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思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

今度は吾野駅周辺で(追加写真あり)

2014-02-27 23:59:59 | 普段の生活(日常)
昨日、埼玉県内の雪かき個人活動の2回目として、西武秩父線・吾野駅へ行ってきた。
過去にふつうにハイキングや、学生時代の卒業論文で長距離自然歩道のひとつ「首都圏自然歩道(関東ふれあいの道)」を踏査したときに、と過去に6、7回は訪れている見慣れた地域だが、ここ数年はご無沙汰で久々であった。



まあ駅から近い国道299号の日向は雪融けが進んですっかり平時の交通量になっていたが、道路の両側の歩道のうち片方はまだ除雪して放置したままの塊が多くて通行し難い状態で。でも山側のもう片方は融けて通行できるので、まあ通行に支障はそんなにない印象。


で、国道から北側の顔振(かあぶり・こうぶり)峠のほうへ行こうと思って峠道へ左折して登り坂を進むと、2車線くらいの峠道は除雪はまあまあ進んでいるがまだ1車線くらいの道幅で。でもクルマのすれ違いのための待機場所はいくつか削られていたので、通行には支障なし。
県内の、それに他県も、山間部の林道というか峠道はまだどこもこのような感じだろうなあ。日陰の路面はややアイスバーンだったりとか。気温上昇と降雨で早く雪融けが進んでほしいと願うばかり。

【追加】21日後の3月19日(水)の様子。


途中、水場があるもので、需要のありそうなここくらいは掘って汲みやすくしておいた。午後に気温が上がって軟らかい雪だったので10分ほどで済んだ。山側からの小規模な雪崩もそろそろ終わりそうだが、今後の天気次第だなあ。

【追加】21日後の3月19日(水)の様子。


ずっと車道を進んで顔振峠まで行こうと思ったが、途中から自然歩道のコースとして車道のショートカットになる山道があるのは知っているので試しにそこへ入ってみると、ツボ足の踏み跡はあったがそれでもまだ深いところでは膝下まで潜るくらいだった。傾斜のあるところは道なのに雪解け水の流れでちょっとした沢に変貌していたし。
そのまま突き進むとコースタイムの3倍以上の時間がかかりそうなので、まあ峠のほうへ行く商業的なクルマの通行もそこそこあったということは峠に近い集落も物流など生活はもう問題ないのだろう、と考え直して峠まで行くのは断念して引き返した。
大雪後に初めて山道を少し歩いたが、比較的よく踏まれた自然歩道の標高300m台でもこの積雪で、おまけに大雪の重みで倒れたらしき新しい倒木もちょいちょいあったから、もっと高い場所はさらに凄いことになっているだろう。ここの状態から、過去に登ったどの山のどのコースには踏み跡があるかないか、とだいたい推測できる。ヤマレコや他所の登山記録を覗くと東京近郊で比較的行きやすくて人気の高尾山・陣馬山や丹沢大山・塔ノ岳あたりは登山者が戻りつつあるようだが、奥武蔵や奥多摩はまだまだだろうねえ。
いずれ融けてしまう雪よりも、倒木や土留め代わりの階段や石積みなどの登山道の変化のほうが今後は厄介かもしれない。

【追加】21日後の3月19日(水)の様子。


国道299号へ戻り、その歩道の雪の塊をスコップで切り崩してクルマの通行の支障にならない程度に路面に散らしたり(側溝・排水溝や川へ「消す」こととともに、散らすことによっても雪融けは早く進むよね)、凍った箇所は前回の反省を生かして持参したピッケルで削ったりして、幾分歩きやすくなった、と思う(自己満足)。国道沿いの歩行者・自転車の通行は駅に近い脇道よりも少ないが、それでも雪の塊は早く縮小したほうがよいに決まっている。
ここに限らずウチの近所などでも、まだ雪の壁や塊が残っているのを見かけるとつい崩したくなる。


県内では今週、災害派遣の自衛隊は撤収し(23日の投稿で触れた秩父市役所の自衛隊車両は、21日にはもう緊急的な作業は終了していたそうなので22日に見かけたときは活動はほぼ終了で待機状態だったとか)、秩父鉄道の不通区間は解消されて昨日の朝から県内の鉄道はすべて復旧し、県内の孤立も今日の午後にすべて解消され、徐々に普段の生活に戻りつつある。
ただ、山梨県内では身延町の1か所で孤立はまだしばらく続くか。
ニュース映像で秩父市内といっても旧大滝村あたりの除雪の様子の映像を観ると、まだ新潟県のような真っ白な過去に観たことのない状況だが、そういうのを考えると気温上昇による雪崩も気になるので、やはり登山は行きたいのはやまやまだが僕はもうしばらく先だなあ。雲取山のそばの雲取山荘もまだ孤立状態だそうで、そのへんも気になるし。

雪かきはこんな感じで、週1ペースで行けるかなあ。自己満足ではあるが、善処したい。


※追加写真について
21日後の3月19日(水)にこの投稿で挙げた箇所を再訪したのだが、だいたい同じ位置から再び撮影したものを5枚追加した。
雪国のように降雪の追加はなかったのは幸いで、思ったよりも早く雪は融けていたなあ。

秩父市街の様子を観に行った、そして少々だが身体を動かした(追加写真あり)

2014-02-23 23:59:59 | 普段の生活(日常)
昨日、14日(金)の大雪から1週間経った秩父市街を日帰りで観てきた。
秩父盆地につながる大動脈の国道140号と299号はすでに平時の交通に戻っているのはなんとなくわかっていたが、前日の21日(金)午後に西武秩父線も全線で運転再開となり、僕のようなクルマなし人間もようやく行けるようになった。西武鉄道が除雪に最も手間取った芦ヶ久保駅と横瀬駅の区間は減速しながらも昨日から特別ダイヤで運行していたが、それによる遅れはたいして気になるほどでもなく時間的にはほぼ通常どおりに行くことができた印象。
週末なのに、電車の乗客も、西武秩父駅で乗り降りする人も少なかったなあ。観光的な人出は例年の半減どころか3分の1以下だったと思う。

で、以下に20枚の写真付きで、西武秩父駅・秩父市役所の周辺と、そこから横瀬駅まで歩いて往復し、その区間の所々で持参したスコップを振るって除雪作業のための秩父市のボランティアセンターの活動ではなく(意図的に)個人的に雪かきもしてきた様子をいろいろ。



飯能駅で西武池袋線から西武秩父線への乗り換えのときに時刻表を観ると、この日からの特別ダイヤの時刻表が。


14日の降雪後に長らく不通が続いた芦ヶ久保駅は、ホームの下りのほうが山側なのでその積雪が線路になだれ込んで除雪がなかなか進まなかったようで。だからこのときも下りの線路は雪が埋まっていてまだ使えず、上りの線路1本のみで上下線の交換をしていたのが特別ダイヤになった理由だろうね。この状態はもうしばらく続きそう。


西武秩父駅から南の三峰や奥秩父の山々を見渡すと、というか手前の住宅地も含めて真っ白で、一瞬、同時期の長野県や新潟県かと錯覚した光景であった。秩父盆地がこんなに白いのは初めて観た。北のほうは、小学生の遠足でもよく賑わうくらいの低山の美の山(蓑山)までも白かったのはびっくり。


西武秩父駅から近い秩父鉄道・御花畑駅。こちらも下りの線路が埋まっていて上りのみで運行を再開したようで。このせいか本数を減らした間引き運転で、しかも影森駅から三峰口駅の区間がまだ不通だそうで。秩父市の中心部から外れたところはまだ除雪が進んでいないだろうなあ。


秩父市役所の駐車場は除雪されて、災害派遣の自衛隊の車両のために確保されていた。


そこを通りかかったときに見かけた除雪車(正しくは除雪ドーザーか)。冬場の日本海側の地域や北海道ではよく走っているが、埼玉県内でこういう車両を観たのは初めてだったなあ。新潟県から助けに来てくれた車両なのかしら。ありがたい。


写真奥の秩父市役所の付近の、国道140号。車道はもう問題なく通行できるが、当然ながら? クルマ社会ではそちらの交通が優先になってしまうので歩道の除雪はあまり進んでいなかった。沿道で地元民とは別に雪かきのボランティア参加者もスコップを振るっていた様子もちらっと見かけた。


ひとまず、西武秩父駅周辺の道路の除雪の様子を観察しながら、駅から徒歩10分弱のヤオコー秩父上野町店を(昨年10月に龍勢祭を観に行った帰りに立ち寄って以来)4か月ぶりに再訪すると、品揃えは普段どおりに戻っていて、物流はもう問題なさそうであることを確認した。
それで、この付近の歩道でまだ雪が多く残っていて不安定な箇所があったので、正午すぎから持参したスコップを駆使して雪かきの“個人活動”に勤しんだ。最初の作業地点がヤオコーそばのこの歩道の入口で。一応は国道沿いの歩道で人通りもそれなりにある、客観的に観ても重要だと思う箇所なのに、除雪がまったく進んでいないのはどうかと思ったもので。


45分ほどかけて、路面が見えるまではいかなかったが写真中央と左の車道側の雪の山を切り崩して緊急的に通路を2本作って、幾分通りやすくしてみた。歩道の雪を避けるためにクルマが来ないタイミングで車道を歩く人も多かったが常にそれができるわけではないので(積雪という異常事態は置いておいて、歩道のある道路で歩行者が車道を歩く行為は厳密には道路交通法違反なので、もしクルマに轢かれても文句は言えない……)、やはり歩道も早めになんとかしたい。
このあとはボランティアにお任せ、ということにしてほかの場所へ移動した。

【追加】25日後の3月19日(水)の様子。


ヤオコーからどこへ進むかは特に決めていなかったが、上の写真の作業で国道の歩道の交通が気になったので、成り行きで国道299号を東へ進むことにした。国道から1本外れた脇道でも除雪は進んでいたが、まだクルマがすれ違うのは、というかクルマと歩行者がすれ違うのも困難なくらいこのように脇に積み上がっているので、歩行者や自転車の通行はしばらくのあいだは面倒だろうなあ。


