CHAKA With Webfriends (Blog)

人と人との架け橋になる
歌手になりたい

Happy Birthday my dearest Pippin

2009年03月27日 14時50分55秒 | Power Of Love
誕生日おめでとうピピン


捨て猫だったから
正確な誕生日はわからないけど、
3月27日って決めたんだよね。

1995年生まれだから、もう14歳 。
人間で言うなら60代後半だね(*^_^*)

最初、どうなることやら?と思うほど

咬み猫の困ったちゃんだったけど
少しずつ同居も大変じゃなくなって行った

ありがとう

おめでとう

私が、倒れて、泣き叫んだ時
すぐに来てくれて
一生懸命舐めてはげまし続けてくれた

ピピンが膀胱炎になった時
私も一緒になった(;^_^A

私が、つらかった時、なぜかピピンも、
自分の美しい毛をひっこ抜くようになり
その可愛いおしりが禿げ禿げになっちゃったし

でも、私が段々元気になっていったら
不思議と毛がはえそろって
また、以前のシルクの様な毛並みに!

いつの間にか、私達、リンクしてるね

だから、いつも元気でいるよ
自分と、ピピンの為に


私は、あなたより先には死ねません
必ず、私があなたを看取ります

でも、長生きするだけして下さい
この際、化け猫になってでも、長生きしてね

ありがとう

自分が寒いときだけ、添い寝してくれて
ありがとう(;^_^A

次の日、早起きの時だけ
夜中、パオパオ鳴いて
生命力をアピールしてくれて
ありがとう(;^_^A

元気なら、それでいい
それが、あなたの使命です


本名:Peregrin
種類:セタガヤン・ショートヘア
性別:ニューハーフ
好物:うどん、そー麺、チーズ
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ジャズっぽいもの #2: 人形浄瑠璃

2009年03月27日 01時21分25秒 | music
この間、渋谷の地下道を歩いていたら、こんなポスターがありました。この花魁が、あまりに誇り高く、まるで迫って来る様なエネルギーを放っていたので、あらがえず、写真を撮りました。赤のパワーもあるでしょう。テカってて、ごめんなさい。(ちなみに、CHAKAとはアフリカの言葉で赤とか炎という意味です)


PSY・Sをやっていた頃(1985~96年)、私は、よく「格闘技と人形浄瑠璃にはジャズを感じます」と言って、ある人にはスルーされ、ある人には興味を持って頂き、ある人には不思議がられました。


私が人形浄瑠璃:いわゆる文楽というものを初めて観たのは大学時代の演芸のゼミ。

二代目・桐竹勘十郎さん(故人)という人間国宝:女優の三林京子さんのお父様:が来て下さって、実際に人形を触らせて頂いた時でした。(三林さんは、桂すずめさんという落語家でもいらっしゃいます)

現在の人形浄瑠璃では、一体の人形を3人で動かします。

主遣い(おもづかい)と云われる人が首(頭部)と右手。左遣いは左手のみ。足遣いが脚を操作します。

「頭」と呼ばれる主遣いに合わせて、当然、何のカウントも、声で合図を出すでもなく、呼吸を合わせて動かします。

それを拝見した時「うわ~~、ジャズや!」と、大変に感動したのを覚えています。

何度か劇場にも足を運びました。音楽と、歌(というか歌と語り)と、人形使いが一緒になって、1つの素晴らしい世界を作ります。言葉がわからなくても感動しました。(今の文楽は、字幕がついていたり、現代語訳を聞きながら観賞できるシステムが借りられたりします)


まじ、素晴らしいです
yeah!

人形浄瑠璃は、どうしても、鮮やかな衣装の女性の人形に目が行ってしまいます。綺麗なお姫様が、悲恋や嫉妬に正気を失うような瞬間を表現する、人形のからくりも怖くて、すごいです。

何がジャズかと訊かれると、「なるほど!」と言って頂ける答えは出来ないのですが、私が感じている、音楽としてのジャズのリズムは、メトロノーム的な正確さを追求するものではなく、そこに、そのミュージシャン独特の「よれ」があり、私はそれがとても好きなのです。

複数のミュージシャンで演奏する時には、そのミュージシャンのブレンドが生み出す、そのメンバーのみの「全体のよれ」があります。誰か1人でもミュージシャンが変わると、またその「よれ」は微妙に変わります。

ジャズとは、その「よれ」を楽しむもの、と言ってしまうのは大変に乱暴で、怒られるかもしれませんが、私はその「よれ」が、ジャズ以外のほとんどのスタイルの音楽では、より正確にミュージシャン全員が合わせようと矯正されている種類のものだと感じていて、その「よれ」と似た何かを人形浄瑠璃にも感じるのです。(下手な説明ですが)

何人ミュージシャンがいても1になるように心を合わすのではなく、人数分の模様が見えるように演奏されている、みたいな感じでしょうか?

Max RoachにとってのClifford Brown。
Herbie HancockにとってのTony Williams。

のような、運命的な化学反応のような、その組み合わせによってしか生まれない「よれ」に、私はわくわくしてしまうのですね。

人形浄瑠璃も、3人の人形遣いが "せ~の" と、かけ声をかけたり、1・2・3・4とカウントをして、きっちりと合わせるというより、その3人同士が御互いを敏感に感じながら一体の人形を動かして行く様子に、私は、ミュージシャンの組み合わせによってしか生まれない「よれ」の様なジャズを感じるのです。

人形浄瑠璃をジャズっぽいと感じているのが私1人だけだったとしても、それとは関係なく、人形浄瑠璃もジャズも素晴らしいものです。



このポスターの子、ほんまに、ええわぁ。

観に行きたいなぁ。
コメント (7)
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