神戸在住、恋するスタジオ・フォトグラファー、ときどきドキドキ、ホンニョホニョン日記!

元銀塩・スタジオ・フォトグラファーである吾輩が日々、感じ、考え、体験したことをのんびり書き連ねていく日記形式のブログ。

村上春樹の「ノルウエーの森」の装丁について・・・。マーケティング的な側面から。

2011年01月31日 23時54分15秒 | Weblog
昨日の続きではないが、「ノルウエーの森」に関して、村上氏を含め、当時、その本を出版企画した側がいかにずるいか、反則か?を書いてみたい。ただ理解してほしいのは、それは批判的に書いているわけではないということ。ファンの泣きどころをせめて、「ずるいよ、それは反則だ!」っていう感じの、つまりは敬愛を含んだファンの気持ちを代弁する前向きな気持ちで書く。

1,まず、タイトルの「ノルウエーの森」
これだけでビートルズの曲を連想するファン層にアピールできる。村上氏を中心として、上下の幅広い世代にアピールできるアイコンであると思う。そこをあからさまなビートルズの曲タイトルを持ってくるのではなく、ボーダーラインすれすれの、つまり固有名詞なのか一般名詞なのかギリギリの曲名を持ってきたところがずるい。「サージェント・ペパーズ~」とかでは、小説のタイトルとしてかなりプレッシャーがかかるだろうし、確信犯的に「リボリューションNO.9」とかのタイトルで書かれた小説もあるけれども、固有名詞のようで普遍性を持たせているところが憎い。

2,次に本の装丁というかカバーの色。
上巻が赤色、下巻が緑色。
これ自身、村上氏自身が手がけたということであるが、もちろん、ノルウエーの森から連想する新緑というよりは、寒い国の深い緑であることは必然であるし、登場人物の恋人「緑」が後半、メインになってくることへの伏線にもなっているかのごとくである。だからこそ、その前半は補色の赤になる。
また、その色の組み合わせは、オーソドックスなクリスマスの二色なのであるが、その組み合わせは北欧のイメージにぴったり合う。
一般にノルウェーの森と聞くと、温かい南欧のイメージは出てこず、冷気で鼻が痛いほどの、寒い北欧の、針葉樹の森を連想するはずだ。それも作品のイメージからかけ離れているわけではない。
また、二色の組み合わせは、同時にビートルズ解散以降に出された、前期後期別の二枚組ベスト盤を連想させる。
もちろんビートルズの場合、前期の赤色に後期は青であるのだが、平易なラブソングがメインの若い前期赤盤から、より哲学的、個性的なロックへ進化(深化)していく大人の後期青盤の組み合わせは、ひとつの時系列として、またひとつの宇宙観のように、トータルなイメージを抱かせる。だからこそ、ビートルズが赤と青でひとつなら、「ノルウエーの森」の場合は、赤と緑でひとつの作品なのだ。これが二冊にわたってひとつにまとまった装丁なら、違うイメージになっていたと思う。ありきたりの装丁の上下巻の小説よりも、ビートルズ世代には、妙な購買欲を仰がされる組み合わせというか仕組みである。

3,装丁の色に関してもうひとつ違う観点。
それはずばり、「ノルウエーの森」が収録されているビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」のジャケット。
緑を背景に歪んだ四人のバストアップの写真に、赤いロゴ。アメリカ盤とイギリス盤と色が違ったりするのだが、私の記憶にあるのは、緑っぽい背景に赤いロゴ。しかし、余談であるが、記憶違いでなければ、私が最初に買った輸入盤の「ラバー・ソウル」は金のロゴだったし、編集も「ヘルプB面」とのごちゃまぜだったので、「ひとりぼっちのあいつ」などの有名な曲がなくてひどくがっかりしたことがある。
そして、そのジャケットは写真家のフリーマンがスライドを故意ではなく、歪んだボール紙に投影して、四人に見せたのがきっかけになっているというのは、有名な話。
その歪んだ画像は、サイケデリックのはしりになるのか、はたまたドラッグの作用と重なるのか、とにかく歓迎され採用された。
当時の正統派の写真家なら、たとえ海外の写真家でも邪道だったはずであり、普通なら採用されていないだろう。しかし、その歪みは、若い時代のなんとも言えない宙ぶらりんな心情を表現しているかのごとくである。だからこそ、「ノルウエーの森」の装丁の赤と緑だけで、そこまで拡大するイメージが格納されているし、その二冊を手に取るだけで、「ラバーソウル」のイメージが発動すると私は考える。