ここも秩父市と横瀬町の境の付近の国道の脇道だが、歩道が除雪されていないので歩行者はこのような迂回路を通るしかない、という箇所もまだまだある。


秩父三十四ヶ所の札所巡りの一般的なコースとなっている歩道も埋まっている。

【追加】25日後の3月19日(水)の様子。


上の写真の近くの国道299号の歩道で1時間半ほどの2回目の作業ののち、日没前に武甲山がよく見える場所に出ると、これまた真っ白であった。以前にこの時季の武甲山に登ったこともあるが、石灰岩とは別にこの(採掘で削られた)北壁? がこんなに白いのは初めて観た。


ここも国道299号の歩道だが、辛うじて通行はできるが凍っている箇所もよくあるので、雪かきの3か所目としてそこも対処した。
「雪かき」といっても、冬場には雪捨て場が空き地や河川敷に確保されたり道路に消雪パイプが設置されたりするような降雪に慣れた雪国のように、普段は雪を捨てる手段と場所がない地域なので、3か所ともに排水溝があればその隙間にどんどん捨てる(北海道の表現は「投げる」か)というか埋めることに努めた。通路を確保するためにあまり邪魔にならないところへ雪を移動させることよりも、それこそ雪をどかすというか「消す」ことに力を入れないとホントの除雪にならないのはわかっているので、その点に注意した。

【追加】25日後の3月19日(水)の様子。


ただ、道路の両側の歩道が完全に埋まっていてどうしようもなく、歩行者の通行では車道に出るしかない箇所もあり、交通量は多くて大型車の通行が目立つ国道沿いは早急に対処したいものだ。
こういう箇所は“個人活動”よりも重機と複数人のボランティアの出番か。でも小型のショベルカーでも入り難いなあ……。


結局は横瀬町役場を経由して横瀬駅まで歩き、駅前も除雪の雪が多く積み上がっているのを確認した。歩道の除雪は辛うじて済んでいて、思ったよりも通行に支障はない状態であった。
ここから西武秩父駅方面へ戻り、往復した。作業した箇所の日没後の路面も確認したかったので。

【追加】25日後の3月19日(水)の様子。


羊山公園の入口もまだ50cm以上は積雪があって完全に埋まっていて、ちょっと登るにしてもツボ足ラッセルだろうなあ。ここでさえもわかん(輪かんじき)やスノーシューが欲しい状態。踏み跡も薄くしか見られなかったので、まともにがしがし登っている人はまだいなかったようだけど。

【追加】25日後の3月19日(水)の様子。


秩父市役所の駐車場のそばに通常は自転車や原付を停められる空き地があるが、そこも原付がいくつか埋まっているのも見かけた。自転車であれば比較的軽いので少し掘り出せばすぐに回収できると思うが、原付は厳しいか。
というか、これらの持ち主はなぜ掘り出すこともなくここに放置したままなのかなあ、と気になった。


御花畑駅も再度行ってみると、間引き運転のためか電車待ちの利用客は多かった。


除雪されていない遍路道も少々観たが、今年の各札所というか霊場の午歳総開帳は、来月はまだ残雪のせいで通行が困難な、例年よりも難易度の高いコースに変貌しているだろうね。僕はまだ(通常は5日間くらいで達成できる)秩父の札所の通し打ち経験はないが、いくつかの寺には行ったことがあって場所によっては未舗装路もあることも知っているので、まだ残雪のありそうな来月はハイカットの登山靴や軽アイゼンが欲しい道もあるかも。特に三十番以降の札所は。アイゼンは大げさとしても、雪融けを待たずにどうしても早めに行きたい場合は靴底に取り付ける滑り止めのチェーンスパイクくらいは携行するほうが賢いかも。


ちなみに、今回の結果的に3か所の雪かきを“個人活動”にしたのは、ボランティアセンターの活動に参加するのもよいのだが、そうなると1か所の除雪に大がかりに集中的に取り組む場合はラクでも、車道よりも疎かになりがちな歩道のちょっとした氷結箇所や除雪が少し足りない箇所を目ざとく発見してきめ細かく対処するにはボラセンの指示系統に縛られることなく個人的に自由に動き回るほうがよい場合もある、と思っていて(これは約3年前の東日本大震災の災害ボランティア活動でも少し感じたことで)、そうしてみた。僕はそういう対処法が性に合っているとも思うし。
それで、秩父市内や、ここと同様にボランティアセンターが設置されている小鹿野町のような地域では今週以降も週末を中心にボランティア希望者がたくさん入ってなんとかなりそうだと思ったので(今日のNHKニュースで触れていたところでは秩父市のボランティア活動に100人ほど参加したそうだし)、僕は次回はボランティアや除雪車では手が回らないと思われる西武秩父線沿いの県道や林道の集落あたりを“個人活動”で観に行こうと思っている。過去の登山経験であの道沿いのあの場所に家が数軒がある、とかいう記憶もしっかりあるので、しばらくは特に普段から秩父市街よりも近くて行きやすいし通い慣れた、僕が地元で特に愛着のある奥武蔵にこだわることにした。

また、報道では山梨県を中心に「孤立」の場所が徐々に解消されつつあるものの今日現在もまだあるので、今回の大雪は奥武蔵のほかにも馴染みのある地域ばかりでどこも気になるもので、そうなるとしばらくは登山とかで山へ遊びに入る気にはならないので、ひとまず例年の冬季閉鎖の道路以外で「孤立」がすべて解消されるまでは(来月末あたりまで?)、雪かきなどの手伝いに努めるようにとそれらの地域を注視することにした。
30年以上前から遊ばせてもらっている地域の、少なくとも僕が産まれてからは初めての異常事態なので、地震や噴火などの大規模な「災害」というほどでもないが地域的に凹みそうなときは、これまでの還元というほどでもないが心情的になんらかの協力でかかわりたくなってくる。10日(月)の投稿のタイトルで「楽しめた」と書いたのは不謹慎かと反省しながらも(冬場の積雪量に多寡による、謹慎と不謹慎の分かれ目の判断は難しい……)、どうしても気になる。

こんな状況で嬉々として登山へ行く、山とかかわるうえでの帰属意識の低い? ほかの東京近郊在住の登山者に(そんな余力があるなら少しは手伝いに行ったら? とか)面と向かってどうこう言うつもりはないが、僕個人的には心情的に遊びに行く気にはならないので、とにかくもうしばらくは自分にできることをやるつもり。
今週以降は雪よりもそれが凍ったアイスバーンなどの堅い箇所が厄介になってくるだろうから、氷を砕くためのピッケルやバールのようなものが必要になってくるかもなー。まあ機会を見つけて、行けるときになるべく行きたい。


※追加写真について
25日後の3月19日(水)にこの投稿で挙げた箇所を再訪し、だいたい同じ位置から再び撮影したものを5枚追加した。
思ったよりも早く雪は融けていて、平時の交通に戻っていた。どんどん降り積もる雪国とは違い、3週間もあれば融けるのね。安堵。

8日よりも酷い積雪で

2014-02-17 12:45:00 | 普段の生活(日常)

昨日と一昨日は交通量調査のアルバイトで余裕がなかったので、今頃、14日(金)以降の降雪と積雪について。

ウチのあたりも8日(土)以上の降り方となり、先の投稿と同様に自宅の屋根で36cmの定規を使って15日(土)未明に、ソチでフィギュアスケート男子の羽生結弦が金メダルを獲得した生中継を観た直後あたりに測ってみると、上の写真のように定規が完全に埋まってしまってしかも少し掘らないと見えないくらいの39cmのところや、計測位置をずらすと40cmや41cmもあってばらつきがあり、数か所の平均は40cmだった。ウチでこんなに積もったのは初めてかも。記憶にない。熊谷はこの日の朝は62cmだそうで、どこも大変だなあ。

で、今回の積雪は8日のように悠長に雪と戯れて浮かれている場合ではなく、テレビやPCから離れた外出中も(最近は出足の遅い政府や大手の報道機関よりも各地の細かい情報が伝わりやすい)ツイッターで注視していたが、特に山梨県が100cm超の積雪で国道やJR中央東線が不通になって“陸の孤島”と呼ばれるように被害が大きいようで、僕としてはこのほかにも馴染みのある奥多摩や、15日朝は98cmの積雪だった秩父も主要の国道が通行止めになっていたり鉄道の運休区間があったりとかで似たような状況らしく、気を揉んでいる。
合間にNAVERまとめのほか、山梨日日新聞の交通情報や西武鉄道の運行情報など、交通関係はいろいろチェックしている。

で、普段は主に登山でお世話になっている地域ばかりで気になるので、時間があれば雪かきの手伝いにでも行きたい気分なのだが(特に、ようやく昨日から自衛隊が入り始めた山梨県内や奥多摩よりも情報の少ない秩父方面へ)、今日から明日にかけてもキャンセルできない調査バイトの続きがあり(今回の現場は東京都心よりも東側の、積雪量は比較的少なかった地域で)、それに実は先週から来月上旬まで知人の南米最高峰・アコンカグアの登山においての非常事態に備えた事務局というか連絡係的なことを頼まれているので、この3週間は(主に在宅でPCのメールで)常に連絡を取れる態勢でその動向も注視しなければならない都合により、まとまった日数の外出ができなかったりするのよね。

でも、19日(水)以降に1日か2日おき程度であれば時間が作れそうなので、もし出かけるとしたら雪山登山の装備と同等になりそうだが、どこかしらに様子を見に行こうかと思う。今月後半に日帰りか1泊2日で奥多摩や奥秩父へ登山に行くつもりだったが、さすがにこうなると遊んでいる場合ではないとも思うし。
ただ、19日以降も降雪の予報なのよね……。なんか今冬は南岸低気圧が訪れる周期が例年よりも短くなっている気が……。交通機関も物流もまだ復旧していないなかでまたドカッと降ると、これはいよいよシャレにならないかも……。


