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Viva 歌謡曲(1)本郷直樹さん/ 燃える恋人

2021年08月17日 20時02分37秒 | Viva 歌謡曲
去る2021年8月2日に、歌手で俳優の本郷直樹さんが亡くなられたとインターネットのニュースで知りました。それ以来、彼のデビュー曲「燃える恋人」がずっと頭の中をぐるぐる回って響いております。今もまだ。

そして、その曲のことをいろいろ調べたり、本郷さんのことをネットで検索してみたりしました。子供の頃「素敵なお兄ちゃんだな」と思い、テレビに出るのを楽しみに待っていたことを懐かしく思い出しましたが、俳優になられて時代劇などに出ていらっしゃったことも思い出しました。

燃える恋人をずっと歌っていて、歌謡曲って3分のドラマなんだなと思い、いろいろ、その曲にまつわることを書こうと思いました。そして、好きな曲のことを書いていこうと思い、新しいカテゴリー「Viva歌謡曲」を作りました。

後になって、何か思うことがあったら、加筆していくかもしれません。

まずは、そんな「想い」にしてくれた本郷直樹さんの「燃える恋人」からです。

燃える恋人」by 本郷直樹
https://www.youtube.com/watch?v=veTuIFxpiWM&list=RDveTuIFxpiWM&start_radio=1


1.
燃える恋人 (1971年、レコード大賞新人賞)
 作詞:阿久悠
 作曲:中村泰士
 編曲:馬飼野俊一
 歌唱:本郷直樹


歌詞はこちらでチェックお願いします
https://www.uta-net.com/song/213131/


詞)この曲が新人賞を取った時と同年の1971年、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦歌唱)でレコード大賞をとった、めっちゃ上り調子の阿久悠氏。その後の阿久悠氏の、派手だったり、時に奇抜だったりする作風のイメージからすると、ごくごく普通の感じの詞。

曲)1968年に「いまは幸せかい」(佐川満男歌唱)や1970年に「愛は傷つきやすく」(ヒデとロザンナ歌唱)などのヒットがあった中村泰士氏。すでに有名な作曲家になっていたと思う。中村氏の作風は多彩。10代の女性アイドル歌手の歌や、演歌風の曲から、日本のソウルミュージックファンに根強く愛されていて、さながら日本のフィリー・ソウルとも言える「涙の河」(マギー・ミネンコ歌唱)もある。
 「燃える恋人」は、歌い出しのメロディーが、実は音が取りにくい難しい音程ですが、非常に印象的で他にはないようなインパクトがあり、覚えやすく、歌いたくなるような曲。全体を通して広がりのある、風通しの良い品のある曲。

編曲)1969年「夜と朝のあいだに」(ピーター歌唱)、1970年「戦争を知らない子供たち」(ジローズ歌唱)の編曲でヒットがある馬飼野俊一氏(作曲家でもある)は、この曲の少し後ぐらいから、天地真理さんの一連の大ヒットで大成功する。

歌手) 作詞・作曲・編曲に上り調子の3人を起用した曲でデビューということで、のちに大手事務所となるバーニングの第一号タレントの本郷直樹さんが、当時かなり期待されていたことがわかる。編曲の内容も、冒頭がマリンバ、そこからホーン、ストリングス、コーラスなども入っていて豪華。

1971年1月から3月まで日本テレビ系列(水曜19時枠)で放送されていた「スターヘばく進!」という番組でグランドチャンピオンになった本郷さん。その後、8月にこの曲でレコードデビュー。そしてその年のレコード大賞で新人賞獲得ですから、番組以前のことはわかりませんが、番組出演以降はかなりのトントン拍子です。8月から12月の間でレコード大賞新人賞が決定したのですから、まさに「スターへばく進!」でしょう。
 今の時代は、誰かをデビューさせるためにオーディション番組を作ったりするけど、この当時には今ほどあからさまなのはなかったでしょうし。

