アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

群馬県佐波郡剛志村剛志小学校が母校です、優れた先生

2013年03月19日 | 歩んで来た道

 もっとも、知れれている方が、第6代校長です。

長谷川卓郎 「はせがわ-たくろう」

 1879-1952 明治-昭和時代前期の教育者,編集者。

 明治12年5月23日生まれ。群馬女子師範訓導などをへて大正3年群馬県

佐波郡剛志小学校長となる。及川平治が提唱した動的教育を実施,児童の特性を

ふまえた教育法を実践し,その成果を「教育の実際」にまとめた。

12年講談社の「キング」編集長。昭和27年6月16日死去。73歳。

 群馬県佐波郡剛志村大字保泉出身。群馬師範卒。

1931年:講談社にレコード部が設置される(創業)

1951年:キングレコード株式会社を設立した方です。


 以下、

石原栄一さんの投稿より引用

役員会で、学校側から号令の禁止や体罰の禁止などの話が出されたら、

役員の一人が「木暮先生なら是非叩いて貰いたい」と発言があり、

木暮先生が師範卒業以来退朧まで一生在織した神様のように尊敬され、

慈父のように慕れた先生で、どんな時でも決して児童を叩くような事をしなかった。

懇切丁寧に訓戒する慈母の態度で終始された。生徒が悪い事をしたのは、

自分の教え方が良くなかったから先生が悪かったと、先生目身の腕を篠の鞭が折れる程

叩かれたという流石の頑童も先生の誠に打れて二度と繰返さず善い子になった。

この話は今も伝説の如く年輩の教え子の胸中に生き続ている。

                                       続く



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