goo blog サービス終了のお知らせ 

**アカシアの木蔭で**

流れていく時間と逆らわずに流れていく自分を、ゆっくりペースで書いて行こうと思います

このうちの子になりたいの

2005年06月02日 | 生活
我が家にまだピーターがいなかった頃の話。

ある夏の夜にデッキへ出る大きな窓の外に影が見えました。
じっと中を覗くようにお座りする 灰色の子猫でした。
窓越しにそっとみると 目が合いました。
子猫は 初めて にゃ~と鳴きました。
「居ついたら困るね。知らん顔しよう」
慌てて窓から離れましたが 影はそこを動きません。
気になってそっと見に行くと また目が合って にゃ~と一言鳴くんです。
一時間しても 座っているので
「うちでは飼えないんだよ」と抱いて表通りへ連れて行きました。
パパさんは猫が嫌いです。

次の夜。
また窓の外に 影。
あの子猫が 昨日よりいっそう近付いて 窓に顔をつけるようにして覗いています。
下半分が曇りガラスになっているので きっと家の中ははっきり見えないはず。
でも誰かが動くたびに にゃ~といいます。
また 一時間。
もすこし遠くへ連れて行きました。

三日目。
また 影が。
時々 入れてというように 窓をカリカリ引っ掻いています。
可愛い声で にゃ~と呼びます。
パパさんも私も気になって気になってそちらばかり見てしまう。
「・・・どうしようか?」
猫嫌いのパパさんが そっと抱いて畑のほうに連れて行きました。
怒るでもなく 淡々と
「ごめんね。うちでは飼えないんだよ。違う家を探しなよ」

家に帰ってきて しばらく二人とも黙っていました。 
「あの子猫 うちの子になりたかったのかな?
 毎晩通うほど なりたかったのかな?
 ・・・・明日も来たら 中に入れてやろうかな・・」
パパさんが言いました。
私は慌てて畑を見に行きました。
明日いいなら 今日だっておんなじ。
猫の姿は 見えませんでした。

次の夜 なんとなくそわそわして窓ばかり見ていました。
でも もう二度とあの子猫はやってきませんでした。

ボケたおばあちゃんの愛情

2005年05月27日 | 生活
わたしはちっともおばあちゃん想いではありませんでした。
 
ボケて寝たきりで家族を泥棒呼ばわりしてみたり 
可愛い老人になってみたり、理解しがたかった。
両親が共働きだったので 中学から帰るとまずおばあちゃんの下の世話をして、
お湯で絞ったタオルでお尻をふいてベビーパウダーをはたくのが日課。
時々 廊下にうんちが落ちていることもあり、正直、辛かった。
そんなふうに思う自分に罪の意識を感じて
時々は傍で新聞を読んであげたり昔の歌を歌ったりもした。
でも、大好き!って心から笑いかけることなんて出来なかったの。

おばあちゃんはコタツに寄りかかるようにして意識を無くし、三日目に亡くなった。
その三日間は いつ呼吸が止まるか分からないので
みんなで交代でおばあちゃんと同じ布団に寝て その時を待った。
亡くなって ほっとした。
もう泥棒と言われなくてもいいこと、苦しまずにすうーっと亡くなったこと
家で最期まで過ごせたこと・・・
いろいろな気持ちがまぜこぜになって ほっとしたの。
だからおばあちゃんが私の事をどう思っていたかなんて
分からなかったし 考えてもみなかった。

結婚してしばらくして 不思議な夢を見ました。
わたしは小船に乗って 霧の中 川を渡っているのです。
もうすぐ向う岸というところで 異形のものが私を待っていました。
怖さは感じなくて ただ 着いたと思うだけ。
その時おばあちゃんが前に立ちはだかり 異形のものに言ったんです。
「どうかこの子を帰してやってください。お願いします。お願いします」って。
そして懐かしいおばあちゃんの財布を取り出すと
少ししか入っていない全てのお金を その者に渡して
「これでお願いします。お願いします」って。