※20日(木)の追記
日を追うごとに、道路の交通規制が解除されて、自衛隊が入ったり除雪車を他所から借りたりして除雪が進み、自治体ごとに雪かきのボランティアを受け入れるようになったりと、危機的な状況は脱して徐々に復旧しつつあり、良かった。でも亡くなった方もたしかにいて、政府や各県の復旧のための初動がもっと早ければ、マスコミの報道ももっとあれば……、と首相はじめ非難されるべき偉い人? は結構多いかもしれないと思ったりもする。
そうなると僕個人的には17日午後に災害救助法が適用となった地元の埼玉県内の状況の変化が気になるところで、特に秩父市内の中心部から外れた地域ではまだまだ雪害の酷いところもあるようで、例えば県西部の大きな動線のひとつである西武秩父線の芦ヶ久保駅と横瀬駅の区間は、NAVERまとめの19日(水)現在の写真を観る限りでは復旧は当分先になりそうで。でも道路交通規制は緩和しつつあるので、物流は徐々に回復するだろうか。
秩父市も、ひとまず地域限定だが雪かきのための災害ボランティアセンターが設置されたが、今後しばらくはこのような自治体とは別に山梨県内でも動きのある(もう3年近くになるか、東日本大震災のときもあった)民間のボランティアバスの運行のようなものもあるかも。
まあとにかく、ひとまず一度は自分の目でたしかめに行かなければ。

結構楽しめた大雪

2014-02-10 00:00:00 | 普段の生活(日常)
雪国に住む方にはちょっと申し訳なく思うが、関東平野でも珍しい8日(土)のような大雪になると、つい心が躍ってしまう。
で、8日午後に地元の中央図書館など近隣で出かける用事もあったので、雪が本降りになるなかであっても(徒歩よりもましなので)自転車で出かけてみた。
ただそのさい、いつもと同じ感覚で乗ると転倒したときにより惨事になるので、サドルを下げて、よろけてもすぐに足を着いてバランスを取れるようにしたり、ハンドルを強く握って腕の引き付けを強めにして漕いで、路面状況に常に注意しながら前進すれば、なんとかなる。ただし自己責任で。


2車線以上の幅員の車道はいつもよりも少ないながらもそれなりに交通はあったのでその轍を当てにして案外まともに走行できたが(人力派を標榜しながらも、たまにはクルマの痕跡に頼っちゃう)、クルマや二輪車の入らない遊歩道は場所によっては歩行者も少ないためかくるぶしの上あたりまでの積雪で、自転車を押し歩きながらの軽いラッセルになったりもした。地元では珍しいことなので、楽しい。
歩行者は少なかったが、そのぶん犬の散歩の人は目立った。


通常の2倍以上の時間をかけてウチから3kmほど離れた図書館へ行き、ついでにロヂャースで買い物も済ませて、その至近の国道254号。クルマは低速ではあるが、ここも思ったよりも交通量はあった。
タイヤへのチェーン装着は少なく、スタッドレスでもなさそうな準備不足のノーマルタイヤのクルマが多かったかなあ。空転して、青信号なのになかなか進まないクルマもちらほら見かけたし。


昼下がりは夕刊の配達の原付も大変そうだったなあ。住宅街は大丈夫だが、やや開けている場所では吹雪いて眼鏡やサングラスではなくゴーグルが欲しい状況であった。服装も雪山登山並みでちょうど良かった。


9日(日)朝、ウチの窓際にこんなに積もったのは10年以上ぶりか。熊谷市では8日の降雪は43cmだそうで。関東平野で1日でこんなに積もるとは、びっくり。


熊谷ほどではないがウチの近辺もそれなりに積雪はあり、普段の仕事で愛用している36cmの定規で屋根の吹き溜まりではないところを選んで積雪を測ると、9日朝は21cmだった。ただ、これは少し溶けた状態で、最も降っていた8日夜にも同様に測ると24cmだったので、記録としてはこちらのほうが正しいかも。

それで気になるのが、普段の生活に関しては今日以降の路面状況で、8日のやわらかい雪よりも昨日それが溶けて今日以降の朝晩の凍結のほうが転倒したら痛そう。あとは山間部の積雪で、これは日帰りできる近場の低山でも今週中は入山者の少ないところではラッセルを堪能できるかも。
でも昨日からやや風邪気味で、それに加えて先週からそろそろ花粉症の症状も出始めて辛くなってきたので、そう簡単には出かけられない。無念。今週末にアルバイトの予定もあるため、それまでに治さなければ。
というわけで、ソチ冬季五輪のテレビ観戦を楽しみながら養生しますわ。でも体調管理に努めるためには寝不足は禁物だよなあ。悩ましい。

38周年を経て39年目は雑司が谷で開運、のつもり

2014-01-05 23:59:59 | 普段の生活(日常)

今日で38歳になってしまったが、四捨五入すると40歳になってしまう3年前から特に何も感慨はなし。

自分の備忘のために挙げておくと、今日で本ブログの開設から8周年、ミクシィが6周年、ツイッターが4周年、フェイスブックが2周年、となる。ブログはもう8年にもなるのかー。相変わらず成長が見られないままこんなに経ってしまった感じだなー。
でもまあ、いずれもこれまでどおりのペースで続けてゆきます。

それで、今年で8回目で誕生日恒例の初めてやることシリーズは、当初は昨年のコンビニおでんに続いて食べる系にするつもりだったが、昨日の東京都内への外出で池袋に立ち寄ったときに、毎年の年始の西武鉄道の企画である新春の「雑司が谷七福神めぐり」を今年は今日に開催ということを知り、初めて参加することにした。
これは以前から実施されていることは知っていたもののなんかタイミングが合わなかったが、今年は誕生日に開催で、それに昨年の父のこともあり、というのは父方が祖父の代からだから半世紀以上前から馴染み深い池袋・雑司が谷周辺の催しなので今年は特に参加しておくべきタイミングだと思ったもので。
雑司が谷界隈の七福神めぐりは基本的に時季を問わず行なわれているが、西武百貨店との協働は年始のみで、参加者限定の新春プレゼント応募券という(現金な?)特典もあるため、より取り組みやすい。

上の写真にある、500円で販売していた色紙に7か所の寺社の御朱印スタンプをすべて押した状態が完成形。まあ平たく言うとスタンプラリーであるこの順路は2時間ほどで一周できる設定なので、悪天候ではなければやりやすい。今日はちょいと風が冷たかったなあ。やはり僕よりも年上の参加者が大半であった。
そういえば、順路に設定されていた寺社や道路は鬼子母神や都電荒川線沿いや雑司ヶ谷霊園など既知の場所も多かったが、特に後半のほうで初めて通りかかるところも結構多く、この界隈は以前からよく知っているつもりだっだがまだまだ甘かった。今後も足繁く通いたいものだ。

この催しは「開運」を謳っているが、今年はどうなんだろうなあ。元旦に引いた、とあるおみくじは「凶」だったのだが。
ちなみに、改めてこれに掛けて今年の抱負を挙げると、まあとにかく仕事も趣味も何事も昨年よりも良い1年にしたい。今年は短く、もうこれに尽きる。
肝心の? 仕事は、今月も来月以降もとりあえず白紙状態なので、またもや出版とはあまり関係ない分野のアルバイトばかりになりそうだが、何か良い話を呼び込まないとなー。善処したい。

では改めて、今年もよろしく。

いろいろ巻き返す年に

2014-01-03 00:00:00 | 普段の生活(日常)

2日遅れで、謹賀新年。

昨年は僕個人的には激動、というほどでもないが例年以上に浮沈の激しい年であった。
今年は上下動は少なめに、何かとできるだけ安定した1年にしたいものだ。登山をはじめ野遊びの時間も昨年以上に取り、鈍った感覚を取り戻すためにどんどん巻き返してゆきたい。

昨年末というか先週に触れた身内のことは、最近思っていることはほとんど書き出したので殊更に新たに付け加えたり自ら積極的に話したりすることもないけど、これについて訊かれればなんでも答えてもよい気分で。しかしまあ世間一般的に言うところの「喪中」と言えばそうなのだが、僕は年明けから気分的にはそうでもなくて、こんな場合でも年賀状などをいただくのは嬉しかったりする。
昨年末までどんよりした気分であったが、いつまでもそうしているわけにもいかないので、年始から無理矢理にでも心身ともに盛り上げなければ。それで今の心境は、(すでに賛否両論が激しい実写映画が今春に公開の)映画『魔女の宅急便』のキャッチコピーくらいにまで戻っている。

先の年越しは、ここ数年は毎年参加し続けている野宿に例年どおりに参加し(そのため、NHK紅白歌合戦は前半の前半しか観ておらず、続きは録画でぼちぼち。ふなっしーの暴走ぶりと『あまちゃん』第157回、のくだりは先に観た)、その流れで2年ぶりの野宿明けの初日の出を拝んだ場所も今回は例年の東京都内ではなく茨城県内に変わったので、初訪問の土地で新年を迎えたのはなんか新鮮であった。無風快晴でそんなに寒くもなくて比較的寝やすかったのは幸い。こういう野宿であれば今年はたくさん実践したいものだ。

では、今年もよろしく。

今年の重大ニュースと、家族が1人減った報告

2013-12-28 00:00:00 | 普段の生活(日常)
大きくは2つあるが、まずは重大ニュースのほうを。今年はベスト10では多すぎるので減らして、ベスト5にした。

