わたしはちっともおばあちゃん想いではありませんでした。
ボケて寝たきりで家族を泥棒呼ばわりしてみたり
可愛い老人になってみたり、理解しがたかった。
両親が共働きだったので 中学から帰るとまずおばあちゃんの下の世話をして、
お湯で絞ったタオルでお尻をふいてベビーパウダーをはたくのが日課。
時々 廊下にうんちが落ちていることもあり、正直、辛かった。
そんなふうに思う自分に罪の意識を感じて
時々は傍で新聞を読んであげたり昔の歌を歌ったりもした。
でも、大好き!って心から笑いかけることなんて出来なかったの。
おばあちゃんはコタツに寄りかかるようにして意識を無くし、三日目に亡くなった。
その三日間は いつ呼吸が止まるか分からないので
みんなで交代でおばあちゃんと同じ布団に寝て その時を待った。
亡くなって ほっとした。
もう泥棒と言われなくてもいいこと、苦しまずにすうーっと亡くなったこと
家で最期まで過ごせたこと・・・
いろいろな気持ちがまぜこぜになって ほっとしたの。
だからおばあちゃんが私の事をどう思っていたかなんて
分からなかったし 考えてもみなかった。
結婚してしばらくして 不思議な夢を見ました。
わたしは小船に乗って 霧の中 川を渡っているのです。
もうすぐ向う岸というところで 異形のものが私を待っていました。
怖さは感じなくて ただ 着いたと思うだけ。
その時おばあちゃんが前に立ちはだかり 異形のものに言ったんです。
「どうかこの子を帰してやってください。お願いします。お願いします」って。
そして懐かしいおばあちゃんの財布を取り出すと
少ししか入っていない全てのお金を その者に渡して
「これでお願いします。お願いします」って。
空を落ちるような感じがして 目が覚めました。
(三途の川 渡りかけたの?おばあちゃんが助けてくれたの?)
もしかして あんなにボケていても
あんなに冷たかった私を
おばあちゃんは愛していてくれたのかもしれない、
そう思いました。
嬉しかった。
その話をパパさんにすると、
「ほんとに 三途の川 渡りそうだったのかもしれないな。
おばあちゃんに お金 返そうな」と、
お盆の送り火の時に千円札を数枚、一緒に燃やしてくれました。
私の気持ちもおばあちゃんに ちゃんと届いたかな・・・・・。
ボケて寝たきりで家族を泥棒呼ばわりしてみたり
可愛い老人になってみたり、理解しがたかった。
両親が共働きだったので 中学から帰るとまずおばあちゃんの下の世話をして、
お湯で絞ったタオルでお尻をふいてベビーパウダーをはたくのが日課。
時々 廊下にうんちが落ちていることもあり、正直、辛かった。
そんなふうに思う自分に罪の意識を感じて
時々は傍で新聞を読んであげたり昔の歌を歌ったりもした。
でも、大好き!って心から笑いかけることなんて出来なかったの。
おばあちゃんはコタツに寄りかかるようにして意識を無くし、三日目に亡くなった。
その三日間は いつ呼吸が止まるか分からないので
みんなで交代でおばあちゃんと同じ布団に寝て その時を待った。
亡くなって ほっとした。
もう泥棒と言われなくてもいいこと、苦しまずにすうーっと亡くなったこと
家で最期まで過ごせたこと・・・
いろいろな気持ちがまぜこぜになって ほっとしたの。
だからおばあちゃんが私の事をどう思っていたかなんて
分からなかったし 考えてもみなかった。
結婚してしばらくして 不思議な夢を見ました。
わたしは小船に乗って 霧の中 川を渡っているのです。
もうすぐ向う岸というところで 異形のものが私を待っていました。
怖さは感じなくて ただ 着いたと思うだけ。
その時おばあちゃんが前に立ちはだかり 異形のものに言ったんです。
「どうかこの子を帰してやってください。お願いします。お願いします」って。
そして懐かしいおばあちゃんの財布を取り出すと
少ししか入っていない全てのお金を その者に渡して
「これでお願いします。お願いします」って。
空を落ちるような感じがして 目が覚めました。
(三途の川 渡りかけたの?おばあちゃんが助けてくれたの?)
もしかして あんなにボケていても
あんなに冷たかった私を
おばあちゃんは愛していてくれたのかもしれない、
そう思いました。
嬉しかった。
その話をパパさんにすると、
「ほんとに 三途の川 渡りそうだったのかもしれないな。
おばあちゃんに お金 返そうな」と、
お盆の送り火の時に千円札を数枚、一緒に燃やしてくれました。
私の気持ちもおばあちゃんに ちゃんと届いたかな・・・・・。
ウチは先日、じーちゃんが無くなりましたが、
マムさんと同じく正直ホッとしました。
きっとおばあちゃんは優しくしてくれた事を、
分かっていたんだと思いますよ。
年寄りの介護は 理性じゃない。
ましてや身内となると 元気な頃を知っているだけに
憤りや疲れも倍増する。
長くなればなるだけ そう。
あの頃の自分がトラウマになって
この職業についたのかもしれない。
全国の介護家族、がんばれ~~!!
必ず終わりが来るからね。
終わったときに 悔いの無いように
自分が納得できるようにね~~!!
「なんかキタナイものだ」という気持ちありました。
それが段々自分が年を重ね、親も老いてくると、あのときの<ゆっくりしかできない動作、見にくい、聞こえにくい、忘れやすい>ことが、少しずつ身をもって理解できるようになりました。
辛いけど順番ですね。
よいお話を読ませていただきました。
おばあちゃんって、本当に孫が可愛くて仕方ないんだと思います。
守ってくださったんですよ。きっと。
その気持ちを感じることができてよかったですね。
自分と違うものは 遠慮なく排除するし
自分のためだけに精一杯の生命力を使うような
生き物で。
自分がおばあちゃんの歳に近付くほどに
後悔や愛おしさや そんな気持ちがほろ苦いです。
昔の人は 気持ちを表すのが下手で
有難うなんてあまり言われたこともなかったけれど、
今では もしかしたら一緒に暮らした時間を
喜んでいてくれたのかもしれないと思っています。
るなさん、時間のあるときにまた遊びに来てね。
身近な者が亡くなってしまっても 時々自分が見えない優しい何かに 守られてるような気がするときがあります。それが人だったり、愛犬だったり、、。
おばあちゃんの形見(名無しで、挿し木してくれたものです)の赤バラが今日とっても綺麗に咲きました。私の花好きのDNAって ここから繋がってるんだなあ、しみじみ感じています。
マムさんのやわらかい文面 なんか素敵です。
私も感じます。
死んでゆく辛さは 自分の存在の喪失だと思います。
だから、時々思い出して近くに感じることは
亡くなった人への供養だと思うんです。
忘れないよって 自分の最期の時に言ってもらいたい・・・。
形見のバラ、綺麗に咲いたんですね。
咲くたびに 御祖母様の笑顔が重なって見えるようですね。
きっと大切に世話して眺めるみいまるさんも
笑顔なんでしょうね。
実家の庭にあった時より豪華に咲いてくれたんで ちょっと満足です。
ばらのトゲが嫌いな父に根元からばっさりやられた去年の秋、シュートが1本ニョキニョキ伸びてきて 今では枝分かれして随分しっかりしてくれました。生命力だなあ。樹齢(正確には根っこの年?)15年以上はあるそうです。
名前が分からないのでおばあちゃんの名前で呼んでいます(笑)。挿し木が根付いたときはニコニコしてたんでしょうね。
ばらの話聞いてくださってありがとうございます(ぺこり)。