思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

覚悟はできていた葬儀

2006-03-10 00:00:23 | 普段の生活(日常)
2006年3月7日、湘南モノレールの西鎌倉駅。鎌倉の親戚宅に行く場合は、JR大船駅経由でここか、またはJR藤沢駅経由で江ノ島電鉄(通称“江ノ電”)の腰越駅を利用している。僕にとっては通い慣れた、地元・埼玉県以外では特に思い入れの深い交通手段なのだ(本文とはあまり関係ありません)。


先週4日の深夜、母方の祖母が亡くなった。で、7日から8日にかけて葬儀があり、神奈川県鎌倉市の親戚宅のほうに行っていた。家族・親戚のみの20人ほどで執り行なわれた。

祖母は享年93歳で、僕の親戚のなかではおそらく最も長生きした人ではないかと思う。
祖母についての特に印象的なことは、僕が小さい頃から宅に訪問するたびに、高齢なのにもかかわらず、毎日タバコをスパスパ吸っていたことだ。不健康の象徴のような喫煙を続けていたのになぜかいつも元気だったんだよな。
僕は基本的にタバコを吸う人はあまり好きではないのだが(宮崎駿とビートたけしと志村けんは除く)、この祖母に限っては喫煙行為が僕にとっては昔から当たり前の光景だったのでそんなに気にはならなかった。
祖母の娘たち(僕の母や叔母)のあいだでは、身体の線は細くて特別強いわけではないからそんなに長生きはしないだろう、という見方をしていたようだが、数十年前(戦中?)まで住んでいた東京都内からそこよりは比較的自然環境の良い鎌倉に引っ越してきたことが長生きにつながったのだろう。

2、3年ほど前から特別養護老人ホームや病院のお世話になっていて、僕もそれなりに最期への覚悟はできており、今回の寺(仏式)や火葬場でも泣くことはないだろうと思っていたが、いざ出棺の段になっていとこが祖母との最後の別れを惜しんで泣いている様子を見ると、ついもらい泣きしてしまった(まあこの時期はいつも花粉症に悩まされていて、特に目にくる僕としては8日の19度近くまで上昇した気温で花粉もかなり飛んでいただろうから、それで終始涙目になっていたこともあるけど)。一青窈のような繊細な女性でなくても、僕のようなブ男でももらい泣きをすることってあるんだなあ、と自分で自分に驚いたりもした。

人間は生まれれば遅かれ早かれ必ず死を迎える、と巷でよく言われることを再び思い出しながら、今後の生への意識を持ち直す機会になった。
登山での転倒・滑落や徒歩および自転車旅での軽い交通事故などで生傷や骨折が絶えない僕としては、やはり最大の親孝行は親よりも先に逝かないことなのかな、と最近よく思う。生命の危険を伴う身体を張ったそんな行為に長年首を突っ込み続けていると、若くして亡くなった、しかも親よりも先に逝ってしまった人の話を聞くことがどうしても多くなってしまうが、まあとにかく、現世を生きているうちは自分でそれを放棄したりせずに懸命に生きるべきで、それが生き残っている者の責務である、と再確認した。

30年近く色々とお世話になった祖母に感謝しながら見送り、今後も僕の身近で亡くなった方たちに恥じない生き方をしていこう、と鎌倉の青空の下で誓った。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