猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

猿八座 4月公演 佐渡・新潟 

2013年04月22日 20時39分18秒 | 公演記録

 東京の桜が散った頃、佐渡の桜は満開でした。真野公園の桜も美しかったですが、佐渡一周
45号線の前浜海岸沿いは、海と桜のコントラストに驚きました。そんな春の佐渡では、4月15
日はどこも、春祭りで賑わいます。新保八幡宮の新保祭りもそのひとつです。鬼太鼓が舞い踊
る賑やかなお祭りですが、その隣にある大慶寺では、門前市が開かれ、郷土芸能鑑賞会が催
されます。今回は、猿八座が、山椒太夫鳴子引き親子対面の段を演じました。

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4月20日には、新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあにおいて開催されたAMJ(アートミックスジャパン)に出演しました。演目は同じ、山椒太夫でしたが、能舞台という特殊な舞台でしたので、
書き割りを使わない等、演出を工夫しました。また、腰幕の前にできてしまう空白を水色の布で
覆い、佐渡の海を感じてもらおうと考えました。如何だったでしょうか。

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猿八座の公演予定は、今のところ、9月までありません。また、近づきましたらお知らせいたします。

なお、真明座の「文弥人形」は、新潟県長岡市の「新潟県立歴史博物館」で、7月7日(日)に上
演が予定されています。


忘れ去られた物語たち 19 説経梵天国 ⑥終

2013年04月10日 21時04分45秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ぼん天こく ⑥終