●重大ニュース

1 『あまちゃん』
2 田中将大、レギュラーシーズンで24勝0敗
3 三陸復興国立公園指定
4 ダイオウイカ
5 ファミコン30周年

1、やはり今年は全国的に盛り上がったのはこの朝ドラでしょう。ただ、僕個人的には今年のユーキャン新語・流行語大賞にも選ばれた「じぇじぇじぇ」よりも劇中で印象深いセリフは、大向大吉(杉本哲太)の「第三セクターなめんなよ!」で、これはまだ放送前半の北三陸編の頃で、モータリゼーションや過疎化が懸念される街に生きる住民からの切実な声で、現実にも過疎化の地域は全国的によくあるため、その経済的に疲弊? している地域の住民たちを北三陸駅駅長という街の玄関口の責任者の立場からまさに代弁して鼓舞した、良いセリフだと思う。その後仕掛けていった町興しの起爆剤としての「潮騒のメモリーズ」が当たって良かったね。また、大吉さんは後半の震災直後に鉄道を動かす場面も、まさに地元の底力を感じさせる描写で、後半に通じる前半の伏線の回収? も多く見られて良かった。そのため、この作品の出演者の知名度は軒並み上がったが、僕個人的には特に(これまでは憎まれる立場の刑事役や犯罪者役のような日陰の役柄が多かったがこのコメディーによって新境地を開拓できた)杉本哲太の株が最も上がったと見受けられる。ほかには、天野春子(小泉今日子)の「はぁ!?」も、腹の底から全力で驚嘆と疑義が入り混じった感情を同時に表現していたのも印象的。
2、今季のプロ野球は2000本安打も含めて節目の記録が多く、もちろんバレンティン(東京ヤクルトスワローズ)の60本塁打の日本新記録も凄いのだが、これは過去にも55本の日本記録に並んだのは数人いたのでいつかは破られるだろうとは想像できたが、“マー君”の年間24勝と、しかも0敗というのは想像できない大記録だと思う。24勝のみならばなんとか想像できるが24勝+0敗というのがなんとも。今後もこの記録はもう出ないだろうなあ。それで彼は今週にようやくメジャー移籍容認となり、来季はどの球団で投げるのかねえ。
3、東日本大震災を忘れないためにも、三陸復興国立公園の制定は善いと思う。海沿いをつなぐ長距離自然歩道「みちのく潮風トレイル」もゆくゆくはより多くの人に活用されることを期待する。
4、録画や別番組を再見して今ではすっかり見慣れたが、今年1月のNHKの放送の初見では驚いた。このほかにもまだまだ未知の生物がいるのだろうなあ、と想像を掻き立てられもした。
5、7月の月末ネタでも触れたが、家庭用テレビゲームという玩具を生活家電の一種として浸透させたこれも誕生から30年の節目の年で。僕は今も、最近の進化した3D画面のゲームよりも、(先日も『笑っていいとも!』でタモリと久米宏がパックマンやインベーダーゲームの話をしていたが)それこそゲームセンターでできたようなゲームをファミコンに移植させた2Dというか平面な感じの(今となっては安っぽい)ゲームのほうが好き。『ドラゴンクエスト』シリーズで喩えるとVIあたりまでは楽しめるが、それ以降は拒否反応が……、という感じ。僕は持っていないが最近もスマートフォンのアプリでIが出たら大人気だそうだが、今後、再ブームが来るといいなー。


●個人的に泣けたこと

1 ダイエー志木店閉店
2 『風立ちぬ』
3 消費税率8%が決定
4 山田暢久が20年在籍した浦和レッズと契約終了
5 父逝去

1と2は今年すでに触れている。スタジオジブリの今年にもう1本で高畑勲監督の『かぐや姫の物語』も今月上旬に観たが、これも良かった。『風立ちぬ』は特に戦争の扱いに関して賛否が分かれたが、こちらは今のところは批判的なことは聞かないなー。まあすっかり浸透している(しかし謎は多い)伝統的な古典だしなー。翁役の地井武男の、生前の声の出演だけでも泣ける。
3、来春から、別の意味で泣けてくる。税率を上げたぶん、その税金はちゃんと社会保障にまわるのかねえ。身近なところでは郵便料金の、はがき52円と封書82円への値上げも痛い。
4、浦和レッズでJリーグ2年目から20年ずっと活躍してきた山田暢久(“ヤマ”もしくは“ノブヒサ”)が今年で浦和を去る、というのもとても寂しい。まあプロスポーツ選手であれば致し方ないことはわかるけれども。浦和一筋で同い年で活躍してきた、僕にとってはJのなかでも最も身近な選手なので。
先月下旬から去就が注目されているが、三浦知良の46歳ほどまでは厳しいだろうが(“カズ”は今も現役なのは凄いことだ)、体力的にはまだまだいけるはずなので他チームで現役続行を切望する。


そしてようやく、ここの5がこの投稿の主題。思い出話も含めて以下に長めに。


べつに報告する義務はないが遅まきながら報告すると、8月下旬に父が亡くなった(享年72)。直接の死因は肺癌(による呼吸不全)らしい。

親しい友人には春から埼玉県川越市内の病院に入院しているとは話していたが、その後の経過を殊更に吹聴することでもないと思ったし、ほかの人付き合いでも香典・香典返しなどのやりとりが面倒で同情もされたくなかったので、あえて秘密にするほどでもないが黙っていた。身内のみの葬儀を済ませて、そんなにお金もかかっていないし。
それになぜか今年は、僕の周りの友人知人は結婚・出産・栄転・起業・出版など(比較的?)喜ばしいことが例年以上に相次いでいたので、その良い流れと雰囲気を壊したくなかったから、ということもある。まあこれらはなるべくその場の情報を受け流せば済むことなんだけど。心から祝いたい気持ちはあっても、今年はそういう場は精神的にちと辛かったなあ。


川越市、伊佐沼。右奥が入院していた病院。まあ県内でも特に大きな設備のところで。僕も4月から毎月、様子を見に行っていた。

死は夏前からある程度は覚悟はしていたし、今春の東京都・築地の国立がんセンターでの癌の発覚から入院前のあいだに、俺(父)が死んだあとのことを(お金=遺産のことを中心に)しっかり考えろ、と珍しく真剣な家族会議のようなものも開かれたりしたので(いわゆる「終活」の一環みたいな)、今後のことを考え始めていた。しかし、8月に入ってから病状が急速に悪化したのは予想外。でもまあこれは「家族」を持っているひとであれば遅かれ早かれ経験することなので。
今は生活は落ち着きを取り戻しているが、これを機に父と母の遠い親戚を含めた人間関係や実家の土地やお金のことなど、今年になって初めて知らされた(僕としては衝撃的な)事実や家族の珍しい感情を垣間見た回数も結構多く(えっ、そんなことを考えていたとは初耳、と驚くことしきり)、それらを踏まえて今後どうしたものかと今も戸惑い続けている最中ですけど。


父の最期は、危篤状態から半日経った朝に病室で家族全員で看取ることができた。全員揃うというのは一般的には幸いなほうなのだろうか。(今年で言うと『救命病棟24時』のような)テレビの医療ドラマでは見慣れた、心拍モニターの数値が徐々に下がって0になるのを今年に体験するとは……。

で、父の死因が「肺癌らしい」(肺癌と断定し難い)というのは、60歳頃の「退役」まで主にフリーで舞台演劇の照明(だから一応は芸能関係の仕事か。裏方で)の仕事を長らく続けていてこの分野というか日本照明家協会のなかでも古株で、たまに専門学校に講師として招かれるくらいの大ベテランの部類だったが、タバコは一切吸わなかったものの(ウチはタバコを吸わない家庭)、1年の半分以上は家を空けて舞台の地方公演に帯同することが多かったので、家から通える東京近郊の現場もたまにあったが大半は出張というよりも全国を巡る旅みたいな不規則な生活であった。国内に限らず、アメリカや中国などへ巡業したこともあったそうで。仕事で47都道府県すべてに行った、と豪語してもいたなあ。

そのなかで、まあ例えば演劇やコンサートなどの大きな催しが可能な1000人以上入れて集客力のある大ホールもあれば、やや古めで小規模の市民・町民会館や学校の体育館みたいな小さなハコでも舞台を設けることが多く、そういった普段は舞台の裏側を開ける機会が少ない場所では埃っぽくて空気の循環も悪く(体育館の舞台袖や下の物置場みたいな、換気し難い空間を想像するとわかりやすいかも)、それに古い建物であればアスベスト(石綿)の影響もそれなりにあるだろうから、空気の悪い場所で長時間の作業に携わり続けていたことが癌を患った大きな原因ではなかろうか、つまり職業病だろうね、という見解で家族はだいたいまとまっている。ほかにも父方の家系は癌に罹りやすいとか、遠因はいくつかありそうだけど。
これは地方へ巡業中の移動と宿暮らしの続く生活の不規則さよりも致し方ない労働環境の問題だが、今となっては労災でなんとかなる話でもないし、父は好きでそれらを受け容れながら従事していたわけだし。ちなみに、元々旅好きの父は「移動と宿暮らし」は旅の要素の最たるものなので、その点はいつも嬉々として(その費用は経費なので無料で)楽しんでいたようで。

ただ、癌細胞が肺の前に(原発巣が)発症したのは大腸ではないか、との見方もあり、でも実は父が今年の年始からの体調不良で自覚症状として最初に顕著だったのは背骨の痛みで、日を追うごとに階段昇降が辛くなって杖が必要なくらい二足歩行が難しくなってきておかしいぞ、と疑ってがんセンターに行ってみたら背骨の節のひとつが溶けて? 減っていたのが痛みの原因だと発覚し(これはいわゆる「脊椎腫瘍」のせいか?)、ここが原発巣かもしれないし。しかし最期には肺をやられたので、結局は肺癌なのか。診た医師でも特定できないのだから、僕ら家族もいまだによくわからない。このような、どこか特定の部位にひとつの大きな癌細胞が巣食うよりも、複数の部位に小規模の癌細胞が付くというか徐々に(転移巣が)転移してゆく症例も年々増えているそうで。
今年というか最近も世間で目立ったところでは、樹木希林が冗談半分の「全身がん」の告白で話題となったが、まあ症状はそのような感じか。希林さんは放射線治療でまだいくらか先延ばしできるようだけど。