空を落ちるような感じがして 目が覚めました。
(三途の川 渡りかけたの?おばあちゃんが助けてくれたの?)
もしかして あんなにボケていても
あんなに冷たかった私を
おばあちゃんは愛していてくれたのかもしれない、
そう思いました。
嬉しかった。

その話をパパさんにすると、
「ほんとに 三途の川 渡りそうだったのかもしれないな。
 おばあちゃんに お金 返そうな」と、
お盆の送り火の時に千円札を数枚、一緒に燃やしてくれました。

私の気持ちもおばあちゃんに ちゃんと届いたかな・・・・・。


眠い・・眠すぎる・・って、寝てるじゃない!!

2005年05月26日 | 生活
忙しい日が続いていたのは 知ってます。
休みもあってないようなものだったし。

夜中の一時、隣の夫が「う~~ん、う~~ん」と激しく唸り始めました。
うなされているにしては 大声。
彼は 熱が出るとこうなるので、どうしようかと迷った。
起きて手でも当てれば、体温計・水・湯たんぽ・毛布・薬・・・
使われるのが目に見えています。
・・え~い、自己申告があるまで寝たふりしちゃえ!!

・・・一時間経過。・・・

うなり声がうるさくてねむれやしません。
しょうがなく起き上がって顔を覗き込もうとしたら
>「・・あ~疲れた、・・あ~~あぁっ、疲れたぁ・・」
寝言です。
もう!!ほっとこう!!

・・・また一時間経過・・・

だめ。うなり声が止まない。うるさ過ぎ。
段々いらいらしてきます。あたしだって疲れてる。熟睡したい!
「・・う~~ん、眠い・・・眠いよう・・・ああ~~眠すぎる・・・・」
ね、寝言?!
眠い・・眠すぎる・・って、たった今あなたは寝ていますってば!!

眠いのはあたしのほうだ~~~!!!!睡眠時間を返せ~~!!

JRの駅員さんと楯

2005年05月25日 | 生活
先日東京に出る用事がありましたが、
運悪く千葉駅のポイント故障のため ダイヤが大乱れでした。
昼間だっていうのに ぎゅうぎゅう詰めで乗り換えしなくちゃならなくて
車中の雰囲気は殺気立っていました。

稲毛の駅に着いた時、ホームの駅員さんの足元に白っぽい楯のようなものが見えました。
(ああ、関西の列車事故から後、乱暴される駅員が増えてるって新聞に載ってた。
 とうとう自衛のために 楯まで持つようになったのかなあ。
 でもなんで、事故とは直接関係の無い駅員さんが
 直接関係の無い人たちに 小突かれたり罵声を浴びせられたりするのかなあ。
 それって、鬱憤晴らしとかいじめとかいうんじゃないだろうか・・)
そんなことを考えながら眺めていると、駅員さんがその楯を持って乗り込んできたのです。
ちょっと身構える乗客。

そしたら、駅員さんその楯をホームと電車の間に敷きました。
あっ、車椅子のお客さんを降ろすために待っていたんだ!!!
一気に空気が和みました。

なにか災害や事故があると 加害者と被害者が出来上がります。
確かに被害者の方々は気の毒で 加害者に憤りを感じるのですが、
だからと言って第三者が当たり前のようになじったり暴力をふるうことが許されるとは思いません。
それを忘れた読売新聞の記者が 非難を浴びましたね?
驕りを諌める冷静さを みんなが持っていたこと、少しほっとしました。

おばあちゃんが言っていた「悪人にも一分の義」という言葉が思い出され、
排除するばかりでなく掬い取るような
日本人の良い所が残っていくことを希望した出来事でした。




挑戦的な耳毛!!