羅仙国は、人が住む国ではないので、通りかかる者もありません。中納言はたった一

人で、話しかける相手もありません。たまに聞こえてくるのは、浜の千鳥が友を呼ぶ声

だけです。州崎に寄せてくる浪の音があまりにも凄いので、中納言は、漢竹の横笛を取

り出すと、音も澄みやかに吹き始めました。

 鬼の大王である破羅門王は、この中納言の笛の音を遠音に聞きつけて、

「なにやら、浜辺の方から、良い笛の音が聞こえてくるが、いったに何者か。連れて参れ。」

と言いました。眷属どもが、浜辺に出てみると、修行者が笛を吹いています。いきなり

取って押さえると、中納言を破羅門王の前へと引き据えました。破羅門王は、

「如何に、修行者。この国は、三界を隔て、人が来るような国ではないのに、どうやっ

てやって来たのだ。」

と、言いました。中納言は、大王の姿を見ると、

『南無三宝。これは、梵天国から逃げ出した罪人に違い無い。ここで、日本の者と言っ

ては、まずいな。』

と、考えて、

「私は、遙か数万里も離れた契丹国(けいたんこく:モンゴル)の者です。仏法修行に

出ましたが、悪風に流されて、ここに流れ着きました。どうか、哀れと思し召し、御慈

悲を下さい。」

と、答えました。大王は、しばらく中納言をしげしげと眺めると、

「お前の姿を、よくよく見ると、梵天国の婿となった中納言に良く似ておるな。お前は、

嘘を言っているのではないか。」

と、言うのでした。中納言は、にこにこと笑いながら、

「このような賤しい修行者を、比べようも無い、梵天国の婿とご一緒になされるのですか。

私は、五戒を守る僧ですから、一念五百生、懸念無量劫。梵天王の姫宮など、目に見る

ことすら、禁じております。」

と、答えました。すると、大王はこう言いました。

「それであるならば、苦しゅうない。実は、頼みがあるのだが、先ほど吹いていた横笛

とやらを、ちょっと聞かせてもらいたい。」

中納言は、早速に腰から漢竹の横笛を取り出すと、女子が男子を恋いし、男子が女子を

偲ぶ曲である、想夫連(そうふれん)という曲を、半時余り吹いたのでした。あまりに

素晴らしい笛の音であったので、大王を始め、鬼の眷属どもも皆、聞き惚れたのでした。

その笛の音は、御簾の内にいた天女御前にも聞こえてきました。天女御前は驚いて、

「おや、いったいどういうことでしょう。この笛の音は、妾が夫の中納言の笛。夫は、

ここに、どうやって来たのでしょうか。」

と、気もそぞろに、懐かしさの余り、声も上げずに忍び泣くのでした。その様子を見て

いた女房で、蛇骨の夜叉女という、心の獰猛な女は、

「姫君、あの修行者が吹くものを聞いて、涙をお流しになるとは、いったいどういこことです。」

と、言うのでした。天女御前は、これを聞いて、

「あなた方は、知らないであろうが、あれは、私が梵天国に居た時に、いつも吹いてい

た横笛というものなのですよ。久しぶりの笛の音に、故郷のことが懐かしくなって涙が

こぼれました。」

と、ごまかすのでした。

 そんな折、破羅門王の所へ、隣国からの使者が訪ねて来ました。それは、隣国で起こ

っていた戦争の応援の依頼でした。やがて、破羅門王は、天女御前の所にやってきて、

「如何に姫君。隣国に合戦があり、三日の間、加勢に行って来る。すぐに帰るが、寂し

くなったなら、あの修行者に横笛とやらを吹いてもらうがよい。」

と言うと、出陣して行きました。さて、中納言も天女御前も、互いにそれと分かったも

のの、うかうかと近寄るわけには行きません。しかし、破羅門王が帰らぬ内に、なんと

かしなくてはなりません。そこで、天女御前は、酒宴を催すことにしたのでした。夜に

なると、女房達を集めて酒宴を開き、中納言には、隣の部屋で笛を吹かせました。自ら

酌に回って、酒を勧めました。やがて、夜叉女を始め女房共は、酔いつぶれてしまいま

した。時分を見計らって、天女御前は、抜け出すと、中納言の所へ行きました。こうし

て、ようやく二人は、再会を果たしたのでした。二人は、互いの袖にすがりついて、言

葉もありません。しかし、いつまでもそうしては、いられません。天女御前は、

「早く、葦原国へ帰りましょう。」

と言いました。しかし、中納言は、こう言うのでした。

「しい、声が高い。この島は、三界から隔たった島。私には帰る手立てが分かりません。」

これを聞いた天女御前は、

「それでは、鬼が秘蔵している千里を駆ける車を奪いましょう。」

と言うと、中納言を連れて車に乗り込んだのでした。そうして二人は、あっという間に

葦原国へと帰ることができたのでした。

 やがて、夜叉女は、笛の音が聞こえないことに気がついて、かっぱと起きあがってみ

ると、天女御前も修行者も姿が見えません。驚いた夜叉女は、万里に響き渡る合図の

太鼓を叩いて、破羅門王に異変を伝えました。これを聞いた破羅門王は、何事かと、急

ぎ帰国しますと、姫君がおりません。

「さては、あの修行者めは、やはり中納言であったか。刹那に攻め入って八つ裂きにしてくれん。」

と、万里を駆ける車に飛び乗って、葦原国へ行こうとしました。ところが、その時、

梵天国より、四天王が飛んで来て、破羅門王の車を木っ端微塵に蹴破ったのでした。

 さて、中納言と天女御前の二人は、無事に五條の館に戻ることができました。そして、

中納言は、梵天王の自筆の御判を、帝へと献上したのでした。帝は、

「日本の例しにしよう。」

と仰って、父の大臣高藤を勧請して、梵天の自筆の御判を添えて、五條の西の洞院に

「天使の宮」(五條天神:京都市下京区松原通西洞院西入天神前町)を祀り、国土を納

め、仏果をお守りになったのでした。

 それから中納言は、本国の丹後・但馬を安堵されて、国に戻り、棟門を立ち並べて、

富貴の家と栄えたとのことです。その後、中納言殿は「切戸の文殊」、天女御前は「成

相の観音」として勧請され、今の世に至るまで、衆生を済度し、国土を守っていただい

ております。

誠に、上古も末の世も

例し少なき御事と

上下万民、おしなべて

尊っとかりともなかなか

申すばかりはなかりけり

おわり

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忘れ去られた物語たち 19 説経梵天国 ⑤

2013年04月10日 17時05分38秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ぼん天こく ⑤

