誰かを傷つけ
誰かの夢が 誰かを照らす
夢が時折
まぶしすぎて重すぎるのは
その誰かの分なのかも知れない
今頃になって記事を書いていますが(出たのは8月)、やはり都戸利津さんの漫画は素晴らしいと再認識しています。
この漫画がどういう作品なのかは→第1巻の記事を参照して頂くとして、都戸利津さんの漫画に共通して、その根底にある物の一つに「焦がれる」という気持ちがあると思います。
第1巻の記事では『青春攻略本』(あきづき空太)と似た空気があると書いてしまいましたが、根本の処は随分と違います。
手に入らない物を手に入れたいと焦がれる気持ちや、逆に欲しい物が何もないことによる哀歓(あいかん)、そしていつまでも続かないと分かっている「今」を大切に、精一杯生きようとする様がとても美しく、眩しい。やがて登場人物たちは「今」と決別することは何かを失うことではなく、それは「未来」なのだと捉えられるようになる。
一日寝たら熱が下がった朝日は、傍(そば)にいなくても自分たちより自分たちのことが分かる水野先生の言葉に、人がどうやって夢を見るのか教わり、たまきもそれは真っ白な期待を抱くこととは違うのだと知る。夢を持たなかった弥方は、夢は時折重すぎるが、それは時折諦めるにはまぶしすぎると、夢にも思わなかった嬉し涙を流す。彼らの姿を見た水野先生は、自分も全力で研究(ゆめ)に挑戦したくなったと船で去っていく。
映画は完成し、間違えてNGフィルムのほうを送ってしまったことに大笑いして、三人の夏は終わる。一緒にいる時間が少なくなり、「今」だけを考えてはいられなくなった彼らのもとに、何故か入賞を知らせる手紙が届く。
上映会のために三人は上京し、今まで口開けて驚いていたものにこれから挑んでいくのだと思い知る。特別賞を受賞したフィルムには不要だと切り捨てた場面が再生するだけの過去として納まっていて、彼らは水野先生の「もっともっと全力で今を楽しみなさい」という言葉の本当の意味が分かり、涙を拭って「きっと全部忘れない」とお礼を言う。
そしてこの第2巻は、巻末に採録された読み切りも良かった。
『大町くんの思い出』。別冊花とゆめ平成17年5月号掲載。
デビュー後の第一作。神奈川から四国へ越してきて、中学で友達ができず、泣き顔を見られるのが恥ずかしくて逃げ込んだ神社で、アキラはある少年と出会う。彼が入院生活が長く浪人している大町だと勘違いし、彼と会って悩みを聞いてもらう「秘密の友達」との逢瀬のような時を楽しみにしだすアキラ。テストが終わるまで伏せられていた、大町が死んだという事実を先生から聞かされ、アキラは神社へ走り、その秘密の友達が大町ではなく、万引きの冤罪で不登校になっていた八栗(やくり)だったのだと初めて知り、彼が消えないのだと、生きていたのだと安心し、一度も会わなかった友達の死に大泣きする。
はじめから大町との思い出などひとつもなかったのに、会ったことのない人の死を、共に過ごした時間を失うのではなく、共に過ごす全ての未来を失うことだと知るアキラ。
そして幻のようなものだが、大切な大町との思い出は確かにあったのだと、精一杯生きた死者に恥じない生き方をしようとする。
お薦め度:★★★★☆
この人の描く漫画がとにかく好きです。泣ける。
「心を動かされる」というのは、理屈でどうこう説明しても無意味な部分があります。オレはこの漫画を読んでほしくて記事を書いたのに、説明することを放棄したら本末転倒なんですが(笑)
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