猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

6月稽古 

2015年06月22日 21時35分39秒 | 猿八座
新潟県新発田市の稽古場での6月稽古に参加してきました。目下の取り組みは、「耳無芳一」です。まだ、絵としてはお見せする段階に至っていませんが、試行錯誤をしながら、場面の解釈が練り上げられてきました。一方、「角田川」も課題の外題で、間口の狭い会場で、どう見せるかに工夫を凝らしてします。

角田川:梅若塚の段
予告:来年の1月のことですが、東京は隅田川の辺で、この「角田川」を上演する機会に恵まれるかも・・・しれません。

詩人 谺雄二氏 一周忌のつどい

2015年06月14日 21時10分47秒 | 公演記録

栗生楽泉園から草津白根山を臨む
 
群馬県草津町の栗生楽泉園で行われた、「谺雄二さんの遺志を受け継いで」という追悼会で、姜信子氏の記念講演が行われました。谺雄二氏の母への回想の中に、「葛の葉子別れ」の話しが出て来ます。そこで、私が、説経祭文の「葛の葉」をお聞かせする事になったのでした。しかし、私は、谺氏のことはよく知りませんでしたので、谺雄二氏の詩集「死ぬふりだけでやめとけや」(姜信子編:みすず書房)を勉強させていただきました。説経の物語では、癩者のことが沢山出て来て、私は、いつもそのことを語っているのに、直接にハンセン病の方達と関わってこなかったことを、大変、後悔しました。罪滅ぼしにもなりませんが、せめてもの餞に、「死ぬふりだけでやめとけや」に節をつけて、冒頭、唄わせて頂く機会をいただけましたことは、光栄な事であったと思います。

新作 耳無芳一 稽古開始

2015年06月08日 11時35分43秒 | 猿八座
 新発田の稽古場に行って参りました。いよいよ小泉八雲原作の「耳無芳一」の稽古が始まりました。出入りや、位置の場当たりをしつつ、メリヤス部分の繋ぎ具合を計ったり、浄瑠璃の文言や曲を修正しながら、1日で、3回半語りました。初演の会場が狭いので、踊り方にも工夫が必要です。例により、まだ、道具や頭(かしら)も揃っていませんが、動きが付くと、浄瑠璃の不具合な所がよくわかります。

在る夜、芳一は、呼び出されて、壇ノ浦合戦の場面を語ります。芳一が抱えている物体は、これから「琵琶」になるであろう発泡スチロール。聴いて局が涙ぐんでいます。

実は、芳一は、平家武者の亡霊にたぶらかされ、安徳天皇の墓所に向かって、語っていたのでした。芳一を発見した寺男達が驚いています。八郎兵衛師匠が持っている棒には、そのうち人魂が付きます。
 さて、芳一の危難を救う為には、「芳一の全身に般若心経を書かなければならない。」と、阿弥陀寺の住職は言うのです。芳一の体に、勿論、裸に、般若心経を書く。どういう、演出になるのか、今後の展開にご期待下さい。
(写真の人形等は、まだ稽古用です。実際に使用するものとは異なりますので、ご承知置き下さい。)

野生の太夫

2015年06月02日 23時31分06秒 | 日記
 最近、「野生の太夫」という称号を、とある方から戴きました。有り難い限りです。あっちも、こっちも蹴っぽって、寄る島も無き芸道だけれど、捨てる神あれば、拾う神あり。勿論、猿八座の八郎兵衛師匠に、拾われなかったら、何にも始まらなかったのだけれども。名を捨てても尚、芸は死ななず。いや、捨てたからこそ、芸になってきたか?(自分で言うべきではないが・・・)新しい可能性が開けて来たなあという、感謝でいっぱいの、五年目だということを、取りあえず、ブログの空白が長かったので、皆さんに報告しておきます。

