思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

JR福知山線脱線事故から1年経過 

2006-04-25 23:45:13 | 交通・地理
2005年8月4日、JR福知山線脱線事故の現場を見に行った。この区間の列車にも乗り、車内からの線路の直線の長さやマンション脇のカーブの曲がり具合、車窓からの現場の様子も2往復して確認した。


今週、各種媒体で頻繁に報じられているが、今日でJR福知山線脱線事故から1年経過した。
予測・分析が困難な自然災害ならともかく、100%人間の手によって、様々な過ちが重なって起こるべくして起こってしまった人災で107人もの死者が出てしまったのは、普段の生活で鉄道を頻繁に利用する僕としても他人事とは思えず、ホントに残念でならない。
並行する私鉄の阪急電鉄との集客争いに負けたくない、利用客の安全よりも合理化によって利益を追求する、というJR西日本の体質のまずさが事故以降はよく問題視されるが、そもそも鉄道って、数ある交通機関のなかでも専用の鉄路があるように特に公共性の高い乗り物で、十数年前に国鉄から分割民営化されたといっても、それをないがしろにして私腹を肥やす方向に走ってはならん乗り物だろう。
まあ民間会社であれば利益を高める方向に向かうのはふつうのことだが、(鉄道に限らず)「交通」に限ってはそれよりも何よりも利用客のお金だけでなく命もかかっており、客を何の問題もなく運ぶことを最優先すべきである。制限時速70kmのカーブを110km以上で通過しなければならないくらいの過密ダイヤを強要するという会社の体質はやはりおかしい。

僕は関東圏の住民なのでJR西日本の鉄道を利用するのは旅なかで多くても1年に2、3回程度しかなく、鉄道の運行状況や駅施設の維持管理の様子もたまにしか見ないのであまり口を挟むべき立場ではないのかもしれないが、普段よく利用するJR東日本のそれと比べると、オーバーランや急ブレーキをかける回数が多く、駅構内の駅員の配置もやや少ないかな、という印象は数年前からあった。
まあこれは、東よりも西のほうが駅と駅の間隔が広くて速度を上げやすかったり(上げざるを得ない状況)、近年の合理化によって(他社よりは)運転経験の少ない若手社員を早急に現場に出さなければならないという台所事情の苦しさの表れなのだろうが、なぜそうしなければならないのか、という社の上層部の物事の決め方や進め方、経営の第三者によるチェック体勢の有無と質、運行ダイヤとシステムの(不測の事態にも対処できる)“遊び”の時間というかゆとりの幅の多少が気になってしまう。

緊張しいの人が大勢の人々の前に立って何かを発表したりするさい、注目を浴びるその人を落ち着かせるための常套句に、「自分を見ている人たちをじゃがいもや南瓜だと思えばいいんだよ」というのがあるが、JR西日本全社で、命のある利用客すべてをそう見立てていたのではないか、とつい疑ってしまう。
それなりに緊張しながら列車を運転していても、それが毎日続くと緊張することや、自分が扱う列車の(人間的には)実は尋常ではない時速100km超の走行速度にも慣れて、それらが日常の当たり前の感覚になり、次第に危機感が薄れてくるということもあるかもしれない。
でもやはり、客を乗せた乗り物を運転・操縦するさいは、「他人の命を預かっている」という重みは、そういう超人的な乗り物を扱っているうちは絶対に忘れないでもらいたい。これはJR西日本のみならず、鉄道のみならず、飛行機やバスやタクシーなどすべての乗客輸送手段を扱う者全員に言えることだ。


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