猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 27 古浄瑠璃 安口の判官(2)

2014年03月13日 16時06分54秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

 あぐちの判官(2)

 さて、僧正は、甥の頼みに、困り果てていましたが、仕方無く、壇の飾りを荘厳にして、安口の判官の調伏を始めました。まったく怖ろしいことです。僧正は、初め三日のご本尊には、来迎の阿弥陀三尊を立て、六道能化の地蔵菩薩を兵部太夫の所願成就の為に祀りました。

 「判官重行殿の二つと無き命を取り、来世にては、観音勢至よ、蓮台を傾けて、安養浄土にお導き下さい。地獄には落とさない様お願いいたします。」

 と、余念無く祈ると、五七日の本尊には、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)、金剛童子、五大明王の利験をありがたくも、四方に飾り、紫の袈裟を掛けて、様々に壇を飾りました。僧正は、再び肝胆を砕いて祈るのでした。昔が今に至るまで、仏法護持の御力は、絶大でありますから、七日の満行の寅の頃に(午前4時)明王不動の剣先が、元気いっぱいの重行殿の首を貫くのが見えました。そして、剣は、壇上に落ちたのでした。僧正は、

 「さては、威厳が現れたな。」

 と言うなり、祭壇を壊しました。なんとも怖ろしい有様です。

  これはさて置き、可哀想なのは、奈良の都の警護に当たっている安口の判官重行殿です。判官殿は、そんな調伏がなされているとは、夢にも思わず、春日大社に参籠することになりました。それは、もう夏も終わろうとする頃のことです。重行は、峰々に重なる木々の間を吹き下ろしてくる風に当たって、突然病気になってしまったのでした。家来の侍達は、驚いて、様々手を尽くして、治療に当たりましたが、回復する様子も見えません。安口の判官は死期が近付いた事を悟って、家来を集めてこう言いました。

 「さて、皆の衆。私は、娑婆に別れて、これより冥途の旅に赴く。国元に、形見を届けてくれ。膚の守りと鬢の髪を、御台所に、太刀を太郎に、刀は次郎に、それぞれ取らせよ。何が起こるか分からないという世の習いを今こそ、思い知ったぞよ。若達が、さぞ嘆くことであろうが、今生において、縁が薄くとも、来世に於いては、必ず巡り逢うと、伝えてくれ。頼んだぞ。」

 安口の判官は、さめざめと泣きながら、さらに続けました。

 「さて又、兵部に伝えてほしいことは、急いで太郎を参内させて、重行の跡目相続を奏聞してほしいということだ。そして、これまでと変わらずに国を治めていってもらいたい。まだ若達は幼いから、万事は、兵部に頼んだと、懇ろに伝えてくれ。ああ、名残惜しいことじゃ。」

 安口の判官重行は、そう言うと、西に向かって手を合わせ、念仏を四五遍唱えました。そして、まったく惜しいことに、四十三歳の生涯を閉じたのでした。家来達は、判官の死骸に取り付いて、

 「おお、これは、夢か現か・・・」

 と、嘆き悲しみましたが、もうどうしようもありません。やがて、多くの僧を頼んで、野辺送りをするのでした。人々は、涙ながらに骨を拾い形見とし、国元へと帰って行きました。

  さて、安口の判官の遺骨を携えた、人々は、筑前の国へと帰り着きました。まず、兵部太夫に事の次第を報告すると、涙ながらに形見を取りだして、渡しました。兵部太夫は、『さては、祈祷の甲斐あって、判官は死んだのか』と、心の中で喜びながらも、驚き悲しむふりをして、形見を、御台所に取り次ぐと、空泣きをするのでした。突然の訃報に御台所は、泣き崩れる外はありませんでした。やがて、御台は心を取り直して、

 「もうすぐ、都の御番も終わり、目出度い御下向を、今や遅しとお待ち申して、あなた様からの便りを何よりも楽しみにしていたのに、形見の物とは、いったいどういうことですか。ああ、今になって、思い返してみれば、都へ立たれるその時、名残惜しげにされていたのを、目出度く出立させようと、勇め申し上げましたが、このような事になると知っていたなら、樊籠(ばんろう)の涙をもってしても、お止め申しあげたのに。今更ながら、神でないこの身が、なんと浅ましいことでしょう。」

 と口説くと、再び、流涕焦がれるのでした。若君達も、共に涙を流して悲しみましたが、兄の太郎重範は、気丈にも、

 「のうのう、母上様。そんなに悲しまないで下さい。それよりも、我々兄弟を刺し殺して、あなたも御自害なされて、もう一度父上様に会いましょう。」

 と言うのでした。母上は、これを聞いて、

 「おお、大人のように優しく、言う事は確かに尤もなことではありますが、人間、誰しも死よりも、生きることが大切であり、受けたこの身を尊く思い、最期まで尽くすことこそ、親孝行というものですよ。今、お前達が死んだならば、草葉の陰の父上様は、返って、悩み苦しむことでしょう。死んで父に会うことよりも、生きて跡目を継ぐ事こそ親孝行になるのではありませんか。今より後は、雲居の満月のように出世をする為にも、心も身も献げて、会稽の恥を濯ぎなさい。」

 と、懇ろに諭すのでした。若君達は、これを聞くと、

 「父上様の御諚にも、母上の仰せに従う様にとありましたから、必ずそのように致します。」と答えて、泣く泣く立ち上がると、父、安口の判官重行殿の冥福を弔うのでした。親子の人々の心の内の哀れさは、何にも譬えようもありません。

 つづく

Photo

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