団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

沐浴

2007-11-12 18:10:08 | 家族

沐浴

2007年11月12日(月)


 2001年のことである。新生児の沐浴のマニュアルを偶然見ることがあり、びっくりした。
 私の母が50年以上も前にしていた通りであったからである。

 私の母は、今でいう助産師で、昔は産婆と言っていた。母の姉が産婦人科の医師であったため、その手伝いをしていて、新生児が生まれる際、妊産婦や新生児の世話をしていたのだ。

 私は当時小学校の2年か3年くらいで、母によくついて行って、母が新生児を沐浴するのを見ていた。

 左手の平に新生児を乗せ、新生児のお腹の上にガーゼを必ずのせる。湯にはゆっくりつけるのだが、新生児は湯につかった瞬間、必ず「ビクッ」と身体を震わす。そして、そのガーゼを握り締める。新生児にとって何か握り締めるものがあれば、安心するのだと母は言っていた。

 初めはびっくりする新生児だが、だんだんと気持ちよくなるのか、しだいに身体全体弛緩した感じになる。
 最後にかけ湯をして、上げるとき、母はよく「餅があがった」と言っていた。つきたての餅に感触が似ていたのだろうか。

 私は、2人の息子の沐浴を、母の見よう見まねで、全て自分でした。孫が自宅に帰って最初の沐浴も私がした。

 母は新生児の沐浴が済むと、今度は産婦の乳房を温かいタオルで揉んでいた。私もそれを見ていたが、母は「恥ずかしい、恥ずかしい」と言いながらそれを行っていた。
 私が「恥ずかしい」という意味が分かったのは、それから大分たってからであった。

 母の新生児の沐浴を見ていたのは、小学校2年頃から3年頃。
 人生時計「6時15分頃」 チン

 2007年12月25日、一部訂正。



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