今日の、というか今月の最も大きなできごとは、小学生の頃から“タモリっ子”のひとりとしてはやはり『笑っていいとも!』の終了で。
まさかこの番組に「終」が付くときを迎えてしまうとは、いまだに信じられない。
もちろん、今日の最終回と、先程のグランドフィナーレ特番も観ながら録画した。終盤のスピーチはもらい泣きした。タモリ挨拶全文を読むと、再びしんみりする。あの番組的に、湿っぽく終わるのは良くないけど。
というか、いいとものレギュラー放送も2週間前から、それに16日(日)以降の3回の増刊号も録画している。もちろんすべて永久保存版である。
今月はいいとも終了を受けて、出版業界ではタモリ関連の雑誌記事や本の出版が相次いでいるが、僕は他者から目線のタモリ考? にはわざわざ買って読むほどの興味はあまりなく(一応、立ち読みで目を通しはするけど)、そんなことよりもテレビ番組でご本人がこれまでと同様の姿勢で(座右の銘の)「適当」に「現状維持」という体で言ったり動いたりしていることがすべてだと思うので(今日の昼の最終回で少し紹介していた32年前の放送開始当初から番組づくりにかかわっている方々のような、相当に深い関係者でない限り、外野がわざわざ論考するなんておこがましい)、今後もしばらくは他局のテレビ番組に出演するタモさんを注視し続けようかと。
最近は民放キー局の視聴率争いで勢いが衰えて凋落とよく言われるフジテレビはこの大きな長寿番組を切って(最後のスピーチで笑福亭鶴瓶が言っていた、多くの芸能人の「港」を取り壊して)、今後どうするのかねえ。僕は正直、後進は別の時間帯でも活躍の場はあるのだから、昼間はまだまだいけるタモさんが音を上げるまで続けてほしかった……。他局だが、平日昼間のもうひとつの長寿番組『徹子の部屋』なんて、さらに10年で50周年を目指して続ける気だというのに。
ひとまず明日以降は、“いいともロス”がしばらく続いて何をするにも身が入らないと思う。というくらい、先程から予想以上の喪失感がある。
この感覚を埋め合わせるというか気を紛らわすには、いったい何をしたらよいのだろうか。ひとまず、最近の『タモリ倶楽部』の録画分を観直してリハビリに努めるしかないか。NAVERまとめも観て、感傷に浸っちゃう。
32年間の放送のうち、僕が積極的というほどでもないが能動的に番組を観るようになったのは小学校の中学年頃で、となるといいとも歴は約28年か。いいともに思い入れの深い人が各種媒体で最近よく触れるように、小さい頃は平日のこの放送は、学校を風邪などで休むか(僕はやらなかったズル休みも含む?)、運動会などの学校行事の振替休日か、平日の祝日か、春・夏・冬休みくらいしか観ることができなかったが、それでもたまに目にするなで肩のおじさんはいつもサングラス姿で登場して(当時は、サングラスの理由や視力の問題なんかはたいして知らずに怪しみながら面白おかしく観ていたが)、オープニングでは「ウキウキウォッチング」と唄って、生放送でいつも適当なことを言っているよなあ、と子どもながらに「なんだこれ?」と適当さと怪しさと博識ぶりが同居する佇まいに何か引っかかるものがあり、その頃からはまっていた。たしか、(弟子・子分の意味合いの)“タモリっ子”という表現を使い始めたのは数多のいいともレギュラーのなかで特に好きだったウッチャンナンチャンだと思うが(彼らの出演コーナーでは特に「サックスは下剋上」が面白かった)、この頃から完璧主義を自認していた僕は自分は持ち合わせていない、その適当さ加減にいつも憧れていた。
だから、平日は学校で無理なので、日曜日午前放送の『増刊号』だけでもとこれを積極的に観るようになり、ただ小学生から高校生までは毎週日曜日はボーイスカウト活動でその放送時間は常に外出していたので、ビデオの予約録画に頼ってなんとか毎週きっちり観ていたくらい、一時期どっぷりはまっていたこともあった。
