赤い椅子

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中辺路Ⅱ

2009-02-18 20:36:15 | ノンジャンル
寒さが戻って冷たいが、今日はよい天気そうだ。
朝5時45分に起きて(まだ暗い!)朝食と洗濯だけ済ませ
集合場所ナンバへ8時前到着、即出発。
阪和道を行き、田辺インターで降りる辺りから、梅の木がたくさん見えるが
残念ながらもう終わりに近いらしい。
梅干しの梅を取る梅の花は、もともと少し地味だから
もうぼんやり霞んで見える。



11時前、長野原口着。「口熊野」といわれた田辺市から
熊野の霊域のはじまりとされる中辺路町までを最短で結ぶルートとして、
主に江戸時代、蟻の熊野詣と言われて利用されたコースだそうだが、
最近は忘れ去られ、訪れる人もほとんどなくなったということで、
山の道は荒れて歩きにくいところもたくさんあった。
すぐに長尾坂の登り口があり、いきなり古い石畳の急な登りになる。
















石畳の道はすぐにきれ、舗装された道に戻り…また山道に…
山道を進んで行くと民家があり、細い階段を上ると車道に出る…
こんな具合に進んで行く。

道端には蕗の薹があり、まだ蕾の柔らかそうなところを摘みながら歩く。



車道を進み続けさらに坂道を上っていくと分かれ道に差し掛かり、45分ほどで
正面に関所跡の表示があるが、そこに到る杉の並木道がわずかに面影を
残す程度で今は何もない。
関所跡を過ぎて、みかんや梅の畑の急坂の途中に「ひるね茶屋」がある。
12時前、昼食を田辺湾から白浜辺りまで見渡せる茶屋で食べる。
















お弁当は目張りずし、さんま寿司など和歌山の幸がいっぱい!
ひるね茶屋から少し登ると、水呑峠になる。
熊野街道を往来する人たちがここで水を呑んだので「水呑峠」と言われ、
旅人が休息をとるのに丁度よいところで、当時は茶屋もあり、傍らには
小さなお宮があり、ひるね茶屋はこの昼寝権現が名前の由来らしい。
ひるね茶屋は、旅人が景色をながめながら休息するうちに寝てしまったと
いうようなことから、名がついたらしいが、なるほどと思わせる見晴らしだ。

整備の悪い山の道を登ったり下りたり…歩く途中で、杉の花粉が
飛んでいるのが見えると同行のシャドーさんが言う。
2キロばかりで捻木峠。ここの杉が今日のコースの圧巻!



高さ約20m、周囲約6mあり・枝のねじれ具合がとても複雑で、圧倒される。
この杉の巨木には、安珍清姫の言い伝えが残っていて、安珍を追って、
槙山の中腹に差し掛かった清姫は、かたわらの杉に登りはるか前方に逃げる
安珍の姿を見つけ、口惜しさのあまり杉の枝を捻じ曲げてしまいまい、
枝はそのままねじれて育ち大木になったということだ。

愛の形もいろいろあるものである。
女の執念は怖いが、言い伝え話を大きくしてきたのは男なんだ…など
勝手気ままなことを言いながら、また登ったり下ったり…(^_-)-☆

結構きつい登りを40分余り、今日はじめてお茶が飲みたいな~と思う。
急に視界が開け枯れすすきの原っぱに出る。ここが潮見峠。
険しい山道をきてようやく田辺湾が一望できるから潮見峠というらしい。
今は何もない原っぱだが、江戸時代には茶屋が2軒もあったというから
広い峠の頂上だ。果無山脈が見え田辺湾が見え…なかなかに絶景だ。
















こんな広っぱを撮り、果無山脈のきれいな景色を撮り忘れた馬鹿で~す!

下り道は舗装道路で味気ない。急な単調な道をひたすら下る。
上り道の雰囲気の一部でもあればと思いながら、わずかに梅の花を見ながら
約1時間下ると、膝がガクガクしてきた。
鍛冶屋川の橋を渡ると覗橋のたもとに豊臣秀吉が紀州攻めの古戦場跡の
「当国一乱顕彰碑」と和歌山からの一里塚が立ち、ここで潮見峠越えが終わる。

覗橋という清流を眺める橋。



この橋からさらに40分ばかり、バスの待つところまで舗装路を歩く。
予定より早い到着で2時50分、栗栖川のセンターを出発、帰途に…


コメント (2)
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