あぐちの判官(5)
さて一方、御台様は、長男重範が討たれた事を知る由も無く、弟若を連れて、乳母の紅葉(もみじ)一人を供として、下道を落ちて行きました。やがて、御台達は、肥後国の高瀬浦に着きました。(熊本県玉名市高瀬)御台様は、ここから、便船を乞おうとお考えになりました。しかし、なんとも哀れな事ですが、水際には沢山の舟が並んでいると言うのに、事もあろうに、紀州に隠れ無い、人商人の源太夫という者の舟に乗ってしまったのでした。源太夫は人々を見るなり、
『へへ、これは天のお恵みじゃ。この人々を売り飛ばせば、これから楽に暮らせるわい。嬉しや嬉しや。』
とほくそ笑むのでした。やがて、人々を舟に乗せると、艫綱をほどいて、出港させました。二三里も、漕ぎ出た頃に、源太夫は、
「さあさあ、皆さん。良くお聞きなさい。皆様のお姿をお見受け致しますと、何やら訳ありのご様子ですが、幼い子供を連れて、何処へいらっしゃるのですかな。お名前をお聞かせ下さい。私は、情け深い人間でありますので、何処へとも、お送りいたしましょう。」
と、情け顔をして、騙すのでした。御台所は、
『もしかして、兵部の一味かもしれない。きっと騙しているのに違い無い。怖ろしや怖ろしや。名乗らない方が良い。』
と思っていたのですが、情け深い人間だと聞くと、安心して、
「それでは、名乗りましょう。我々は誰あろう、恥ずかしながら、安口の判官重行の妻子です。」
と言うなり泣き崩れてしまったのでした。かの源太夫というのは、実はその昔の若い頃、判官殿に仕えていたことがありました。御台の名乗りを聞いた源太夫は、飛び上がって驚き、
「やや、これは夢か現か。浅ましいことではありますが、私は、その昔、判官殿にお仕え申しあげた、柏原の竹王丸のなれの果てでございます。」
と言うなり、畏まって涙をぬぐうのでした。源太夫は続けて、
「さてもさても、判官殿の機嫌を損ねてから、行く当てもなく、人商人となり、この浦に棲み、柏原の源太夫と名乗って、過ごしておりました。今日、御台様達がこの舟にお乗りになったのを、良い売り物が乗ったと喜んでおりました。どうか、お許し下さい。」
と言うなり、櫓櫂を捨てて、号泣するのでした。御台所は、夢心地で、
「ええ、お前は、昔の竹王丸なのですか。ああ、それは懐かしいことです。」
と、又さめざめと泣きました。源太夫は、
「さて、それにしても、どうしてそのようなお姿をして、何処へ行こうとされているのですか。」
と尋ねれば、御台様は、
「実は、こんなことがあったのです。重行殿が、御門の御番で都へ上がられたのですが、ご病気なされて亡くなりました。すると、後を任されていた兵部太夫が、国を横領し、その上、私や若達を殺そうとするのです。そこで、夜半に紛れて、国を逃れました。これから都へ行って、この事態を奏聞するのです。兄の太郎重範は、右近と共に、上道を行かせましたので、なんとか都へ辿り着くことでしょう。さあ、都まで案内しておくれ。竹王丸。」
と、事の次第を涙ながらに話すのでした。源太夫は、
「むう、これは、なんとも口惜しい。兵部太夫といえば、判官殿の正しく譜代相伝の家臣ではないですか。そんなことをしたなら、天命からは逃れられませんぞ。ええ、それはともかくも、私は、どこまででもお供を申しあげます。どうぞ、ご安心下さい。」
と言うと、櫓櫂を立て直し、風に任せて、舟を走らせるのでした。そうして、源太夫は、
「此の度の、心づくしに、浦々島々、名所旧跡をご案内申しましょう。どうぞ、お心をお慰み下さい。」
と語るのでした。
《以下道行き》
豊後豊前の潮境
さて、その末に続きしは
あれこそ、本国、筑前の浦ぞかし
さぞや恋しく思うらん
漕がれ(焦がれ)来ぬれば程も無く
土佐の国に聞こえたる高岡(土佐市高岡町)、幡多(高知県幡多郡)の浦を過ぎ
心細くも、阿波の鳴門を余所になし
淡路の島山、漕ぎ来る舟ぞ、面白や
風に任せて行く程に
これぞ、播磨の国なれや
室山降ろし(兵庫県たつの市御津町室津港)激しくて
波に揺らるる、釣の舟
思わぬ方に、漕がれける
御身の上に、思い合わせて
いとど、哀れを、催うせり
名は、高砂の浦ぞかし(兵庫県高砂市)
夜は、ほのぼのと、明石の浦(兵庫県明石市)
そのいにしえの人丸(柿本人麻呂)の
昔語りと、打ち過ぎし
ようよう行けば、これやこの
津の国に聞こえたる(摂津:大阪)
兵庫の岬、難波潟、須崎(不明)に寄する波の音
沖の鴎に、浜千鳥の
友呼ぶ声は、我を問うかと、哀れなり
急がせ給えば、程も無く
日数積もりて、今は早
津の国に聞こえたる、難波の浦に舟が着く。
さて、人々は、無事に大阪に到着し、喜び勇んで意気揚々と、更に都を目指したのでした。都に着くと、一行は、とりあえず貧しい者が泊まる木賃宿に暮らしました。太郎重範は、もう既に都のどこかにいるだろうと、都中を捜し回りましたが、見つかりません。明け方から夕方まで、あっちこっちを捜しますが、もう既に死んでいますから、見つかるはずもありません。今日も、疲れ果てて宿に戻ると、御台様は、
「これほどに、毎日捜し廻ってみつからないのであれば、おそらく追っ手の手に掛かって殺されたに違いありません。ああ、可哀想に。」
と、泣き崩れました。主従四人の人々の心の内の哀れさは、何とも言い表す言葉もありません。
つづく