2005年05月25日 | 生活
バスの前の席のおじさん、白髪のバーコードはげです。
地肌も日焼けしてるくらい、いっちゃってます。

それなのに、なんて挑戦的な耳毛!!
穴の中から わしわし黒々生えてる。

「こっちを見ろ!わしを見ろ!どうだ、まだまだ生きているのだ!!」

そんな声が聞こえるくらい、長く濃く太く。
もう少し横向いて全貌を見せて・・と もう目が離せなくなりました。

・・・・疲れているのかなあ、やっぱり。

GW

2005年05月25日 | 生活
五月は 親戚孝行というかじじばば孝行というか、
仕事の合間の貴重な休日もお客様の接待に費やします。
四月二十八日から五月八日までじじばばが泊まっている、
その上途中から義理の姉まで加わるなんていう
脅威のおもてなしGWもかつてあったくらい。
今年は私がGW中も働いていたため、ダブルブッキングは避けられました。
でもその分、休み明けの週末もおもてなしとなり・・・・。
正直、家族みんなへとへと。
でもね、嬉しそうに帰っていく姿を見ると、心から また来てね!と思っちゃう。
・・・お人好しなのかもしれないなあ・・・

BLOG開けたのが二週間前なんて、ウラシマな気分です。
気持ちを切り替えて、ペースを戻すゾ~~!!

外国運転免許からの切り替え・実技再テスト編

2005年05月11日 | 生活
実技テストに落ちると、次の予約を取らなくてはなりません。
けれども合格率が良いとはいえないので、受験者数が押せ押せで多くなっていきます。
試験が厳しいと言うより、自己流と言葉の問題で落ちてしまうみたい。
まあ、最初の一回は落とすのだともいわれていますが・・・。
わたしが取れたのは約一ヵ月後、国際免許の有効期限ぎりぎり!!後がない!!
折角教わったポイントを忘れないように、毎週教習所の貸しコースに通いました。
プライベートレッスンは高いので、パパさんに隣に乗ってもらって。
・・・ちょっと険悪。
下手くそ!とか、そうじゃないって!なんて言われると萎縮してしまいます。
それでも 「今週も練習お願いします」といった私って えらいぞ!
確認やタイミングを考えすぎると上手くいかないので、スムーズに安心感のある運転を目指しました。
気負うと、左折では路肩に寄り過ぎる、障害物に近過ぎる、交差点で小さく回りすぎる、がっくんと止まる・・・。
欠点だけが目立つから。

試験の日は 運悪く朝から雨でした。
ワイパーを動かすという動作が増える、それだけで憂鬱です。
再テストなので、実技は一番乗り。
緊張して手が震えるので、暗記したコースでイメージトレーニングして待ちました。
もう恥ずかしいなんて言っていられません。
「左折、確認1.2.3寄せまーす!」  声に出して練習です。
本番も、ひとつひとつ手順を声に出して確認しながら運転したので、
後ろの席で待機していたリー(・・だったと思う)は 大喜び!
「運転の確認のポイント 良く分かったョ!!」って。
彼女は もう四回も落ちてたから。
教官は苦笑してたけれど 彼女も見事合格でした。

嬉しい♪うれしい♪ウレシイ♪
ぎりぎりセーフで日本の運転免許を貰うことが出来ました。


試験のポイントは、
 ・交差点の右折からすぐ右折での車線変更
 ・一時停止から左折に入るのが二箇所
 ・横断歩道
 ・S字
 ・クランク
 ・障害物を避ける(パイロン)
 ・側道からメイン道路を横切る
 ・メイン道路への合流
 ・一定スピードでの走行
 ・停止位置
 ・合流地点での安全確認
 ・見通しの悪い交差点
だったでしょうか。線路や坂道はありませんでした。

