猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 26 古浄瑠璃 はなや(4)

2014年02月11日 15時45分19秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

はなや(4)
  さて、逃げていった追っ手の事はさて置いて、姉弟の人々は、自分たちも死んでしまう
だろうと思い込んでいました。しかし気が付くと、天が晴れ上がり、紺碧の空となりました。
 川の水も引き、再び老人が、どこからともなく現れました。老人は、
 「姉弟の人々よ。私を誰と思うか。筑前の国の楊柳観音(ようりゅうかんのん)であるぞ。(心光寺観音堂:福岡県久留米市寺町)
 お前達を助けるために、これまでやって来たのだ。」
 と言って、掻き消す様に消え失せたのでした。姉弟の人々は、これをご覧になって、
 「これは、大変有り難いことだ。」
 と、虚空を二度、三度と伏し拝むのでした。

  さて、それからというもの、足に任せて、野を越え、山越え、里を過ぎ、夜を日に継いで
先を急ぎました。しかし、先も分からぬ道のことですから、疲れ切った花若丸は、ある所で
ばったりと倒れると、そのまま息絶えてしまったのでした。若君の心の内を、何に譬えたら
よいでしょうか。花世姫は、花若が死んだとも思わずに、
「どうしたのです、花若。余りに疲れて、転んでしまったのですか。それとも、心がくじけて
倒れてしまったのですか。さあ、起きなさい。起きなさい。」
と、声を掛けますが、死んだ花若が答えるはずもありません。花世姫は、驚いて縋り付き、
「ええ、死んでしまったのですか。花若よ。なんと、悲しや。」
と、哀れにも口説き立て、
「私が、こんな姿に成り果てても、ここまで遙々とやって来たのは、おまえを頼りにして、
父上の行方を尋ねる為だというのに、おまえが死んでしまっては、私は、どうしたら良いの
ですか。」
と、泣き崩れるのでした。
 その時、大慈大悲の観音菩薩は、これを哀れとお思いになり、八十歳ぐらいの老翁に変化
されて、姫の前に現れました。老翁が、
「どうしたのです。」
と問うと、花世姫は、
「ああ、お坊様。この幼き者は、私の弟ですが、只今、ここで死んでしまったのです。」
と答えて、袈裟の衣に取りすがって、さめざめと泣くのでした。老翁は、
「では、この僧が、助けてあげましょう。」
と言うと、観音経を取り出して、(「妙法蓮華経」観世音菩薩普門品第二十五)
「善哉善哉、平癒なれ」
と唱えるのでした。そして、花世姫に、
「さあ、姫君。これを、守り本尊としてお持ちなさい。」
と言うと、観音経を、花若丸の胸の上に置くのでした。そして、
「よっく聞きなさい。このお経は、大変有り難いお経です。我が身に大事のある時は、この
お経を唱えなさい。死んだ者も生き返ります。必ず必ず、疎かにしてはなりませんよ。」
と、言うなり、掻き消す様に消えたのでした。

 その時、花若丸は、かっぱと起き上がり、まるで夢からでも覚めたかの様に、呆然として、
辺りを見回すのでした。花世姫は余りの嬉しさに、花若丸に抱だき付き、うれし涙に暮れました。
花若丸は、これを見ると、
「只、疲れて、転んだだけですのに、何をそんなに泣いていらっしゃるのですか。」
と、その場と取り繕って、何も無かったかのように、再び都へと向かったのでした。

 
ようやく都に着き、六条の辺りに宿を取りましたが、如何せん、知り合いもありませんので、
どうやって、奏聞したらよいか分かりません。しかし、その妄念が、積もった為でしょうか、
御門のお后様が、突然、病気になったしまわれたのでした。
 御門は、大変驚いて、貴僧、高僧を沢山集めて、いろいろと祈らせましたが、一向に容態
は良くなりません。次に、陰陽の博士、安倍の資充(すけみつ)を呼んで、占わせることに
しました。安倍資充は、こう占いました。
「むう、これは面白い占いが出ております。筑紫より幼い修行者が一人、上洛して、都に滞
在しております。この者を召し出せば、お后様のご病気は、たちまちに平癒されることでしょう。」
御門は、この占いを聞くと、早速に都中にお触れを出したのでした。この姉弟の人々の心の
内の哀れさは、申しようもありません。


つづく

 


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