それで、これはホントに偶然で僕も最初に知らされたのは10年ほど前だが、父はその希林さんとは小学校の同級生で(東京都・雑司が谷で)、以前から父以外にも身内と仕事面で薄くだが付き合いもあるにはあり、今年のこのニュースはなんの因果か! ととても驚いた。だから、希林さんもあと何年いけるかはわからないが無理しない程度にやりたいことを続けてほしいと、陰ながら数多の芸能人のなかでも特に応援している。

父の仕事面を少し触れておくと、舞台照明の仕事は厳密にはフリーというか、フリーの何人かの仲間が集まって共同で会社を創って活動していた感じ。「取引先」と言うとおかしいが、依頼主として特に深くかかわっていた仕事先は演劇界の老舗の文学座の公演が多く、だから(故人の)杉村春子をはじめ、ここ出身の多くの役者と付き合いがあった。今も家のどこかにサイン帳があるはずだが、どこに消えたかなあ。
ひとつ衝撃的な思い出を挙げると、太地喜和子が1992年10月13日(火)の静岡県伊東市でクルマで海に突っ込んで事故死したが(僕は高校3年の頃)、そのときの地方公演の照明班を率いる立場で父も帯同しており、太地さんの葬儀のために伊東だったら近いからとウチに喪服を取りに一時帰宅して伊東へとんぼ返りしたこともあった。太地さんの公演に付くことは事前の日程表で当然知っていたので、ニュース番組でこの一件を知ったときは、芸の世界って……、と戸惑いながらも芸能人の光と影について考えたりもした。身近に関係者がいると、余計に気になるものだ……。

ちなみに、先に挙げた希林さんは主に映像のほうで活躍しているため、舞台演劇とは分野が異なるので仕事で一緒になることはなかった、はず。ああでも若い頃は文学座関連で多少はかかわりがあったのだろうか。

また、仕事とは別に学生時代から、というか父方の家系は(フェイスブックに最近書いた叔父のことも含めて)全員だが旅や登山についても強いこだわりがあって、僕もその影響を受けているのは以前に書いたが、60歳をすぎたあとの「退役」後は国内外の旅とそれに関するウェブサイトの更新に夢中だったなあ。

ウェブサイト「中高年バックパッカーの旅

ホントに家族が呆れるくらいにほぼ毎日書きまくりで。「退役」後に旅に出ない在宅中は主夫業のほかに、庭いじりと、情報を出したところで一銭にもならないこのサイトの更新(HTMLで)ばかりやっていたから。その影響でテレビ番組(しかもNHK)や雑誌の取材もいくつか受けていたけど。ちなみにこのサイトは、具体的にいつになるかは未定だがいずれ閉鎖する予定なので、情報が欲しい方はお早めに。
まあ近年は外国の(パックツアーではない個人旅行としての)世界遺産巡りに特に力を入れていたが、それよりも家族のひいき目抜きで出色だと思うのは「21世紀日本の旅」にある、05年上半期の「坂東三十三ヶ所霊場巡り」と06年春の「西国三十三ヶ所(西国三十三所)霊場巡り」の記録だな。四国八十八ヶ所と秩父三十四ヶ所の遍路の記録は経験者が多くて一般的にも数多く出回っているが、坂東と西国はそれらに較べると情報量は10分の1以下の気が。それぞれの全行程を日記調で詳しく公開しているので、かなり参考になると思う。

このほかにも父との思い出は人並みにいろいろあるが、例えば7月の月末ネタで「ドラクエII」について触れたが、調べると1987年1月26日(月)が発売日だったがこの日は父の仕事が途切れた時期で運良く空いていたので、それを平日の発売日に手に入れるためにビックカメラ池袋北口店(現在はビックカメラは全国各地に支店が拡がっているが、まだ池袋東口と北口に2店舗しかなかった頃ね)に朝から並んでもらって買ったりもした(その出費は僕が貯めていたお年玉)。普段から毎月の小遣いも含めて殊更に甘えていたわけではないが、ここぞというときにはそういう頼り方もしていた。
ただ、幼い頃から仕事と旅で家を空けることが多くて居ないことのほうが当たり前の状態だったので(その影響でサラリーマン家庭よりは収入および生活が不安定で、裕福な家庭ではなかったが)、精神的にそんなに依存することはなかったんだよなあ。今年も亡くなる直前まで、今後の生活の助言を受けながらも思ったよりも冷静に考えることができたし(たまたま亡くなる2日前に病院に様子を見に行ったときも話をしていて、だから昏睡状態になる前に最後に父とまともに会話したのは僕らしい)、最期の死亡確認のときも泣き崩れたり取り乱したりすることもなかった。僕は病院での最期から葬儀までとにかく写真を撮っておく「記録担当」だったし。

ちなみに経験のある方はわかると思うが、最期、父の担当医が別件ですぐに駆け付けることができなかったので心拍停止から死亡確認まで25分近くかかったが、これは医師がやらないと終わらないので、最期にその「待ち」の時間があったのはむしろ辛かった。まあそういうこともあるのか。

思い出というともっと大きいのは、やはり登山で。ウチから近い飯能や外秩父や奥多摩や丹沢へ行くことが多かったが、とりわけ強い記憶があるのは、まだ小学校低学年の頃に飯能の天覧山へ行ったときに、ここは昔から奥武蔵のなかでも比較的ラクに行ける低山だが、現在は触るには許可が必要な山頂直下の岩場で軽くだが岩登りの練習をさせられたことか。まだこの頃の僕はキャンプは好きでも登山はどちらでもない感じだったので(だから僕が小学生時代に毎年、家族全員で年末年始にテント泊で山へ初日の出を見に行くという催しを頑なに拒否して留守番した年もある)、この練習は当時はべつに楽しくもなんともなかった。でも大きくなってから役に立つから、と断言していたのはよく憶えていて、ああそういうものなのか、となんとなくは受け入れていた。
ふたりの兄も入っていた流れで僕も小学2年から(ウチとしては子どもの義務教育期間中の坊主頭とともに家庭の方針のひとつとして積極的に)かかわっていたボーイスカウト活動も、全般的には好きだったが野外活動の一部分としてたまにある(今月上旬に京都でも少々問題のあった)登山というかハイキングだけは苦手なほうだった。
しかしまあ、僕も高校時代からは自ら好んで積極的にそういうことをやるようになってしまったが。


形見となってしまった、10年近く前のモデルのカシオ・プロトレック。ソーラー発電仕様なのでまだまだ使える。父は1990年代のこのブランド発足当初からプロトレックユーザーで、僕もお下がりをもらって使っていたことも一時期あった。実は22日(日)の天覧山の登山は、僕が最も思い入れの深い山なので父の追悼登山の目的もあった。

それで今後は、来年は遺産相続や遺品整理も進めてから、まだ計画段階だが僕個人的にも再来年にやや生活環境を変える予定。でもまずは来年の「家庭の事情」の進み具合次第だなあ。ちなみに、9月に触れた長野県松本市内の墓へ行った件は解決済み。
ひとまず僕個人的には、来年の8月の一周忌までは喪中のやや落ち込んだ感覚なので(だから今年は『風立ちぬ』とか『あの花』とか医療ドラマとか、先日観た『かぐや姫の物語』もか、ヒトの生死にかかわる作品に触れる機会が例年よりも多かった気がするので、余計に沁みる。というか例年よりもフィクションに逃避しがちだったのは、そのせいか……)、この間に周りで今年のようにおめでたいことがあっても積極的には参加しませんので、あしからず。ツイッターとか他所では出さないように努めていたがこれでも一応、今年の下半期はそれなりに落ち込んでいたのであるよ。
でも、登山や旅はぼちぼち本格的に再開しようかと。

そういえば、命日から今日までの約4か月間にもテレビ番組などで父子の関係を取り上げるニュースやドキュメンタリーを注視するようになり、友人知人に子どもができたり、の影響も多少あって、これまではあまり意識してこなかった家族の(子ども以外の)何かを「受け継ぐ」ことや自分の行く末についてようやく真剣に考えるようになった。
で、ウチの男3人兄弟のなかで、長兄は芸能関係で表方も裏方もできるし(ウチの身内には父も兄も含めて舞台芸術学院の出身者が3人いる)、次兄はウチで唯一の(まともな?)会社員なのでPCやお金に関する事務的なことに向いていて(父の、仕事とは別の収入源だった株の売買も、高校時代からデータ分析を手伝っていたこともあって好きらしい)、三男の僕は登山や旅を、と父がすべて持っていた3つの要素をそれぞれ分配して継いでいる感覚はあるので(親戚からもその三者のバランスが取れている、と近年よく言われる)、僕は引き続きこの面を伸ばしてゆけばよいのかな、と思っている。今の校正の仕事もなるべくそちらのほうへ進めたいものだ。

父も登山や旅関連の本が大好物で、特に野田知佑ファンだったので僕が中学生頃から野田さんの本や記事を読むようになったのも父の影響だったりする。入院前まで住んでいた部屋と押し入れ・倉庫にある遺品も登山道具と本の類が大半なので、やはり当面はそのへんを「受け継ぐ」意識も多少ありながら、その方面にこだわりたい。殊更に仕事や家や古道具を継げとか遺言っぽいことは言っていなかったが、今となってはお宝モノの本や雑誌もあるかもしれないから、家族のなかで最もその価値がわかる僕が、今年に父からの今後への助言をあえて遺言と受け取って引き継ぐべき部分だと思っている。たとえ葬儀のときであっても写真を撮りまくる記録魔ぶりも継いでいるなあ(でもこれを身内以外のほかの場でもやると大問題なので、さじ加減はもちろん考慮するけど)。よく考えるとこのほかにも、これまでに得たもので利潤を追求することもなく自分の書きたいことを書きまくる本ブログとか、無意識に継いでいることは結構多い。なんか改めて「血筋」を痛感しちゃうなあ。