 その時、梵天国の大王は、清涼殿に出御なされて、華鬘や玉で飾られた黄金の玉座に

お座りなり、中納言にこう言いました。

「中納言よ。汝を婿に取ったのは、親に孝行ある故であったが、今、逃げ出した罪人

は、汝にとっては、敵であるぞ。羅仙国の大王、破羅門王と言う者は、姫を七歳の時

からつけ狙い、奪い取ろうとしてきたのじゃ。これを、四天王の力によって捕縛して、

今日か明日の内に、八つ裂きにしてやる所だったのだ。逃がしてしまうとは、不覚であ

あった。汝に与えたその米は、梵天国においても、そう簡単に手に入るものではない。

忝なくも、寂光の池の水際に生える米なのだ。一粒食べれば、千人の力を受け、千年の

寿命を手に入れることができるのだぞ。汝が、大成して、梵天国にやって来たからこそ、

与えたその飯を、破羅門王に食べさせてしまうとは。その飯を食べて、通力自在の力を

得たからは、今頃はきっと、葦原国に居る姫を奪っていったことであろう。誠に残念なことじゃ。」

と、有り難くも両眼に涙を浮かべるのでした。驚いた中納言は、

「故郷の妻の行方が、心配です。どうか、自筆の御判をお与え下さい。」

と、願いました。梵天王は、

「姫が奪われてしまった今となっては、自筆の判が、何の役に立つ。」

と、言いましたが、中納言が、重ねて頼み込みますので、梵天王は、自筆の判を賜ったのでした。

梵天王の自筆の御判を手にした中納言は、三度押し頂いて、別れを告げると、三日三夜

をかけて、葦原国の五條の館へと戻りました。

 五條の館に、中納言がお戻りになると、館の人々の喜びようは言うまでもありません。

しかし、中納言の乳母は、飛んで来ると、

「我が君様。天女御前様は、一昨日の夕暮れ時に、魔王が現れて、さらわれてしまいました。」

と、袂に縋り付いて、嘆くのでした。これを聞いた中納言は、肝も冷え、魂も消えるば

かりです。

「ああ、南無三宝。やはり、羅仙国の破羅門王が、姫を奪い去ってしまったのか。ええ、

なんとも口惜しい。」

と嘆く外ありません。中納言は、姫の部屋に行くと、姫の小袖を胸に当て、顔に当てて、

姫を偲んでおりましたが、やがて、

「会者定離、盛者必衰は、世の理であるから、何も驚くことでは無い。これを、菩提の

種として、噸世をいたそう。」

と思い切ると、そのまま近くの寺へ行き、上人様に、

「如何に、上人様。妻の菩提の為に、出家させてください。」

と頼んだのでした。これを聞いた上人様は、奇異に思って、

「未だ、亡くなっていないお姫様の菩提とは、どういうことですか。」

と、聞きました。中納言は、

「ご不審は、ごもっともです。幼少の頃に父母を失い。今は、我妻に生き別れました。

浮き世の望みも、財宝も、もう関係無いのです。どうか、髪を剃って出家させて下さい。」

と、重ねて頼むのでした。これには、上人も断れず、中納言を出家させたのでした。

 墨染めの衣を着け、黒檀の数珠を襟に掛けた中納言は、竹の杖一本を頼りとして、

妻の行方を捜そうと、京の都から彷徨いでました。

〈以下道行き〉

筑紫下りの物憂さを

幻(うつつ)と更に思ほえず

涙は、幾たび道芝の

露、深草の里荒れて(京都府伏見区北部)

人、放ぶり(はぶり)に、錏(しころ)なれや

軒も籬も形ばかり

折からなれや、薄墨の

桜は今ぞ、紅葉の秋

鳥羽(鳥羽離宮:京都市南区・伏見区)に恋塚(恋塚寺:京都市伏見区)、桂の里(桂離宮:京都市西京区)

都を隔つる山崎や(京都府乙訓郡大山崎町)

東に向かえば有り難や

石清水を伏し拝み(石清水八幡宮:京都市八幡市)

昔語りを今の世に

試しに引けや(謡曲:弓八幡に掛ける)

男山の女郎花(おみなめし)の一時(とき)を(謡曲:女郎花に掛ける)

くねると書きし水茎の(?)

跡懐かしき関戸の院(京都府乙訓郡大山崎町)    

日も呉竹の里にて

猪名(いな)の笹原、吹く風に(猪名川:大阪府と兵庫県の境)

露袖招く、小花が叢(兵庫県川西市小花町)

松風に煙り担ぐ尼ヶ崎(兵庫県尼崎市)

早、大物に着いたよな(尼崎市大物町)

海辺に出た中納言は、四国や西国の方へ行って、妻の行方を尋ねようと思いました。そ

こで、便船を探しましたが、一人法師は禁制と言って、乗せてくれる舟はひとつもあり

ませんでした。中納言は、なすすべもなく、呆然と立ちすくんでいますと、何処からと

もなく、白髪の老人が舟を寄せて来ました。老人は、

「これ、修行の方。この舟にお乗りになりませんか。行きたい湊に、送り届けてあげましょう。」

と言うのです。喜んだ中納言は、老人の舟に飛び乗りました。

〈以下道行き〉

波路、遙かに漕ぎ出す

後、白波の寄る辺なく

浮き寝の床の楫枕(かじまくら)

都に帰らん夢をさえ見ようさん

須磨の関の戸を(神戸市須磨区)

明くる明石の浦伝い(兵庫県明石市)

筑紫下りの途次(みちすがら)

兵庫の浦とは、あれとかや(神戸市兵庫区:大輪田泊)

州崎に寄する浪の音

物凄まじき、岩伝い

譲葉ヶ岳(ゆづりはがたけ:淡路島の論鶴羽山)を弓手になし

播磨の国(兵庫県西南部)なる室山降ろしに誘われて(兵庫県たつの市御津町付近)

揺られ、流るる釣り船

思わん方へも流れ行け

浪に揺られて漂えり

風に任せて行く程に

男鹿(たんが)、クラ掛、打ち過ぎて(家島諸島の島:兵庫県姫路市)

海上、俄に景色変わって

白波、青海(せいがい)を洗いつつ

多く見えつる舟どもも

皆、十方に吹き流され

行き方知らず、なりにけり

中納言が乗り込んだ舟も、強い風に吹き流されて何処へ向かっているのかも分かりません。

やがて、日本の海を離れて、鬼満国(きまんこく)も過ぎて、羅仙国(らせんこく)へと

流れ着いたのでした。すると、老人はこう言いました。

「修行者よ。只今の強風によって、なんなくここまで、送り届けたぞよ。我を誰と思う

か。汝の氏神、清水の観世音であるぞ。お前を妻に逢わせるために、五海の龍神となって、

ここまで送って来たのだ。これからの行く末も守護するであろう。」

そう言い残すと、二十尋(はたひろ:約30m)余りの大蛇となって、虚空に飛び去っ

て行くのでした。とは言うものの、いきなり知らない浜辺に置き去りにされた中納言は、

頼る者も無く、只一人、途方に暮れて泣き明かすしかありませんでした。中納言の心の

内は、哀れともなかなか、申し様もありません。

つづく


第30回 大慶寺門前市に参加します。 

2013年04月09日 12時39分33秒 | お知らせ

4月15日(月)には、佐渡の新保祭りが開催されます。鬼太鼓などがにぎやかに繰り出します。

700年の歴史を持つという新保八幡宮お春祭りですが、隣の大慶寺では、郷土芸能鑑賞会が

開催されます。詳しくは、チラシを御覧下さい。猿八座は、「山椒太夫」の鳴子曳きを公演する予

定です。猿八座は、今年、「山椒太夫」の前段を新たに付け加えて、三段組みの通し狂言にしようと

稽古に取り組んでいます。新たに付け加えるのは、物語の発端から直江津で人買いに売られて

しまう場面と、由良の山椒太夫の館で苦難を受ける姉弟の場面です。秋には、公開しようと考え

ていますの、また改めてご案内いたします。

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忘れ去られた物語たち 19 説経梵天国 ④

2013年04月06日 13時56分04秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ぼん天こく ④

 それから、帝は、公家大臣を集めて、こう言いました。

「五條の中納言が、色々の難題を叶えたことは、大変、神妙なことである。五條の中納

言が、本当に梵天王の婿であるならば、梵天王の自筆の御判を持って来るように命ずる。」

これを聞いた中納言は、早速、天女御前に相談しましたが、今度ばかりは、そう簡単に

は行きません。天女御前は、

「それは、本当ですか。なんと情けないことでしょう。それは、下界に下って五濁の塵

に汚した身では、叶わないことです。」

と、泣き崩れるのでした。中納言は、

「それであれば、神、仏に祈るのが、日本の習い。氏神、清水の観音に祈誓をすること

にしよう。」

と言うと、多くの供を連れて、清水寺に籠もることになりました。中納言は、

「南無や、帰命頂礼(きみょうちょうらい)。清水の千手観音のご利益は、どの仏様よ

りも勝ります。願わくば、梵天王の自筆の御判をお与え下さい。」

と、十七日の間、祈祷を続けました。すると、馬に跨って、天上に昇る霊夢が訪れたのでした。

喜んだ中納言は、五條の館に戻ると、清い流れの水で、身を清めて、南面の広縁に立ちました。

やがて、どこからとも無く、龍馬(りゅうば)が現れ、前膝を折って、跪きました。

中納言は、天女御前に向かって、

「のう、姫君。あれをご覧なさい。清水の観世音より、龍馬を給わりましたよ。あの馬

に乗って、天上まで行って来ます。」

と言うと、天女御前は、

「私のせいで、帝より色々の難題を出され、片時も気が休まる暇も無いのに、今度はまた、

行ったこともない雲井の旅にお出になるとは、行く先が思いやられます。」

と、袂に縋って泣くのでした。中納言は、

「必ず、生きて帰って来ます。」

と言うと、しっかりと結び合った手を、ふりほどいての涙の別れです。中納言は、龍馬

に跨ると、

「目を塞ぐ 心ばかりや 思い切れ 知らぬ旅路の 一人寝をのみ」

と一首を詠じ、姫は、

「旅立ちし 君を見る目の 涙川 深き思いを 如何にせんとは」

と返しました。やがて、中納言が、目を閉じると、龍馬は、梵天国へと昇り始めました。

 三日三晩、飛び続けると、ようやく陸地に着きました。中納言が、目を開いて見ると、

十丈もある閻浮樹(えんぶじゅ)が茂っているのが見えます。やがて、十町ほど、馬を

進めて参りますと、一人の天人がやって来るに会いました。中納言が、

「ここは、なんという国ですか。」

と聞きますと、天人は、

「梵天国です。」

と、答えました。帝の御所を尋ねますと、さらに東の方だと言います。そこで、中納言は、

さらに東へと進んでいきました。五町ほどやって来ると、今度は、赤栴檀(しゃくせんだん)

の林が現れました。無数の花が咲き乱れ、香しい香が、辺り一面に漂っており、うっと

りとする音楽まで聞こえてきます。更に進と、黄金の橋があり、その橋の下には、弘誓

の舟が浮かんでいました。橋を渡ると、今度は、右側には、黄金の山が聳え、左側には、

白銀の高山が見えました。この山の光によって、御所は、夜昼の区別もなく、眩しいば

かりに明るく照らされているのでした。中納言は、うきうきと、内裏の東門をくぐり、

やがて、清涼殿に着いたのでした。一人の天人が現れると、

「おや、これは珍しいお客人ですね。こちらへどうぞ。」

と、招き入れてくれました。中納言は、臆することなく、堂々と御殿に入りました。

しばらくすると、天人が何かを持ってきました。

「これは、天の甘露の酒です。」

と言って、中納言の前に置くと、下がりました。中納言は、

「梵天国では、飲み食いをするときは、自分で手ずから食すると聞く。これは、飲まな

くては。」

と思って、三献を自ら汲んで、飲み干しました。そこに今度は、三寸に盛られたご飯や

数多くのご馳走、八十二色のお供え物などが並べられました。中納言は、これらのご馳

走にも次々と与かりました。

 天のご馳走に夢中になっていた中納言は、やがて、近くに牢屋があるのに気が付きました。

中には、罪人が入っています。その手足は熊のようで、八方から厳しく縛られて、身動

きもできないようにされているようです。そして、牢屋の中から声が聞こえてきました。

「ああ、浅ましい。その飯を、一口くれ。」

と言うのでした。良く見てみると鬼が黄色い涙を流しているのです。中納言は、慈悲

第一の人でしたから、これを聞いて、

「これこそ、法華経に、三界無安猶如火宅(譬喩品)説かれているそのことであるな。

このような目出度い国ですら、咎を許すことは無いのか。咎はなんであれ、何か食べ物

を与えてやろう。」

と考えて、天のご飯を、笹の葉にくるんで、牢屋に投げ入れました。ところが、この鬼は、

その飯を食うや否や、通力自在の力を受けて、八方から縛り付けられた鎖をねじ切る

と、牢屋を蹴破って飛び出して来たのでした。あっと言う間も無く、この鬼は、葦原国

へと飛んで降りると、五條の天女御前を奪い取り、羅仙国(らせんこく)へと帰ったのでした。

昔より、恩を仇で返すというのは、こういうことを言うのです。前代未聞の曲者と、憎

まない者はありません。

つづく

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忘れ去られた物語たち 19 説経梵天国 ③

2013年04月06日 11時10分23秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ぼん天こく ③

 さて、帝から、難題を突きつけられて、困り果てた中将殿は、天女御前に相談をしま

した。姫君は、これを聞くと、

「それは、簡単なことですよ。では、呼び寄せてあげましょう。」

と言うなり、南面の広縁に出ると、扇を開いて、虚空に向かって、三度煽ぎました。す

ると、迦陵頻伽と孔雀の鳥が、さっと内裏に舞い下りたのでした。宮中の人々は、尊い

鳥の舞楽のような美しい囀りに、七日の間、酔いしれました。七日が経つと、ふたつの鳥

は、梵天国へと帰って行ったのでした。

 さて、帝は、これで満足したわけではありませんでした。

「次は、鬼の娘の十郎姫を七日の間、内裏に上げよ。それが、できないなら天女を上げよ。」

と、またまた難題を突きつけるのでした。中将は、また困って、天女御前に相談をしました。

「それも、簡単なことですよ。その十郎姫と言いますのは、梵天国では、下で使われる

只の下女ですから、何よりも簡単なことです。それでは、呼び寄せましょう。」

と言うと、南面の広縁に出て、虚空に向かって、扇で三度煽ぎました。鬼の娘の十郎姫

は、直ぐに五條の館に舞い下りて来ました。天女御前は、

「お久しぶりです。十郎姫。汝をここに呼び寄せたのは、外でもありません。七日の間

内裏に上がって下さい。」

と、言いました。早速、十郎姫は、帝の勅使と共に内裏に上がったのでした。

 さて、また宮中では大騒ぎです。初めて見る十郎姫の姿は、さながら菩薩の様に美しく、

我も我もと、公家大臣がつめかけました。十二人の后達も、着飾ってやってきましたが、

十郎姫の前にでれば、月夜に星の光が薄れるように、とても敵うものではありません。

口惜しがった后達は、

「いくら姿が美しくても、和歌の道は知らないでしょう。」

と、馬鹿にして、それぞれ歌を詠んで、十郎姫に掛け合いましたが、十郎姫はそつなく

返歌をするのでした。更に琵琶、琴を奏でれば、その妙なる音色に、感歎するばかりです。

帝は、十郎姫に向かい、

「如何に、十郎姫。お前は、それ程まで姿も美しく優れているのに、何故、天女の姫に

仕えているのか。」

と、聞きました。十郎姫は、

「これは、愚かな宣旨ですね。あの姫様について、いちいち申し上げるのも憚られます。

忝なくも、梵天国と言いますのは、高さは八万由旬(ゆじゅん)もあり、須弥山をかた

どって、国の数は、十万七千と七百。このような大国の王のご息女なのですから、ご意

向に逆らうなどということは、あり得ません。さて、七日が過ぎましたので、帰ります。」

と言うと、梵天国に帰って行きました。帝は、

「あの十郎姫は、梵天国では、只の下女というのに、あれほどの美しさである。それな

ら、天女は、どんなにか美しのだろうか。」

と、ますます天女御前に憧れるのでした。そして、帝は、またまた難題を出しました。

「下界の住むという龍神を、七日間、内裏へ上げよ。」

天女御前が、いつものように扇で煽ぐと、晴天が、俄に掻き曇って、稲妻が走り、ごう

ごうと雷が鳴り響き始めました。その凄まじさは、帝の御殿を震わし、崩れるかと思う

程でしたので、宮中の人々は、この世の終わりが来たと、大騒ぎになりました。これに

は、さすがの帝も慌てて、五條の中将を呼び出すと、

「如何に、中将。この神は、あまりに凄まじ過ぎる。鎮めてくれ。」

と頼みました。中将は、桑原左近の尉に、龍神を鎮める様に命じました。桑原左近が、

四尺八寸の「雲払い」という剣を抜き放つと、虚空を三度切り払って、

「鎮まり給え、龍神達。桑原これにあり。」

と叫ぶと、忽ち龍神は鎮まって、青空が広がったのでした。それからは、天に雷が鳴る

ときには、「くわばら、くわばら」と言うようになったということです。帝は、これに

は感服して、五條の中将を中納言に任じたのでした。天下の聞こえも世の覚えも、例の

少ないこととして、感激しない者はありませんでした。

つづく


忘れ去られた物語たち 19 説経梵天国 ②

2013年04月05日 09時38分59秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ぼん天こく ②

 さて、帝は、(年代からすると淳和天皇となる)公家大臣を集めると、

「本当に、五條の中将は、梵天王の婿になったのか。」

と問い質しました。それが本当であることが分かると、帝は、

「我、十全の位を受けて、四海を掌に知るとはいえども、未だかつて、天の与える后は

持たぬ。急いで、中将の館に行って、その天女を連れて参れ。」

と、言うのでした。急いで勅使が五條の館へと立ちました。これを聞いた中将は、

「帝の宣旨とあるならば、命をも差し上げようとも思います。しかしながら、夫婦の仲

を引き分けて、后に召し上げようというのは、如何なものでしょうか。それは又、この

中将の恥辱です。このことにおいては、どうかお許し下さい。」

と、返事をしたのでした。これを聞いた帝は、武士に命じて無理矢理にでも、天女を召

し上げようとします。

 出兵を命じられた松王兵庫の守正重は、五條へ押し寄せて、中将の館を取り囲んで、

鬨の声を上げました。中将の館は、突然の寄せ手に、上を下への大騒ぎとなりましたが、

郎等の桑原左近の尉は少しも騒がず、表櫓に走り登ると、

「只今、ここに押し寄せて、鬨の声を上げるのは何者か。名を名乗れ。」

と、呼ばわりました。寄せ手の大将正重は、馬に跨り飛んで出ると、掘りの端に馬を止

め、鐙を踏ん張り立ち上がり、

「只今、ここに押し寄せて、鬨の声を上げるのは、誰有ろう、松王兵庫の守正重である。

五條の中将は、帝の宣旨に背いた罪人であるぞ。すぐに、天女を渡されよ。出さねば、

攻め入って、奪い取る。」

と、大音声を上げました。桑原はあざ笑って、

「何々、正重が、寄せて来たというのか。ではでは、手並みを見せてやろうか。」

と言うと、櫓を飛んで降り、敵味方が入り乱れての戦いとなりました。しかし、多勢に

無勢、中将方の兵も残り少なくなってしまいます。桑原は、中将の御前に出ると、

「我が君様。この合戦は、天下を敵とする戦いですから、勝つ戦とも思えません。最早、

御自害なされませ。」

と進言しました。これを聞いた中将も、もうこれまでと思い切り、腰の刀に手を掛けて、

自害しようとしましたが、その時、天女御前は、

「私一人を残されても、風に脆い露の身を隠す所もありません。先ず、私を刺し殺して

から、どのようでもしてください。」

と、袂に縋って泣くのでした。意を決した中将は、右手で姫の手を取り、左手抜き身の

刀を持って、表櫓へと上りました。桑原左近の尉も付き従って、櫓に上ると大音声を上げて、

「如何に、敵の軍兵ども。物を語らば、確かに聞け。只今、中将殿も天女御前も、御自

害なされるのを、侍の鏡として、手本にせよ。」

と言いました。しかし、大将兵庫の守を始めとし、寄せ手の軍兵どもは、初めて目にする

天女御前の姿にうっとりとして、

「誠に、輝くばかりの天女御前。理由も無い事で自害するのは、もったいない。」

と、溜息をつくのでした。大将正重は、

「如何に、中将殿。先々、これより某は、帝に上り、なんとか申し開きをすることにする。

勅使が来るまで、御自害は、思いとどまり下さい。」

と、言うなり、内裏に飛んで帰って行ったのでした。正重は、中将が天女御前諸共に自害し

ようとしていることを奏聞して、様々と申し開きをしました。しかし、帝は聞き入れず、

「兎に角、天女を連れて来い。」

とばかりです。さすがの正重も、やりきれなくなって、嘆きの一首を詠みました。

「雲井より 降ろす嵐の 激しくて 糸にも露の 塵も止めなん」

これには、とうとう、帝も、折れましたが、諦めはしませんでした。

「それならば、迦陵頻伽(かりょうびんが)、孔雀の鳥を、七日間、内裏に上げよ。そ

れができないのなら、天女を上げよ。」

という難題を突きつけたのでした。正重は、急いで五條の館に戻ると、宣旨を伝えて陣

を引いたのでした。

この人々のお命の危ういこと、なかなか、申すばかりはありません。

つづく

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この挿絵は、宝永の頃の鱗形屋孫兵衛板(赤木文庫)です。


忘れ去られた物語たち 19 説経梵天国 ①

2013年04月04日 16時33分38秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ケンブリッジ大学が所蔵している「山形屋新板」のこの正本は、元禄十年(1697年)

に再版されたものであるが、学者の推定では、その一回り前の貞享二年(1685年)

の鱗形屋の板であろうとのことである。太夫は不明であるが、天満八太夫系であろうと

推定されている。この「梵天国」は、かなり古くからあった物語であり、古活字版も残

されている。また、御伽草子本、奈良絵本、古浄瑠璃にも採用される程、人気を集めた

物語であったようである。

説経正本集第三(37)

ぼん天こく ①

 さて、およそ父母への孝行というものは、当世来世の二代に渡って、仏の御加護を受け

るものです。三千大千世界の導師である釈尊も、その昔は只の人であり、悟りを開くき

っかけすらなかったのです。しかし釈尊は、十九歳で、父母孝養の為に出家なされ、終

には、一乗妙典(法華経)の悟りに辿り着き、三千大千世界の導師となられたのでした。

これこそ、孝行ということの大切さを示すものです。

 日本での例を言うならば、国は、丹後の国。成相(なりあい)の観音(成相寺:京都

府宮津市)と、

切戸(きれど)の文殊(智恩寺:京都府宮津市)の由来を、詳しく尋ねますと、これも

その昔は、人間であったということです。

 人間であった頃の名前は、五條の中将高則(たかのり)と言い、父は、大臣高藤(たかふじ)

と言いました。この中将高則は、父の高藤が、清水の観世音に祈誓を懸けて授かった子

でありましたので、そのお姿に、仏の慈悲哀愍(じひあいみん)が宿り、三十二相を

供えておられました。詩歌管弦に至るまで、学び残した道は無く、人々は皆、中将殿を尊敬

して、大事にしたのでした。

 しかし、世の中の有為転変は、どうすることもできません。やがて、父も母も亡くな

ってしまい、悲しみに沈む毎日を過ごしていました。そこで、中将殿は、父母孝養の為に、

七つの伽藍を建立したのでした。七間四面の金堂には、諸仏薩埵を安置し、三間四面の

輪塔では、沢山の僧を招いて、転法輪(てんぽうりん)の供養をしました。さらに四十

九の楼閣、十二の欄干は珠玉で飾り上げ、五十の塔の高さは、雲に届くほどでした。さ

ながら、極楽浄土を見るようです。経典を千部も万部も奉納しましたが、それでも、ま

だ父母孝養には足らないと、自ら、水を汲み、香を焚き、花を供えて、日夜、御経を唱

え続けるのでした。

 ある時、中将殿は、十畳敷きの壇を構えると、十七日間、笛を奉納しました。その楽

の音のすばらしさは、言葉には表せません。伶人(れいじん)が笛を吹く時は、大河の

魚が天に昇り、天人に袖を翻して、十悪五逆の罪も消え、たちまちに九品蓮台に乗るこ

とができるという有り難さです。この笛の音は、梵天国にまでも届きました。

 突然、音楽が鳴り響き、異香が漂い、花が舞い下りました。そして、雲に乗った気高

い老人が、天下ったのでした。

「我は、梵天国の大王である。汝が、父母孝養の為に吹く笛の音は、大変殊勝である。

我には、一人の娘があり、その婿を捜していたが、この三千世界に、汝ほどの親孝行の

者はいない。我が娘を、十八日に、汝の妻に与える。」

と、約束をすると、梵天王は、雲に乗って、天へと帰って行きました。中将は、夢かと

も思いましたが、いよいよ御経を怠らず、山海の珍物を取り揃えて、その時を待ちました。

 時は、天長二年(825年)三月十八日。異香が漂い、花が降り下る中、雲の中から、

玉の御輿が現れて、五條の中将の館に入りました。降りてきたのは、輝くばかりに美し

い姫君です。二八の春、花盛りのそのお姿は、音にのみ聞く、毘沙門天の妹、吉祥天女

にも勝るばかりです。さて又、中将殿も、観世音のご方便により、嬋娟(せんけん)な

る眉墨は、例えれば蝉の羽。宛転(えんてん)たる相好は、円山に昇る月の如し、とい

ったところでしょうか。この美しいお二人の有様を、原文では、次のように書いています。

何れを、春の花とせん

何れを、秋の月とせん

更にだに、呉竹の

飾れる衣(きぬ)の羽衣に

自ら成せる顔(かんばせ)は

春の風のさらさらと

降りかかりたる花の雪

としは散りなん萩の花(?)

としは消えなん玉笹の(?)

霰、踏む足、ほたほたしく(たどたどしく)

心ならずも、幻(うつつ)かと

思い乱るる、玉葛

掛けてぞ、祈る誓いの末

天にあらば、比翼の鳥

地にあらば、連理の枝

偕老同穴の語らい

互いに、見えつ、見えられつつ

執愛恋慕と聞こえける

とにもかくにも、かの人々の

その有様、目出度さよとも

中々、申すばかりはなかりけり

つづく

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