外国運転免許からの切り替え・そして実技編

2005年05月11日 | 生活
筆記の後は適性テスト。視力・聴力・日本語の理解度(?)、
これは簡単にあっという間に終わって、すぐに実技に移りました。
実技の待合室にテストコースが展示してあり、試験官からコースの説明があります。
試験官も、怖い顔したオヤジじゃなくてちょっと人の良さそうな若い人です。
にこにこ笑いながら、時に英語を交えながらコースを教えてくれます。
思っていたよりも親切で、テストで評価されるポイント
(一時停止は必ずきっちり停まる事・左折時は目視をすることなど 簡単な復習付き!)や、
短いですが質問タイムも用意されていました。
ここで 疑問だった短い距離の二回右折の進路をコース図を見ながら質問すると、
「ここではこう走って下さいとは言えないのですが、まあそういう入り方になりますね」と。
ああ、なんだか安心した!

書類受付順に 二人一組に試験車に乗りこみコースへ出ていきます。
・・・そして、うなだれて帰ってくるんだなあ。
私の前の四人は全滅 、みんな日本の安全確認の厳しいルールに負かされてくる。
次は我が身の想いもあって、みんなでコースを走る試験車を息を呑んで見守ります。
(ああ、あの子は二つ目の角で帰ってきた)
(だめよ!そこはきちんと一時停止だってばっ!)
いろんな国の言葉で みんな唸ってました。
「次の方乗車してください」さあいよいよ私の番。
乗る前の確認から始まって順調に進んでいく。
乗り込んだらね、サイドブレーキがないフットペダル式の試験車だった!
見たことも聞いた事も無いぞ、誰か助けて~~~!!
後方確認のあと凍り付いてしまった私に
「・・・どうしましたか?続けてください」って。
「この車、サイドブレーキが無いので、発車出来ません」と小さい声で言ったら、笑われました。
気を取り直して出発!!
練習していたコースより大きいので、確認やウィンカーのタイミングも取りやすい。
ルームミラー=サイドミラー=巻きこみ確認=GOGO!!ミラー=目視=ウィンカー=1・2・3秒=進路変更!!
いいぞいいぞ!!今までになく上手くいってゴール。
「運転は問題無いし 安全確認もほぼ出来ています。
・・・でもここの左折でセンターラインを踏んでしまいましたね?」
えええええぇぇ~~~~~~!!
植えこみで見通しが悪かったからちょっと頭出し過ぎたかなあ・・・くらいに思っていたのよ~~。踏んでたなんて・・・。
「どうしてあんなところで膨らんだんですか?あれがなければ合格だったのに」
 そんなこと言われたら悔しさ倍増だよ。慰めになってない。
脱力感溢れる背中に、「次は合格できますよ、きっと」

・・……教官、信じてまた来ます。


外国運転免許からの切り替え・筆記試験編

2005年05月11日 | 生活
外免の試験会場は決まっています。私は千葉なので幕張の免許センターでした。
早めに書類を仕上げるつもりで、朝6時半には家をでました。
たくさんの人が受付に並ぶと聞いていたので テスト前にバタバタするのは嫌だったんです。
ところが免許センターに七時半に着くと まだ数人しか集まっていません。
みんな手持ち無沙汰に窓の外を眺めたり座って寝ていたり。
書込み台に行って 訳が分かりました。書類が用意されていないのです。
八時半に窓口が開くまで何もできない。なんでこんな無駄なことをするんだろう。
要領のいい人は、事前に書類だけを取りに来たそうです。
そんなこと言ったってうちは遠いのよ!
外免窓口のイスで しょうがなく交通法規の復習をして過ごすことにしました。