 1971年のレコード大賞新人賞は本郷さんだけが男性の受賞者。他は、欧陽菲菲さん、小柳ルミ子さん、南沙織さん、シモンズ。最優秀新人賞は小柳ルミ子さん。

 この曲がヒットしたのは、本郷さんの声と真摯な歌い方も要因だと思う。

 本郷さんの歌は、若さあふれるイケメン声で、色っぽいけど少しシャイなルックスもあり人気があったのでしょう。歌い方には変なくせもなく、真っ直ぐ歌っていて好感が持てます。しゃくらない歌い方のアイドル。本郷さんがどうかは分かりませんが、この当時はアイドルさんでも、作曲家の先生の家に住み込みでレッスンを受けることもあったりした時代。なのでどの歌手も、ちゃんと歌っていた印象。(アイドルはとても難しいジャンル:私は多分世界一難しいジャンルだと思いますが、歌唱力という意味ではあまり高くない人も多いので。)

 例えばアイドルという言葉がはっきりと使われ始めたのは天地真理さんからという印象がありますが、彼女も音楽の学校に通っていた人だし、当時天地真理さんと同じ事務所所属で、アイドルという枠にもカテゴライズされていた小柳ルミ子さんも宝塚出身で、音楽を勉強していた基盤がありますね。

 この曲の本郷さんの歌い方はどちらかというとダイナミックな感じで、プレスリーの大ファンというのも頷けます。音楽的にはプレスリーは世界に影響を与えたけど、好みで言うと、私は歌もまた男性としても、本郷さんの方が好きです。長めに伸ばすところはビブラートも嫌味なくかけていて、歌が上手いです。

 本郷さんは、この後、歌手活動とともに、人気テレビドラマ、映画などで俳優としても活躍。爽やかな青年の役柄から、時代劇の悪役もこなす演技派でした。


詞と曲のイメージ)この詞に登場する2人はまだ若く、20代前半。遠距離恋愛のようにも思える。もしそうでなくても、まだ日曜日だけしか休日がなく、インターネットも携帯電話もない時代なので、カップルも今より連絡が取れる回数は少なかったでしょう。
 男女の恋愛は今ほどオープンではなかったので「誰にも気がねしないで」という表現が自然なのだと思う。また、しばらくお別れしなくてはならなくなっても、心の繋がりを大切にしようという、純粋で今よりずっと幼いというか、一途な恋愛。

 もし、これが遠距離恋愛ではなく、土曜の午後からデートして、日曜の夜まで一緒に過ごすというカップルだとしても、次にゆっくり会えるまでの1週間が待ち遠しいという気持ちを表している。

 本郷さんは、しっかりと声を出す、歌の上手い人ですが、見た目もかっこよく:誤解を恐れず表現するならば、超美形というよりも女好きするタイプの色気のある人。そこにまだ若々しい爽やかさもあり、いわゆるアイドルとも分類される人。
 でも、郷ひろみさんのような、とにかく明るく可愛く元気な魅力という感じではなく、少し落ち着いていてセクシーで、微妙に影があるタイプ。異性ファンが主なターゲットでしたから(本郷さんは西城秀樹さんと同じく同性のファンも多かったタイプですが)、恋愛の歌詞でも強すぎるものは合わない。どこかに爽やかさがないと、特に当時の若い日本女性には支持されなかったでしょう。2人のプライベートな親密な関係と爽やかさのバランスが良い歌詞です。

 レコーディングされたバージョンはエンディングがラララ部分の繰り返しでfade out。そこが、当時の青春歌謡ポップスの王道という感じで、個人的にも好きです。ラララのフレーズで終わることによって、この2人が自分たちの未来に希望を持っていることを表している。

 この当時、歌謡曲の歌詞には「会う」を「逢う」、「思う」を「想う」、「淋しい」を「寂しい」、「探す」を「捜す」のように表記することが多かった。なんとなく生活感がなくて歌詞という感じがする。私は好きです。

