定年退職
2008年5月24日(土)作成
2008年3月31日をもって、60歳で定年退職した。
定年退職は、多くの人が通る「みち」であり、特に深い感慨はなかった。それでも、3月中旬あたりから、これで「最後か」という思いがし出し、しんみりした心境にもなった。ただ、最後の日は、思いのほかあっけなかった。(まあ、外界世界は、私の内心とは違って、変わらないのですから。)
退職までの間で、一番の思い出といえば、途中3回退職を考えたことだ。原因はいずれも、人事に対する、組織と私との考えが違うということにあった。ただ、結果的には退職しなかった。初回は義父に止められた。2回目は、昇進という転機があった。終回は、私として「退職せざるを得ない理由」を述べ、退職願いを出したが、上司のアドバイスを受け留まることになった。その「退職せざるを得ない理由」について、その後の経緯を見ると、組織の考えが誤っていたことが明確になった。その上司が、私の「理由」に道理があると判断し、組織を変えたのだろう。
最後の日の30日、日常業務はいつもと同じであったが、17時に、職場の皆さんが「セレモニー」をしてくれた。送別の辞と花束を頂いた。私は、昨年病気で休むなど、申し訳ない気持ちを述べた。
身辺の荷物と花束で、「大荷物」となったので、この日ばかりはタクシーで帰った。
妻は、退職のことは当然知っているが、そのことについては触れず、「こんなにたくさんの花をもらって!」と、持て余し気味のことを言った。
これは、ひょっとして、私の退職という「おお荷物」を感じて言ったのではなかろうか。
定年退職は、何時か決まっているし、他者が決めるものだ。
次の、人生の定年は、何時か決まっていないし、自らが決めるものだ。
2008年3月31日、定年退職しました。
私の人生時計、17時ジャスト。 チン
(写真)私がいた職場に咲く「しだれ桜」。2008年4月1日撮影。
2008年5月24日(土)作成
2008年3月31日をもって、60歳で定年退職した。
定年退職は、多くの人が通る「みち」であり、特に深い感慨はなかった。それでも、3月中旬あたりから、これで「最後か」という思いがし出し、しんみりした心境にもなった。ただ、最後の日は、思いのほかあっけなかった。(まあ、外界世界は、私の内心とは違って、変わらないのですから。)
退職までの間で、一番の思い出といえば、途中3回退職を考えたことだ。原因はいずれも、人事に対する、組織と私との考えが違うということにあった。ただ、結果的には退職しなかった。初回は義父に止められた。2回目は、昇進という転機があった。終回は、私として「退職せざるを得ない理由」を述べ、退職願いを出したが、上司のアドバイスを受け留まることになった。その「退職せざるを得ない理由」について、その後の経緯を見ると、組織の考えが誤っていたことが明確になった。その上司が、私の「理由」に道理があると判断し、組織を変えたのだろう。
最後の日の30日、日常業務はいつもと同じであったが、17時に、職場の皆さんが「セレモニー」をしてくれた。送別の辞と花束を頂いた。私は、昨年病気で休むなど、申し訳ない気持ちを述べた。
身辺の荷物と花束で、「大荷物」となったので、この日ばかりはタクシーで帰った。
妻は、退職のことは当然知っているが、そのことについては触れず、「こんなにたくさんの花をもらって!」と、持て余し気味のことを言った。
これは、ひょっとして、私の退職という「おお荷物」を感じて言ったのではなかろうか。
定年退職は、何時か決まっているし、他者が決めるものだ。
次の、人生の定年は、何時か決まっていないし、自らが決めるものだ。
2008年3月31日、定年退職しました。
私の人生時計、17時ジャスト。 チン
(写真)私がいた職場に咲く「しだれ桜」。2008年4月1日撮影。
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