と、長くなってもこれを書いておかないと来年以降に先へ進めない気がするので、なんとか年内に振り返ってみた。
とにかく、そろそろ先へ進まなければ。

『リーガルハイ』は改めて凄いテレビドラマだと思った

2013-12-20 12:00:00 | 普段の生活(日常)
今年は特に騒がれて国民的な人気であった『あまちゃん』と『半沢直樹』に限らず、テレビドラマが1月から良作が連発で豊作だったが、最近では18日(水)に終了の『リーガルハイ』も面白かった。昨春に続いてのシーズン2ではあったが、この作品の核である古沢良太の脚本と(これの撮影時期の序盤は『半沢直樹』の終盤のそれとかぶっていたという)主演の堺雅人のセリフ回しの巧さは相変わらず圧巻であった。

で、そのなかで今作も、昨春のシーズン1(=『リーガル・ハイ』で、タイトルはあいだに中黒が入っていて今作の『リーガルハイ』とは微妙に異なる、という仕掛けもあり)にも長ゼリフを放り込んでいた回があったのだが、それらの文字起こしをやっている方がいるのを見つけたので、そのシーンの改めて録画を観直したらやはり凄かった。

まとめノート

シーズン1の9話が「棄民」の話で1カットの時間が10分43秒、シーズン2の9話が「民意」の話で8分36秒、くらいか(僕の計測で)。誤字脱字は少々あるが、このリンクにある起こしたものの流れで合っている。
ひと昔前のドラマや映画では今ほどの細かいカット割りはしなかったからこのくらいの長回しのシーンが多々あった(というか、演者が台本とほかの演者との立ち位置と動きをしっかり頭に叩き込まないと成り立たないそれが当たり前だった)とはよく聞くが、近年のドラマでこのくらい、しかもその大半を捲し立てる感じのセリフであえて埋め尽くすのは珍しい。それぞれの放送回のなかで最も(古沢氏が堺氏を使って)伝えたい部分でもあるが、それがよくわかった。
古沢氏は元々は『相棒』シリーズの(あえて狙ってハッピーエンドではない後味の悪い結末を見せることもある)脚本で飛躍した観はあるが、(大人気のシリーズものの色というか伝統? も考えると)それでできなかったことを最近の世相を絡めながら『リーガルハイ』にぶつけている印象で。今年ならではの話で、(スタジオジブリのパクリの?)「スタジオ小春日和」の“巨匠”の回も面白かった。

『リーガルハイ』シリーズは全話を通じて、ひと昔前も含めて(一般的には高尚な立場であるべき)弁護士モノのドラマを、ひいてはテレビドラマの既成概念をコメディーで思いっきりぶち壊した感もあり、これはこれで良いと思う。ただ、ドラマに限らずフジテレビ全社というか全局的な視聴率は最近はほかのキー局に較べると低迷しているようで、今作が全10話で終わったのは制作費の問題もあったのかもしれない。
でも、お子様の情操教育的にというか、それこそ劇中でシーズン1から揶揄する「朝ドラヒロイン」に憧れるような健全で善良な視聴者には毒? でよろしくない、今作の最終回で触れていた人間の「醜さ」を改めて掘り起こす腹黒い内容かもしれないが、こういう熱量のある、しかもマンガや小説などの原作に頼らないオリジナル作品をまだまだ創れるので、そこはひと安心。今後、シーズン3を期待しちゃってよいのかなあ。

(“横分け小僧”の)堺氏は今年は2本の「労作」を経てこういうことを言うのもまあわかる気がする。でも今後も捲し立てる感じの役柄を映画よりはドラマでもっと観たい。現状ではやはり国内で最も実力のある役者(主演男優)だと思う。今年は(東武東上線沿線の星と)結婚もしたし、来年以降もさらにノリノリかねえ。


で、ついでに、今年観たドラマのベスト10をなんとなく挙げてみる。今年はホントにたくさん観て、全話はチェックしていない“つまみ食い”の作品も含めると30本以上観まくり、テレビドラマ歴25年超で最も多く観た年だから。そのせいで映画を観る時間は少なかったけど(10本以下……)。でも日々お手軽に楽しめるから、まあいいや。

1 リーガルハイ
2 最高の離婚
3 あまちゃん
4 半沢直樹
5 まほろ駅前番外地
6 Woman
7 空飛ぶ広報室
8 救命病棟24時 第5シリーズ
9 孤独のグルメ Season3 
10 ショムニ2013

『最高の離婚』もフジテレビで坂元裕二の脚本でオリジナルだが、こちらもセリフ回しのテンポが良く、タイトルの「離婚」よりも前の段階の「結婚」(と最近の結婚観)について考えさせられる内容で面白かった。
ほかにも、『八重の桜』で久々に大河ドラマを全話観たが良かったし(カッコイイ綾瀬はるかもまた良かった。国民的な役者と成ったことにより、今後はホリプロの仕事の振り方が大変だろうなあ)、『ごちそうさん』も視聴率が安定しつつあることからもわかるように徐々に面白くなってきたし(特に脇を固めるベテラン勢のキムラ緑子や宮崎美子や近藤正臣が)。
こう振り返ると今年は、堺雅人、瑛太、綾野剛、松田龍平、松重豊、(“提灯パンツ”の)新垣結衣ばかり観ているなあ。単発・短期シリーズものやチョイ役も含めると尾野真千子、真木よう子、満島ひかり、黒木華もか。『純と愛』以降の夏菜も一応、気にしている。

来年はドラマを観る時間は減らすつもりだが、特に『あまちゃん』組と『半沢直樹』組の(明らかにその影響で今後のドラマや映画やCMの需要は高まっている)その後の動向は気がかりだしなあ。ちなみに僕個人的にはそのなかで特に、杉本哲太に注目している。

思い出の地が解体中

2013-11-30 23:59:59 | 普段の生活(日常)

7月の月末ネタとして触れたダイエー志木店の閉店、その後の解体は進んでいて、今日の昼頃にも観に行った。大手の会社(長谷工コーポレーション)が解体工事を請け負っているため、このようにしっかり囲われて周囲への騒音にも気遣っていて、しっかりした工事であるね。まあダイエー1店舗の解体だから、そりゃそうか。
とはいえ、やはり思い出の地が壊されてゆくのはとても寂しいものである。

実は今年はここのほかにも、所有者が変わったり移転が決まったりで僕個人的に愛着のある場所がなくなってゆくのを目にする機会が例年以上に多いのだが(先日、これまた解体の様子を一度観に行った8月に触れた小学館ビルについては地元とはまた別の感覚だが)、なぜ今年に次々かぶるんだろうなあ。僕にとっては今年はまさに大きな節目の年である。建物も土地も、そして人間関係も。
しかしまあ、これも時代の流れとして受け入れるしかないのか。古い建物はアスベストが多くて現在の基準では耐震的にも微妙な建物もあるので、致し方ないし。

ここの解体は今月下旬まで続くそうだが、どうなるんだろうねえ。今後の動向も注視してゆく。

失敗月間

2013-11-25 00:00:00 | 普段の生活(日常)
前回の更新からなんだかんだで2週間も経ってしまった。その間はなんかイモトアヤコ人気の影響で? 本ブログを開設してから8年弱で比較的高いアクセス数を記録してびっくりしたが(前回の投稿は山岳関係者にも見られているんだろうなあ。それに関してあるベテラン山岳ライターからはお褒め? のツイートをいただいたりもした)、今月は久々に大きな仕事に取り組んでいるものでほかのことを考える余裕がなかったりして、更新は控えめに。

で、いつも以上に集中力を要するその仕事の影響だと思うが、今月は仕事から離れた日常の弛緩の時間に過去にはあまりやらない失敗を連発してしまい、自己嫌悪の日々。
2週目はデジカメの写真をPCに取り込むときに必要な部分を手順の誤りで削除してしまい(でも失ったのは30枚程度と被害は少なかったのは幸い)、3週目は通勤などで駆使している普段使いのママチャリを駐輪場に停めるときに鍵を抜き忘れて8時間ほど外出したり(でも盗難は免れた。今年から鍵を前輪ではなく後輪に掛けるモノに初めて替えたためにそれにまだ慣れていない、という言い訳……)、4週目は上着の糸のほつれをはさみで切ろうとしたら手がやや滑って布地も少し切ってしまって直径3㎜ほどの穴が開いてしまったり(でも裾のあまり目立つ箇所ではなかったからまだ着続けるのは可能、と思いたい)、それに今年はシェーバー買い替えの思案中に代役として使っている(これまであまり頻繁には使わなかった)T字カミソリの扱いが相変わらず下手なせいで昨日も風呂場で髭を剃っている最中に下唇を切ってしばらく流血、ということもあった。
ほかにも、ある朝にノートPCの前で朝食として豆腐を食べるときにこれまた手が滑って容器ごとずるっとひっくり返しながらキーボードの上にぶちまけてしまって(拭いて)忙しい時間帯に復旧させるのに難儀した(でもPCは無事。だが写真を撮る精神的余裕はなかった)、という大失態もあったなあ……。


下唇の端を切り、10分ほど流血してようやく止まりかけのときの1枚。でも食事には影響がないくらい浅めの切り傷で幸い(見苦しい写真ですみません)。

放送中のテレビドラマ『Doctor-X 外科医・大門未知子』(第2期)の決めゼリフのひとつに「私、失敗しないので」があるが(演技の良し悪しは置いておいて米倉涼子と内田有紀が僕と同世代なのでそこそこ気になっているために前作から観ている。ほかにも今作は役柄的には西田敏行・三田佳子の狸ぶりと遠藤憲一にしては珍しい腰巾着ぶりも面白い。「御意!」もホントは毎年末の流行語大賞ノミネートを狙いたかったんだろうね、でも放送時期が下半期なので除外だけど)、僕は私生活でそんなに自信満々に断言できないよなあ。このような自信家さんは医療現場で実際にいるのかねえ。
とはいえ日常で弛緩しているぶん、僕は仕事では逆に集中力を高めて当たり前だが常に失敗しないように臨んではいますけれども。成功してもあまり報われない、失敗したら余計に叩かれる仕事ですがー。これは今週末まで続く予定。今年はいろいろあってあまり働けなかったから、その低調ぶりをここで挽回して、大門ほどの法外ではない? 値段の成功報酬をきっちり手にしたい。