4,少し観点がずれるが、「ラバー・ソウル」のタイトルも「ノルウエーの森」と同じように誤解されているタイトルである。ラバーを恋人たちの「lover」と誤解している人は多いけれども、ラバーはゴムの「rubber」。また、このソウルというのも、「魂」という意味はあるけれども、一曲目の焦げるような熱い「Drive my car」を聞けば、それが「soul music」を意味するのは、間違いない。逆手にとって、lover soulのタイトル曲もあるが、それはそれでご愛嬌だろう。

5,装丁を無地の一色にした理由?
これはビートルズのファンなら、一連のビートルズのジャケットを連想させる。もちろん、ビートルズのホワイト・アルバムである。
ジャケットがひとつの芸術の発表の場として、評価されてくるのは、ビートルズの「ラバー・ソウル」以降かもしれない。正方形のサイズにぴったりフィットするのは、中判の、6×6(インチ)サイズのカメラ、それもハッセルが当時から主流になっていたと思う。(トリミングのロスが少なくのだが、スクエアな画角は、意外にも営業写真館ではロスが多くて倦厭される比率なのだ。)
ブロマイドの延長上のジャケットから、ラバー・ソウルで芸術的に目覚め、アルバム「リボルバー」では、イラストと写真のコラージュ、次の「サージェント・ペパーズー」では、ミリタリー・ルックのコスプレ+かなり芸術的なCG顔負けの作品となっている。そこで「マジカル・ミステリー・ツアー」をはさみ、その後に意表を突いた通称「ホワイト・アルバム」
実際には個々のシリアル№が刻印されているのだが、まったくの白いジャケット。
しかし、その単純なジャケットの中身はビートルズ初の二枚組で、トータルアルバムの路線から外れた、あらゆるスタイルやジャンルの音楽満載の賑やかなアルバムである。
村上氏の一連の装丁を担当していた佐々木マキさんや安西水丸さんではなく、「ノルウエーの森」で一面一色な装丁にしたのも、氏のスタイルを変えた分岐点というかモニュメントとして考えるのならば、納得出来るような気がする。ファンタジーを一切、排除して、リアリズムを追求する作品に挑戦した初の試みを後押しするかのごとく、力強い色なのだ。

私が言いたいのは、
村上春樹氏の装丁は、ミュージシャンにとってのジャケットのごとく、作品の中身を代弁し、イメージする芸術の発表の場だけではなく、マーケティングに潜在的に数字を上げる上での、立派なアイコンであったり、ツールであるのではないだろうか、ということ。
もし、それを発表当時、計算していたとしたら、村上氏はマーケティング的にも立派な専門家だということになる。
氏の短編には、メーカーの広告部に務めている設定の主人公も登場するが、村上氏の方が役者は一枚、上手であると皮肉って考えてしまう。
しかし、もっと実験的に赤と緑の組み合わせを考えるなら、二冊に同じ厚みを持たせるのではなく、文庫版では、赤の上巻を少し薄めにするとかの戦略はどうだったのだろうか?などと考えてしまう。
ほかにも海外での村上氏の装丁が日本とは異なることも、参考に考えれば、実に興味深い考察ができるのだ。
海外というか、国別の装丁の違いから文化の比較を論ずることもできるのではないだろうか。それはそれでひとつの論文が完成するかもしれない。


などと、うだうだ書いていたが、続きはまた!
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サッカー、アジア杯の李選手の弓矢パフォーマンスを見て、

2011年01月31日 09時12分54秒 | Weblog
榊原郁恵さんの「いとしのロビン・フッドさま」を思い出してしまうあなたはきっと、アラフィーだ!http://www.youtube.com/watch?v=AX3R9IZvCi0
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2011年01月31日 07時33分40秒 | Weblog
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1月30日(日)のつぶやき

2011年01月31日 01時56分21秒 | Weblog
09:00 from web (Re: @kenta_ohnishi
@kenta_ohnishi おはよう、いい朝だ!さきほど、あなたの美人先輩にあいさつしましたよ。ほんとうにきれいな方ですね。職場で綺麗な先輩、ワシのキャリアでは経験ないので羨ましいです。
10:08 from web (Re: @kenta_ohnishi
@kenta_ohnishi え、あなたより年下なの?ってすごいね!ただあいさつだけですから、ご安心を!(笑)
by wadakazuo on Twitter
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