しばらくして今日のテスト仲間が集まってきました。
マレーシア 中国 ペルー スペイン インド 韓国・・・・とインターナショナル!!
同じ目的を持っているので、待ち時間に標識や問題の予想で盛り上がりました。
今回が初めての人は私をいれて6人。他は数回落ち、七回目なんていう猛者もいます。
(一発合格は難しそう・…)そんな思いが強くなり生唾がわきあがって来ましたが、
マレーシアの女の子の「緊張ダメね、気楽にネー♪」の笑顔が頼もしくて和みました。
書類を作ってあった人や再テストの人から筆記や実技が始まりました。
初めての人の書類の作成は一番最後にまわされて、
10時を過ぎてやっと交通法規のテストの部屋に案内されました。
問題は10問制限時間10分、画に問題文が添えられていて○×で答えます。
6,7問はすぐに答えられますが、残りはなんとなく曖昧で迷いが残ってしまいました。
 ・交差点内の 優先順位
 ・追い越しの可否を問うものが2題
 ・保険に入っていない車は 乗る事が出来ないかどうか
 ・事故時の責任
 ・横断歩道三十メートル以内の追い越し
 ・島のある左折レーンは 信号が赤でも進んでいいか
 ・標識問題
 ・駐車場が無いので 邪魔にならないように毎日路肩に止めてもいいか
そんなに待たずに結果が発表されました。ラッキー♪受かった!!
いわゆる引っ掛け問題なんですが 試験問題の日本語の曖昧さは 他の言語での受験ではどうなのだろうか・・?
でも12人の内6人しか受からなかったことを考えると やっぱり条件は同じなのかな?
テスト後、あの問題はどうして間違いだったのかや、標識の意味等 質問攻めにあいました。
彼らも何種類かの言語で出ている交通ルールの本を持ってはいますが、
実戦に則した問題集がないために勉強しにくいんだそうです。
よく分からなくても誰に聞けばいいのやら・・・と困っていたのは、あの猛者のおじちゃん。
彼は実技テストの会場まで付いて来て、私の説明の絵を写していました。
どこかに彼のような人を助けてくれる機関はないのかなあ。おじちゃん、がんばれ~~~!!

外国の運転免許からの切り替え・その1

2005年05月11日 | 生活
去年の今頃、きゃ~ 運転免許の期限が 今年の7月だわっ!!!と大騒ぎしていました。
なんでこんなに焦っていたかと言うと 私の免許はアメリカの運転免許だったから。
あと2ヵ月で 日本の免許に切り替えなくちゃ、1からやり直しになるところだったんです。
国によっては、すんなり書き換えられるようなのですが、
カリフォルニアの免許を切り替えるには 学科も実技も必要でした。
私のほかにも同じような方がきっといるでしょう。
でも情報が案外少ないので、自分の場合を書いておくことにします。

運転免許のテストを受けると言った途端、
もう周りのみんなから お・ど・し の嵐なのよ=
これ以上出来るかっていうくらいの顔振り やら、運や教官との相性も必要 やら
自分たちの苦労を事細かに説明してくれました。
意見をまとめると 「日本の運転試験は世界一難しい」 ということらしい。
大丈夫かなあ・・って大丈夫なわけないよね?
仕方が無いので プライベートレッスンを受けました。
ペーパードライバーが利用するレッスンです。

教習所の貸しコースを使って 基本的な操作と安全確認を学びました。
・・・知らなかったことばかりだったよ。
・ブレーキは三回にわけて踏む
・ハンドルは軽く握る(アメリカでは親指をかけるなって教わったんだョ)
・車線変更の三秒前にはウィンカー
・停車時はポールの前後30センチ以内、路肩からもそれくらいに止める
・ハンドルを戻す時 スルスルと手の中を滑らせてはいけない
  (手で戻すな ぶれるから、と教わっていました)
何より コースが短く次から次に安全確認や車線変更の手順が巡ってくるので
ウィンカーを出そうとして ついワイパーを動かしてしまったり 
曲がり角を逃したり すっかりパニックです。 。
(ほんとに私 運転してたんだろうか?)すっかり自信を無くしてしまいました。
「まあ 一度で受かろうと思わないで がんばりましょう」
というのは やっぱりダメそうってことかしら?

後2ヵ月 日本の運転免許は果たして交付されるのか???

ハラハラドキドキの日々が始まりました。