ゼロ磁場は役行者が示された聖地です。大日如来の化身です。1300年前からの教えは「この世で悩んでいる方で私を信じる人を救うためまた豊かな生活ができるようにするため遣わされた」です。信じましょう。祈りましょう。信じることと祈ることができるのは人間だけに与えられた崇高な行為です。<o:p></o:p>
昔から日本人には禁忌タブーがあります。このタブーを守ることによって生活をしてきました。<o:p></o:p>
修験道はタブーを守ることに意義を示したり、難から逃れる方法を堅持してきました。 外で焚く護摩は其の最高の防御方法です。「護摩の炎」を見ることによって「氣」を受けることが防御することです。<o:p></o:p>
たとえば「敷居を踏んではいけない」とか「畳のふちは踏んではいけない」なども其の一つです。これの説明にたたみはふちを踏むと磨り減って早く痛むから、とか敷居を踏むと重みで立て付けが悪くなるから追い割れていますが、<o:p></o:p>
修験道では「敷居」は「結界」を意味しています。結界を踏みにじることに等しい行為であるから忌み嫌っています。 やはり昔から言われていることは守ったほうが良いようです。<o:p></o:p>
また「箸から箸へ食べ物を渡してはいけない」もあります。食事をしているとき箸でつかんだ食べ物をほかのものに渡そうとして、箸から箸へ渡すことを忌み嫌っています。<o:p></o:p>
見て感じがよくないから作法として言われる面もありますが、葬儀のとき<o:p></o:p>
火葬場で故人の遺骨を拾い骨壷に納めるとき必ず手にした箸で挟みあって渡します。一つのものを挟みあうのは葬儀に関連する作法です。このような作法を食事の場でするのは縁起が悪いとの理由でタブーとされています。<o:p></o:p>
修験道ではこれにも結界の考えがあります。はしで遺骨をつまんだ状態は死者の結界にはいらない。接触しない方法、箸から箸をで渡して納骨することは死者の結界を守りながら遺骨を納める方法であるといわれています。<o:p></o:p>