その後、お徳は国定忠治の処刑後はどんな行動をとったのか調べてみた。
処刑後の国定忠治の腕を貰い受けた。 そして、情深墳(じしんづか)を建立した、
戒名は「遊道花楽居士」と刻まてている。 また、裏面には「念佛百万遍供養」と刻まれている。
また銘文には 「以念仏感得 衆皐悉除滅 甚深修行者 決定生安養」 情深墳は、
かつては五目牛の菊池家の墓地にあったが、幾多の変遷があり、
現在は伊勢崎市 善応寺「群馬県伊勢崎市曲輪町10-11」に移築されている。
忠治に生前から、お徳は逃亡資金を調達するなど、金銭感覚の鋭い、
いわば上州特有の気質の 持ち主の女であった。忠治刑死後も情深墳を建立するなど、
隠れては、あるが惜し気もなく 財力を使っている。この経済力はどこから来たものなのだろか。
お徳の家産運用と蓄財のしくみを次回からは、探ってみたいと思いますが、その前に
実際の情深墳(じしんづか)訪ねてみたので、次回にその画像を公開したい。
続く