 
(エピソード)
 エルヴィス・プレスリーの音楽活動は1962年の「好きにならずにいられない/ I Can’t Help Falling In Love」の大ヒットまではとんでもない絶好調を保っていましたが、翌年ぐらいからは不調になり始めます。が、1972年に発表した「バーニング・ラブ」が大ヒットとなりました。
 曲調も違うし、こじつけのようですが、プレスリーファンの本郷さんが「燃える恋人」でデビューを果たした翌年に、それまで若干低迷していたプレスリーが「バーニング・ラブ」(燃える恋)で、再度大ヒットを飛ばしたことはとても面白い偶然だと感じます。



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Viva歌謡曲(2)西城秀樹さんのこと

2020年05月11日 01時08分57秒 | Viva 歌謡曲



このblogは、私が「Viva歌謡曲」というカテゴリーを作る前に書いたものです。
が、秀樹さんは歌謡曲のジャンルでもアイドルというジャンルでも大スター
でしたので、そちらのカテゴリーに含めさせていただきました。
書いた順番としてはこちらが先ですが(2)ということにしました。

ーーーーーーーーーー

西城秀樹さんのファンの方々が、Twitterで、私の「うたの引力実験室」というアルバムのことを話題にして下さっていたので、書くことにしました。長いけど、読んで下さったら嬉しいです。

カバーが今みたいに普通になる前に、このアルバムを作りました。きっかけは、一度だけのはずだったコンサートです。最初は「そんなに色んなジャンルの音楽を一度にやって大丈夫?」と反対や心配の声もありましたが、絶対大丈夫という自信がありました。だって、私はいつもそうやって音楽を楽しんで来たからです。

結果、大好評でした。その後のカバーブームはこのアルバムが火付け役だと自負しています。最初のコンサートが好評だったおかげで、ずっと続けて来れたライブが、数年後アルバムの形になったのです。

(引力実験室は今でもやってます。5月のライブは中止になりましたが、またいつかやりますので、おいでください。その時には秀樹さんのあの有名な曲を、全然違うアレンジでやっちゃおと思ってます!内緒)

このアルバムの中から「大きな古時計」「明日があるさ」など、他のアーティストのバージョンがヒットしましたね。(私バージョンじゃなくて皮肉ですが、でも日本の音楽界のことを考えると、いいことです。)廃盤になってしまったので、誰かソニーに復刻をお願いしてくれないかな?とてもいいアルバムだと思ってます。

リリース当時、私はまだPSY・Sというグループでソニーで活動していました。もんたよしのりさんのラジオ番組に呼んで頂いた時「君に会いたかったんや」と言われました。もんたさんが西城秀樹さんとコンサートをやろうという話になり「こういう、いいアルバムがある」とお互いに見せ合ったのが「うたの引力実験室」だったとのことでした。偶然で、少し驚かれたみたいです。

お二人は、その後、一緒にカバーのライブをやったのかどうかは知らないのですが、お互いに有名なシンガーがご自分の持ち歌を歌わないコンサートは、きっと面白かったでしょう。そのラジオ出演の時、もんたさんに「すごくいい企画と思う」と褒めて頂きました。

その後、別にNHKの歌番組に出演した折、西城秀樹さんと最初で最後、たった一度だけご一緒しました。

控室で「聞いてるよ」と、声をかけて下さって、すごく嬉しかったです。「CHAKA、感激!」って、ちゃんと言いましたよ。

というわけで、私もプロ歌手の端くれとして、西城秀樹さんの魅力について、真剣に書いてみます。決して、ヨイショではありません。スターがスター然としていたあの時代から、長く芸能界で活躍されていた人というのは、すごいのです。



西城秀樹さんの魅力は、そのお名前に凝縮されている気がします。どこか、当時の少女漫画の中に出てくる王子様的なかっこいいお名前が、とてもよく似合います。

背が高く、足が長く、当時の言い方のウルフ・カットという髪型がワイルドで、顔が男前で、声がハスキーで色っぽく、雰囲気には少し影がある感じがするけど、ギャグもやるし、性格がまっすぐぽい感じ。