大人になったここ数年はそこまで深みにはまることはなくなったが、それでも平日の昼間に在宅のときは「お昼休み」の感覚でほぼ必ず観ていて、近年も相変わらず趣味は「妄想」とか、好きなものは「鯖」と「おっぱい」とか、以前と変わらずあまり為にならない茶番劇? というかふざけっぷりだなあ、と面白おかしくこちらもそんなに肩肘張らずに適当に観ていて、しかも(多くの視聴者がやっていたことだと思うが)時計代わりに利用することもあったが、空気のように日常に在り続けて当然で、しぜんと新宿界隈の活性化にも一役買っていたこの番組がなくなるなんてことはまったく想像できなかったので、(終了説は数年前から度々あったが)昨年10月のホントの終了の報は腰を抜かしそうなくらいびっくりした。
近年は『タモリ倶楽部』や『ミュージックステーション』や『ブラタモリ』も積極的に観ていて、これらのよりマニアックな番組のほうがタモさんの真骨頂だという意見は多くてそれは同感なのだが、それらとは別に日々の観覧と、コーナーによっては素人も一芸で参加できるくらい大衆的でいて、それとともにここ30年の(フジテレビに限らず)若手芸能人が生放送のわずかな時間でも本分の「芸」を披露できる登竜門的な位置付けでもある番組を「適当」に仕切って(強く意識してやっていたわけではないだろうが、ここ十数年は芸能人のステップアップの場となっていた)、その両輪で今後もずっと進み続けると思っていたので、これで来月から片輪が外れるとどうなってしまうのかと、タモさんの行く末はやはり気になってしまう。人生の大先輩に対して、余計で大きなお世話だが。
でもまあ、タモさんが自分のための時間を持てるようになったのは良いことなので、明日からはこれまで抑制していた? (いいとも終盤でまず行きたいと明言していたスコッチ・ウイスキー紀行? をはじめ)趣味にとことん走ってもらいたい。いいともの楽屋に時刻表や地図を常備してきたことによって妄想というか「机上旅行」も完璧のはずなので、今後は「森田一義」としてじゃんじゃん旅してほしいなあ。あと、憧れの吉永小百合との会食もホントに実現するといいね。
32年間、お疲れさまでした。
僕のほうも、いまだにあのような適当さは身に付かないが(それが良いことなのか悪いことなのかはよくわからない)、それでもタモさんと同じ人見知りで花粉症持ちで地図好きでもあるという共通点を強み? として、今後のいいとも無き世界を邁進してゆこうと思う。
平和の象徴が崩れた感じで、精神的にやられちゃってます。
もうフジテレビは見たくないと思うほどです。
僕はフジテレビは観続けますが、やはり今後の番組づくりは大丈夫かなあ、と視る目はより厳しくしますね。
正直「えーーーー??」という感じはなかったです。
みのもんたも番組終了したし、時代の流れかなと思ってましたが、テレフォンショッキング」の、最初のあの意味のない掛け合いが見られなくなるかと思うと寂しいです。
人は失ってから、その重大さに気づくのですね・・・。
タモさんにはお疲れ様と言いたいです。
杉本哲太さんもレギュラーで出てました。
田原俊彦さんも。
ちなみに、うちの田舎はキー局がなくて、夕方5時からやってましたでする(^O^)
「どこが、昼休みなんだよーーーー!!」
レギュラーは、グランドフィナーレに来ていた人のほかにもたくさんいますよね。すでに活躍している役者はそうでもないですが、若いお笑い芸人とともに、SMAPに近い位置付けの女性タレントでは“バラドル”の飛躍の場にもなったと思います。
(曜日対抗のゲームのように)いいとも全体的に意味を求めてはいけない構成なのですが、今年に入ってからは終了に近付くにつれてどうしても求めてしまうのがまだまだ甘いな、といちファンとして反省しきりです。
今週の7日(月)発売の週刊現代に大橋巨泉、週刊ポストにビートたけし・樋口毅宏のいいとも終了に関する記事があり、それぞれ良かったです。特にたけしの「白米のようなタレント」という評は同感です。ぜひご一読を。