猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 1 説経阿弥陀胸割

2011年10月20日 09時55分29秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

あみだのむねわり その1 

 昔から今に至るまで、天竺には、「胸割阿弥陀」という、それはそれは尊い仏様がいらっしゃいます。この仏様の由来を、詳しく尋ねてみますと、誠に哀れを誘うお話が伝わっております。

 天竺には十六の大国、五百の中国、十千の小国があり、それより小さい国々は、粟を散らしたように数えきれません。その中でも一番大きな国は、ビシャリ国という国でした。このビシャリ国のエンラ郡カタヒンラ村には、大変豊かな「かんし兵衛」という長者がおりました。この長者の栄華を支えていたのは、七つの宝でした。

 一番目の宝には、黄金の山が九つ。二番目には白銀の湧く山が七つ。三つには、悪魔を祓う二振りの剣、四つには音羽の松。数々の宝の中でも、この音羽の松は、大変不思議な松で、この松の松風に吹かれると、八十九十の老人も、たちまち若返ってしまうという、不老不死の松であったので、長者はこの松を秘宝として大切にしていた。またその外、夢が叶うという、邯鄲(かんたん)の枕、泉の壺、麝香(じゃこう)の犬といった宝も持っていました。

 この長者は、子宝にも恵まれました。姉が「天寿」の姫といい、七歳になるそれは美しい姫でした。弟は「ていれい」といい、五歳になる賢い若でした。長者は、何不自由なく、欠ける物もなく暮らしておりましたが、ある日、妻に向かって、こんなことを言いました。

「人々が、来世の幸せを願うというのも、転生して弥勒菩薩の出現に出合うことを願ってのことだが、我々は、あの音羽の松さえあれば、年をとったら吹かれては若返り、末代末世に至まで、死ぬということは無い。しかし、死なないというのも退屈なものだ。この世の思い出に、悪を尽くして遊ぼうではないか。」

 それからというもの、長者の人々は、堂塔伽藍に火をかけて焼き払ったり、大河小河の橋を引き倒しては面白がり、船を沈めては喜んだりと、悪行の限りを尽くしたので、人々は、かんし兵衛のことを、慳貪(けんどん)長者と呼ぶようになりました。

 その頃、お釈迦様は、霊鷲山(りょうじゅせん)において、尊い仏法を説いておられましたが、かんし兵衛の悪行をご覧になり、

「浅ましいことである。人は皆、善といえば遠のき、悪といえば近づくのに、この国にかんし兵衛を放置しておけば、国中の人々が皆、魔道に落ちてしまう。かんし兵衛を退治しなけばならない。」

とお思いになり、第六天の魔王達呼び出し、かんし兵衛成敗に向かわせました。

 第六天の魔王達は、直ちに長者の館に乱れ入りますが、長者の軍勢が、悪魔を祓う剣をぶんぶんと振り回すので、さすがの魔王達も手も足も出ずに逃げ帰りました。そこで、お釈迦様は、九万八千の厄神達にも応援を頼みましたが、厄神といえども、例の剣に敵うものではありません。そこで、とうとう、冥途に応援を頼むこととなり、冥途から牛頭(ごづ)、馬頭(めづ)、阿傍羅刹(あぼうらせつ)を呼び出し、大挙して再び長者の館に攻め入りました。長者の軍勢は、再び悪魔を祓う剣を振り回すので、魔王も厄神達も遠巻きにするところ、無間地獄の鍾馗(しょうき)という阿傍羅刹が飛び出し、悪魔を祓う剣に向かって火炎をゴウゴウと吹きかけました。さすがはあらゆる物を焼き尽くす無間地獄の火炎です。たちまちに例の剣を溶かしてしまいました。悪魔を祓う剣が無ければ、向かうところ敵無し、長者の軍勢・下人に至まで三千七百余人は、あっという間にことごとく成敗されてしまいました。最後に、長者夫婦は、簡単には殺さないとばかりに、熱鉄を湯のごとくに沸かしました。その熱鉄を長者夫婦の口の中に流し込み、五臓六腑を焼き払らいました。悪行を尽くした長者夫婦が地獄へと落ちたことは言うまでもありません。

 成敗を終えた魔王・厄神達は、お釈迦様にこう報告しました。

「長者夫婦をは難なく退治仕って候、されども、兄弟の子供をば、未だ助け置きしが如何か?」

お釈迦様は、これを聞いて、

「この兄弟をば助けおけ。」とおっしゃいました。

つづく

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