チャラくなくて、恋や愛の情熱を歌うとものすごく似合う。ちょっと危険な感じがするのに、愛には忠実でひたむきという、多くの女性が求めるものが備わってますね。秀樹さんが亡くなられた時、野口五郎さんが「秀樹は裏表のない、いいやつだった」とおっしゃってました。

人気漫画だった「愛と誠」の映画化での誠役は秀樹さんにはとても似合っていました。

そして、秀樹さんは、今の日本のビジュアル系ロッカーに大きな影響を与えた一人だと感じています。

昔、ロカビリーの大流行があり、そこから、いろんなタイプの男性シンガーが生まれました。ロカビリーと歌謡曲の両方の魅力があるビジュアル系の元祖は、西郷輝彦さん、にしきのあきら(現:錦野旦)さん、そしてジュリーだと思います。

ロカビリーからは二つの路線に分かれたような気がします。それは、アイドルの匂いが少しする歌謡ポップの世界と、サイケなグループサウンズかな?

私も大好きな作曲家:浜口庫之助さんが、暖かでシャイで等身大の青年を描いた歌謡ポップを、ルックスも歌唱力も一般には中々いないようなかっこいい西郷さんや、にしきのさんが歌うのですから、たまらないですね。にしきのさんのライバルと言われた野村将希さん(当時:真樹さん)も長身でカッコよかったです。

グループサウンズで最もビジュアル系という言葉が似合うシンガーはジュリーでしょう。ソロになってからも、ジュリーはすごかった。ジュリーには、美輪明宏さんの妖艶な影響も少し感じます。意識はなくとも、美しい人はどこか似てしまうのかもしれません。

西郷さん、にしきのさん、ジュリーから、さらに「激しさ・青春・傷・嵐」というテーマで、そのバトンを受け継いだ感じなのが秀樹さんです。アレンジには明らかに、1970年代、世界的に大流行したブラスロック(ブラッド、スエット&ティアーズやトム・ジョーンズ)っぽい影響を感じます。歌謡曲よりロック、R&Bの感じです。

バトンを受け継いだという言い方をしますが、ただ受け継いだだけでは真似になってしまい、売れません。必ずその人ご本人の個性が必要です。作曲者、編曲者、プロデューサー、そしてご本人の研究・努力・音楽愛があってのことです。

西郷輝彦、にしきのあきら、ジュリー、そして西城秀樹。この4人が、その後の日本のビジュアル系ロッカーに、無意識にも影響を与えていると思います。


秀樹さんがすごいのは、そのイメージの維持力だと感じています。デビュー当時からずっと「西城秀樹」のイメージをキープして、ファンに答え続けたところだと。

デビュー当時は少し可愛かったけど、「チャンスは一度」ぐらいから、その後の秀樹さんぽいというか、ワイルドで迫力のあるアレンジの片鱗が見え始めます。それが確固たるものになったのが、大ヒット曲の「情熱の嵐」でしょう。

作曲家が意図したものかどうか、わかりませんが1フレーズ歌うと、ファンが「ひでき!」と合いの手を入れられるようになっていて、きっとコンサート会場でのお客様は、秀樹さんとの一体感を求めて、大きな声で応援していたのではないでしょうか?(何にも知らない、ただテレビで観ていただけの私が偉そうに言うことでもないですが。)

秀樹さんがデビューされた頃は、私は小学生でしたが、日本にもまだまだ、歌番組が結構ありました。そのいくつかが、生放送だったり、コンサート形式の公開録画だったりしました。

いろいろなジャンルの人が出るので、例えば都はるみさんのファンは、都さんが登場すると「みや〜こ」「はるみっちゃん!」と声をかけますし、美空ひばりさんの場合は、りんご追分などで一瞬音楽がなくなる場面で「日本一!」「ひばりちゃん!」と声をかけていました。郷ひろみさんが登場すると「Go Go」と曲中で合いの手を入れます。秀樹さんファンも、すごい応援でした。

私は、新御三家では野口五郎さんが一番好きでした。のびやかな声も歌唱力も、素晴らしいメロディーラインと印象的な歌詞の楽曲も好きでした。「オレンジの雨」は今でもカラオケで歌います。下敷き持ってたなぁ(照)ギターもガチで上手いです!

