猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 10 説経法蔵比丘 ②

2012年02月29日 22時53分24秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ほう蔵びく ②

 そうして、太子と姫宮は、比翼連理の契りを結ばれて、月日が重なればやがて若宮が

ご誕生となりました。最早、このことを秘密にして置くこともできず、とうとう父、大

王の知るところとなりました。大王は、大変腹を立てて、臣下大臣を集めると、

「さても口惜しいことになった。どこの馬の骨とも知れぬ者と契るとは無念である。こ

れは、末代までの嘲り(あざけり)である。このままにはしておけない。龍瀬(たつせ)

の洞へ連れて行き、翳(えい)の罪にて沈めてしまえ。早く、早く。」

と命令しました。臣下大臣は黙って俯いていましたが、ラゴトン将軍が進み出でて、こ

う言いました。

「逆鱗(げきりん)はごもっともですが、ただ一人の姫宮を、そのような罪に落とすこ

とは、あまりにも労しいことです。先ず一旦は御叡慮を巡らせていただきたく存じます。」

しかし、大王は、

「天下を守るとは、そういうことでは無いぞ。我が身が正道を行ってこそ、万民も

正道を行うのだ。重ねて奏聞する者あれば、七代までの勘当だ。」

と、言い放ちましたので、皆々どうすることもできず、東宮へ兵を差し向けると、太子

御親子三人をひとつの輿に乗せて、龍瀬の洞へと向かったのでした。

 そもそも、「翳の罪」という刑は、深さ15丈(約50m)の穴の底に釼を植え並べ

て、そこに罪人を投げ込んでから、土で埋めてしまうという処刑の仕方です。早速に

その様な刑場が設えられ、太子親子三人が輿から出されて連れて来られました。姫宮は

あまりのことに、泣き崩れ、

「自らは、女の身であるから、罪に沈もうと構わないが、忝なくもこの君は、西上国の

主なのですよ。太子を助けてください。」

と懇願しました。今度は、太子が、

「このような憂き目を見るのも、皆これ麿が原因であるから、我こそ一人罪を受けて、

姫宮を助けてください。」

と、嘆きます。心も無い武士(もののふ)達も、言葉も無く差し俯くばかりです。ラゴ

トン将軍は、検見役としてその様子を見ていたのですが、あまりの労しさに耐えられず、

責任者の右大臣左大臣に向かって、

「何とかなりませんか。これでは余りに可愛そうに過ぎます。一旦の逆鱗で、このように

宣旨はありましたが、只一人の姫君のことですから、ここは、助け置いて、お怒りが静

まった頃にお知らせ申せば、憎くくは思いますまい。いざ、方々。どうか今日の所は、

処刑したと奏聞しておいて、親子の人々を助けましょう。」

と、迫りました。しかし、大臣達は、

「将軍の御心底はよく分かるが、重ねて奏聞すれば七代の勘当とあるからは、思い直さ

れることがあるとは思えぬ。情けをするにも事と次第による。下が上を計らって勝手な

ことをするわけには行かない。」

と、けんもほろろです。これを聞いてラゴトン将軍は怒り出し、

「もっともらしいことを言う奴らだな。この上は、それがしが、一命に掛けてでも、親

子の人々を助けないでおくべきか。やあれ、眷属ども、それそれ。」

と言うと、太子親子三人を傍らに守り置きました。これを見た両大臣が、

「さては、ラゴトンが謀叛じゃ。打って取れ。」

と下知すれば、兵は剣を抜き、たちまちに戦いが始まりました。ラゴトン方は無勢でし

たが、その勢いは物凄く、大臣方の勢はひるみました。そこへ、左大臣の眷属でライケ

ンという剛の者が躍り出て、四尺三寸の大の釼を八方に払い、横手を切って攻め込んで

来たものですから、さすがのラゴトン勢も後退しました。これを見ていたラゴトンが、

「おのれ、勝負、勝負。」

と跳んで出れば、ライケンは、にたにたと笑って、

「おお、願う所の相手なり。」

と、言うなりそばの古木を引き抜くと、拝み打ちに打ち掛かってきました。ラゴトンが、

体をかわして、古木をしっかりと掴み返すと、いや取られるものか、いや放せと、互い

に劣らぬ大力で、えいやえいやと引き合えば、古木はぼっきり折れて、両方に飛びし去

ったのでした。今度は互いに釼を抜いて、秘術を尽くして斬り合いました。しかし、

遂にラゴトンの太刀を受け外したライケンは、右の腿を切られてがっくりと膝を付きました。

右大臣左大臣はこれを見るなり、

「これは、だらしない。くだらない化粧軍(けしょういくさ)など見たくも無い。大勢

で掛かって一気に討ち取れ。」

と、命じました。東西南北より一度にどっと、ラゴトンを取り巻きましたが、その時、

天地が突然振動して、虚空から巨大な岩が降り落ちて来たのでした。翳の刑場は、たち

まちに埋まり、岩に潰されて夥しい兵が死にました。両大臣は、忌々しいと、ラゴトン

に取り付きましたが、ラゴトンは逆らいもせず、にこっり笑うと、

「大岩の難を逃れたのにまだ厭きたらぬか。それ程までにお望みならば、落花微塵にし

てくれん。」

と言うなり、大岩を投げつけて、二人の大臣を粉々にしてしまいました。残った軍勢

を追い散らすと、ラゴトンは、やっと一息つきました。そのラゴトンの働き、韋駄天も

こうであったかと、感ぜぬ者はありませんでした。

つづく


忘れ去られた物語たち 10 説経法蔵比丘 ①

2012年02月29日 17時06分24秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

説経正本集(角川書店)第二「ほう蔵びく」天満八太夫正本。延宝天和年間。版元不明。阿弥陀如来の前世譚を説経らしく語る。

ほう蔵びく ①

さてもその後、三世十方の出世の本願は、一切衆生の利益(りやく)のためです。

特に、濁世末代の男女まで、容易く仏果を得ようとするならば、「弥陀」の光明を置い

て外にはありません。

 さて、その昔、唐天竺の西上国の主は、月生転輪聖王(がっしょうてんりんじょうおう)

と言う、大変目出度い帝(みかど)がいらっしゃいました。宝石の散りばめられた宮殿

が甍(いらか)を並べ、黄金の楼門も鮮やかで、錦の御帳(みちょう)を張り巡らし、

地面には瑪瑙を敷き詰め、道は瑠璃でできていたのでございます。四季の御殿の数々は、

言うまでもございませんでした。お后様は「ちょうせき夫人」と言い、千丈(せんじょ

う)太子という、容顔も整い慈悲の心を持った一人息子がおりました。人々は、この王

子が、次の賢王聖君になることを心から願っていました。

 千丈太子が十六歳になった頃のことです。太子の后候補に、東上国の姫宮「あじゅく

夫人」という方が話題になりました。十四歳にして三十二相八十種好を具えた大変な

美人であるという話しを聞き、太子は、まだ見ぬ恋に落ちました。太子はこう思いまし

た。

「恋しいと思う姫宮を迎え取ることは、簡単だが、遙かの道のりでもあり、又姫の心も

測り知れない。明日の命さえ定めの無いこの身であるから、どうせなら、東上国へ一人

で行き、その面影を一目でも見ることが出来れば、ここで物思いをしているよりはましだ。」

と、恋路の闇に思い詰めると、綺麗な服を脱ぎ捨てて、墨衣に召し替え、寒竹の横笛だ

けを腰に差し、夜半に出奔してしまったのでした。

 山々里々を旅すこと三年と三ヶ月。ようやく千丈太子は、東上国へと辿り着いたのでした。

しかし、勿論知り合いも無く、何処に泊まるあてもありませんでしたので、とある人家

に立ち寄って一夜の宿を乞いました。親切な夫婦がもてなしてくれましたので、故郷の

ことを思い出して、笛を吹きました。その澄んだ音に感心した夫婦は、

「さてもさても、この国においては、そのような素晴らしい笛の音を聞いたことが無い。

恐らくは、由緒ある方とお見受けいたしましたが、どちらからいらした方ですか。」

と、尋ねました。太子は名乗らないでおこうと思っていましたが、沢山の親切を受けたことでもあり、

「それがしは、西上国の主、転輪聖王の一子、千丈と申します。実は、この国の善信王

の姫宮である「あじゅく夫人」の事を聞き及び、見ぬ恋に憧れて、これまで遙々来たのです。」

と、打ち萎れて物語りしたのでした。これを聞いた夫婦は、

「そうでしたか、幸いなことに、我々の娘、梅花(ばいか)は、姫宮のお側に宮仕えし

ております。御仲立ちを頼みましょう。殊に今夜は、八月の十五夜で、月の管弦を夜中

まで行っておりますよ。御太子も女の姿をして忍び入るのはどうでしょう。良い折を見

つけて、姫君に会わせてあげましょう。さあ、早く支度をしなさい。」

と、大変頼もしいことを言うのでした。

 さて、月見の御殿には、多くの女房達が集まって月見の管弦を行っていましたが、や

がて夜も更けて散会となりました。梅花は、この折りが丁度良いと、太子を妻戸の中へ

と押し入れると、自分の局へと戻りました。とうとう姫宮の寝所に近づいた太子は嬉し

くて仕方ありません。寝所の障子をほとほとと叩いてみると、中から姫君の声がしました。

「誰ですか。妻戸の脇で音がするのは不思議ですね。」

恋い焦がれた姫宮の声です。太子は、思いの丈をぶつけました。

「いや、怪しい者では御座りません。それがしは、西上国の主、千丈太子と申す者。

姫宮の御事を風の便りに聞き、まだ見ぬ恋に憧れて、遙々ここまでやってきました。」

姫宮はこれを聞いて、

「そのようなことを言われては、心も乱れますが、父の目を盗んで、あなたと仲良くし

たのなら、不孝の罪となってしまいます。私ひとりの思いでは、どうにも出来ない身の

上ですから、ごめんなさい。」

と、言うと布団を被って隠れてしまいました。太子はいよいよ憧れて、

「そのような恨めしいことを言わないでください。考えても見てください。もしこれ

で引き下がって帰るにしても、この御殿を出る時に、番人どもに見つかって殺されるに

決まっている。どうしても帰れと言うのなら、人手に掛かって死ぬよりは、ここで腹掻

き切って自害して、あなたを恨んで化けて出ます。その時、思い知らせてやります。」

と、剣に手を掛けた時、さっと障子が開いて、姫宮が太子の袂に縋り付きました。

「のう、おやめください。太子様。さぞお怒りとは思いますが、あなたの心を試すため、

そのように言ったのです。さあ今は、何事も打ち解けて、中へお入りください。」

と、二人は互いに手と手を取り合って御殿へと入って行ったのでした。梅花の取りなし

で、既に銚子、土器も準備されており、それから御酒宴となったのでした。千秋万歳(せ

んしゅうばんぜい)の御喜びは、目出度いとも中々、申すばかりはありません。

つづく

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忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ⑩ おわり

2012年02月26日 22時36分22秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ⑩ おわり

 厨子王は、丹後へ入府(にゅうぶ)するについて、国分寺を宿所とし、三日先に触れ

を出しました。ところが、宿所を命じられたお聖は、なんでこんな古寺をわざわざ選ん

だのだと不審に思い、面倒に思うと傘を一本持って逃げ出してしまいました。到着した

厨子王は、お聖様が居ないことを知り、探し出すように命じました。やがて、穴太寺の

観音堂(京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46)の裏で、お聖は捕まって、縛り上げられ

て、厨子王丸の前に引き出されました。これを見た厨子王は、命の親に縄を掛けるとは

とんでもないと、そのまま跳んでおり、自ら縄を解くと、

「お忘れになりましたか、皮籠(かわご)のわっぱです。これ、形見もこの通り。」

と、言いました。お聖は大変喜んで、

「おお、さても嬉しや。御出世なさいましたか。天道は誠をお照らしになりました。こ

れこそ、仏神のご加護です。目出度い目出度い。ところで姉君はどうなさいましたか。」

と聞きました。厨子王は涙と共にこれまでのことを語り終えると、

「これより、恨めしの太夫一家を呼び出します。お聖様はごゆっくりお休み下さい。」

と言い、太夫一家を召し出すよう命じました。お召しを受けた山椒太夫は、何かご褒美

でもいただけるかと、親子揃って国分寺へとやってきました。親子を前にして厨子王は、

胸が急きましたが、ぐっと堪えて、

「如何に太夫、汝の家の水仕に、しのぶ、忘れ草と言う姉弟の者が居ると聞いている。

そのしのぶとやらは、美人の聞こえが高いので、それがしにくれ。その褒美に国でも郡

でも、望み次第に与えよう。」

と言いました。太夫と三郎は顔を見合わせて、

「ええ、その女が居るならば、過分の大名になったものを。口惜しや。」

と、つぶやきました。太夫は仕方無く、

「ええ、その女は確かに居りましたが、我々に楯を突き、その上、弟を逃がし、その行

方を問い詰めるために誡めましたが、その弟を追いかけている間に、どこやらに消え去りました。」

と答えました。厨子王は尚も、

「おお、それでは仕方ない。そしてその忘れ草は捕まえたのか。」

と問い詰めました。太夫が、

「いいや、弟めは身代道具を丸取りにして山より逃げたままです。」

と答えると、とうとう厨子王は堪えかねて居丈高になると、

「やあ、太夫。我こそその忘れ草だ。見忘れたか。面を上げよ。」

と、声を荒らげたのでした。太夫親子は吃驚仰天して身の置き所もありませんでした。

その時、宮城の小八が出てくると、意外にもこう言いました。

「恐れ多くも我が君は、仇を恩に報じて、ご処置なされる。遠慮無く国を望め。」

これを聞いた太夫は、ほっとして、

「これは有り難い仰せ。慈悲は上より降るとはこのことよ。如何に子ども達。」

と言うと、三郎は、

「それがしは一門広い者ですので、大国を給わりたく存じます。」

とぬけぬけと言ったのでした。小八はにやにやと笑って、

「よろしい、では姉君の敵、三郎には、広き国、八万地獄を与える。太郎次郎の姉弟は、

三郎が皮籠を見せろと言った時に、誓文の免じて三郎を制止したによって無罪とする。

有り難く思え。さてさて、山椒太夫は八十八歳になられる。八万地獄を拝領したからに

は、目出度く升掛(ますかけ)の竹鋸を三郎に引かせるべし。早や疾く。」

と、下知するのでした。やがて準備も整いましたが、四人の人々は泣きわめくばかりで

す。三郎は、未練なりと怒って立ち上がると、ええい面倒なとばかりに竹鋸を持つと、

「如何に父上、我が宗旨の念仏とやら、こういう時に言うものらいしいですぞ。」

と、言うなり、えいやえいやと父の首を引きました。やがて、太夫の首は、ばったりと

前に落ちました。厨子王はこれを見て、

「おお、美事にやり終えたな。ご苦労であった。それでは、三郎にも暇を取らせよ。」

と、言うと、今度は三郎が締め上げられて引き据えられました。厨子王が、

「末代までのみせしめである。恨みあって憎いと思う者は、集まって首を引け。」

と言うと、由良千軒は言うにおよばす、近郷近在より数多の人々がやってきて三郎の首

を引き落としたのでした。

 さて、その後厨子王は、、姉君の為に御堂を建立され、守り本尊を安置されました。

丹後の国

金焼き地蔵の由来これなり

御家、日に繁盛す

目出度さよとも中々申すばかりはなかりけれ

山本角太夫

京二条通り寺町西へ入町

正本屋 山本久兵衛

おわり


忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ⑨

2012年02月26日 18時26分57秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ⑨

 さて、都で梅津公と巡り会った厨子王丸は、数多の供を連れて、佐渡島を目指してい

ましたが、順風満帆の船旅で、早くも佐渡島にご到着されました。その行列は、歩行(か

ち)立ちの者を先立てて、七つ道具を中にして、御馬の回りには後ろ供えが付くという

物々しさです。厨子王の一行が母を捜して進んで行くと、小八が母の手を引いて歩いて

来るのに出くわしました。これを見るなり厨子王は、馬から跳んで降りると、

「やれ、小八ではないか。厨子王丸は世に出でました。」

と、駈け寄りました。その声に驚いた小八は、

「おお、若君様、母上様ですぞ。」

と、厨子王丸に取り付きました。そして、これは母上、我が子よと、念願の再会を果た

して喜び合うのでした。しかし、母上が、

「嘆きの中の喜びとは、こういうことを言うのですね。もしも、姉も一緒に、この目も

開いて、会うことができたなら、どれ程嬉しいことでしょう。しかし、姉は亡くなって

しまったのですよ。」

と、姉の死を知らせると、厨子王丸は、肝も消えて倒れ伏し、前後不覚に泣きました。

宮城の小八も涙ながらに、姉君の最期の様子を語って聞かせました。

「ご臨終の際にも、只、母上様の目が見えなくなったことを深く嘆いておいででした。」

それを聞いて厨子王は、ただただ、涙に暮れていましたが、ややあって突然に、

「いや待て、思い出したことがある。」

と言うと、肌の守りの地蔵菩薩を取り出したのでした。厨子王は、地蔵菩薩を母の額に

押し当てると、

「御地蔵菩薩よ、我が孝心を哀れんで下さるのなら、母の両眼をお開けください。」

と、一心に祈念したのでした。すると有り難いことに、地蔵菩薩はまばゆい光を放ち始

めました。そして、光が消えた時、不思議にも母上の両眼は、はっきりと開いたのでした。

この奇跡に一同は、わっとばかりに声を上げて喜び、うれし涙の雨となりました。厨子

王丸の喜びは限りなく、

「このご本尊様のお陰であるぞ。人々、拝め。有り難や。」

と言うと、人々は皆この地蔵菩薩に手を合わせました。こうして、厨子王は、無事に母

上を伴って、都へ戻って行ったのでした。この末繁盛の吉相を、喜ばない者はありませ

んでした。

 さてその間、梅津公の尽力によって、正氏は筑紫より呼び戻され、厨子王、御台も無

事に揃った所で、梅津公は親子を連れて御前へ上がりました。白州には、讒言人の上総

の管領重連と、下人の源六源五が引き立てられています。時の関白は、宣旨を給わって

人々に綸言しました。

「この度、奥州の大将、岩城の判官正氏に、上総の官僚重連が讒言を行ったことは、下

人源六源五の証拠によって明白である。よって、重連は正氏に下し任す。奥州五十四郡

は本領安堵。又、正氏が二男厨子王を梅津が養子となし、重ねて厨子王に、上総の管領

を下さるる。」

人々は皆、はっとばかりに頭を垂れましたが、その時厨子王は、

「謹んで申し上げます。有り難の宣旨、もったいなく思いますが、思う所が有りますの

で、どうか、上総は申すに及ばず、陸奥にも召し替えて、丹後の国をお下しください。」

と、奏聞したのでした。これを聞いた帝は、

「そう望むのには、何か決意があると見える。では、陸奥、上総に加えて、丹後の国も与える。」

と、綸辞を下されたのでした。誠に有り難い取り計らいと感謝して、一同は御前を退出

しました。

 さて、白州の源六源五の首はその場で刎ねられ、重連は、土産として奥州まで連れて

いかれてから成敗されました。そして、厨子王はと言えば、そのまま国司として丹後の

国へ向かったのでした。

つづく


忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ⑧

2012年02月26日 16時55分29秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ⑧

 信心があれば福徳も又訪れ、有り難いことです。再会の誓いを立てた海に隔てられて

、北陸道から遠く離れた沖に佐渡島があります。母上は、この島に売られておりました。

労しいことに、明け暮れ姉弟の事だけを心配し焦がれていたので、とうとう両目を泣き

潰してしまいました。そのような浅ましい身体になってしまったので、粟の鳥を追う、

鳥追いの仕事をさせられ、千丈もある広い畑のあちらこちらを、よろよろと行き来して

は、鳴子の綱を引いては、泣き暮らしているのでした。

 そこへ、心も無い百姓の男と女が通りかかりました。

「おや、いつもの盲(めくら)が鳥追いに出ているぞ。なぶって、笑いものにしてやろう。」

と、近づくと、

「やあ、こりゃこりゃ盲。いつもの様に面白く、鳥を追って聞かせてみろ。恋しい人に

会わせてくれるぞ。」

と、からかい始めました。母上は、涙ながらに、

「ああ、恨めしや。何を言われようとも構わぬが、恋しい人のことを言われれば、心の

深い憂いが、またまた積もり重なって急き上げて来るわ。

ああ、安寿恋しやほうやれほう、

厨子王見たやほうやれほう、

鳥も心が有るならば、

追わずとも立て粟の鳥。」

と、鳴子の綱を引くのでした。百姓はさらに調子に乗って、

「やれやれ、おかしな事を言うものだ。我こそ、姉よ、弟よ。迎えに来ましたぞ。その

目を開けて、見てごらん。」

と、母上の手を取ってなぶるのでした。母上は、怒って、

「ええ、どうして、ここへ我が子が来るものか。またまた、通りがかりの賎共が、嘲弄

しに来たな。盲の打つ杖は、咎にはならぬぞ。ええ、こうしてくれる。」

と言うと、杖をめったやたらと振りまわすのでした。百姓達は、おお怖と、笑いながら

行ってしまいましたが、母上は悔しさに、一人杖を振り回し続けました。

 さて、由良の山椒太夫の館で、小八に助けられた安寿姫でしたが、三郎に受けた拷問

の為に足腰が立たなくなり、小八に介抱されなくては一歩も歩けなくなってしまいました。

それでも、母上が売られた先は、佐渡島であるという山角太夫の白状を頼りとして、な

んとか佐渡島に辿り着いたのでした。しかし、薬も無く、食べる物にも事欠き、その上

長い船旅がたたって、体力も気力ももう限界でした。小八は、安寿を休ませる場所を探

していましたが、辺りには何もありません。仕方なく道端の草の上に安寿を休ませることにしました。

「姫君様、しっかりしてください。ここは、母上がいらっしゃる佐渡島ですよ。これ

から母上を捜し、もうすぐ会うことができますぞ。お気を確かにお持ち下さい。」

と、励ましますが、やつれ果てた姫君の顔を見つめる外に出来ることもありません。よ

うやく安寿は、苦しい息の下で、

「おお、小八郎、頼もしいのう。私は、もうだめです。最期に水を飲ませてください。

お願いします。」

と、言うのでした。小八は余りに労しさに、

「はい、わかりました。幸い、今来た道に清水がありましたから、汲んで参りましょう。」

と言うと、急いで駆けて行きました。

 と、近くに安寿が居るとも知らない母上は、再び鳴子の綱を引き始めました。

「ほうやれほう、ああ、安寿恋しや、厨子王見たや、ほうやれほう、子供はどこに売られけん。」

その嘆きの声は、安寿姫の耳に届きました。それは忘れもしない母の声です。安寿は力

を振り絞って顔を上げると、そこに居るのは、恋しい母上の姿でした。どうやら目が見

えなくなって鳥追いをしているのだと見て取りました。安寿は必死に母を呼びました。

「のう、母上ではありませんか。」

と、立ち上がろうとしますが、激痛が走って立てません。なんとかして這い寄り、母の

所まで来ると、

「これ、母上様。安寿ですよ。」

と、裳裾にしがみつきましたが、母上は、またさっきの百姓どもが戻ってきて、悪さを

すると思い込んで、

「ええ、また最前のやつらが、からかいに来たのか。放せ、どけ。」

と、我が子とも知らずに、杖を振り回して、めった打ちに叩いてしまったのでした。哀

れにも安寿は、急所を打たれてぐったりと倒れました。

 そこへ水を汲みに行った小八が戻って来ましたが、この有様を見るなり駈け寄ってみ

れば、そこで、杖を振り回しているのは、御台様です。

「やあ、いったいどうしたことです。」

と、割って入り、

「これは、姉君、安寿様ですぞ。かく言うそれがしは、乳母姥竹の倅、宮城の小八。お

気は確かですか。」

と、小八は御台様を制しましたが、御台様の目が見えないことに気が付きました。

「ああ、なんという、御目が見えなくなったのですね。それにしても、姫君のお声が分

からなかったのですか、情けない。」

と、縋り付くと、ようやく母上は心付き、

「何、お前は姥竹が一子小八。やれ、今のは本当の安寿なのか。ああ、これは夢か現か。

我が娘はどこじゃ。」

と、叫びました。小八が安寿を抱き起こして、母上に抱かせました。

「のう、姉姫。この母のなれの果ての姿を見てくれよ。いつも、姉弟に会いたい見たい

と嘆くのを、里の百姓どもにからかわれ、今日もさっき、姉弟と偽る奴らが来たので、

わらわが心も分からずに憎たらしい奴らと、打ち払ったばかりの所へ、母上様と言う声。

てっきり、また最前の奴らが戻って来たと思って杖を振るったのじゃわい。それが、

本当の姫であったとは。なんという、悲しいことや。

 お前達に別れてより、恋しいゆかしいと泣き続けて、両目もこのように見えなくなっ

てしまった。我が子と知らずに叩いてしまったのも、この目が見えないばっかりに。

許してくれよ、安寿の姫。

 やあやあ、小八。なんということじゃ。姫の様態が悪い。大変じゃ。どこを打ったの

じゃ。」

と、母上は、安寿の手や顔をさすりますが、姫はぐったりしたまま答えません。母上は、

「ああ、愛しや。思わぬ憂き目に遭って、痩せ荒れ果てて骨ばかり。やれ小八、小袖は

無いか、暖めよ。これのう、安寿。顔が見たい。」

と、抱きついて嘆くのでした。最早、今際(いまわ)と見えた安寿の姫は、母上の嘆き

に、ようやく心付いて、最期の力を振り絞りました。

「ああ、有り難いお言葉をいただきました。わらわが命はそもそも覚悟のことですが、

母上様に会えないで死んだなら、黄泉の道の障りになります。只今、母上の御姿を拝む

ことができて、幸せです。

 邪険の太夫の手に渡って、姉弟共に死ぬところでしたが、弟の厨子王は身に替えて

落としました。その時、不思議と自らも小八に助けられここまで来ましたが、逆さまな

がら、ここで母上にお暇を申し上げます。自分が死ぬことよりも、母上様の両目が見え

なくなったことが悲しくて仕方ありません。

 頼むぞ小八、母様を。よろしく労って、都へ上り、厨子王丸に会いなさい。その時は、

由良の港の山路で別れた時が、今生の暇乞いであったと伝えて、回向するように言って

ください。 ああ、母上様、小八、さらばぞ南無阿弥陀・・・」

と、南無阿弥陀仏の声も弱々と消えて行きました。惜しいことに、花盛りの十五歳にし

て、安寿姫は息絶えたのでした。母上は尚も縋り付いて、

「ああ、安寿姫。ようやく会えたのに、母を捨てて何処に行く。やれ、小八。もう生き

ていても甲斐がない。殺してくれ、一緒に行かせてくれ。」

と、悶え叫ぶのでした。誠に哀れな次第です。小八も涙に暮れていましたが、

「その嘆きはごもっともですが、最早、姫君は帰りません。姫君は、女ながらもあっぱ

れ、男にも勝るお心ざしでした。この御心底を力となされ、亡き人の為に御回向してさ

しあげましょう。ところで、我が母、姥竹はどこに買い取られましたか。」

と、問うと、母上は、即答できずにしばらく黙ったままでしたが、やがて起きあがると、

「お前の母、姥竹も、一緒に売られて来たが、騙された悔しさに明け暮れ嘆く内に、病

となり、ついに空しくなられた。この胸に掛けてあるのは、姥竹が遺骨じゃわいのう。」

と、小八に渡したのでした。はあっとばかりに遺骨を顔に押し当てて泣きだし、

「こは、母様か。母様に会うことを力として、ここまでやっと辿り着いたのに、もう骨

仏になっておいでしたか。姫君も亡くなってしまいました。先に行ったのなら、冥途で

姫君をよろしくお頼み申します。南無阿弥陀仏。」

と、回向すると、涙ながらに小八は、姫君の死骸を背負い上げました。小八は、御台様

の手を引いて、墓場を探して歩き出しました。哀れともなかなか、思う任せぬ儚き憂き

世です。

つづく


忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ⑦

2012年02月26日 00時18分20秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ⑦

 危うい所を国分寺で助けられた厨子王は、姿を忍ぶため、また籠に入れられ、お聖に

背負われて都へ向かいました。

 さて、その頃、先の右大臣、梅津の義次(よしつぎ)公は、杖を突いて歩くような年

になってしまいましたが、男子の世継ぎがおらず、それだけが悩みの種でした。そこで

梅津は、世継ぎを授けてもらうために、七条朱雀権現(しゅじゃかごんげん:下京区七

条七本松東入る朱雀裏畑町)で百日の護摩行を行い、日夜、参詣を怠らず、今日がその

満願の日でした。

 そこへ、皮籠を背負ったお聖が、ようようやって来ました。権現堂の傍らに皮籠を降

ろすと、蓋を開けて、厨子王を出しました。

「如何に若君、さぞや辛かったことでしょうが、都に着きましたぞ。愚僧は、これにて

帰りますが、目出度く世に出る日を楽しみにしておりますぞ。それにしても人目を忍

ぶ道中、まともな食事もさせてあげられませんので、おやつれになられました。お待ち下さい。」

と言って寺内を見ると、なにやら別棟の御房が賑やかなので、近づいて、

「旅の貧僧ですが、斎の一飯を」

と乞いました。すると喝食(かつじき:食事当番)が、数々の仏供(ぶく)の品々を、

結構な器に盛り立てて持ってきました。

「今日は百日満座のご法事があります。その仏供ですので、どうぞ。」

と、お聖に渡しました。お聖は、報恩の回向をすると、早速に持ち帰って、厨子王と共

に食べ始めました。食べながら厨子王は、

「これは有り難い。助かります。思えば姉上を置いて来た物憂き丹後の国ではあるが、

また命の親のお聖様の国でもあれば、恋しい国もまた丹後の国です。この度のご恩報に

私のこの御本尊を、形見に受け取ってください。」

と、言いました。お聖は、

「いやいや、もったいない。この度は、聖が命を助けたのではありませぬ。ただ、この

御本尊のお陰ですぞ。これからも随分、信心されて、肌より離さず掛けていなさい。愚

僧に形見をくれたいというのなら、鬢(びん)の髪を少しいただきますか。」

と、答え、互いに形見を取り交わすと、聖は、さらばさらばと丹後へと帰って行きまし

た。

 さて、厨子王が、再びかの仏供のお椀を取り上げると、どこからとも無く白鳩が飛ん

できて、お椀を持った手に止まりました。厨子王はどうしたものかと、じっと鳩を見て

いましたが、ある事に気がつきました。

「はて、我が国へ勅使が入らした時、父上を無実の罪に沈めたのも、白鳩が飛んで来た

からだった。いったい、鳩というものは、この様に人の手に止まるものなのか。どうも

おかしい。」

と、考え込んでいる所へ、上総の管領重連が郎等である横沼源六と源五の二人が、鳩を

捜してやってきました。

「こりゃ、こりゃ、見つけたぞ。さてさて、ここに飛んできたのも道理。金の土器の

お仏供に降りておるわい。さても賢い奴。おい、その鳥をこちらへ返せ。」

と、鳩を取り上げようとしましたが、厨子王は、しっかりと抱き取って、

「いや、この鳩は、それがしが手飼いの鳩。なんの印があってお前の物だと言うのか。」

と、わざと偽ると、源六源五は、顔を見合わせて、

「さてさて、野太いことをほざくわっぱだな。忝なくもその鳥は、上総の管領重連様と

言う偉いお方の秘蔵の鳥じゃ。我々は、水をやろうとして、ふと取り逃がしたのだ。そ

の証拠には、自然の鳥は人を恐れるが、その鳥は金の土器で飼われてきたので、それそ

のように、お前が持っている器に止まったのだ。この盗人め、踏み殺してくれん。」

と言えば、厨子王少しも騒がず。

「何、上総の管領重連殿の御鳩と言うか、ひょっとして、この鳥を先年、奥州までご持

参されましたか。」

二人は聞いて、

「はて、妙な事を聞くものだ。なるほど、奥州岩城殿への勅使の折持参し、旦那の望み

を達したが、それがどうした。」

と、答えました。これを聞いた若君は、横手を打って、立ち上がると、

「さては企んで、父上を無実の咎に落とした悪人は重連であったか。そうとも知らず親

子兄弟引き分けられ、様々と憂き目を見ること、思えば思えば腹立たしい。おのれも敵(かたき)。」

と言うと、懐中の守り刀を抜くや否や鳩を刺し殺して、投げ捨てました。驚いた二人が、

取り押さえようとすると、さらに厨子王は大音を上げて、

「陸奥岩城の判官正氏が二男厨子王丸とは、我が事なり。父の讒者を知る上は、仇を報

ぜずにおくべきか。さあ、切れるなら切ってみろ。」

と、刀を振り回して立ち向かいました。二人の者も逃してなるものかと、迫ります。し

かし、大の男二人には叶いません。既に危うしという所に、梅津の兵が押し寄せて何の

苦も無く、二人の者を打ち倒し高手に縛りあげたのでした。そこに梅津公が姿を現しました。

「やれ、正氏の二男厨子王丸、珍しや。我こそそなたの祖父、梅津の右大臣であるぞ。

委細はあれにて見聞したので、助けたぞよ。して、母や安寿は何処に居る。先ずはこち

らへ来なさい。」

と、声を掛けられたのでした。厨子王はあまりの嬉しさに、はっとばかりに駈け寄って、

祖父を頼りにここまで来たこれまでの事どもを、涙ながらに語るのでした。梅津公は、

「さても不憫なことをした。我も、讒言の業を調べていたが、確たる証拠も無く、これ

まで、徒に時を過ごしてしまった。しかし、今の委細を見聞する上は、この二人を証拠

として、重連が悪事を帝へ奏聞申し上げて、正氏を呼び戻そう。そうして、岩城の家を

再興するのだ。もう安心して良いぞ厨子王丸。ところで、家の系図はどうてあるか。」

そこで、若君は謹んで懐中より系図の巻物を取り出すと、梅津公に渡しました。梅津公

は、これを開いて拝見すると、満足気に、

「これに過ぎたる証拠は無し。」

と言って、大変お喜びになりました。その時、覚源(かくげん)律師(りっし:僧)は、

「お殿様、この度の御立願(ごりゅうがん)は、御世継ぎの御願いでござります。しか

るに、今日、満座の日に当たって、誠に不思議のご対面は、金言(こんげん:仏の言葉)

の御納受です。御勧請が叶ったということでありますから、厨子王殿を、お世継ぎとな

されませ。いよいよお家はご繁盛となられることでしょう。

 さて、厨子王殿の母上のことですが、只今、「坎(かん)」の卦(け)に当たっており

ます。「坎」は北であり水を表します。どうやら、北の方の離れた島にいらっしゃる様

です。また、「坎中連(かんちゅうれん)」の卦でありますからお命には別状ございませ

ん。中の一本が連なっておりますので、やがて追いついて対面なされるでしょう。」

と、占われました。喜んだ梅津公は、早速に誰か使わして、母の行方を尋ねさせようと

言いました。しかし、厨子王は、自分で捜しに行かなければ不孝になると、暇乞いを申

し出たのでした。梅津公は尚さら感心して、

「神妙であるぞ厨子王丸。それでは、それがしは、帝へよろしく奏聞して、正氏を呼び

戻しておくから、そなたは、母を連れて帰れ。やれ、侍共、厨子王が供の用意をせよ。

証拠の二人は逃がすでないぞ、先に連れて行け。さて、覚源律師殿、百日満座の大願成

就のこと、誠に有り難し、又改めてゆっくりとお礼を致そう。」

と、礼儀を尽くして館へと戻られたのでした。

つづく


忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ⑥

2012年02月25日 22時00分09秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ⑥

 さて、太夫親子は、厨子王が山から帰って来ないのを怪しんで、姉が落としたに違い

無いと、安寿を呼びつけました。太夫は、

「やあ、おのれ、わっぱを何処へ落とした。正直に申せ。言わぬなら責めて問うぞ。」

と脅しました。安寿はさあらぬ体で、

「いや、私は露にも存じません。もしかしたら、山道に迷っているのかもしれません。

少し時間をいただければ、捜して参ります。」

と、答えました。太夫はこれを聞いて、

「やあ、おのれは、もう百にも届くこの太夫を騙す気か。愚か者め。それ、三郎、責めて問え。」

と、三郎に拷問を命じました。三郎は、安寿を取り伏せると、高手小手に縛り付け、庭

の古木に逆さまに吊り上げました。白状せよと、笞(むち)で散々に打ち叩き、目も当

てられぬ次第です。無惨なるかな安寿の姫は、打たれる笞のその下で、弟はもう落ち延

びたか、まだか。どうせ死ぬのなら、なんとか厨子王が落ち延びるまで、できるだけ時

間稼ぎをしなければと、それだけを思っておりました。しばらくして安寿は、

「ああ、苦しい。言いますので降ろしてください。」

と言いました。ようやく白状する気になったかと降ろされると、苦しい息をついて安寿

姫は、

「のう、如何に方々、今にも弟が帰ってきたら、姉は弟が遅いので殺されたのだと、こ

の有様を言ってくださいよ。ああ、恨めしの弟や。」

と言って、泣き崩れて見せました。太夫は怒り狂って、

「やあ、聞くことにも答えずに、役にも立たぬ無駄口を聞きよって。もっと責め立てよ。」

と怒鳴りました。しかし、三郎が、

「暫くお待ち下され。よく考えてみますと、あの童はまだ幼く、それ程遠くへ逃げたと

も思われませぬ。このようなしぶとい女に暇取っているよりも、皆で手分けして、捜し

出して召し捕りましょう。」

と、言いました。もっともということになって、安寿をそのまま残して、太夫一門は

一斉に館を飛び出て行きました。

 さて、かの宮城の小八は、山角太夫を召し連れて、人々の行方を捜しておりましたが、

ようやく姉弟が山椒太夫の館に居ることを突き止めて、丁度、館の様子を探りに来たと

ころでした。何とかして、姉弟の人々に会おうと中を覗いてみると、三の木戸の脇に、

縄に縛られた女が倒れているのが見えました。不思議に思ってよくよくみてみれば、そ

れは、安寿の姫です。小八は、はっと驚いて駈け寄りました。

「のう、姫君ではありませんか。」

と、その声に安寿は、苦しげに顔を上げました。

「やれ、小八か、珍しや。」

と言う間に、縄目を切り解くと、抱き起こして労れば、安寿は涙ながらに、これまでの

こと語り始めました。

「太夫一門は残らず、追っ手に掛かりましたが、厨子王は無事に落ち延びたでしょうか。

それだけが心配です。」

聞いて小八は、

「さてさて、労しや。御母上も我が母諸共に佐渡島とやらに売られたという。それもこ

れも皆、この悪人のため。ささ、ここでそれがしに会ったからは、何とかして御運をお

開きいたします。心をしっかりとお持ちください。」

と、様々に慰め申し上げたのでした。

 さて、それから小八は、姫君の代わりに山角の太夫を、古木に縛り付けると、

「おのれを、何処までも召し連れて行こうとは思ったが、今はもう足手まといとなった。

これにて、暇をとらする。」

と、いうなり首を打ち落としました。

「では、姫君、これより若君、御母上を尋ね捜し、必ず会わせてあげまする。先ずは

この場を去りましょう。」

と、姫君を肩に掛け、甲斐甲斐しく、館を後にしたのでした。

 これはさて置き、厨子王丸は、山中で既に追っ手が迫っていることを知り、必死に駆

け下りました。そして、ようやく里に下り国分寺に駆け込んだのでした。

「のう、お聖様。後より追っ手のかかる者、匿って(かくまって)下さい。」

折節、住職は、お勤めをしていましたが、

「やあ、汝のような幼いが、どうして追っ手に掛けられとおるのだ。子細を話しなさい。」

と、のんびりと言いました。

「のう、愚かな。命があっての物語。もうすぐ追っ手がここに来る。先の隠してください。」

と言うと、

「おお、誠に誤ったわい。」

と、眠蔵(めんぞう)より古い皮籠を運んで来て、若君をその中へ入れ、縦縄横縄を

しっかりと縛って、本堂の棟の垂木に吊り下げました。

 さて、お聖がまたいつもの通りにお勤めをしていると、今度は、太夫一門が、乱れ込

んで来ました。三郎は、

「のう、只今これへわっぱが一人逃げ込んだであろう。お出しあれ。」

と、罵る(ののしる)と、聖はわざととぼけて、

「ああ、何何。春の日の徒然に、斎(とき)の旦那に参れとあるか。」

と、耳の遠いふりをしました。三郎が、

「いや、そうでは無い。ここへ由良港の山椒太夫が内のわっぱが逃げ込んだから、出せ

と言っておるのだ。」

と、繰り返すと、

「はあ、それがしは、百日の別行の最中。わっぱやらかっぱやらは知らぬ。帰られよ。」

と、またとぼけて見せました。三郎は業を煮やして、

「ええ、憎っくきくそ坊主め、さらば寺中を捜させよ。」

と言うなり踏み込んで、隅から隅まで捜しまわりましたが、わっぱは見つかりません。

その時、太夫は、

「これ程までに捜して見つからないということは、聖の心の中に隠れているようだ。こ

の上は、身に余る誓文を立てるなら、それを花として我々も帰ってやろう。」

と、言いました。これには聖は困りました。わっぱを出せば殺生戒を破り、誓文立てれ

ば妄語戒を破る。どうすべきかと迷いましたが、破らば破れ妄語戒、殺生戒は破むまい

ぞと思い切り、只一筋に観念しました。

「如何に面々。望みに任せて大誓文を立て申す。」

 ※以下誓文の段は説経とほぼ同様に日本全国の寺社仏閣を羅列する。省略

「誓って、わっぱにおいては知らざるぞ。」

と、五体より汗をたらたらと流して立てた大誓文は、身の毛のよだつばかりです。太夫

はこれを聞いて、

「おお、殊勝なり、お聖よ。今より我々も旦那となりましょう。さて、帰るぞ。」

と引き下がりました。しかし三郎は、さっきから頭上の皮籠が気になっていました。

「いや、お待ち下され、それがし、面白い物を見つけました。それその上の古皮籠に

新しい縄が掛かっているのはおかしい。あれを降ろして開けて見せろ。」

と言いました。太郎、次郎は、

「やれ、三郎。どこの寺でも古経古仏をあのように天井に吊しておくものよ。最前の誓

文がある上は、誓文に免じて平に帰れ。」

と、たしなめましたが、三郎は言うことも聞かず、勝手に梯子を捜してくると皮籠の棟

に立てかけて、

「いでいで、方々、わっぱを出して見せん。」

と、駆け上がりました。そして皮籠の要(かなめ)の綱を引き、掛け縄を解こうとしました。

すると、その瞬間に、有り難や。地蔵菩薩はまばゆい光を放ち、突然に梯子がばらばらに

砕け散りました。あわれにも三郎は、縄に取りすがって宙づりです。下の人々は慌て

ふためき、梯子はもう無いかと騒ぎます。お聖は、良い気味じゃと、

「うちの梯子は、このほど京へ使いに出しました。」

と、とぼければ、人々は鞍掛けは無いかと、走り回り、

「はは、鞍掛けは、昨日、井戸へ身を投げたわい、可愛そうに。」

と、嘆く内にとうとう、三郎は、どうと落ちてしまいました。太夫親子は、腰を抜かし

ておめき叫ぶ三郎を肩に掛けると、ほうほうの体で由良の港に帰っていまいました。こ

の有様を笑わない者はありませんでした。

つづく


忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ⑤

2012年02月25日 18時04分16秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ⑤

 哀れ姉弟は、別れが辻までやってきました。姉弟はここで涙ならに別れて、姉は

浜へ、弟は山へと登って行くのでした。

 

 姉は、浜辺にやって来ましたが、ひと浪、ひと浪に立つ潮をどう汲んでよいものか見

当も付きません。悲しくなってまた泣き暮れていましたが、潮を汲んでいる海女人のや

り様を見ては、真似をして、涙ぐましくも潮を汲み始めました。やがて時刻も移り、外

の海女人達は、仕事を終えて館へと帰って行きます。置いて行かないで下さいと焦りな

がら、潮を汲んでいると、大きな波に桶も柄杓も押し流されてしまいました。ああ、な

んと言うことでしょう。いくら嘆いても戻って来ません。あまりの事に安寿姫は、もう

これまでと思い切り、小高い岩の上によじ登ると、そこから身投げをしようとしました。

その時、最後に残っていた伊勢の小萩は、安寿の様子を見て、慌てて走り寄って、抱き

止めました。泣き崩れた安寿は、小萩に桶も柄杓も流され、館へ帰れないと話しました。

話しを聞いた伊勢の小萩は、波間に漂う桶と柄杓を取り返して来ると、

「このような、仕事も、今日が始めてのことだから、間違いがあっても当たり前のこと

です。必ず、短気はやめにして、気長にご奉公するのです。とにかく、命が物種です。

さあさあ、一緒に潮を汲みましょう。」

と情け深くも言うと、共に潮を汲みなおし、連れだって館へと戻って行ったのでした。

 一方、海と山とに別れた弟は、只一人、友も無く、とほうに暮れて、只泣くより外に

はありません。するとそこに、里の人々が柴を担いで通りかかりました。すると、

「おや、このわっぱは、近頃山椒太夫の館に奉公する者だな。どうやら、柴の刈り方も

分からず、嘆いている様子。よりによって邪険な太夫に使われて、不運なことじゃ。

ひとつ、刈り方を教えてやろう。」

と、言って、鎌を取り直すと、これこう刈って、こう束ねよと、親切に教えてくれました。

しかし、いざその通りにやってはみるものの、そう簡単に行くものではありません。やがて、

人々はもどかしく思ったのか、

「おお、道理、道理、下職とはいえ、慣れぬうちはうまくできるものではない。しかし、

柴を刈らないで帰ったなら、邪険の太夫や三郎が打ち殺すとも限らない。さあ、皆の衆

で、柴勧進して取らせよう。」

ということになり、あっという間に三荷の柴を刈り寄せると、

「さあ、無惨なわっぱよ、これを何度かに分けて運んで行け。」

と、言い残して人々は、帰って行きました。丁度そこに現れたのは、山回りをしてきた

三郎でした。三郎は近づいて来ると、綺麗に刈り取られた三荷の柴を、不思議そうにじ

ろじろと見た後に、こう言いました。

「やあ、お前はさっき、柴の刈り方も分からないと言っておったが、なかなか、上手に

刈るではないか。これほどの腕前ならば、三荷や五荷は、遊び半分。明日からは、七荷

増して、十荷を刈れよ。それができなかったら、ぶっ殺すぞ。」

と、言い捨てて帰りました。

 厨子王丸は、これはとても叶わない、どうせ打ち殺されるならば、ここで自害して果

てようと思いましたが、

「いや、待てしばし。姉御に最期を知らせなければ、きっとお恨みあるに違い無い。」

と思い直し、そのまま山を下りました。すると、姉は、弟を迎えに山路まで来ていたのでした。

姉弟は走り寄ると、厨子王は、三郎の仕打ちを話しました。もう自害する外無いと泣き

崩れると、安寿は、

「おお、それは道理なり。私も、潮を汲もうとしましたが、うまくいかずに、身投げを

しようと思いました。しかし、お前に心を引かれて、又ここで会うことができました。

 今こそよい折節です。お前はこれより落ちなさい。」

と、再び弟に落ちるように説得を始めました。厨子王は、聞き入れようとはしません。

「その様なことを言ったから、焼き金を当てられたのですよ。落ちたければ、姉上が落

ちればいいでしょ。」

これを聞いた安寿は、とうとう怒り出し、

「何と、焼き金を当てられたのは、私のせいと言うのか。お前が、言った通りにすれば

こんなことにはならなかったのです。私の言うことが聞けないなら、今より姉と思うなよ。

弟あるとも思わない。後の世まで姉弟の縁は切りましたよ。」

と言い捨てて、帰り始めました。驚いた厨子王は、姉に縋り付いて、

「なんと短気な姉上でしょうか。落ちろと言うのならば、落ちましょう。勘当は許してください。」

と、言えば、安寿は涙を抑えて、

「おお、よしよし。嘆いていても仕方無い。ささ、暇乞いの盃をいたしましょう。」

と言うと、樫の葉を盃とし、雪を砕いて酒として、互いに盃を取り交わすのでした。

 安寿の姫は、肌の守りの地蔵菩薩を取り出すと、

「のう、厨子王丸、母上の仰せには、姉弟の身の上に自然大事のある時は、このご本尊

様が、身代わりとなってくれるとおっしゃっていました。これからは、これをお前が身

に付けなさい。しかし、これほどまでに憂き目に合いながら、どうして助けてくれない

のでしょうか。」

と、恨み事を言うのでした。ところが、その時、厨子王は姉の顔を見て、

「のう、姉上の額の焼き金の痕がありません。」

と、驚きました。安寿も厨子王の額に印が無いの見て取りました。姉弟が有り難やと、

地蔵菩薩を拝みますと、なんと地蔵菩薩が姉弟の焼き金を額に受けておられたのです。

はっと感じて姉弟は、随喜の涙を流して、感謝しました。安寿は、

「厨子王、この様な奇跡があるからは、いよいよ信じて落ち延びるのです。

これより、在所に下り寺を尋ね、出家に会って頼むのです。また、このような雪の道

では、靴を逆さに履き、杖を逆の持って、登るならば降るように見せるのですよ。さあ、

最早これまで、早く行きなさい。」

と言うと、厨子王は、

「名残惜しやの姉上様、互いに命があるならば、再び巡り会いましょう。」

と言い残して、行きつ戻りつ、振り返り振り返り、谷へと下って行ったのでした。安寿

は、後を見送って、一人つぶやくのでした。

「ああ、明日より後は、憂き事を、誰と話したものやら。恨めしい身のなれる果てじゃ。

定めし、太夫や三郎が、弟はどうしたと聞くに違いない。知らないと答えても通用は

しないだろうけれど、例え責め殺されても、絶対に白状はしない。」

と思い切ると、泣く泣く館へと戻りました。

 かの姉弟の別れの体

 只、世の中の

 物の哀れを留めたりとて

 皆、感ぜぬ者こそなかりけれ

つづく


忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ④

2012年02月25日 16時05分22秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ④

 頃は、十二月三十日。京丹後の国、由良の港には、山椒太夫という者がいました。今

年、八十七歳になります。山椒太夫の館では、大年を取る準備に大忙しです。ようやく

準備も整ったところで、太夫は、五人の子供達を集めて、

「まずは、今年も何事もうまく行き、無事に暮らしてこれたので満足じゃ。これという

のも、日頃より、下々にまで慈悲深く面倒をみてきたので、天道様からのお恵みに違い

無い。さて、そこで、最近やってき姉弟に、今日より役目を言い渡すこととする。すぐ

に連れて参れ。」

と、言いました。正氏の御子姉弟は、あちらこちらと売られ売られて、終に、山椒太夫

の館へ買い取られて来たのでした。しかし、姉弟は、父母が恋しくて泣いてばかりいま

した。太夫は姉弟がやって来ると、

「やあ、お前達は、何処の者で、名はなんと申す。」

と聞きました。安寿姫は、

「我々は遙か奥州の者ですが、姉は姉、弟は弟と呼び、定まる名前もありません。」

と答えました。そこで太夫は、

「はて、珍しい風習であるな。では、国郡(くにこおり)を申してみよ。」

と、言いました。安寿姫が、

「はい、所は、伊達の郡、信夫の里の者です。」

と、答えると、太夫は、

「むう、されば、その名を取って、姉は『しのぶ』、弟は、『忘れ草』と名付ける。姉の

しのぶは浜に下がり、潮を汲め。又弟の忘れ草は、山に登り日に三荷(が)の柴を刈れ。」

と、言って、鎌と負う子、桶と柄杓を姉弟に与えました。姉弟は、言葉も無く泣くばか

りです。これを見た太夫は怒って、

「ええ、初めて役を言いつけるのに、喜びもせず泣くばかり。やれ、三郎、今日は、年

の納めであるから、年明けて、正月の山始めより、折檻して召し使え。それにしても、

正月早々、このような泣き顔を見たくも無い。この姉弟を我らが居間より遠ざけて、

三の木戸の脇の藁屋(わらや)で年を取らせよ。早く連れて行け。」

と、髭を反り返して、怒鳴りつけました。遙かの門外の藁小屋に放り込まれた姉弟は、

寒さに震えながら、

「我らが国の習いには、忌み穢れのある者が別屋(べちや)に入れられることがあっても

何の穢れもない者をこのような別屋に押し込め、このような憂き目に合わせるとは、こ

れが、丹後の習いなのか。」

と、嘆き悲しみました。ろくに食事も与えられず、空しく日々を過ごし、やがて年も明

け、今は、正月六日となりました。姉君は、厨子王に、

「如何に厨子王。今朝ほど、山始めが一両日中のことであると聞きました。とは言って

も、我々には手慣れぬ仕事。どう頑張っても出来るものではありません。お前は、山に

行くならば、私に暇乞い等せずに、直ぐに山から逃げなさい。もし、世に出たならば、

私を迎えに来なさい。」

と、教えました。しかし、厨子王は、

「姉上様、今の世の中は、壁に耳有り、岩が物を申すと言いますぞ。このことが、太夫

の耳にでも入ったなら、どんな憂き目に合うかも知れません。落ちたいなら、姉上が落

ちなさい。」

と言って、聞きません。安寿は重ねて、説得をします。

「いや、そんなことを言うのでは無い。私は女であるから落ち延びても何の望みも無い。

お前は男なのですから、家の家系図をしっかりと守って、いつでも落ちられる様に覚悟

するのです。」

と、姉弟で言い争っている所を、なんと、事もあろうに三郎に立ち聞きされてしまった

のでした。驚いた三郎は、藁屋に跳んで入ると、姉弟を引っ立てて、父の前に連れて行

きました。

「父上、こやつらが、互いに落ちよ、落ちよと言い合っていましたので、召し連れました。」

と三郎が言うと、太夫は、目玉をむいて睨み付け、

「やあ、お前達を十七貫で買い取って、まだ少しも使わぬ内から、早、落ち支度をする

とは、何事ぞ。それそれ三郎。どこの浦に逃げていっても見間違わぬように、こいつら

が、額に焼き印を付けよ。」

と、三郎に命じました。三郎は、炭火をおこすと、鏃(やじり)を真っ赤に焼き、姫君

の黒髪を手にくるくるとひん巻くと、膝の下に押さえつけて、その額に焼き金を十文字

に押し当てました。厨子王は堪らず三郎に取りすがって、

「なんという、情けも無いことを。恨めしの三郎殿」

と、泣き叫びますが、三郎は、

「なにを、生意気な。お前も同罪じゃ。」

と、言うと、今度は厨子王の髪の毛をわしづかんで、無惨にも同じく焼き金を当てたのでした。

太夫は笑って、

「はは、お前らは、心より熱い目を見たな。よく分かっただろ。さあ、既に申し付けた

通りに、今から、姉は浜へ下れ、弟は山へ行け。ちょっとでも背くならば、今度は、叩

き殺すぞ。」

と、涙も情けも無い言い様です。姉弟は、どうすることも出来ず、姉は桶と柄杓を持ち、

弟は鎌と負い子を持って、泣く泣く館を後にしたのでした。

つづく


忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ③

2012年02月25日 12時14分17秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ③

 御台、安寿姫、厨子王、乳母の姥竹、そして小八の五人は、しばらく隠れて、月日を

送っておりましたが、無実の罪をなんとか晴らそうと、都へと旅立つことになりました。

慣れぬ旅路ではありますが、姥竹親子が、励まし杖となって、やがて、越後の国の直井

(直江津)の浦へと辿り着きました。ところが、足の弱い一行が、「扇の橋」に辿り付

いた頃には、もう日が暮れてしまいました。辺りには宿も人家もありません。そこに通

りかかった牛車の村人に宿を問うと、

「なに、宿か。それは、ここから山道を五、六里も行かなければ無いな。ここは、守護

様よりの御法度が厳しく、宿を貸すどころか、軒の下にも寝ることはできませんぞ。」

と、言って通り過ぎるのでした。一行は、仕方なく橋の上に、風呂敷を広げて、菅笠を

被って休むことにしました。姥竹親子は、変わり果てたこの有様に、

「ああ、如何なる過去の業にて、これほどまでに辛い目に遭うのでしょうか。おいとし

や。」

と、嘆き悲しんでいますと、夜半に所の夜回りが松明を立てて近づいてきました。橋の

上の人々を見つけるなり、何者かと咎めました。姥竹は、

「我々は、遙か東国の者ですが、故あって都へ上がる者。しかし、初めての旅で、道案

内も無く、日に行き暮れてしまい、ここで野宿となってしまいました。怪しい者ではあ

りませんので、どうぞお構いなく。」

と、言いました。夜回りの者どもが、よくよく見てみると女子供です。夜回りは、

「むう、申すことに偽りは無さそうだが、この辺りにはこの頃、盗賊どもが徘徊するに

よって詮議が厳しい。この川端を八丁行けば国境(くにざかい)である。今すぐ、そっ

ちへ立ち去れ」

と、きつく言い渡して去りました。

 この様子を窺っていたのは、人売りの大盗賊、山角の太夫でした。いつの間にか橋の

下に舟がつないであります。これは、良い商い物が居るわいと、舟から上がると、

「のう、方々は、命冥加なお人ですな。ここは、盗人原と呼ばれる所、今の様な夜回り

が毎度周りますが、その隙に往来の者を追い剥ぎして、大抵は、殺されてしまうんです

よ。そういう私は、夜回り衆の下役人。川吟味のため、これこの様に普段から舟におり

まする。見れば、女中子供衆の初旅(ういたび)さぞ難儀と見受けます。おいとしや。

明日は、私の親の忌日(きにち)ですから、報謝として、皆々様を舟に乗せて、一夜を

明かさせてあげましょう。心おきなく乗り給え。さあさあ、早く。」

と、誑し(たらし)込みました。人々は手を合わせて感謝をすると、舟に乗り込みぐっ

すりと眠りました。

 さて山角は、してやったりと、そろそろと舟を出しました。やがて舟は、河口から海

へと漕ぎ出ます。二艘の舟が見えてきました。山角が、

「やあ、それは、漁船か、仲間の舟か。これなるは、山角の太夫。」

と問うと、一艘は蝦夷の高八。一艘は佐渡の平次の舟でした。

「さては、山角の髭殿か。鳥は無いか。」

「おお、あるともあるとも。」

と、言うとすうっと舟を寄せました。山角は、向こうの舟に乗り移ると、小声でこう

言いました。

「鳥は五人おる。良きに売り分けよう。まず、佐渡の平次には、年寄りの女房二人。

蝦夷の高八には、若い姉弟二人買って行け。今ひとり、供の小僧がいるが、こいつは

鋭い面構えで、何処へ連れて行っても邪魔になろう。舟に乗り移る時に、海にたたき落

として魚の餌にしてやろう。値段は、いつもの通り五貫文。よいな。」

互いに指と指を打ち合わせて、確認をすると、それぞれの舟に戻りました。山角は、

人々を揺り起こすと、

「さて方々、朝までこの舟にと思っていたのですが、夜回りの衆より、御用の為、舟が

召されました。ここに仲間の舟がありますが、一艘では乗り切れませんので、乗り分け

ていただきます。そしてまたお休みください。」

と、また騙したのでした。辺りはまだ真っ暗で周りも良く見えません。一行は言われる

がままに、御台と姥竹が佐渡船に、安寿と厨子王が蝦夷船へと移りました。最後に小八が

乗り移ろうとした時、山角はいきなり小八の両足を払いました。これには小八もたまら

ず、海へざんぶと落ちました。もう、二艘の舟は北と南に離れて行きます。何事が起き

たかも分からぬまま、やれ子供はどこじゃ、のう母上と慌て騒ぎましたが、もうどうす

ることもできません。海に落とされた小八は、浮き上がって、

「口惜しや、謀られたか。」

と、初めて騙されたことに気がつきました。猛然と泳ぎ、山角の舟に取り付きます。山

角は、打ち殺してくれると、櫂を振り上げて叩きますが、さすがは小八。それをかいく

ぐって、舟に上がると山角の首を引っつかんで押し倒すと、小八は、

「おのれ、盗人めに騙されたとは、口惜しい。白状せねば踏み殺してやる。」

と、迫ると、山角は、佐渡と蝦夷に売ったことを白状しました。小八は、歯がみをして、

「ええ、是非も無し。せめて己を締め上げて、浦々、島々、を連れて回り、人々の行方

を捜してくれる。」

と言うと、小八は、山角を帆柱に括り(くくり)上げて、泣く泣く櫂を漕いで進んでは、

櫂で山角を叩いて鬱憤を晴らし、また漕いではして、やがて岸に漕ぎ着けたのでした。

つづく


忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ②

2012年02月24日 23時06分54秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ②

 岩城殿の館に勅使の御一行が到着しました。正氏は、かねて用意の美を尽くして、勅

使の到着を待っていました。やがて、大納言介兼卿、親敏、重連ら正使を始め、諸侍達

は、それぞれ、座敷に入られました。早速に、珍物珍果のもてなしの品々が並べられました。

さて、平蔵は、三宝に例の土器を載せて現れました。何も知らない勅使大納言は、土器

を取り上げて、平蔵の酌を受けました。とその時、庭に忍んでいた重連の家来が、鳩を

放ちました。鳩は、ばたばたと羽を打って、座敷目掛けて飛んで行き、そのまま勅使の

手に飛び乗りました。大納言が驚いて土器を三宝に戻すと、鳩も又、三宝に乗り移り、

まるで土器を守ってでもいるかのように見えました。満座の人々も突然のことに驚いて

騒然となりましたが、その時、重連は、わざとらしく顔をしかめて立ち上がると、

「あら、もったいなや、有り難や、君の君たる道は明かなるぞ。只今、勅使様が、正氏

の罪の虚実を窺おうとする所に、返って、勅使の命を奪おうとする企て、既に顕れまし

たぞ。浅ましや。如何に人々、これは、正氏が謀叛に違いない。証拠は、この毒酒であ

る。馳走顔で、勅使を始め我々を毒殺しようとする所を、有り難や、正八幡大菩薩が君

を守り、霊験を現し、救うことに疑いなし。鳩はこれ、八幡の使いである。勅使の手を

止め、今もあの様に盃を守るように居ることこそ奇特である。皆々、ご油断あるな。」

と言うや否や、金の土器を庭に向かって投げ捨てると、鳩もどこかへ飛んで行きました。

色めき立った勅使、親敏は、

「さても謀叛が露呈したか、最早、逃れられぬぞ、判官殿。配所は筑紫と決まっておる。

覚悟あれ。」

と、責め立てましたが、謀叛の心も無く、まして毒酒の覚えも無い正氏は、返す言葉も

無く、只呆れ果てて居るばかりです。しばらくして、正氏は手を付くと

「いやしくも、この正氏、五十四郡の大将を給わってよりこの方、魂は、朝家国家の為

に尽くし、身は、鳳闕(ほうけつ:王宮)の樹庭(じゅてい)に置こうと思いましたが、

如何なる因果か、病となりました。これ、ご覧下さい。この様に左の腕にでき物できて

しまったのです。」

と、肌脱いで見せ、

「この様な病人が、都でお役に付いても、役にも立たず、御在番を怠りましたが、いく

ら、世間が悪く言ったとしても、謀叛とは言いますまい。

 これは、私の武運の末とは思いますが、それにしても、毒酒とは納得が行きません。

如何に、平蔵、酌をしたのはお前だが、その酒を飲んでみよ。」

と、言いました。困った平蔵は、わざともじもじしていましたが、

「お主様の御意でありますから、畏まりました。これまでなり。」

と、言うと、銚子を傾けてぐっと飲み干しました。そして、あら苦しやと顔をしかめる

と、胸を押さえて悶絶しました。まったく迫真の演技です。これを見た正氏は、歯がみ

をして、

「いかなる者が意趣(いしゅ)を含んで、こんなことをするのか。運命尽きたり。

これまでなり。

 如何に、北の方、安寿姫、厨子王丸、委細は見聞きした通りである。言い訳をする

証拠も今は無し。召しに従って流され行くぞ。お前達は、先ずどこへでも落ち延びて、

時節を待って都へ上り、我が身の誤り無きことを、祖父の梅津殿をもって奏聞するのだ。

伝え聞く勾践(こうせん)も命があったればこそ、会稽の恥を濯ぐことができたのだぞ。」

(中国故事:敗戦の辱めを忘れるなの意)

と言えば、北の方を始めとして家来の人々は、正氏に縋り付いて、泣き沈みました。

やがて、正氏は、牢輿(ろうごし)に入れられて館を後にしました。

 主との別れに人々が、嘆き沈んでいる中で、倒れていた平蔵は、辺りの様子をきょろ

きょろと窺っておりましたが、そろそろ良いかと、そっと立ち上がると、こそこそと逃

げ出しました。それを見ていたのは、宮城の小八でした。小八は当年十六歳、乳母(め

のと)姥竹の一子で、軽く五人力の若者です。足の立った平蔵を見つけると、走り寄っ

てむんずと組み止めました。がっぷりに組んだ二人は、えいやえいやともみ合っていま

したが、やがて観念したのか、平蔵は腰の刀を抜くと、自分の腹に突き立てて、ううん

と呻いて仰け反りました。小八は、

「母上、母上、詮議の奴をとらえましたぞ。」

と、大声で呼ばわると、母の姥竹を始め、女中達が我も我もと駆けて来ました。姥竹は、

「これは、どうしたことか、最前死んだはずの平蔵が、どうしてまた。」

と、不思議がるので、小八が事の次第を説明しました。さらに小八は、平蔵白状せいと、

腹の刀をえぐり回すと、堪らず平蔵は、

「因果が報うのは我が身の欲故。正氏殿には咎は無い。これ、皆、企んだ、企んだ。」

と言い残し、反り返って息絶えてしまいました。姥竹親子は、なんとかして讒言者を聞

き出そうと、平蔵を引き起こしましたが、押し動かしても最早、時は遅し。そこへ、

平蔵の家来達が、主の敵となだれ込んで来ました。これを追い散らし、切りまくりつつ、

小八親子は、御台、安寿、厨子王を仮の隠れ家へと、逃がしたのでした。

つづく


忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ①

2012年02月24日 20時48分06秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ①

本編は、説経節では無いので、ここでは番外と位置づけるべきものではあるが、説経節が語った筋とは異なるもうひとつの「さんせうたゆう」として紹介することにする。

本編は、佐渡文弥人形芝居保存会が発行した「文弥節浄瑠璃集下巻」(非売品)に翻刻収録されており、山本角太夫(かくたゆう)の正本とする山本久兵衛板の底本によることが分かるが、その底本がどこの物なのか等については不明である。年代は、角太夫の活躍年代からして、延宝年間であることが推測される。角太夫は京都の浄瑠璃師であり、角太夫節と呼ばれ人気を博したと言われ、「しのだ妻」を得意とする等、説経ネタに熱心であったことが窺える。

 お釈迦様は、ブッタガヤの南、佉羅陀山(きゃらだせん)で、延命地蔵経をお説きに

なりました。一万二千の阿羅漢(あらかん)三万六千の菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)

が、お集まりになったその時、地蔵菩薩は、六輪の錫杖(しゃくじょう)を持ち、大地

より浮かび上がって来られ、心を込めて、八十六道の衆生を済度されたのでした。誠に

観自在の弘誓(ぐぜい)は海よりも広いとは言え、地蔵菩薩の深いお慈悲にはかなうも

のでは無いと、説かれたのです。

 ここに、本朝において丹後の国、金焼地蔵(かなやきじぞう)の尊い由来を尋ねて見

ますと、六十四代、天禄(970年)の天皇(円融天皇)が即位なされた頃のことです。

誠に賢い天皇であられましたので、政(まつりごと)は正しく行われ、臣下大臣は星の

ように連なり、天長地久(てんちょうちきゅう)の勢いです。国々の大名小名は、代わ

る代わるに内裏に詰めて、天皇をお守りし、太平の御代が保たれていましたので、まっ

たく有り難い御時世でした。

 さて、司召し(つかさめし)とは、国々の大名小名の官位と、出仕状況を記録する重

要な書類ですが、この目録をご覧になった関白道真公は、奥州五十四郡の大将、岩城の

判官正氏の名が無いことに気がつきました。道真公が、担当の役人に問い質しますと、

「ご不審の正氏殿ですが、ご病気との訴えにて、御出仕無く、この度の目録には、載せ

ることはできません。」

との答えです。道真公がこの件を奏聞なされますと、その処遇について、帝も迷われて

いるようでした。

 さて、ここに上総の国の管領である重連(しげつら)という者、岩城の判官正氏とは、

同族の者でありながら、常々、奥州の大将である正氏の威勢を妬み、その性格も我が儘

でありました。重連は、今の詮議こそ、正氏を陥れる絶好の機会と、はばかりも無く、

御前にまかり出ました。

「申し上げます。岩城の判官正氏は、それがしの一族ではありますが、我が君のご不審

には変えられず、言上いたします。

 正氏は、奥州の大将を給わりしよりこの方、謀叛の企てがあります。日の本の将軍と

自らを号して、近国の武士を集めて、軍評定(いくさしょうじょう)をしております。

それで、病気と偽って引きこもり、都へ出仕もしないのです。この重連にも仲間に入る

ようにと言って来ましたが、これまで黙殺をして内々の事として参りましたが、今日の

御評定に至っては、最早、一家の咎(とが)を白状するのが忠臣の道と考えました。」

と、白々しくも忠臣面(つら)をして、怖ろしい讒言(ざんげん)をしたのでした。

 これを受けての詮議の結果は、二条大納言介兼(すけかね)卿を勅使とする調査団を

急遽、奥州に向かわせ、朝敵であると判明したなら、召し捕って筑紫に流し、もし、刃

向かうならば、誅伐(ちゅうばつ)せよというものでした。 この調査団には、武臣の

大将として武蔵の郡司親敏(ちかとし)が命ぜられ、さらに管領重連には、案内役が命

ぜられました。こうして、調査団一行が奥州へと向かうことになりました。

 さて、案内役の重連は、奥州へ到着する前に密かに、内通者である正氏の家来に使者

を送りました。それは白川平蔵時村と言う者でした。知らせを受けた平蔵は、驚いて

重連の元へと急行しました。平蔵がやって来ると、重連は、

「さて、貴殿に見せる物がある。」

と言うと、都より持参した箱を取り寄せて、開けて見せました。その中には、白い鳩が

一羽おり、金色の土器(かわらけ)に餌が入れてありました。すると、重連は、供の家

来を遠ざけて、平蔵に小声で、

「内々、貴殿と打ち合わせておいた通り、正氏の病気を作病に偽って、様々讒言をした

ので、虚実を確かめ、流罪させよとの宣旨。勅使大納言殿は、追っ付けご到着される。

しかし、謀叛の証拠があるわけでは無い。そこで、思案を巡らし、この鳥を隠し持って

来たのだ。

 つまり、こういうことだ。勅使が到着すれば、正氏は、勅使に土器を差し上げて

九献(くこん)をされるだろう。その時、おぬしは、給仕をして、その土器を、この

金の土器と取り替えて三宝に載せて出すのだ。よいか、この鳩は、生まれてよりこの方、

この金の土器以外の器で餌を食べたことは無いので、この土器を良く覚えておる。勅使

が、土器を取り上げた時に、庭木の陰より家来に鳩を放させるのじゃ。すると、鳩は、

この金の土器を見て、餌と思ってひと飛びに勅使の手に飛び付くだろう。そうなれば、

人々は、怪しいことが起こったと思うに違い無い。後は、それがしが、うまいこと言っ

て、正氏を謀叛の罪に陥れるというわけだ。後の約束は、半分ずつの取り分ぞ。どうじゃ。」

と、不道(ぶどう)の密談をするのでした。悪の平蔵は、分かった分かったと頷いて、

「これぞ、究境(くっきょう)の企て、お任せください。」

と言うと、金の土器を手に取ってみました。すると、鳩もさっと拳(こぶし)に止まり

ました。さらに、土器を懐にしまうと、嘴(くちばし)でつつき、懐中にまで嘴を入れてきます。

よくも、ここまで飼い慣らしたものです。

つづく


もうひとつの「さんせうたゆう」

2012年02月24日 10時05分03秒 | 調査・研究・紀行

 佐渡に渡った時に、不思議に思ったことは、安寿の墓とされる「安寿塚」があることである。佐渡の安寿塚は、安寿姫の慰霊塔であり墓でもあるという。

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左:外海府の海を望む鹿の浦の安寿塚  右:畑野の市街地にある安寿塚

 説経節の山椒太夫は、与七郎正本(年代不明)、七太夫正本(明暦)、山本久兵衛板(寛文)、七太夫豊孝正本(正徳)等の比較的多くの版本が残っている。それだけ、人気があったのだろう。

 さて、これらの説経節山椒大夫では、安寿の姫は、売られた先の由良山椒太夫の館で、三郎の拷問によって殺されてしまう。このストーリーはどの説経にも共通していて例外が無い。いったい、佐渡に渡ったとされる安寿はどこに居るのだろうか。安寿が佐渡に渡ったとする話しと出会えないまま、長年不思議に思っていたが、ようやく、安寿が佐渡に渡ったという記述に出会うことができた。

 「文弥節浄瑠璃集」という本の下巻には、佐渡文弥人形で演じられる「山椒太夫」が収録されている。山本角太夫正本(山本久兵衛板:延宝頃)とあるので、分類上は浄瑠璃に属する。調べて見ると、この角太夫という方は、浄瑠璃者ではあるが、仏教ネタが好みで、説経物を得意としたらしい。近松と同年代にもまだ、そういう太夫もいたのかと、妙に感心した。しかし、この「文弥節浄瑠璃集」に掲載されている浄瑠璃が本当に角太夫の作なのか、多少疑問が残る。まず他の角太夫板と異なっている。また「佐渡が島人形ばなし」(佐々木義栄著)によると、北村宗演が所持していた嘉永五年に書かれた写本が底本になっている可能性が大きいが、この本がどのような写本であったのか不明なのである。

佐渡の文弥節で語れる角太夫山椒大夫のあらすじを紹介する。

 岩城の判官正氏が、筑紫に流罪となる発端は、説経と同じであるが、ライバルの讒言と計略によって陥れられるという、浄瑠璃的な書き出しとなっている。最後に厨子王を助ける梅津の院は、厨子王の祖父として設定されていて、父が流罪された後、御台と兄弟は都の梅津の院を、頼ることになる。供は姥竹とその子小八。一行五名が、越後直江津で、人買いに騙されるのは説経と同じであるが、そこから小八がさまざま活躍して武勇を奮うところが、浄瑠璃的な筋で面白い。しかし、結果的には、御台と姥竹は佐渡に売られ、安寿、厨子王兄弟は、山椒大夫の所に売られて来る。小八は、海に落とされてしまうが、なんとか人売り山角太夫を捕虜として、兄弟の行方を捜索する。

 山椒太夫の所で、兄弟が苦しみを受け、安寿が厨子王を逃がすのは、説経と同じ。説経では、厨子王を逃がしたことで拷問を受けた安寿が、殺されてしまうが、ここでは、小八がようやく追いついて、安寿を助ける。厨子王は山椒太夫の追っ手を国分寺のお聖の助けや地蔵菩薩の功徳によって振り切り、やがて都へ辿り着く。

厨子王は、梅津の院と会い、養子となるが、父正氏を陥れた計略を劇的に暴くのも浄瑠璃的で面白い。

 一方、小八に助けられた安寿は、小八と共に、佐渡島に流された母を尋ね、再会を果たすが、残念なことに安寿は母に抱かれて絶命してしまう。野辺の送りを済ませた頃に、ようやく厨子王丸が母を尋ねて佐渡に渡って来る。厨子王は、母と再会し、姉の死を知り悲しむが、地蔵菩薩の功徳によって失明していた母の目を治す。

その後、厨子王達は都へ戻り、本領安堵され、山椒太夫と三郎の首を竹鋸で引き切るというのは、説経と同じ結末である。

 佐渡の安寿は、この浄瑠璃によって存在していたのだ。佐渡の文弥人形はこの話しを語り継いで来たのである。これで、納得が行った。ところで、この山椒太夫は、佐渡ではあまり人気が無かったらしい。どうやら、金平物(ちゃんばら物)の方が人気で、一度途絶えたという。現在残っている文弥節山椒大夫は、北村宗演師が、節付けして復活させたという記録がある。

現在この浄瑠璃の内、鳴子曳き・母子対面の場を猿八座で演ずるための準備を進めている。猿八節のレパートリーが増えそうである。


新浄瑠璃「猿八節」の誕生

2012年02月21日 10時10分53秒 | 調査・研究・紀行

 昨年10月の記事で書いたように、約400年前の説経節、また古浄瑠璃ともhttp://blog.goo.ne.jp/wata8tayu/d/20111017

オーバーラップする部分もあるが、それらの章句を、無理なく語れるような「節」を

模索して研究を重ねて来た。

 新しい「節」は、自分が身に付けた薩摩派説経祭文の節と、佐渡文弥節のそ

れぞれの良いところを活用すると共に、新たな作曲も交えている。猿八座の活動

の中で生まれてきたこの新しい浄瑠璃を「猿八節」と呼ぶことにする。

 ご存じの方は、気が付いていたかもしれないが、文弥節は、本調子で演奏さ

れており、一方、祭文は二上り説経と言われるように、調弦法が異なっている。

調弦法が異なると一般には、曲調が変わってしまう。また、曲の中に変調を入れ

ることは、長唄等でしばしば見られる作曲法であるが、その都度、調弦を繰り返

さなければならず、連続性は断たれる。また、調弦の異なる曲をそのままに取り

込もうとすると、演奏上、不自然な運指を強いられることにもなる。どうしたら、こ

の二つの節のいいとこ取りができるのだろうか。

 そこで、文弥節を先ず徹底的にコピーしてみることにした。

しかし、私は、文弥節をコピーしながら、奇妙なことに気がついた。それは、文弥

節の手が、ほとんど1の糸にさわらないということである。そして、問題なのは、

大変低い音程で調弦することである。

 やや専門的になるが、本調子の調弦で、2の糸と3の糸の関係は、二上がりの

1の糸と2の糸の関係と同じである。つまり、本調子の調弦をしても、2の糸と3

の糸しか使わないのであれば、二上がりで弾いていることと変わり無いことにな

るのである。しかも、文弥節が大変低い音程で調弦するのは、基底音(一番下

の音)が2の糸になっている為であることも分かった。

 最初に文弥節を聞いた時に、本調子に聞こえなかった原因は、どうやらここ

にあるようだと気がついた私は、次に、これを二上がりに置き換える作業を行

ってみた。すると、二つの「節」の使用音域はぴたりと重なったのである。しか

も、祭文の節と文弥の節は、互いに相性が良く、無理のない連続性が保たれ

ることが分かった。こうして、新浄瑠璃は、二上がりで節付けをすることになった。

 新浄瑠璃の試作は、先ず「阿弥陀胸割」で行った。早速に人形を付けてみる

実験をしてもらったが、特に大きな問題もなさそうである。特に、テンポを必要

とする所は、文弥調で運び、説明的章句を祭文調で運ぶことで、めりはりをつ

けることが出来るようになったように思われる。まだまだ、研究の余地は残さ

れているが、当初の目標のひとつが形となってきた。

さて、この「猿八節」のデビューであるが、、「阿弥陀胸割」は、芝居自体がまっ

たくの新作なので、まだ公開の目途は立ってはいない。そこで、これまで、祭

文の節で語ってきた。「御物絵巻をくり車引きの段」を猿八節に書きかえてみ

た。又、改めてご案内いたしますが、6月に予定されている伝統人形芝居(八

王子)で演ずる、この「をくり」がデビューになりそうである。その節はまた、私

が猿八座の「八太夫」として語る最初の舞台でもあります。


忘れ去られた物語たち 8 説経目連記 ⑥

2012年02月08日 23時59分31秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

目連記(八文字屋八左衛門板)⑥

 さるほどに、目連尊者は、獄卒共を打ち連れて、八大地獄へと急ぎましたが、地獄と

言っても様々です。目連は、

「いったい、あそこにも、ここにも地獄がありますが、どれがどれなのですか、教えて下さい。」

と、言いました。獄卒が答えるには、

「それでは、一百三十六地獄を残らず教えてあげましょう。これは無間地獄、あれは石

女(うまず)地獄、修羅道、餓鬼道、畜生道。地獄の数は語れど語れど尽きません。中

でも、餓鬼道の苦しみとは、飯を食べようとすれば猛火となって燃え上がるのです。」

目連はこれをご覧になって、

「さても不憫の次第である。我、娑婆世界へ帰ったなら、釈尊を頼み、御法(みのり)

の経を読誦し、母諸共に救い上げよう。」

とお思いになりました。そうして、様々な地獄を見ながらようやく八大地獄にお着きになりました。

 この地獄の高さは、鳳凰の翼を以てしても越えることは出来ず、その広さは限りがありません。

そして、湯の煮えたぎる音は、幾千万の大きな岩を落とすようなものです。獄卒は、目

連に、

「これより扉を開きます、中より出てくる猛火で、焼けないようにしてください。」

と言いました。目連は、

「私は、無相神通の空体であるので、どうして焼けることなどありましょうか。」

と答えると、獄卒共は、ごもっともと思い、扉を開きました。すると、熱鉄の火炎が外

に向かって飛び出てきました。目連尊者は、構いもせずに火炎に中に飛び込むと、なん

でもありません。しかし、少しだけ衣が焼けました。これは衣を織った母上の娑婆での

執心が燃え落ちたのでした。

 そうこうしていると、獄卒が鉾(ほこ)の先に目連の母親を突き刺して、目連尊者の

前に献げました。驚いた目連は、さながら夢の心地で母上に取り付き、

「母上様、母上様、親子は一世の契りとは言いますが、私は神通の力をもって、ここま

で来たのですよ。」

と叫びましたが、母上は、かすかなる声でこう答えました。

「のう、娑婆の我が子が、ここまで来たのですか。ああ、儚いことです。私は、自分の

後世がどうなるのかも知らずに、人の命を滅ぼし、宝と言えば奪い取り、これらの罪科

によって、このような地獄の苦しみを受けるのです。ああ、苦しや、助けてください。」

と、哀れに嘆く有様を見た目連は、

「母上、この地獄の苦しみは、如何なる供養で免れるのですか。」

と聞きました。母上は、

「法華経を。」

と言いましたが、その時、獄卒は怒って、

「ええい、この地獄では、刹那の暇も許されぬのじゃぞ。さあさあ、いつまで休んでお

るか。」

と言うなり、母上を掻い摘むと、火炎の中へ投げ入れてしまいました。今しばらくとい

う目連の願いは聞き届けられませんでした。

 目連尊者は、一刻も早く娑婆へ戻り、供養をしなければならないと思い、閻魔王の所

へ戻ると暇乞いをしました。閻魔大王は、それそれと払子を振り上げると、目連尊者目

掛けて、はっしと打ち下ろしました。するとどうでしょう、目連尊者の魂は、たちまち

娑婆の身体に戻ったのでした。

 三月二十五日の冥途へ行った目連尊者は、四月八日の寅の刻にこの世に蘇って来たの

でした。これを見ていた千人の弟子達は、大変驚いて、皆尊者の回りに走りよりました。

そして生き返った目連尊者は、冥途の様子を詳しく語って聞かせたのでした。それより、

目連は、釈尊の御前へ出ると、どうしたら母が成仏できるのかを問いました。釈尊は、

こう答えました。

「七月十五日に当たって、十丈に床を祓い清め、百味の飲食(おんじき)を供えて、

万灯籠を灯し、施餓鬼を行いなさい。そして法華経を転読すれば、速やかに地獄の苦し

みから逃れて成仏するでしょう。」

 目連尊者は、釈尊の教えに任せ、七月十五日に床を飾り、百味の供物を供えて、万灯

籠を灯し、法華経を読みました。そして、過去の精霊(しょうりょう)七世の父母に至

まで供養されたのでした。まったく有り難いことです。こうして、十悪五逆の罪人達は、

地獄の苦しみを免れ、我も我も地獄から這い出てきました。また、母上はこの供養によ

って、たちまち仏となられました。さらに一切衆生、その外鳥類、畜類に至まで、皆々

極楽へと成仏したのでした。

 施餓鬼ということは、この時から始まったのです。末世の戒めもまた同じです。

上古も今も末代も、例(ためし)少なき次第とて

貴賤上下おしなべて

感ぜぬ者はなかりけり

おわり

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