長島愛生園
2019年6月30日(日)
2001年8月18日、岡山県にあるハンセン病療養施設「長島愛生園」へ行っていました。
橋が見えてきました。
橋を渡る時は、感激いたしましたです。
以下、ネットを引用しました。
「長島と対岸の虫明を隔てる海はわずか30メートルしか ありません。昭和6年3月、愛生園に初めての患者が収容されてからはこの水路は人間差別の障壁となりました。ハンセン病に決定的な治療方法が無かった頃の療養所は絶対隔離離を鉄則としており、個々に事情がある者も外 出が許可されなかった為逃走するものは後を絶ちませんでした。その経路として、夜陰密かに監視の目をくぐり、こ の水路を越えていった者は少なくありません。しかし、潮の流れが非常に速い為、何人かはここで命を落としまし た。この水路に橋を架けることを愛生・光明、両園の自治会で話し合われるようになったのは昭和43年頃でありまし た。そして、昭和47年には架橋促進委員会が組織され、架橋への積極的な運動がはじまりました。その後、各関係機関への陳情を繰り返し、さまざまな問題を乗り越え、約17年間の活動の後昭和63年5月9日、隔離の必要のない証としての「人間回復の橋・邑久長島大橋」が開通しました。 その後、平成元年11月に乗り入れられた民間バスは職員の通勤用にも利用されていて、入園者も自由に島外に出掛けています。また、国賠訴訟での和解以降はさまざまな団体が来園さ れています。」
上記にあるように、この橋は1988年5月9日に開通しました。私は当時の新聞記事を覚えております。「愛の架け橋」というタイトルで報道されたような記憶があります。
2001年は、ハンセン病訴訟の判決があった年です。様々な報道がされ、この橋を覚えていた私としては、行ってみたいと思ったのです。
18年も前ですので、記憶は明確ではありませんが、静かで綺麗な島という印象でした。人影を見かけませんでした。
オートバイで行ったのです。誰かに撮ってもらったんでしょうが、全く覚えておりません。
CBR400とありますが、実際はCBR1100です。wifeを誤魔化すために小さく見せかけたのですが、不思議です~!wifeは、見破っていました。wifeは、2輪車のことについて知識は殆どありません。ということは、私の行動から見破っていたってことになります。恐っ!
これは、協会です。
温暖な気候の島です。
愛する人と引き裂かれる、その思いですね。
「必ず行きて見む・・(後は故郷の地名)」とあります。「首里の石畳道」とありますので、沖縄の人ですね。
石碑の裏です。残念ながら何を書いてあるのか、分かりません。
のどかな場所です。
こちらは、光明園です。
居住区です。施設の関係者の家でしょうか・・。
6月29日の朝日新聞です。
2001年の判決は患者の権利に対する判決でした。今回は、家族の権利に対する判決です。画期的と思います。国は、控訴できますまい。
「国会議員は、違憲が明白だった65年から96年までの予防法の隔離規定を廃止しなかった不作為について違法」とあります。
私は、この件で、国会議員のコメントを知りません。積極的に発言すべきと思います。でなければ、カックリします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます