猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 27 古浄瑠璃 安口の判官(1)

2014年03月12日 09時50分08秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

古浄瑠璃正本集第1の(4)は、「ともなが」である。相模の国の「和田の判官朝長」のお話である。残念ながら、前半三段分の正本しか発見されていない。
 古浄瑠璃正本集第1の(5)は、「あぐちの判官」である。寛永十四年(1637年)山本久兵衛の板である。この物語も、「ともなが」と同様に、主君の死後に、その郎等が、国盗りを企む趣向となっている。但し、「朝長」の死が、鬼人の祟りが原因であるのに対して、「安口」の死は、郎等の調伏であるのは、大きな違いに映る。しかし、人売りが介在したり、春日大明神が助けに入ったりして、まだ説経の匂いが残っているような所もある。 

あぐちの判官(1)
 

その昔、奈良の都の継体天皇の御代のことです。(507年~531年) 

筑紫筑前の国には、安口(あぐち)の判官重行(しげゆき)という、文武両道に優れた、有名なお方がいらっしゃいました。その一族は大変に豊かに栄え、子供が二人おりました。嫡子、太郎重範(しげのり)は九つ、弟に次郎重房(しげふさ)は七つです。 

ところが、思いも寄らぬ事が起こる物です。判官殿に、御門の御番の役が命じられたのでした。判官殿は、御台所に 

「さて、この度、御門の御番を命ぜられ、三年の間、都の警護に当たらなければならなくなった。二人の若の養育を、宜しく頼む。」 

と、涙ながらに語るのでした。北の方も、悲しみますが、晴れの門出を祝うために、 

「ご無事に御下向下さい。二人の若君は、しっかりしておりますから、ご安心下さい。」 

と、気丈にも答えるのでした。安口の判官は、安心すると、家臣の兵部の太夫にこう命じました。 

「さて、兵部。よく聞け。私が都の警護に出ている三年の間、領内の事どもは、すべて御前 

に任せる。御台や若君達によく仕える様に。当座の褒美として、二百町を加増する。」 

と、御判を賜わるのでした。兵部は、 

「ありがたや。」 

と、三度礼拝して、御判をいただき 

「都では、ご安心して、警護に御当たり下さい。」 

と、さも頼もしそうに答えるのでした。やがて、安口の判官は、二百余騎を引き連れて都の警護の御番に着きました。 

 さて、国元に残った兵部太夫は、三年の間、国を預かることになりました。兵部は最初、 

兄弟の人々によく仕えていましたが、家来の侍に対して、やがてこんなことを言う様になりました。 

「皆の者、良く聞け。わしは、この国を三年の間、預かる者である。どのような訴訟であれ、 

わしが、事の理非を判断するように言われておる。もしも、異議などを申したてるならば、それなりの処遇をするから、覚悟しろ。昼も夜も、精勤せよ。」 

急に偉そうになった兵部に、家来の人々は、 

「なんとも、悔しい事だか仕方無い。短い間のお当番であるから、ここは、我慢しよう。」 

と思い、兄弟若君を差し置いて、兵部太夫を判官殿同然に崇めるようになったのでした。 

まったく、口惜しい次第です。 

 こうして、二年の月日が過ぎた頃、兵部太夫は、思いのままに国を操って、私腹を肥やしていましたが、こんな事を考える様になったのでした。 

「来年の春の頃には、判官重行が、当番を終えて帰国してくる。そうしたら、この栄華もおしまいだ。又元の兵部に戻って、判官に仕えなければならない。ええ、なんとも口惜しい。なんとかならないものか。」 

兵部太夫は、散々に考えあぐねて、子供達を集めて、こう話しました。 

「よいか、主君の判官殿を討ち取って、この国を横領するぞ。そして、我が一族は、上を見る鷹の様に栄えるのだ。どうだ。」 

長男の式部太夫、次男兵部の次郎は、その義ご尤もと尻馬に乗りますが、三男式部の三郎は、 

「これは、父のお言葉とも思えません。今、このように栄華を得ているのも、全て、判官殿のご恩に寄るものですぞ。このご恩情を忘れるとは、なんたることですか。例え、御門の宣旨によって、国を下されても、主を重んじるのが、賢人の振るまいと申すものです。故事を 

引くならば、漢の高祖(劉邦)と楚の項羽という二人の王がおります。国争いも既に八年も経った頃、高祖が負け戦をして、自害しようとした時の事です。ある家臣は、主君の命に替わる為に、主君の馬に乗って、『高祖は降参いたす。』と、大音声で飛び出して行ったのです。これを聞いた項羽が、戦いの手を休めた隙に、高祖は落ち延び、代わりにその家臣が自害したのです。弓矢を取る武士の習いには、二心(ふたごころ)の無い義心こそ、大事ではありませんか。どうか、思い留まり下さい。」 

と、涙ながらに訴えるのでした。兵部の太夫は、大変にはらを立て、 

「昔の譬えが、何だというのか。わしは、もう年を取って、明日をも知らぬ身であるけれど、お前達は、これから出世するのだぞ。その為に、思い立った事であるから、明日は閻浮の塵となろうとも、思い留まっている場合ではないぞ。」 

と、歯ぎしりをして喚くのでした。その時、嫡子の式部太夫は、 

「父上がそれ程までに、思い詰められておられるならば、どうでしょうか。敵わない敵には神や仏に祈るという習いがあります。判官重行殿を、調伏するのは如何でしょうか、父上。」 

と、言うのでした。兵部太夫は、喜んで、 

「成る程、それは良い考えじゃ。しかし、他人に頼む訳にもいかない。よし、叔父の僧正に頼むことに致そう。」 

と、言うと、早速、僧正を呼び寄せました。兵部太夫は、僧正に対面すると、 

「あなたを、招きましたのは、別の事ではありません。判官重行殿を、調伏していただきたい。」 

と、小声で言うのでした。僧正が、飛び上がって驚き、 

「これは、なんという企みか。あなたの主君の命を奪うなら、天のご加護も無くなりますぞ。閻魔大王の照覧も怖ろしい。愚僧は、幼少より、五戒を守り、生き物の命を殺したこともありません。ましてや、判官殿の命を奪うなどと言うことは、思いも寄らぬことです。」 

と、辞退しますと、兵部太夫は、面目を失って、 

「それでは、もうどうしようもない。このような大事な秘密を話した以上は、いつ北の方に漏れ聞こえるとも限らない。難儀に遭うその前に自害をいたす。」 

と、その場で刀を抜こうとするのでした。僧正は、驚いて押し留めると、 

「それ程までに、思い詰めておられるのなら、できるかどうかわかりませんが、調伏いたしましょう。」 

と、言わざるを得ませんでした。兵部太夫は、ようやく機嫌を直しましたが、すごすごと帰って行く僧正の心の内の苦しみは、なんとも言い様もありません。

 

つづく

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