマップルの巻末に、とほ宿を紹介するページがあり、ちょうどサロベツ原野に牛乳鍋が名物のとほ宿「あしたの城」がある。とほ宿の存在を知らなかったのだが、電話して聞いてみると男女別相部屋のユース形式で1泊2食で4,900円との事だったので予約をした。その後にテントを片付け、バイクに荷造りをし浜益村を出発した。

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気がつくとチャリダーの女の子は既に出発をしていた。キャンプ場からは国道231号を北上、暫く走るとチャリダーの女の子も同じ道を北上していた。すれ違い様に手を上げると、同様に女の子も手を上げてくれた。この日は天気も良く、気分も乗ってきたところで雄冬岬に到着した。近くには白銀の滝もあり、道内初の岬に心を震わせていた。

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周辺を少し散策し、再び国道231号を北上する。この日は朝起きてからインスタントコーヒーしか飲んでおらず、空腹状態で走り続けていた。とりあえず増毛町まで行けばコンビニがあると信じ、いくつか岬があったけどそのまま通り過ぎた。せっかく北海道まで来たのだからと、途中で気になる岬を訪ねたが、看板や標識らしきものもなかった。増毛町に入った辺りのコンビニでようやくパンとコーヒーで朝飯を済ませた。腹も落ち着いたところで更に北上、国道231号を走り留萌市に入り黄金岬を目指した。

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黄金岬には迷わずに到着、近くの駐車場にバイクを止めて周辺を散策。小腹が空いていたので、店先で売っていたつぶ貝の串焼きを購入、つぶ貝は初めてだったが美味しかった。この頃はゆっくりとすることを知らず、一箇所でも多くの岬や観光地を回ろうと必死だった。黄金岬から国道231号に戻り、留萌市内から国道232号を北上する。この頃から空が少し曇り始めてきたが雨が降ることはなかった。小平町辺りを走っていると、山側には風力発電の風車が数基立っていた。途中の道の駅おびら鰊番屋で小休止、ここに北海道の名付け親の松浦武四郎の像がある。トイレを済ませ出発しようとした時に1人のライダーがやって来た、少し話をするとそのライダーは現在北海道2週目だとか。長話になりそうなので、先を急いでいる事を伝えその場を早々と去った。小平町から苫前町に入り羽幌町へ、天売・焼尻行きのフェリー乗り場があったが、当時はあんまり興味がなかったのでそのまま通過した。初山別村に入った辺りでこの日3箇所目の金比羅岬に、岬の到着すると目の前に赤白の灯台が立っていた。

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この時から灯台好きになったのかはまだ解らないが、この後の写真にもちょくちょくと灯台が出てくるのも事実だ。灯台周辺はキャンプ場となっていて、眺めも最高の場所だった。ほんの少しだけ心が揺れたが、やはり昨夜の浜益での出来事が思い出され、せめてキャンプはもう少し温かくなってからと決め、この日の宿があるサロベツ原野を目指して再び国道232号を北上する。初山別村から遠別町へ、途中で見かけた金浦原生花園に山吹色のきれいな花が咲いていた。

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初めて見たエゾカンゾウに感激した、この頃は花には特別な感情を抱いたことはなかったが、このエゾカンゾウは別格だった。晴れていれば海側に利尻島が見えるらしいのだが、この時は残念ながら雲の中だった。だがもう少し北上すれば、バイク関連の雑誌で見た北海道の道路の中でも人気があるオロロンライン(道々106号)がある。国道232号を更に走り、天塩町に入った辺りから道々106号に入るのだが、その前の手塩温泉・夕映に寄る事にした。500円を支払っていざ温泉に、初めて見たときは茶色い湯に驚きました。じっくりと湯船に浸かり疲れを癒す、露天風呂から見えたキャンプ場には楽しそうにキャンプをしている数人のライダーが居た。