それにしても『Doctor-X』に戻るが、これの各話の最初と最後にある田口トモロヲのお決まりナレーションの「群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器だ」のくだりは、べつに医療関係者に限らずどの分野でもフリーランスの立場で働いている人には結構刺さる感じだと思うのだが(僕個人的には群れや権威はそんなに毛嫌いするほどではないが、苦手ではある)。劇中でも触れていたフリーランス≒アルバイト(もしくはフリーター)扱い、という見下し方が実際にあることも各業界共通のことなのかしら。各企業・団体の綻びの穴埋めや弱体化の改善に外部からやって来た個人事業主みたいな人々が介入してそれらの目的に役立っている(救われている?)面は、僕が深くかかわる出版業界のほかにも増えつつあると思う。そういう点ではこのドラマの脚本というか主旨はテレビ的には巧いかも。

小学館ビルのラクガキ大会の写真公開

2013-10-18 12:00:03 | 普段の生活(日常)
8月に2回観に行った小学館ビルのラクガキ大会、その写真が今月から公式サイトで順次公開され、15日(火)にすべて出揃ったようで。
やはり、プロがちゃんと撮ったもののほうが良いですなー。でもまあ、あのときに実際に生で観ておいて良かった。

先日、神保町への所用ついでに小学館ビルを再訪したら解体工事は順調に進んでいるようで、なんか内部を空洞にしてからそこに外壁等を落とし込んで搬出する工法らしい。周りにも大きなビルはあるし(というか、隣はライバル会社の集英社の建物だし)、これは一般的な大規模ビル解体と同じ手法なのかねえ。ビル西側の道路標識も、解体用の養生に添わせるように一時的に鉄パイプに付け替えてあったのも興味深い。

解体の進捗は、神保町へ行った折にちょくちょく確認しておこうと思う。

まさに“青春”の場所だった、ダイエー志木店の閉店

2013-07-31 23:00:45 | 普段の生活(日常)

今日の夕方、これまで約39年間も営業してきた埼玉県志木市のダイエー志木店が閉店した。
僕も地元で保育園児の頃から30年以上もお世話になってきただけあって、かなりの思い入れのある店舗なので、身内との今生の別れと同等くらいの寂しさである。

ダイエー本社のニュースリリースの志木店閉店に関する記述を改めて読んだが、僕が産まれる1年ちょい前の1974年の開店当時の写真を観ると外観は当たり前だが最近とあまり変わっていないのね。
ホントに、幼少時からここでなんでも買っていたなあ。食品、文具、衣類、雑誌・書籍、自転車の部品、乾電池・カセットテープなどの家電小物、ファミコン(もちろん任天堂の「ファミリーコンピュータ」ね)のソフト、成人式用のスーツ、などいろいろ。僕がこれまでに地元周辺で最も多くのお金を注いできた店舗であることは間違いない。
また、現在はダイソーをはじめいくつものチェーン店が競合して活況の「100円ショップ」は、以前は小売店舗の特設売場でたまに(2、3か月に1回くらいの頻度だったか?)開かれる100円均一セールみたいな催事が発端だと記憶しているが、その概念を小学生時代に初めて知ったのもこのダイエーだった。

そういうこともあって僕がダイエーに特によく通っていた小学生頃、だから1980年代は、東武東上線・志木駅周辺のいわゆる「大規模小売店舗」は北口(現東口)にあるこのダイエーと、南口のニチイ(→サティを経て現イオン)と、西友(現エコス・たいらや)の三つ巴状態だったが(現在は東口に丸井もあり、4軒の競合)、当時は品揃えではダイエーがダントツで、そのために通っていたこともある。夏場の冷房と冬場の暖房の効き具合も3軒のなかでダイエーが最も良かった印象もある。
近年は西友の撤退やイオングループの隆盛によってここ十数年で3軒の力関係が崩れ、やはり近年は全国的に知名度もブランド力もあるイオンのひとり勝ち状態に移り変わり、今回のダイエーの閉店はその影響が最も大きい、と僕は視る。たしかにいち消費者の僕も、最近はWAONポイントのおかげでイオンで買い物する機会が圧倒的に多いし。

でもたまに、ダイエー地下1階の食品売場では買い物していたけど、それでも地元民の消費行動は(近隣では、あえて悪く言うと旧態依然? で古株のダイエーをいつまでも応援したいという地元愛はありながらも、実際の買い物ではポイント獲得や日々のセールで得する部分の多い革新的な?)イオンに僕と同様に移行してきた、と思う。単に時代の流れのせいだけでは済まされない、同業者同士の経営方針の差異によって客の流れが変化したことは否めない、か。
しかし、ここ30年では大学時代頃までは特にダイエーをよく利用していたので、思い出深いこの店が閉店すると今春に聞くと、それは聞き捨てならん! と並々ならぬ想いはあった。

今日の最終営業日も、仕事やアルバイトは絶対に外して空けておいて、この閉店の瞬間を見届けに行くことを前々から予定していたから。
で、以下は今日18時の閉店直前の店内の様子を地下1階から地上4階まですべて巡って撮ったものの一部。普段であれば写真撮影は禁止だろうが、今日で終わりなのだからまあ無礼講でよいでしょう。



地下1階。食品売場、野菜・肉・魚のような生ものはそりゃあ値下げしてでも売りきるよなあ。半額品も多かった。


1階。普段は値下げしない化粧品等も3割引や半額であった。


2階。撤収途中の機材の目隠しに紅白の幕を利用するのはよくあるが、黄色と黒色の縦縞の幕もあるのはダイエーならではなのか。神戸に本店があるだけに。


3階。撤収がほぼ終わったところを観ると店内は結構広いのね、と30年以上この店を利用してきてこれは初めて観た景色で新鮮であった。


4階。僕は昔も今も特に4階に思い入れが深く、後述の玩具売場ネタのほかにここ2、3年はこの書店での雑誌立ち読みでよくお世話になっていた。来客が少なくて読みやすいから……。ここもなくなるのもとても残念……。


最終営業日でも、しっかりトイレ清掃は入っていたのは感心。ここのトイレにもこの30年で、たぶん少なくとも1000回以上はお世話になったかなあ。


18時の閉店直後、18時30分からの店長の挨拶待ちのあいだに、惜別の利用客はどんどん増えた。僕は挨拶は動画を録っていた。ちなみに、店長はダイエー勤続30年の方で志木店の勤務も長いそうで、そのためか挨拶のなかに“ダイエー志木店魂”という言葉もあったのは嬉しかった。グッときた。泣いた。


挨拶の終了後に落ち着きを取り戻した店の前の広場。ちなみに2階部分の外壁がやや白いのは、以前は写真右に現在はマンションが建っているところに「志木ファイブ」という7階建ての小売店舗があったのだが(のちに「ららぽーと志木店」に変わり、十数年前に閉店)、白い箇所にそこと結ぶ連絡通路があって往来できたのだが、ららぽーとの閉店によって建物が解体されて通路の入口も閉じられた、という歴史もある。志木ファイブとららぽーとも、書店やCDショップやマクドナルドや映画館や食堂街もあったので、ダイエーと併せてよく利用していた。そこまで知っている僕も含む地元民は結構な古株で、ダイエー閉店への惜別の念もひとしおだと思う。ちなみに、このマンションの裏(東側)に県内有数の進学校の慶應志木高校がある。そこの卒業生も正面の校門から横断歩道を渡って徒歩2分もかからないダイエーをよく利用していたはず。


この看板も見納め。この写真は死ぬまで大切に取っておこう(というくらい、思い入れの深い店舗なのです)。


閉店から1時間後の余韻。閉店することは知っていたが仕事などで18時までの営業時間内には間に合わなかった、でも別れを惜しみたい人もちらほらいた。地元のみんなが寂しい一等地の店舗の閉店……。


そういえば、ダイエー通いというと僕個人的な全盛期の小学生時代の話でもうひとつ思い出深いのが、4階の玩具売場に当時大人気だった(今月15日で発売から30周年を迎えた)ファミコンを2台置いてあり、そこでよく遊んでいたことか。休日は混むので、一時期は平日の放課後に週4日は通うくらい熱中していたこともあったなあ。

他地域の店舗の玩具売場も似たような雰囲気だったのかは知らないが、小売店舗やビックカメラ・ヨドバシカメラのような家電量販店の店頭にはソフトのデモ用にテレビ画面とファミコン本体とソフトのセットを据え置くことはよくあったし最近も秋葉原の店頭も含めて各地で見られるが、ウチのダイエーではテレビと本体はそのままでソフトは自由に抜き差しできて(ファミコンのソフト=カセットは「抜き差し」の表現で合っているはず。ディスクシステムは除く)、だから近所の子どもたちが自分のソフトを持ち込んで交代で遊ぶ、というのが流行っていた。
しかし、ひとりが1台にかじりつきすぎるといかんのでプレー時間は(空いているときでも)長くても1回あたり1時間弱で、コントローラーを持つ子も子どもながらに周りの目を気にしながら節制していたが、当時は高橋名人のあの名ゼリフ? の「ファミコンは1日1時間」の縛りを遵守しているしつけの厳しい? 家庭ではホントに1時間しか遊べなくてそれだけでは物足りない子がここへソフトを持参してさらに遊んだ、ということも頻繁にあったのではないかと今になって思う。