 先のブログ更新から、随分と間が抜けてしまいましたが、充電期間というか、制作期間ということで、ご了解いただきたいと思います。この間に、新曲を二つ、手掛けました。

 ひとつは、小泉八雲シリーズ(私的には)第3弾「耳無芳一」、何が新しいかと言えば、これも、実に個人的な問題なのですが、琵琶語りを含める爲に、とうとう本調子の作曲に、踏み切ったということなのです。大変大げさな書き方かもしれませんが、二上がりをやめて、本調子にするということは、過去の自分を否定して、新たな創作をするというぐらいの大事なのです。それ程、私は、二上がりの人なんです。しかし、一般的に語り物は、義太夫も文弥も本調子で作曲されており、変調はあるにせよ、基調が、二上がりなのは説経祭文の特別な慣習とも言えるのです。
 そこで、そういう、染みついたものをゴシゴシと削ることが、「芳一」を浄瑠璃にする爲のひとつの道だと考えました。さて、しかし、それは、節遣いの問題。
 それ以上に、「耳無芳一」を浄瑠璃化する爲の一番の障害は、文言自体でした。そもそも、八雲は、この怪談を日本語で書いたわけではありません。私たちが文献的に読むことができるのは、原文の訳文です。今回、「耳無し芳一」を浄瑠璃化する爲に、一番重要だったのは、公開されている戸川氏の訳文をベースとして、どのような擬古文が可能かということに終始しました。実は、これまでの八雲シリーズ、「貉」「雪女」は、原文に近い文言、つまり現代語で、節付けをして来ましたが、この、「耳無し芳一」は、時代が時代だけに、なるべく浄瑠璃らしくしたかったのです。この作業には、最近、猿八座の活動に参加していただいている姜信子氏(作家)に手伝って頂き、八郎兵衛師匠と三人掛かりで、創作して見たのでした。
 さて、今週から稽古に入る、猿八座の「耳無芳一」の公開は、まだ予定ですが、本年9月13日、愛知県豊田市、第3回のてぃーだかんかん小劇場です。



いきなり、何の写真でしょうか?これこそ、「野生の太夫」の証明です。
これは、バードコールです。野鳥の鳴き声を真似て、鳥を呼び寄せて、遊ぶのです。餌を持つ手に乗って来ることもあります。今時は、四十雀とお話するのが面白いですね。何で、「野生の太夫」の証明か、分かりましたか?実は、このバードコールは、元々は、新潟市の科学博物館で買ったものなのですが、本体が、どこかの山で抜け落ちてしまいました。そこで、修理したのがこの写真です。三味線の糸巻きは黒檀ですので、なかなかいい囀りです。つーぴーつーぴーつーぴー。糸巻き、勿体ないと、言われそうですが、粗相して折ってしまったものなので、リサイクルというわけです。

 さて、二つ目の話しですが、これは、ちょっとその真相を、ここで、書き残すことは無理なので、結果だけ報告致しましょう。

 これまで、私は芸歴のほとんどを、薩摩派説経節に費やしてきましたが、それは、「説経浄瑠璃」だと思い込んでの事でした。だから依り代が常に欲しかったのです。つまり、人形の地方をやりたかったのです。しかし、ようく「説経祭文」という出自を考えれば、傀儡が付く様になったのは後のことで、祭文は、元々唄、つまり唄祭文であっただろうなと、思い至りました。これは、実は私にとっては目から鱗の事態でありました。そう気付かせくれたの瞽女唄でした。例えば、同じ題材の「葛の葉」を、説経祭文をベースにして瞽女唄にしたのであれば、瞽女さん達は、何故、説経祭文をベースにしたのか、いや、べースにできたのは何故か。それは、説経祭文が唄物だったからではないだろうか。正しくは、瞽女さん達は、恐らく、説経祭文を聞いたのではなく、正本から文言を取ったのだから、(誰かに読んでもらって)説経祭文が、既に唄の文句だったのに違い無い。
 そう考えると、長年、祭文を浄瑠璃として用いる時の抵抗感(所作にマッチしない)が、どうして生じるのかが分かる気がする。後年《大正時代から昭和初期》、説経祭文は、車人形等の浄瑠璃に流用されたけれど、その本質は、唄なのではないか。であるなら、本来は、説経祭文は、唄うべきなのではないか。そうして、紛れも無き「説経祭文」、唄う爲の「説経祭文」、「説経節」でも無く、「説経浄瑠璃」でも無く、唄う爲の「説経祭文・葛の葉」を、此の度、書いてみる事にしたのでした。新譜といっても、これまでの節付けを踏襲してはいますが、感覚としては、新しいのです。これも、偶然の巡り合わせですが、まだまだ、異なる可能性というのもは、あるものだなと驚いています。
 一般公開は、未定ですが、ちょっと、験しの武者修行に、月半ばに行って来ます。