アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 平成弐拾七未年 其の六

2015年01月22日 | 近世の歴史の裏側

その後、お徳は国定忠治の処刑後はどんな行動をとったのか調べてみた。

処刑後の国定忠治の腕を貰い受けた。 そして、情深墳(じしんづか)を建立した、

戒名は「遊道花楽居士」と刻まてている。 また、裏面には「念佛百万遍供養」と刻まれている。

また銘文には  「以念仏感得 衆皐悉除滅 甚深修行者 決定生安養」 情深墳は、

かつては五目牛の菊池家の墓地にあったが、幾多の変遷があり、

現在は伊勢崎市 善応寺「群馬県伊勢崎市曲輪町10-11」に移築されている。

忠治に生前から、お徳は逃亡資金を調達するなど、金銭感覚の鋭い、

いわば上州特有の気質の 持ち主の女であった。忠治刑死後も情深墳を建立するなど、

隠れては、あるが惜し気もなく 財力を使っている。この経済力はどこから来たものなのだろか。

お徳の家産運用と蓄財のしくみを次回からは、探ってみたいと思いますが、その前に

実際の情深墳(じしんづか)訪ねてみたので、次回にその画像を公開したい。

           

                                                                                   続く