ちなみに、僕の家庭の場合はファミコンの時間制限は特にないゆるい家庭だったので(でも裕福な家庭ではないので所有ソフトの本数は比較的少なかった、1本のソフトを大切にとことん遊び尽くす感じだった)、そこへわざわざ何をしに行ったかというと自分の持っていないほかの子のソフトがどんな感じなのかを値踏みするため、遊んだことのあるソフトでもほかの子のプレーぶりを見学して自分のレベルアップに努めるため、アクションゲームやスポーツゲームの2P対戦をするため、の3つの理由が多かった。
僕は特に(当時)ナムコの「ファミスタ」シリーズが得意で(これが最も流行ったのは中学生頃か)、今でも初対面の相手と対戦して勝つ自信はある。見ず知らずの子といきなり対戦するのも面白かったなあ。近所にもあったゲームセンターは有料だが、ここでファミコンであればソフトがあればもちろん無料で楽しめたから。

でも僕がそこで遊んだゲームで特に印象深いのが大ヒット作の「ドラクエII(ドラゴンクエストII)」で、レベル上げほかRPG(ロールプレイングゲーム)の進行は時間がかかるのでもちろん家で進めるが、終盤のボス(最近では「ラスボス」と呼ぶのか)を倒して完結するくだりをわざわざそこで実演する、ほかの子たちに見せつける、という小遊びが結構面白かった。
そのなかで1回、まったく知り合いではない見ず知らずの子で僕と同じ発想の子(男子)が僕の隣の本体に現れて、じゃあ同じ位置から始めてどちらが先にボスを倒すか、と「RPGで対戦」するというくだらない? こともやっていた。そのときのパーティーのレベルはほぼ互角で条件は同じだったが、たまたま敵の出現率の差の妙で僕が勝ったけど。そういう遊び方も楽しかったなあ。


と、このままではなんだかファミコンの思い出話に脱線してゆきそうだが、でも僕にとってはダイエーとファミコンの思い出は切っても切れないほぼ同等の深い関係なので、仕方ない。
現在は僕は旅がなんだとかいろいろ言い散らかしているが、実はこういうゲーマー? だった頃も初期のファミコン世代らしく、ふつうにあったのよ。僕にとっての“青春”は、一般的にはちょいと早い時期だがまさにこの小学生時代だった、のだと思う。これは僕の人格形成の一端を担ったダイエーという店舗とのかかわりのなかでも、特に楽しかった思い出である。

今日は久々にそういう思い出も走馬灯のようによぎったりもしながら18時の閉店の瞬間を迎え、30分後には店長の挨拶があるということなのでそれを入口で待っているダイエーとの別れを惜しむほかの大勢の客としっかり聴き、シャッターが下りるのも見届けて、(映画『風立ちぬ』以上に)今夏最も泣ける瞬間であった。今はもう喪失感しかない、ホントに。まさに“ダイエーロス”である。

でも実は、ウチから半径10km圏内に志木店のほかにも三芳店、西浦和店、成増店、と3店舗あり(参考に埼玉県内の店舗のリンクを)、明日以降はそちらの店舗へぜひ、と誘導する貼り紙とアナウンスもあったが、志木店の職員の多くは人事異動でこの3店舗に振り分けられるようで。
西浦和店と成増店は数回行ったことはあるが、三芳店は未踏なので近々行ってみようっと。
何も用事や買うモノがなくても自転車でふらっと立ち寄ることのできる店を失うのはホントに寂しいものだ。僕も今後、店長の挨拶にもあった“ダイエー志木店魂”を胸に残りの人生をより良きものにしてゆこうと、閉店後に明かりの消えた建物を見上げながら誓った。

たまには猫写真

2013-07-23 12:00:21 | 普段の生活(日常)

先の参院選は、うーむうーむ、と思いっきり意気消沈の結果となり、1日以上経っても暗いままである。
低所得者には「アベノミクス」なんか実感できる機会は皆無だし。昨年末からの国政は単に、“「安倍」のみ、くすっ”とお偉いさんだけが大きく得してほくそ笑む展開ではなかろうか。

が、嘆いてばかりもいられないので、先週に東京都新宿区内の某公園で見かけた猫の写真で気分転換を図る。
彼ら彼女らのように、嘘や欺瞞や戦争好きや原発やブラック企業のない世界でお気楽極楽に暮らしたいものだなー。

そういえば、彼ら彼女らに「アベノミクス」の恩恵はあるのだろうか。直接的に何か影響があるとすれば主に日々の食料調達(人間の残飯?)なのだろうが、なんだかんだでしぶとく生きているよなあ。
人間も見習ってしぶとく、生きねば。(by『風立ちぬ』)

参院選の参考資料としての、スタジオジブリのPDF

2013-07-20 22:00:11 | 普段の生活(日常)
明日が投票日の参院選、今回は期日前投票ではなくあえて投票日に行ってみようかと。

で、その前に、ツイッターで改めて18日に知った数日前から話題になっていたスタジオジブリの小冊子『熱風』13年7月号の憲法改正特集、品薄だけど読みたいなあと気になっていたところに急遽のPDF配信となり、嬉しい。投票前に読みたかったので、ダウンロードしてそれを印刷して、今日読んだ。
今日公開で初日から好調らしい映画『風立ちぬ』の宣伝とは別に、重厚な内容なのね。校正者的には「い抜き言葉」がやたら多いのが気になったが、まあ談話の文字起こしだから致し方ないか。

この記事に関しては(読者の支持政党によって?)良くも悪くもいろいろな意見があるだろうけど、僕はおおむね賛同で(宮崎駿氏の記事の「巨人軍よ永遠なれ」のくだりも含めて)、明日の投票への良い参考資料となった。

あと、今回の選挙関連で流れてきた情報を拾っていてもうひとつ面白かったのが、このウェブサイトのなかのマンガで、こちらのほうがくだけてわかりやすいかも。いや、くだけすぎか。

さて明日、東京都内とその近郊で(今回は映画『立候補』の影響もあって)話題のマック赤坂氏も含めて、どんな結果になりますかねえ。


※23日(火)の追記
『風立ちぬ』は、昨夜に観た。僕と同じ誕生日の72歳のおじいちゃん(もちろん宮崎駿監督のこと)によるやり慣れていない(子ども騙しではない)大人向けの恋の話略して恋バナでもあったが(キスシーンで口元のアップもある、『ドキドキ!プリキュア』風に言うとキュンキュンしちゃう感じ)、むしろ初々しさが全面に出ていてこれはこれで良かったと思う。お子様にはわかりにくいだろうが、そこはまあもう少し大きくなって10年以上先に改めて観ればよろしいかと。
実在の人物がモデルとか主演声優は庵野秀明氏を(棒読み覚悟で)大抜擢? とか公開前から制作に際して初めて臨むことが多いという意味での話題性は高く、半ば無理矢理のこじつけだが、5月の三浦雄一郎氏のようにこの作品づくりも年齢的な「冒険」だったのかなあ、今年はそういうことが重なる年なのか、と、ふと思ったりもした。

門下生同士の身近な結婚

2013-06-30 15:00:03 | 普段の生活(日常)

今月中旬、東京都・御茶ノ水の「山の上ホテル別館」で催された友人の結婚パーティーに招かれたので、万年金欠病の身にはこの類の催しの参加費捻出がとても厳しいもので近年は大概断っているが、今回はなんとかして出席した。
ここのバイキングというかビュッフェ形式の飲食も楽しみだったし。それはなかなか旨かった。

この場へ行くためのワイシャツにネクタイの格好は約3年ぶりだったか。普段は仕事でこういうのを全然着ない生活の僕としては、近年は身内や大学時代の先輩後輩の冠婚葬祭でしか着ないものだから、ちょっと息苦しかった(特に短い首が)。

で、今回の組み合わせは本ブログでも実はこれまでに度々登場していた僕の知り合い同士で、武蔵野美術大学(ムサビ)の関野吉晴さんの弟子というか門下生、まあつまりはゼミ生同士の結婚で。関野さんはこのふたりが付き合っていたのは数か月前に婚姻届を出す頃まで全然知らなかったそうで、そういうものなのかー、とちょっと驚いた。僕はふたりが付き合っていたのは、(ふたりとも深くかかわっている)地平線会議の集まりなどで普段からよく会っていることもあって4、5年前から知っていたけど。
関野さんのゼミはムサビに就いてから今年で11年になるらしいが、300名とも500名とも言われるこれまでのゼミ生とその関係者のなかで結婚したというひとはいるだろうけど、ゼミ生同士で結ばれたのは初めてなのかなあ。どうなんだろう。

新郎のほうはこれまでに季節を問わず数回は登山を一緒しているし、(新郎の後輩の)新婦のほうも学生時代にワンゲルに属していて登山をそれなりに知っていることもあって、趣味嗜好が合っていることはよくわかる。(関野さんの存在が出逢いのきっかけではあるが)ふたりが結ばれた最大の要因もそれだと思う。
そういえばそのなかで以前に1度だけ、このふたりと僕というヘンな3人組で奥多摩へ日帰りの沢登りに行ったことがあるのだが、その頃は傍から見ると典型的なバカップル(失礼)ぶりを発揮していたのを見せつけられて困惑することもあったが、今回改めてパーティーの晴れ姿を観ると、ああもうこんなに大人になったんだなあ、と僕は半ば保護者のような気分で会場内で主役としての祝福の模様を眺めていた。

今年は、ウチから近いこともあってふたりの新居に3回ほど遊びに行っているのだが、新婦は今秋に第一子の出産を控えているとのことで、今後は子どもが産まれると行きにくくなるかもなあ。
でもまあ、僕の狭い交友関係のなかで最近は大学時代の仲間よりも会う機会の多いふたりなので、身近な結婚後の生活の一例として参考にしながら(でも僕が結婚することはないだろうから、まったく参考にならないだろうけど)、温かく見守り続けてゆこうかね。
末永くお幸せに。