その頃から、秀樹さんはずっと長い間、同じイメージを保ちながらも、出すシングルの曲調は、バリエーションが豊富です。多分、ご本人も研究されて、作曲家や編曲家にアイデアを出されていたのでしょう。そして、すごくたくさんヒット曲がありますね。

秀樹さんは、アイドルというジャンルにも分類される人でしたが、女性だけでなく男性にも人気がありました。友人にも「西城秀樹が好き」とおっしゃる男性は結構います。

その理由は、スタイルがよく、どこか不良ぽく、硬派で、バイクが似合い、ギターを抱えて、、、みたいな、男性が憧れる様々なことを、全部さらりとこなすところがきっとアピールしたのでしょう。芸能人が出る水泳大会や運動会のような番組では、運動神経の良さを披露されてましたね。

新御三家と言われる人の中で、最も同性のファンが多かったのではないでしょうか?調べてませんから、いい加減なことは言えませんが、それが、私の印象です。

ずっと秀樹さんの歌手としての良さを書いてきましたが、忘れられないのは、人気テレビドラマの「寺内貫太郎一家」です。

私は一人っ子で、父はバンドマン、母も仕事をしていましたので、ほぼ毎日、学校から帰ると、夜、両親が帰宅するまで一人で過ごしていました。

両親は愛情を持って育ててくれましたので、寂しいとは感じませんでしたが、寺内家のような賑やかで、いろんな面白いことが起きて、最後には毎回お父さんと乱闘!(なんでやねん?)でも結局は仲良し、みたいな家庭に憧れていました。

毎朝の献立も楽しみでした。おキンばあちゃんが「今日のおみおつけの身はなあに?」と聞くセリフで「あぁ、東京ではおみおつけ、て言うんや」と思ってましたし、加藤治子さんが優しくて美人で、本当にいいなぁと思ってました。

アイドル的な大スターが受験勉強中の男の子を演じて、茶の間で「おみおつけ」のしじみの身をちゃんと残さず食べろ!と叱られているようなドラマって、面白かったし、私は原作の向田邦子さんの世界が大好きで、本もほとんど読みました。

あの番組は音楽もすごく良かった。小林亜星さんは、好きな作曲家の一人です。屋根の上で、秀樹さんが浅田美代子さんと歌う曲が好きで、風吹ジュンさんの歌も好きでした。風吹さんは2に出演でしたね。私はDVDのボックスセットを持っています。

西城さんの訃報には驚きました。ご病気をされたことは知っていましたが、懸命にリハビリされて復帰されたと聞いていました。国民的なスターですから、いつまでも、元気にカッコよく歌ってくれるものと、どこかで思っていたのでしょう。

秀樹さんは、私には大スターの遠い人です。コンサートにも行ったことはありません。が、改めて彼の魅力について書いてみるとこんなにたくさんありました。

無意識のうちに知ってる。
練習したわけでもないのに、歌える曲がたくさんある。
それってすごいことですね。

今でもたくさん秀樹さんファンがいらっしゃって、秀樹さんは喜んでいらっしゃることでしょう。今はコロナウィルス の問題があり、カラオケは行けませんが、次に行ったら、秀樹さんの歌も歌ってみよう。

あ、そして、秀樹さんと言えば、ベルボトムのパンツです。ジーンズも、パンタロンも、オールインワンのジャンプスーツも、彼にはブーツカットやベルボトムが似合います。

ベルボトムが似合う。
それは、私の美的感覚では、美脚&イケメンだけの特権です。








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