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温泉を出た後は、夢にまで見たオロロンラインを走行することに。曇ってはいたが、雲の切れ間から日は差していた。道々106号に入ったすぐは住宅などがあったりしたが、天塩川を越えた辺りから海沿いの道で一直線に伸びた道が現れた。ここでまた感激が、鳥肌が立つような感覚を覚えた。ここまで来るとすれ違ったり、追い抜いていくライダーが急に増え始める。ここで初めて、すれ違い様にライダー同士が挨拶の意味合いで手を上げたり、中にはピースサインをしてくれた。これが噂のやつか!と、確かに内地ではあまり見られない光景だと。挨拶することになんの恥ずかしさも感じられず、心地よい感じで手を上げるようになった。道々106号を走行している途中に、北緯45度通過点がありそこにはNのモニュメントがあるのを発見した。うっすらとではあるが、利尻島も確認できたのでお決まりの撮影を行った。ここまで来ると予約をしているあしたの城までもう少し、再び道々106号を北上し、久しぶりに見た信号を左に走ると道々444号に入る。暫く走るとあしたの城の看板を確認できたが、まだ時間もあるのでサロベツ原生花園に行く事にした。先ほどの道々106号と違い、道々444号は原野の中にある道だった。

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原生花園の駐車場にバイクを止め、木道を少し歩く。ここは意外と観光客も多かく、バスも数台止まっていた。レストハウスサロベツで「いももち」を食べ、少し休憩してからあしたの城に行く事にした。道々444号を先ほど確認していたあしたの城の看板の場所まで戻る。道々から丘の上に伸びる小道があり、舗装されていないガタガタ道を進むと1件の建物が見えた。まさしく丘の上に立つ宿、理想郷のように感じた。

宿の前にバイクを止め玄関に向かう、インターホンには張り紙がしてあり、「故障中!大きな声で呼んで」と書いてある。なんと叫んだかは忘れたが、数回叫ぶと年配のおじさんが中から出てきた。予約していたことを伝えると、館内の案内をしてくれた。「ウチは相部屋になりますけど大丈夫ですか?」と聞かれ、「大丈夫ですよ」と。案内された部屋がマンモス西の部屋、7つのベッドがある部屋で、この日は3人での利用だった。荷物を取りに行く為に外へ、当時はサイドバックやら何やらと、全ての荷物を取り外していた。部屋に荷物を運び、談話室に行くと先客の2人がそこに居た。1人は車で旅している大柄なお兄さん、もう1人は船大工をしているという年配のおじさんだった。船大工のおじさんは過去にバイクでよく北海道に来ていたと、色んな話をしてくれた。大柄なおにいさんは、宿の男の子(当時は年長の拓野)とたわむれていた。楽しい時間が過ぎていく、昨日のキャンプとはえらい違い、今後は宿泊まりだなとこの時に思った。18時過ぎくらいだったか、晩飯の用意が始まる。その日はホッケがメインで数品のおかずが付いた内容、ツーリングマップルにはたしか牛乳鍋が名物と書いてあったな。気にはなったがすぐに忘れ、美味しい食事をしながら楽しい時間が過ぎていった。

食後も楽しい時間は過ぎる、カンパ制で焼酎とお菓子を出してくれたが、お酒は飲めないのでお菓子とコーヒーを頂いた。オーナーと話をする機会があり、とほ宿の事やあしたの城の事について聞いたが、内容は忘れてしまった。北海道を含め、日本各地にあるとほ宿を紹介した「とほ」という本があると聞き「とほ」を購入した。さっそく見てみると、道内には意外ととほ宿が存在していて、これからはとほ宿とユースホステルを利用しようと自分に言い聞かせた。宿の就寝時間は23時だとオーナー、疲れもあったので23時に部屋に戻り、寝る前に明日の予定を考える事にした。予定としては稚内に行き野寒布岬(ノシャップ)へ、その後に最北端の宗谷岬に行く。宗谷岬から南下して浜頓別村に行き、同じくとほ宿のトシカの宿に泊まろうと考えていた。宿の手配はしていなかったが、明日の朝でもこの時期なら予約は取れるよと、オーナーに聞いていた。全ては明日起きてからにしようと思い、この日は就寝に就く事にした。

 

この日の走行距離 浜益村→サロベツ原野 220.6Km

これまでの走行距離 自宅→サロベツ原野 497.3Km